暇なので魔力操作の練習をしよう。
焚き火の明かりがゆらゆらと揺れる中、セラさんがふと視線を上げて、ぽつりと口を開いた。
「……でも、一つ思い出しました」
「ん?」
「ルクスくん……フィリア様と、レティシアさんにも――贈り物を差し上げていませんでしたっけ?」
「……っ」
ぎくっ。反射的に目をそらす。完全に動揺の証。
「……どうなんですか? ルクスくん?」
セラさんの声が、一段トーンを下げて迫ってくる。やたら穏やかに聞こえるのに、背後からゴゴゴゴとプレッシャーが押し寄せるような圧。
(やべえ、この人怒ってる! この“静かな怒り”は本物だ!)
……ここは、もうアレしかない。俺の切り札――
「好きな人が、3人いたら……ダメなんですか?」
あどけなく、小首をかしげて、つぶらな瞳でまっすぐセラさんを見上げる。無垢な少年の、最終奥義。
セラさんは一瞬、絶句した。
「……だ、ダメでは……ありませんが」
「ただし」
「複数の女性を娶るなら、それ相応の地位と覚悟が必要です。成功した商人か、貴族にでもならないと、法的にも倫理的にも……」
「なら、俺……そうなれるように、頑張ります」
「もし、それがかなったら――結婚してくれますか、セラさん」
セラさんは一瞬、まばたきをして……それから、ふっと小さく笑った。
「……ちょっと複雑ですが……」
「でも、そんなことができる男の申し出を、断ることなんて……私には、できそうにありません」
頬に、焚き火の赤が映ってるのか、ちょっとだけ照れてるように見えた。
(よし……目標、できた)
俺の旅の目的に、「出世」が追加された瞬間だった。
◇
食事もひと段落して、焚き火の揺らぎと星空の光に包まれながら、
俺とセラさんは、のんびりと話をしていた。
……そのとき。
「……う……ん……」
馬車の中から、かすかな声が聞こえた。
「……フィリア!?」
俺はすぐに立ち上がり、焚き火のそばに置いていた食器もそのままに、馬車へ駆け寄る。
布をめくって中へ飛び込むと――
そこには、ゆっくりと体を起こそうとするフィリアの姿があった。
「……フィリア!」
続いてセラさんも、足音を立てずに駆け込んでくる。
「ここは……?」
フィリアが、寝ぼけたような声で周囲を見渡した。
視線はまだ焦点が合っておらず、夢と現実の境界をふらふらしている感じだった。
「……フィリアさま……!」
セラさんがフィリアの隣にしゃがみこみ、そっとその小さな体を抱きしめる。
「よかった……本当によかった。大丈夫ですか?」
涙が滲むような声で、セラさんが静かに言った。
フィリアは、ゆっくりと瞬きをしてから、小さく笑った。
「……すごく、長い夢を見ていました」
「とっても、悲しい夢でした。
ひとりぼっちで……誰もいない場所にいて……」
でも、とフィリアは続けた。
「最後のほうは、なんだか……すごく、あたたかかったんです」
ふわっと微笑むその顔は、まだほんの少し夢の中にいるみたいで。
(……少しはよくなってきているのかな?)
