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私と怪異の箱庭の中にて  作者: 高崎まさき
カラスの章
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10/10

10.箱庭の外の宵闇は深く、晴天はどこまでも広い

 心寧が現実を受け入れるのに意外に時間はかからなかった。ただ、病院の予約の電話をした後に我から再度経緯を聞いた時は頭を抱えたり腕を組んだままうんうんと唸ってしまっていたのを覚えている。やがて「体調の悪くない身体ってこんなに軽いんだ」と漏らし、久々にリビングで粥を口にして、ようやくボロボロと涙を流し始めた。死の恐怖から逃れた安堵や生への幸福。そして我への感謝でやせこけた頬を濡らしスプーンを置き嗚咽を垂れ流していた。机の上に腰かけた我はその涙を拭いながら、同じくしゃくり上げていた。死ななくて良かった。生きていてくれて良かった。粥が冷めるのも気にしないで我らはわんわんと声を上げた。共に幼子のようだったと、それでも必要な“儀式”であったと信じている。

 翌日に心寧は病院で検査を受け、体力の回復は必要だが奇跡的な完治であると医者のお墨付きをもらった。帰宅した心寧を玄関で待ち構えればまた涙を流し、我を抱きしめながらしばらく玄関に座り込んでいたのだった。

 それから、我らは“死の間際”に交わした言葉を確認し合った。

「すごく恥ずかしいのだけれど」

「我の過去を勝手に図書館で調べたのだからおあいこだろう」

「全部理解してたのかぁ。そうかぁ……」

 うー、と唸りながら机に突っ伏して首を動かす。机の上に座る我の方を向き、げんなりとした顔を作った。三、四十センチメートルほどになった我の黒い目に視線を合わせ、だらんと床に向けて垂らしていた手で我の頭を撫でた。

「お礼は、本当にそれでいいの」

「それを望み、この姿になった。だから最低でも年齢が三桁になるまでは長生きしろ」

「変わり者だね」

 ゆっくりと頭頂部から腰にかけて心寧は撫でる。手のひらの温かさが心地よかった。

「この先、お前がどこに引っ越そうが、どんな職業に就こうが自由だ。誰と友となり、誰と恋人になろうがなるまいが、結婚しようがしまいが構わない。ただお前の側で我は世界を見たい。お前が死ぬまで共に在ろう」

「自由になったんだからもっと良い生活を送っていて性格も良い人を探せばいいのに」

「身体の一部と残った力をくれてやったんだ、最期まで見届けたいだろう」

「はいはい。感謝してますよぉっと」

 撫でる指先が我の身体を軽く叩き、この感触を試しているようだった。まだ体長が二メートルあった頃に手を掴まれ「アンタって癒し系クッションみたいな肌触りしてるね」と突然言われたのを思い出す。

「反省は次に活かすものだ。我らは世に傷つけられ、己を守るため心を閉ざした。しかし先に進まねばならん」

「声、低くなったよね。あんなにカラスみたいな甲高い声だったのに。結構カッコいいじゃん」

「真面目な話をしたいのだが」

 ムッとして手で心寧の頬を突っつけば、心寧が悪戯っぽく笑う。そして上体を起こし我を持ち上げ正面に座らせた。

「わかってる。でも、きっとすぐには上手くいかないし、また嫌な思いばかりするよ」

「それでもだ」

 はあ、とわざとらしく溜め息をついて心寧が天を仰いだ。数秒そうして「そうだねぇ」と他人事みたいな声を上げた。

「でも今度はアンタに相談できるから大丈夫か。仕方ない、寂しい者同士生きていきますか」

 再び我と向き合った心寧の顔は病み上がりの割に力強い瞳をしていた。こけた頬に血色の悪い皮が剥けている唇。それでも瞳は輝いて、笑みを湛えている。

「似た者同士だからね、私達。私がおもちゃをあげていたように、アンタも昔村の人に力でほしいものを分け与えていたんだから」

 なのに相手を理解せず、一方的だったのだからどうしようもない。目を合わせ互いに苦笑いを浮かべた。

 どうしようもない者同士、やりようはあるのだ。


「まだ慣れないの」

「太陽とは眩しいのだな」

「四百年以上土の中と部屋の中だっけ。鞄の中、入ってる?」

「ここでいい」

 我は心寧の頭の上に乗っかり、心寧は駅ビルからの道を腰までの殆ど黒髪をなびかせて歩いていた。近いうちに前の長さに切るらしい。快晴の空の下。チェーン店のカフェと居酒屋、スーパーマーケットにドラッグストアの前を通し越して内科医院の角を左に曲がる。遠くで自動車のエンジン音が響いている。児童用の玩具の車はあれほど可愛らしかったのに、実物は鉄の塊の化け物だった。我より怪異や妖怪らしくないか、あんなものは。

「アンタにUVカット機能があればよかったのに。夏は冷却で冬は温熱効果のあるプレートが入った機械があるけど、それも一緒に」

「我を便利グッズ代わりにするんじゃない」

 日中は透明になり、心寧と共に行動すると決めた。人前だと我の言葉に返事はできないが、こうして二人の時は心寧は返事をしてくれる。「最近ワイヤレスイヤホンが定番だし通話してるように見えるから大丈夫」と胸を張っていた。穏やかな気候に思わず伸びをする。「暴れたら落ちるでしょ」と下から咎める声がして、手で頭を掴まれる。前を見れば住宅街を突っ切るようにアスファルトの道が伸び、視界に入る景色だけであの部屋の何百倍も広かった。

 特急電車はとまらないが快速はとまる駅から徒歩十分。相変わらず家賃は三万円らしい。二年更新で次はどうなるかわからないので、その時に決めると心寧は嬉しそうに語っていた。

「前より歩けるようになったじゃないか」

「転職活動はもう少し体力取り戻してからかなぁ」

「ゆっくりでいい。時間はいくらでもあるのだから」

 休職期間中に転職活動を進めると心寧は決めた。いくら人付き合いの在り方を変えると言っても、あの面子の中には戻りたくないらしい。当然だと思う。我もこいつの頭上で想像力が欠如した悪意を浴びたくはない。

 入口に円形の照明が二つ並んだ扉をくぐり、念のためポストコーナーへと向かう。疲れた顔をした女がダイヤルを回す手をとめ、我らの方に緩慢な動作で首を上げた。

「こんにちは」

 心寧が少し緊張したように強張った声で挨拶した。女は口を半開きにして、固まる。

「……どうも」

 小さな声で一言。そして会釈をして去って行く。心寧はその背中を見送り、両手を上げて我を顔の前に持ってくる。満足気に口角を上げていた。

「やるじゃないか」

「まずはご近所付き合いから、ね」

 そのまま階段を上がって二階の右端へと向かった。塗装が剥がれた白い手すりと規則正しく並ぶ真っ暗な窓と扉の間を通っていく。外廊下の突き当りからは、青空の中の新月も、大小様々な建物が並ぶ世界も一望できた。

 心寧が鍵を取り出して回す。ドアノブに手をかけ、大きく扉を開けた。

「ただいま」

「おかえり」

「アンタもただいまじゃないの」

 くだらない会話で我らは大きく笑い声を響かせた。

 開けたままの玄関の外は明るく、そして想像もできないほど広かった。


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