表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私と怪異の箱庭の中にて  作者: 高崎まさき
宇津木の章
PR
1/10

1.未事故物件

 都心1LDKで家賃三万円なんて物件があったら、誰でも察するだろう。

 間延びした店員の声を背にコンビニを出る。一階に一、二しか店舗がない儲かっているのか不安な駅ビルの窓は全て暗く、夜空に伸びていた。茶色のビニール袋を揺らしてその駅ビル沿いに右へ進んでいく。チェーン店のカフェと居酒屋の看板が明かり代わりだった。営業時間外のスーパーマーケットを通り越し、ドラッグストアの前で立ち止まり、スマートフォンを見る。買わなければいけないものはないと判断しショルダーバッグの外ポケットに乱雑にしまった。

 内科クリニックの角を左に曲がり住宅街へ。駅前のまとまりがないネオンから一転して一軒家と一軒家の間のアスファルトの道は暗闇そのものだ。パンプスの足音が妙に響く。遠くで自動車のエンジン音が遠ざかっていった。

 コートは必要なくなったとはいえ、朝と夜はまだ肌寒い。肩を縮こませて足を速める。朝はあんなにも狭く感じた道が暗闇で輪郭を失い妙に広く感じた。

 特急電車はとまらないが快速はとまる駅から徒歩十分。入口にやる気のない照明が二つ並んだ扉をくぐり、念のためポストコーナーへと向かう。疲れた顔をした女性がダイヤルを回す手をとめ、私の方に緩慢な動作で首を上げる。そしてまたカチカチを音を鳴らした。互いに会釈程度の挨拶をする余裕も、オートロックなんて防犯意識の高い装置も残念ながらここにはない。でも、それでいい。私もダイヤルを回し空のポストを閉じる。そのまま階段を上がって二階の右端へと向かった。塗装が剥がれた白い手すりと規則正しく並ぶ真っ暗な窓と扉の間を通っていく。駅ビルと同じくやっていけるのか不安になるほど、このマンションには人がいない。羽虫が廊下の照明に体当たりをしているのを進行方向にとらえ、バッグから鍵を取り出しながら足早に下をくぐっていく。

 外廊下の突き当りからは、藍色をした世界にぽつぽつと明かりが灯っている景色が一望できた。ぼんやりと浮かび上がっている電信柱の周囲に小さな影が走っていった。蝙蝠だろうか? 東京にもいるんだ。取り出した鍵を捻り扉を開ける。羽虫を入れぬよう僅かな隙間に身体を捻じ込ませて大きな音を立てて乱暴に閉めた。

「ただいまぁ」

 二十年弱行った習慣は変わらないらしい。暗く短い廊下に声をかける。真っ直ぐ進んでリビングダイニングに通じる扉を開け、照明のスイッチに手をかけた。中央に置かれた部屋の広さに反して小さなダイニングテーブルに茶色のビニール袋を置く。手を洗いに洗面所へ行き化粧も落とす。そのまま着ていた服を脱ぎ洗濯籠に入れて、ハンガーにかかっていた部屋着のトレーナーに頭を通した時だった。

 ミシリ、と小さな音。思わず動きをとめ、鏡に写った後頭部だけトレーナーを被ったままの間抜けな自分と対面し続けた。

 不動産屋が言っていた言葉が過ぎる。半開きの口の中が乾き、苦い味がした。

 トレーナーが重力に従い、頭からずり落ちる。瞬きをして、そっとリビングダイニングの扉を開けた。

 何も変わらない茶色のビニール袋が置かれた机が私を待っていた。

 はあ、と気がつけばため息が漏れていた。足早に近づき袋の中を確認する。二十円引きのシールが張られたおにぎり二つに総菜が入ったパックに割り箸、ほうじ茶のペットボトルが変わらず入っていた。椅子を引き、パックの周りのビニールを剥がす。両手を合わせお決まりの挨拶を口にして玉子焼きを箸で二つに割った。


「ここ、そういう物件ですよね?」

 私が尋ねれば営業担当の橋川という男が顔を強張らせる。窓から入る日光がフローリングを光らせていた。白い壁にベージュと茶色の木目がある床。先ほど見せてもらったトイレも風呂も洗面台もぴかぴかに磨かれていたし、背後のキッチンだってシンクに水垢の汚れ一つない。設置済みのクーラーについて説明を受け、「何か質問は」と尋ねられたので遠慮なく聞いただけだ。