俺はそっと膝をついて、隣に腰を下ろす。
水差しを手に取り、フィリアの唇に当てた。
手を添えて、少しずつ――ゆっくりと。
こくん、こくん、と喉が動く。
「……ありがとう」
かすれた声が、ふいに漏れた。
「……あれ……ルクス、くん?」
フィリアが、ぱちりとまばたきをして、俺の顔を見上げる。
焦点が合ったその目が、優しく揺れて――ふんわりと、笑った。
「……お水、飲ませてくれて……ありがとう……」
そのまま、安心したように目を閉じると、フィリアはすーっと息を吐いて――
また静かに、眠りへと戻っていった。
俺はその寝顔を見つめながら、ゆっくりと息をついた。
◇
フィリアは、干し草のベッドにすっぽり包まれて眠っている。
布団と干し草の合わせ技で、見た目以上にふかふか。
顔色も少し良くなっていて、寝息も穏やかだった。
俺とセラさんは、馬車の外に出て焚き火の前に腰を下ろす。
「じゃあ、今夜は……交代で見張りですね」
「えっ、見張りって……必要なんですか?」
思わず聞いてしまう。
こんな静かな場所で、誰かが襲ってくるような気配もないし。
すると、セラさんはごく自然に頷いた。
「はい。“野営”するなら、見張りは基本中の基本です」
「外の世界では――夜襲、盗賊、獣、魔物……いろんな脅威があります」
「それに、火の番も重要です」
そう言いながら、セラさんは焚き火に薪を静かにくべた。
「焚き火が消えれば、寒さと暗闇に襲われます……」
「何より、焚き火は“私たちが起きて警戒している”という合図にもなるんです」
「……ああ、なるほど」
「獣や魔獣は本能的に火を嫌います。炎や煙の匂いだけで、近づきにくくなります」
「逆に――」
セラさんの声が少しだけ低くなる。
「火を見てもひるまない相手……たとえば、魔獣の群れや、数に物を言わせる盗賊団。そういう連中は、逆に“居場所が分かった”と判断して、襲ってくることもあります」
「焚き火は、武器であり、警告でもあり、時に“呼び水”にもなるんです」
「……厄介ですね」
「でも、安心してください。ここは比較的、治安のいい地域です。大規模な盗賊団はまずいませんし、魔獣もこの辺りは生息していません」
「今のところ、警戒すべきは――野犬や小型の獣、小規模な野盗くらいでしょう」
そう言って、セラさんはゆっくりと立ち上がった。
「ですから、ルクスくんは――先に、休んでください」
やわらかく微笑んで、俺の方を振り返る。
「見張りは、私が先にします。こう見えて、夜目も利きますから」
でも、明らかに疲労の色が滲んでいた。
(……やっぱり、かなり無理してる)
「セラさん。……先に休んでください」
「気にしなくていいんですよ。今は、力を温存することが大切です」
「でも全然大丈夫なんです」
俺は微笑んで言った。
「フィリアの世話してるとき、実は……少し寝てしまってて。
そのぶん、今はしっかり目が冴えてるんです」
セラさんは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにふっと笑った。
「……では、お言葉に甘えて。何かあれば、すぐに起こしてくださいね」
セラさんはそう言うと、腰に提げていた小さな銀の球を取り出した。
「それと、これを。時間計りの魔道具です」
ぱちん、と蓋を軽く開けると、中から淡い光の文字が浮かび上がる。
(まぁ、時計だな。魔力で動くらしい。ねじまき式じゃなくて魔力式……さすが異世界)
「この針がここを刺したら、起こしてください」
「わかりました」
◇
セラさんが立ち上がり、馬車の寝床へ向かおうとしたとき、ふと立ち止まり――
「……あっ、そうだ」
馬車の荷台から何かを取り出し、俺の手にそっと渡してきた。
「これ、よかったら使ってください。
野営って、けっこう暇でついウトウトしちゃうので」
手のひらに載ったのは、金属製の薄い円盤だった。
それが何枚も重なり、上に行くほど少しずつ小さくなる――まるで平らな円錐のような形。
12層。12枚の円盤が、繊細な層となって積み上がっている。
「これは……?」
