みつせがわのだくりゅう。 -04- // 2126年10月18日 AM0X:XX
私、朝間ナヲミは。
気が付くと、とてもとても奇妙な風景に囲まれて居た。
目前に広がるのは、誰もが眉間に2〜3ホ本の皺を寄せてしまうだろう、これ以上は本当にあり得ないと言うくらいに不景気な光景。
何故かは分からないが、どうにも、生理的に受け付けがたい風景。
視界の上半分にあたる五割は『空』。これでもかという程に、何者かの悪意の表れかと感じる程にどんよりと曇っている。
視界の下半分の五割は『原』。大きさが不均等な大量の石が無作為に敷き詰められて、ところどころ浮いてもいるのでとても歩き難い。
そして、『原』の先には一本の濁った水の流れる『川』がある。
それが、憂鬱な色合いの『空』と歩き難い『原』を区切る境界線であるかの様に、綺麗な一筆でしたためられている。
もちろん、『川』の様相もまた、『空』に準じて、全く以て芳しいものではない。
川水の流れは激しく、所々で白い角を立て、多数の邪悪な渦を巻き、流れで激しく混ぜられた泥や砂で、相応に濁っている。
川底は見えない。水面下では水圧に押された大量の石が、下流へ向かってゴロゴロと流れている節さえある。
これを濁流と呼ばずして何と呼ぼう。
どうやら、この『原』は、実質的には川原であるらしい事に、今更ながら気付く。
私の足の下にある大量の石は、すべてこの濁流が今以上に増水した過去に、上流から運ばれ、その際に角が削り取られて中途半端に丸くなったものなのだろう。
客観的に分析すれば、私は、濁流が迫る川原の、その岸の片方で突っ立て居たのだ。
しかし、そうでありながら、私の目を引き続けているのは川原でも、まして、その先で流れている濁流でもない。
目を向け続けているのは、頭上から、どこまでも続くかのように広がる『空』の方だ。
正確には空ではなく、鉛色となるまで積み重ねられ、観測者の心を確実に蝕み、確実に憂鬱な気分へを追い込む厚い雲が気になって仕方ないのだ。
見えている雲の上には更に何層もの雲があるらしく、どうにも垣間を見付けられそうにない。
つまり、これでもか!! という程に、究極的な曇天。
それでいて、雨が降りそうな一切気配はなさそうだ。
その厚い雲がも織りなす陰影は、部分的に漆黒に限りなく近い灰色だ。
何とも不景気な空色は、本当に暗黒である訳ではない。しかし、その圧倒的な圧迫感が作り出す不愉快は、その暗さがあたかも、フォトショップの8bitコードの明度で語れば、256段階中で流石に「0」の真隣りである「1」ではないかと見間違う程なのだ。
印象と言うものは、事実とは異なる場合が多々ある。だが、それでも、それこそが人間にとっての真実になりえる正しさだ。
実際には、影の部分の濃淡の度合いはムラがある。それでも激しく重苦しい。
どれほどに重さを感じるかと問われれば、「まるで、今直ぐでも空が足下へと転がり落ちて来そう」と答える程である。
また、川原の先でこの世界の左の橋から右の橋まで間違いなく横断している『川』の流れは激しく、底はとても深そうに見える。とても、歩いて渡れる流れであるとは思えない。
実際、川音は粼のそれではなく、激流のそれ。
まるで、渓流や滝ではないかと間違えそうな程の轟音を立てている。
もし、ここでの会話の成立させたいのであれば、少なくとも、自分の口を相手の耳元へと出来るだけ近付ける努力は必須だろう。
にも拘わらず、ここで一人で突っ立っていても、川音はまったく気にならない。
それは、話相手は皆無。四方を見回してみても、地平線の内側には、自分以外は誰一人もいないからではない。
それは、川の轟音よりも、この曇天が醸し出す、まるで両肩に覆いかかるような空気の重さに余程気を取られてしまうからだ。
その重さが、この場を、本来ならばやかましくて仕方のないこの川原の厳粛且つ、人の立ち入りを頑なに拒む居心地の悪い『場』を形成しているのだ。
ここは決して、居心地の良い場所でもなく、決して安住の地にはなり得なく、どうあっても長居すべき『場』ではないのだろう。
視覚情報と聴覚情報を一通り検討し終わった所で、ようやく一つの謎の存在に気付いた。
ーーー私は、いったい何時からここで突っ立て居るんだろう。
それが引き金となる。
ーーー私は、どうしてここで突っ立て居るんだろう。
ーーーそもそも、ここはどこなんだろう?