「そういう物件とは」

 まどろっこしいな、と漏れそうになった本音を押し込んで口角を上げる。絶対に確認すべき内容だったからだ。

「外廊下の手すりに何度も塗り直した跡がありました。更にベランダの手すりは反して真新しい」

「お待ちください宇津木さん。たしかに築年数は四十年で古いマンションではあります。しかし千九百八十一年後に建てられたもので新耐震基準を満たした……」

「よく手入れがされていると言いたかったんです。ちゃんと塗装が剥げたから塗り直す。耐久年数を越えたから新しいものに替えた。さっき見せていただいたトイレも便座が温かくなるものでしたし、光回線だって通ってる。リフォーム、と呼んでいいのかわかりませんが、時代に合わせて住みやすく工事されている。つまり、褒めてます。いい部屋だなと思っています」

「では、前向きに検討を」

「前向きに検討しているからちゃんと知りたいんです。築年数はそれなりにあって、オートロックはないから防犯面に不安は残る。けれど東京都内、快速電車停車駅で徒歩十分。駅前にショボいですけど駅ビルで日用品は一通り揃いますし、コンビニやドラッグストアって夜遅くまで営業の店もある。近所に内科もあって安心とまず環境がとてもいい。更に二階の1LDKで広さも申し分なし、今見せてもらった”表面上を”信じるならかなり借り得マンションです。隣と、更に隣の部屋も空き部屋なのもご近所トラブルに巻き込まれなさそうで個人的には加点ポイントです。なのに」

 橋川が書類に目を通す振りをして、私から視線を逸らした。タブレットを握る指先が白く、震えている。

「家賃三万、はどう考えても”そういう”物件でしょう。だから知りたいんです。自分で調べても何も出てこなかったので」

「最近はインターネットで大昔の事件でも簡単に調べられますものね。デジタルタトゥーっていうのでしたっけ」

「違う気がしますが……残したくない情報が残る点では、まあ」

 ふうーと長めに橋川が息を吐く。喫煙者で客の手前気をつかってはいるのだろう。メントール系のガムと煙草の混ざった独特の匂いが鼻腔をついた。

「一度車に戻りましょうか」

 問いかける口調なものの、決定事項であったらしい。橋川はすたすたと紺色の靴下をよく磨かれたフローリングに滑らせて玄関へ行ってしまった。リビングダイニングの扉に手をかけ、一度部屋を見渡すように振り返る。備えつけのクーラー以外の家具のない空間は、膨張するように広く見え、薄ら寒さを覚えた。

 早々に運転席に乗り込んだ橋川に次いで、駐車場に止められた自動車の助手席に腰かける。エンジンを切ったままの車内で橋川がハンドルに両手をついた。

「事故物件だと言いたいんですよね」

 おお、と思わず声が漏れた。直接的な単語をあえて避けていたのに。

「さすがに妄想が働く値段でした。ネットで検索しても何も出てこなかったので、事件性はない自殺か病死かそういうことがあったのだと」

「宇津木さんは事故物件とはどのような条件のものを指すと思われます?」

 橋川は私の方を見ず運転している時と同様に真っ直ぐ前を見つめていた。

「誰かがその物件内で死んだ……ですかね。殺人事件があったとか、あるいは自殺だとか病死だとか」

「死亡だけでは事故物件にはなりませんよ。それなら自宅で家族に看取られて大往生でも事故物件になってしまいます。“自然の摂理”を事故物件扱いされたら我々営業は何もできなくなってしまう。宅地建物取引業法には聞かれたら自然死だろうとちゃんと伝えろと記されてますが。知ってます? 宅地建物取引業法」

 勝ち誇ったような優越感と苛立ちが混ざった声と共に、大きく開けた口からメントールとヤニの混ざった匂いがまた流れてきて息苦しい。相槌を打つ間もなく、橋川はにやにやと笑みを浮かべた。

「難しい説明は省きましょ。細かい決まりはありますが、基本的には心理的瑕疵……“一般的に嫌だなぁと思われる”理由で主に誰かが亡くなった部屋が事故物件扱いになります。他殺、自殺、または自然死でも発見が遅れ特殊清掃が必要になった場合です」

「病死は?」

「発見が遅れなければ事故物件として報告義務は基本的には発生しません」

 私の言葉を橋川が早口でさえぎる。ちらりとこちらを見た顔には露骨な嫌悪感が浮かんでいた。

「人なんてやがて死ぬのに、やたら事故物件扱いしたがる方が多いんですよ。よく言うじゃないですか。建物ではなく土地レベルで考えたら死んだ人がいない場所はないって。旧石器時代からずっと人は生まれて死んでいるのだから、一々気にしていたらどこにも住めません。なのに気にされるお客様が多くて、あの部屋どころか二階全部が空室になってしまっているのが現状です。馬鹿らしいでしょう」

