【終幕】次の四十年
※前話——アリステアと王国中の職人たちの証言が、フェアウェザー伯爵たちの不正を暴きました。
すべての後始末と、それからの谷のお話です。
大団円と次の未来の四十年に向かっていきます。
フェアウェザー元王立蒸溜所所長と、ボウランド商会の一味は、あの日のうちに捕らえられ、投獄された。
彼らには――酒の窃盗としては到底見合わないほどの、重い裁きが下るだろう。
当然だ。彼らが盗んだのは、酒である前に、四十年の誓いと二百年に渡る蒸溜所の歴史だったのだから。
両国は共同で、売られた王の古酒の行方を追った。
自由港の競売記録を辿り、蔵から蔵へ、船から船へ。
救い出せたのは――二人の王の樽を含めて、併せてわずか六樽だった。混ぜ物にされる前に抜かれ、純粋なまま外へ流れた、数少ない古酒たちである。
瓶に詰められて、誰かに美味しく飲んでもらえたのなら、まだいい。酒は、飲まれるために生まれてくるのだから。
けれど中には、ボウランド商会の急ぎ働きのせいで輸送中に樽が破損し――一滴残らず、地面に還ってしまったものもあったという。
その報告が読み上げられたとき、集まった高齢の職人たちの中には、静かに涙を流す者もいた。
四十年。天使に分け前を払い続けた歳月が、道端の土に吸われて消えたのだ。
泣いていい。あれは、泣いていいものだ。
王立の熟成庫に残された樽は、いまも棚を満たしている。けれどその大半は、若い酒で割られた混ぜ物のまま。純粋な古い原酒に戻る道は、もう、どこにもない。取り戻せなかった歳月のほうが、ずっと多かった。
一方で――妙な置き土産も、あった。
フェアウェザーが手を染めた、新樽の使い方。あれ自体には、思わぬ発見が隠れていた。瓶詰めの前、半年から一年ほどのあいだだけ原酒を新樽へ移し替えると、干し葡萄や、チェリーのような果実味が得られることがある――そう気づいた好奇心旺盛な職人たちの間で、いま、正しく研究が始まっているらしい。
複数年の原酒を混ぜることで多層的な味わいが出ることもわかってきた。
単年の原酒を混ぜるだけでも出せない味わいが出せるのだ。
歴史的な価値は低下するかもしれないが、酒の価値は歴史だけで決めるものではない。
学ぶべきことが増えていくのは大変だが、職人たちはたくましい。
もしかしたら神の域とも呼ばれた祖父の時代にも、そういった技法が多く使われていたのかもしれない。
人に罪はあっても、樽に罪はない。
あの御仁のしたことは、許せない。けれど、これらの手法そのものに罪はないのだ。
盗んだ古酒で化粧をする代わりに、真面目に新樽と向き合っていれば――あんな犯罪に手を染めずとも、巨万の富を築く機会は、十分にあっただろうに。そう思わずには、いられない。
ただ。樽の熟成には、年月がかかる。結果が出るまで五年、十年、あるいは、もっと。
かの御仁は、齢五十をゆうに超えていた。
成果の実る歳月を待つことに、焦りを覚えていたのかもしれない。
……樽も、御自分の残りの歳月も。あの方は最後まで、「待つ」ということができなかったのだ。
王家からは、印章つきの布告が出た。
わたくしの追放の撤回と、名誉の回復。それからエドマンド殿下直筆の、謝罪状。三度ほど書き直した跡が透けて見える、不器用で、けれど逃げていない文面だった。間違いを認めるということを、あの方は今度の一件で、ようやく覚えられたらしい。
我が国の将来が少しだけ明るくなった気がする。
だが復職の要請は、丁重にお断りした。
わたくしの居場所は、もう谷の中にあると決まっているので。
そして――式典の日は、雲ひとつない秋晴れだった。
両国の旗の下、二人の王の樽が開けられる。
四十年の琥珀を、アルビオンの水と、エリンの水で割って。両国の王が高く杯を掲げ、声を揃えた。
「――二人の王に」
四十年前、この樽を詰めたふたりへ。唱和が、広場を渡っていく。
そのすぐ隣には、我らがローワンデン蒸溜所の和議年の樽が据えられていた。同じ年に生まれた、別の物語の樽。こちらの中身は、式典に集った両国の職人たち――樽を造り、育て、守ってきた人々に振る舞われた。
「最低の酒」と評された樽が、いちばん敬意のこもった役目を貰ったわけである。人垣の向こうで、赤ら顔の豪商がにやりと笑い、こちらへ杯を掲げてみせた。
式典の結びに、両国の王は、真新しい樽にその年の原酒を詰めた。
次の四十年の、二人の王の樽。
これから始まる四十年の平和を願って。
四十年後の乾杯は――今日、仕込むことでしか、生まれないのだから。
◆
谷に、初雪が降りた朝。