「魔術の訓練に使う道具です。
以前お話した“風水流”――その中級以上に進むには、より高度な魔力操作の技術が必要になります」
「これは、あるドワーフの技師が作った、魔力操作の練習用の魔道具なんです」
円盤の左右には、親指を置くためのくぼみがあり、そこに魔力を流し込むらしい。
「各円盤には、一箇所だけ小さな印が刻まれています。
それを全層で綺麗に揃えるように魔力を調整できれば、かなり細やかな魔力操作ができる証拠になります」
「……そんな繊細な制御、自分にできるかな」
「ちなみに、私は6層までが限界です。
でも、それだけできれば十分戦えるようになりますよ」
(なるほど……ちょっとしたゲーム感覚で練習できるってことか)
「ありがとうございます、セラさん」
「どういたしまして。では……おやすみなさい、ルクスくん」
セラさんは優しく微笑んで、馬車へと戻っていった。
俺は手の中の魔道具を見つめながら、焚き火の前に腰を下ろす。
(さて――夜の修行、始めますか)
◇
確かに、見張りは――暇だ。
周囲はしんと静まり返り、
時おり焚き火が「パチパチッ」と小さく音を立てる以外、聞こえるものはない。
心地よいといえば心地よいけど、やっぱり――冷える。
春の夜ってやつは、容赦なく体の芯を奪ってくる。
外套を二枚重ねにして着る。
セラさんにもらった魔道具――あの円盤を取り出した。
(さてさて……遊びがてら練習しますか)
左右の親指を指定されたくぼみに当て、魔力を流し込んでみる。
右から左に――すると、金属の円盤が右回転。
今度は左から右に――おぉ、左回転。
「……うわ、すご」
一枚目は楽勝。印もすんなり合った。
「これは案外、余裕なんじゃないか?」と調子に乗って二枚目に挑戦。
……が、うまくいかない。
あれこれ魔力の量を変えて試すうちに、ふと思い切ってドバッと魔力を流してみた。
すると――三枚目が反応した。
「なるほど……流す“圧”で動く層が変わるってことか」
じゃあ、二枚目が動くラインはどのへんか――感覚を探るように何度も調整。
「あ、これくらいか」ってところで印がカチッと合った。
(ふむふむ……これはなかなか、面白いぞ)
「でも、一番上まで動かすには、どんだけ魔力要るんだ?」
試しに、全力で魔力を流してみた――
結果、五枚目までしか反応しない。
「マジか……」
だったら――と、次は“身体強化”の技術を応用。
体内で魔力をぎゅうっと圧縮してから、指先へ一点集中で解放する。
ピクリと円盤が動いた。六枚目……そして七枚目も!
「おおぉ……!」
けど、限界はすぐに来た。八枚目を動かす頃には、もう汗が出てくる。
「き、きつ……」
これだけ集中して圧縮した魔力でも、円盤はちょっとしか動かない。
なるほど、これは確かに“魔力操作の訓練”として、めちゃくちゃ実践的だ。
(よし、じゃあ――一層から順番に、合わせていく練習だ)
……
気づけば、魔力式の時計が「カン……」と低く鳴っていた。
あたりはまだ、真っ暗。空気もさらに冷え込んでいる。
意外とすぐいけるかと思ったが、現実は非情だ。
結果、合ったのは――四層まで。
「っっっくそがぁ……!」
何が難しいって、魔力を“抜く”時。
いい感じで合わせたあと、魔力を止めようとした瞬間、
――下の円盤がズレる。
(どうやら、“流す”だけじゃなく、“止める”制御も必要らしい)
ぴたっと魔力を止めるんじゃなく、
“停滞”させてから、両手から魔力を引くようなイメージ……だと思う。
「いや、これ……めっちゃイライラするな!」
ちょっと力加減ミスると、下の層が「ガクンッ」て動いたりして、
さっきまでの努力が一瞬でパー。
(なんでやねん!!!)
怒りの魔力で二層くらい吹っ飛ばしそうになりながら、
気づけば時間は、あっという間に過ぎていた。
(……ま、退屈せずにすんだし、これはこれでアリか)
ふうっと息をつき、円盤をしまって立ち上がる。
さて――次は、セラさんの番だ。
「おーい、セラさん。起きる時間ですよー」
焚き火の明かりが、まだぽうっと暖かく揺れていた。