そこで一つの違和感に気付く。
ーーー視線が、目の位置が普段よりもちょとだけ高い。
そう思って足下へ目をやると、意外と長い脚が着物風の裾から下へ向かって伸びている。
ーーーえ?
次は自分の両腕を、肘から掌から伸びる指先までを眺める。すると、日頃から見慣れているものよりも長い。意外にもすらりと伸びてる。
ーーー日本人離れした・・・。
そこ気付いた。
ーーーこれは私の擬体じゃない。
でも、私の身体だ。
私は嫁の森 葉子へ、将来的に宿ろうと建造していた自分の生身の再建品を贈った。そして、私は擬体を嫁の外観を瓜二つに調整して宿った。
つまり、私たち婦々《ふうふ》は互いの身体を、外観を、送り合った。取り替えていた。目の位置が高くなったと感じたのは、森 葉子の外観へと調整した擬体にではなく、自分本来の身長の身体に宿っているせいなのだ。
意識がどんどんとハッキリとして来た。
どうやら、私は遙か昔、忘れてしまったほどの大昔に失った生身の身体に再び宿っているらしい。確かに、後ろに手を回してもし上げた、腰近くまである髪は、あの頃の金髪だ。どう見ても擬体の人口細胞が培養して伸びる、有機人工頭髪と違って、手入れがちょっとでも不足すれば直ぐに見た目が乱れてしまう面倒な「生」の髪質だ。
鏡が無いから確かめられないけれど、きっと、瞳の方も碧眼《青色》に戻っているんだろう。
ハコちゃんが宿った後の私の生身は、どう言う訳か、一年後には金髪→亜麻色の髪へ変わり、碧眼はいつの間にかアジア人っぽい茶色っぽく変わった。でも、今の私の身体は金髪と碧眼と化している。これ、出会った頃のハコちゃんが大好きすぎた私の『属性』に戻っている。
と、言うことは・・・。
ーーー夢か。
今体験しているコレは、あまりにも非日常過ぎる。にも関わらず、どういう経緯があって日常から切り離されているのか検討も付かない。記憶の奥行きがブロックされていると自覚も出来ない。
こんなに良く出来た不条理な世界などある筈がない。
だったら、
これは、
ーーー明晰夢。
覚醒時に近い、そこそこ広い認知力を発揮できる夢体験なのだろう。
仕方がない。少し周辺を見て回ろうか。
ーーー夢なんだから、一人でいつまで彷徨いていてもハコちゃんに怒られる心配はない。
不意に完全な自由を自覚した私は、裸足のままで石が敷き詰められた川原を歩き始める。好奇心に従って、何か目に付くモノはないかと辺りを見回す。とりあえず、川岸、水に触れる所まで移動してみることにした。
久しぶりに生身の裸足の感覚。擬体と違って、お任せ的な自動のバランス制御や重心移動の未来予測が必要ない。生身ってのは、こんなに技術したってのに、擬体の汎用性を確実に上回っているのだと、数歩歩くだけで分かった。
足の裏から入ってくる感覚情報量だけでも、明らかに擬体のそれと桁違いだ。
しかし、大量の感覚情報量には痛みも少なからず混じっている。裸足で石の川原を歩くてのは、結構痛いのだ。
だから、変なカッコウで、例えば腰が退ける感じで、具体的にはへっぴり腰で、片足ずつゆっくりと前進した。




