【第一幕】その「四十年」、中身をお間違えではございませんでしょうか
7/25本日公開いたしました!
短編を少し投稿しておりますが、今回、連載に挑戦しました。
よろしくお願いいたします。
――熟成は、前倒しできませんの。
「――この『四十年』、中身をお間違えではございませんでしょうか」
御前選定の間が、水を打ったように静まり返った。
ここはアルビオン王立蒸溜所。王家の酒だけを造り、王家の選ばれ職人たちが管理する樽だけを眠らせる、王国でただひとつの国営の蒸溜所。
御前の選定で、鑑定役が口にしてよい言葉は、代々ふたつと決まっている。
「王家の御名に適いますわ」か。
「いま少しの、眠りを」か。
三つめの言葉を口にした鑑定役は、二百年の歴史で私が初めてだろう。
よりにもよって、今日。よりにもよって、この樽で。
私はアイラ・グラント。筆頭熟成庫番――王家の熟成庫に眠る三千の樽、その一つひとつの寝顔と寝言を覚えるのが仕事だ。
この秋、エリンとの戦後四十周年を祝う、両国合同の大式典が開かれる。
準備のため、エリンからは間もなく使節団が到着し、式典の日まで長く滞在する。その式典で振る舞われる原酒こそ、熟成庫の最奥「同盟の棚」の主――和議の日、両国の王が自らお詰めになった、「二人の王の樽」。
四十年の眠りを経たその樽を、式典で振る舞ってよいものか。王太子エドマンド殿下の御前で確かめるのが、今日の役目だった。
役目の、はずだった。
「……聞き捨てならんな、グラント女史」
新任の蒸溜所所長、ギルバート・フェアウェザー伯爵が、口元だけで笑った。棚からの汲み出しと今日の設えまで、一切を取り仕切ったのはこの方だ。1年前の着任以来、蒸溜所の廊下には香水の匂いが増え、熟成庫からは静けさが減った。
「それは二人の王の樽。両国の陛下が自ら詰められ、四十年眠り続けた誓いの樽ですぞ。よもや熟成庫番ともあろう者が、その真偽を疑うと?」
「疑ってなどおりませんわ。――歌を数えただけですの」
グラスを、もう一度鼻先へ運ぶ。
まず立つのは、樽の木の香り。それも、厚い。新しい樫の板で慌ただしく上塗りしたような、化粧の厚さだ。よくできた厚化粧ほど、隠したい素顔がある。
そして――足りないものがある。
「王立の原酒は、四十年を越える頃から白檀の香を纏いますの。四十年ものあいだ天使に分け前を――樽の中身を少しずつ、天へ――払い続けた原酒だけに許される、静かなお香の香り。歴代の熟成庫番が『王立の白檀』と呼び継いできた、この蔵の証ですわ」
グラスを、そっと卓に戻した。
「この杯には、それがございません。代わりに、厚い木の香の下で若い棘が鼻を刺す。古い原酒に若い原酒を混ぜて、嵩を水増ししてございますわ。中身は、よくて三十年ほどのものに――」
息を吸う。言ってしまえば、もう戻れない言葉を。
「わたくし、この八年、同盟の棚の寝顔を見守って参りました。これは……誓ってあの子たちでは、ありませんわ」
間が、ざわめいた。それが何を意味するか、この場の全員が分かったからだ。
王家の熟成庫で。よりにもよって、誓いの樽が。すり替えられている。
「出鱈目だ! 証拠がどこにある!」
「――ならば」
上座から、冷えた声が落ちた。エドマンド殿下だ。
「同じ年の樽で、質の高いものを選び直せ。同盟の棚には、あの年の原酒がまだ眠っておろう」
……御意。
同盟の棚には、二人の王の樽の兄弟たち――同じ和議の年に生まれた原酒の樽が、ずらりと並んでいる。四十年物が丸ごと眠る棚、王立蒸溜所の最奥の主たちの寝所。
私は棚に向かい、二番目の樽から汲んだ。
厚化粧。白檀の不在。若い棘。
……違う。
三番目。同じ匂い。四番目。同じ。五番目――同じ。
利き酒用の水で舌を清めながら、私は棚を進んでいく。一樽ごとに、指先が冷えていく。化粧の匂いだけが、判で押したように揃っている。揃っていること自体が、答えだった。
最後の樽を戻して、私は振り返った。
「……全滅、ですわ」
「な……」
「同盟の棚、ことごとく――中身が別人でございます」
選定の間が、今度こそ凍りついた。
最初に溶けたのは、フェアウェザー所長の怒声だった。
「殿下の御前で、出鱈目を重ねるな!大体貴様は前々から頭が固いのだ!新樽なら熟成は三年で済むという、わたしの改革案のときも――貴様は何と言った!」
「『熟成は前倒しできませんの』と、申し上げましたわ」
「それだ! その融通の利かなさだ! 挙句の果てに、己が八年預かった棚を全滅と抜かす! それが真なら真っ先に罪を問われるのは番人の貴様だと、分かっておるのか!」
融通で酒が熟れるなら、熟成庫番は要りませんのよ。
そして、ええ――分かっておりますとも。分かった上で、申し上げているのです。
「――もうよい」
殿下が、立ち上がった。
「使節団の到着を目前に、王家の熟成庫にふさわしい樽が空だと?四十年の慶事を穢す虚言、看過できぬ」
「殿下。虚言ではございません。事実で――」
「アイラ・グラント。筆頭熟成庫番の職を解く。即刻、王都を去れ」
「恐れながら、殿下」
壁際から、凛とした声が割って入った。
監査騎士アリステア・ダグラス卿。蒸溜所の樽と帳簿を検める、寡黙で通った騎士だ。
「樽の出納簿と払い出しの記録、突き合わせのお許しを。中身が別人ならば、帳尻に必ず痕が残ります。グラント女史の鑑定は、就任以来ただの一度も――」
「殿下」
フェアウェザー所長が、滑らかに割り込んだ。
「使節団をお迎えする直前に、王家の熟成庫を検めるなど。それこそ慶事に泥を塗る行いかと」
「……ダグラス。貴様は北の国境で、雪の数でも検めていろ」
ばっさりだった。
庇い立ては一刀両断。卿は左遷、私は追放。帳簿に触れられて困る方には、二重にお得な裁きである。
退出の間際、卿と目が合った。申し訳ない、と精悍な眉が下がる。私は小さく首を振った。あなたのせいではありませんわ。あなただけが、樽の側に立ってくださった。
扉が閉まる寸前、所長の晴れやかな声が聞こえた。
「これで心置きなく、式典の支度が進みますなあ!」
――ええ、どうぞ、お進めになって。
私が王都の門を出たその日、入れ替わりに、山向こうの使節団の長い行列が入城したという。
そして空いた熟成庫番の席には、所長の息のかかった職人が座ったとも。
私は北へ帰る。渓谷の底で、実家の樽が眠っている。
熟成を知らない方々に、私の樽は、語らせませんもの。
お読みいただき、ありがとう存じます。
続きは明日の21時に樽出し予定ですわ。
ブックマークと評価は、天使の分け前として頂戴いたしますわ。