ローワンデンの門を、旅装の男がひとり、くぐってきた。馬はなく、紋章もなく、剣もない。あるのは真っ直ぐな背筋と、使い込んだ革の鞄がひとつ。
「……働き口を、探しています」
アリステア様は、そう仰った。
「騎士は辞めてしまいましたが、帳簿と勘定なら、誰にも負けません。出納簿も空尺の記録も、飽きるほどつけて参りました。……帳簿の仕事だけでなく、現場の仕事も覚えます。麦の返し方も、樽の転がし方も、一から」
実を言えば、いまのローワンデンに一番足りていないのは、帳簿方だった。コナー率いるオブライエン家との取引は年々増え、職人も増えた。そして父もハミッシュも、勘定より樽の相手のほうがずっと得意なのだ。
「採用ですわ。即日で」
ちなみにハミッシュは、無言でシャベルも渡していた。帳簿方でも、麦は返す。それが谷の流儀である。
その晩、熟成庫でささやかな杯が上がった。新しい帳簿方の歓迎と、初雪の祝いを兼ねて。
父が音頭を取り、皆が杯を掲げる。
「――我らの天使に」
樽を見守る天使たちへ、最初のひと口を捧げる。この谷の、古い乾杯だ。
新入りの帳簿方が見よう見まねで杯を掲げて、職人たちに少しだけ笑われていた。
数日後の、雪の晴れ間。
中庭で、アリステア様が麦袋を担いで、熟成庫と床の間を往復していた。危なげのない足取りである。帳簿方のはずが妙に様になっているのが面白くて、通りすがりに、つい、からかってしまった。
「頑張ってくださいな、新人さん?」
彼は麦袋を下ろして、振り向いた。
「ええ。これでも元騎士ですから、力仕事は得意なんですよ」
「あら。でしたら、何の心配も要りませんわね」
「……ただ、王立にいた頃は。屈強な職人の方々に交じると、私はずいぶん細身でしたでしょう。お嬢様には男として見てもらえていないのだろうな、と――ずっと、思っていました」
ほえぇ?
「ですから、職人になることにしたんです。あなたに、振り向いていただくために」
彼は、満面の笑みで締めくくった。
「こうしてお声を掛けていただけたということは――私の選択も、間違っていなかったようですね」
……えええぇぇぇ。
ふふ、あはは、えっと、何を言ってるのかしらこの方。声を出して笑ってしまった。来たばっかりでなんてことを口に出すのだ、この帳簿方は。
少しだけ鼓動が跳ねたのが――悔しい。でもなんだろう、悪くない。
冬の陽が、雪の上で柔らかい。優しい時間が、二人の間をゆっくりと流れて――
その背後に、いつの間にか、父が無言で立っていた。
「……うちの新樽は、一人前になる三年を待つこともできんらしいな。来い。今日はミドルカットを見せてやる」
「はい! お義父さん!」
「ちょっと! アリステア様って、そんなノリの良い方でしたの!?」
「あなたは、ちょっと気が長すぎるのと、仕事以外に興味が薄すぎるんですよ。……だから、作戦を変えることにしたんです」
「仕事以外って、つまりは、その……」
「口数が多くて、幻滅されましたか?」
「うー……そんなことは、ないですけども」
「おい、行くぞ」
「はい!」
「……はーい」
谷の時間は、こうして優しく過ぎていく。
熟成庫の奥では、「私の十年」が眠っている。
追放の日から帰郷して最初に仕込んだ、私の樽。開栓は、十年後の同じ日。
十年後、この谷がどうなっているかは、誰にも分からない。帳簿は太り、棚は増えているかもしれない。その逆もありえないわけじゃない。
作戦を変えたらしい帳簿方が、次に何を仕掛けてくるのかも――まだ、分からない。
それでも樽は、眠り続ける。天使に分け前を払いながら、一日ずつ、確かに。
熟成は、前倒しできませんの。
だから、わたくしは今日も麦を返しますわ。
十年後の楽しみは、十年かけて。
――それが、ローワンデンの流儀ですもの。
(了)
最後までお付き合いいただき、ありがとう存じました。
ブックマークと評価と感想は、天使の分け前として、ありがたく頂戴いたしますわ。
この谷の物語は、第二章(後日談・SS集)として続く予定です。作戦を変えたせっかちな帳簿方と、気の長い鑑定人の行方は――ゆっくり熟成させて参りますので、気長にお待ちくださいませ。
◆同じ作者のお話◆
『婚約破棄された静かなる悪役令嬢~世話をしていた王国中の貴族が"借り"を返しに来ました~』
(短編・完結済み)
https://ncode.syosetu.com/n5695mm/
上記スピンオフも掲載しています。
本編は悪役令嬢視点、スピンオフは騎士の視点で。
+連載準備中です。
――婚約破棄の夜から始まる、貸しと義理のお話。