 スーツのポケットに手を入れ、橋川が一瞬目を見開いてまた手をハンドルにかけた。おそらく煙草が吸いたくなったが、客である私がいるからやめたのだろう。

 三階建てのマンションでそれぞれ部屋が三つずつ。ホームページで物件を見た時の情報が正確なら三階と一階が一部屋ずつだけが埋まっているらしい。九部屋中二部屋しか埋まっていない不良物件と忌避する客への苛立ちを橋川は隠そうとはしなかった。

「ではその“自然の摂理”は置いておけば少なくともあの部屋で死亡者は出ていないと?」

「ええ、ええ。出てないです。それどころか築四十年中、直近三年間は空き家なのでそもそも人が死んですらない」

「それでもあの部屋だけ家賃が破格ですよね」

「だからその説明のために車に一度戻らせていただいたのです」

 怒気が滲んだ声に溜め息が漏れた。この人接客向いてないのでは。だが話してもらわなければ、困るのだ。態度に不平不満を告げても仕方がない。膝に置いた手を握りしめ、首だけ動かし鼻で笑っている橋川の方に向けた。

「我々の記録上、事故物件だと説明する義務の事故、事件は一切あの部屋で起きていません。不安なら別の担当に電話してもらっても構わない。ただ……三年前まであの部屋で三カ月以上住み続けた方はいません。──皆『誰かが住んでいて見られている。耐えられない』と悲鳴を上げ逃げていく」

 遂に、と私は声を堪え姿勢を正す。車内のメントールとヤニの匂いが遠ざかっていった。

「誰かが、とは」

 強張った私の声に反して、橋川は慣れているのだろう。悠長に自分の顎を撫でて、付着した皮脂をハンドルに擦りつけた。

「当然人間が住んでいるわけありません。本日見ていただいたとおり、家主を欺いてこっそり住み着く場所なんかなかったでしょう」

「となるとメジャーなのは心霊現象……幽霊の仕業とかそういった話になりませんか?」

「宇津木さん。お客様に言うのは申し訳ないですが、そんなのいるわけないじゃないですか」

「皆さんすぐに退去されたんでしょう」

「妄想ではなく、一応実害……少なくともお客様は呼んでいるものはありましたからね」

 私が息を呑めば、橋川がフロントガラス上部のドライブレコーダーを一瞥した。エンジンをかけていないため、私達の会話は録音されないが気になったようだ。

「宇津木さんは三年振りの入居希望者で、我々としては契約を締結するなら契約通り二年……最低一年は住んでほしい。これ以上“気のせい”で資産価値を下げたくないのです。だからルールに基づき“過不足ない”説明をしたうえでご決断をいただきたい。まず、僕はそもそも霊なんか信じていませんが、三年前にお祓いはきちんと行いました。弊社が適当に行ったのではなく、寺院、神社に依頼をした正式なものです」

 「お祓いと事故物件の法的な説明義務はあまり関係ありませんが」と橋川が続けた。

「死んではいないけど、怪我をされたり病気になったりしたんですか?」

「そんな大層なものではありません。正直に申し上げれば僕は今でもお客様の気のせい、あるいは“住居外”の過失を住居のせいにしたのだと思ってますよ。それくらい、何だったら普段生きていて遭遇する出来事でもあります。ただ、逃げるように引っ越しを決めた元住民の方々が『誰かがこの部屋に住んでいて、ずっと見られている。耐えられない』と同様に顔を真っ青にして訴えてきたと記録には残っています。だから宇津木さんも同じ目に遭う可能性があるとして考えていただきたいのです」

 首筋のむず痒さで、汗をかいているのに気がついた。橋川の額も汗ばみ輝いている。心霊現象を信じていないと口にしながらも、不気味だとは思っているのかもしれない。

「あの部屋は事故物件ではありません。誰も心理的瑕疵があるような亡くなり方はしておりませんし、それに準ずる……例えば激しい児童虐待があったですとかそういう悲しい事件も起きちゃいない。更に土地にも問題はございません。土地そのものに例えば何か恐ろしい化け物が憑りついているなら他の部屋でも同様の現象が起こっているはずですから。でも、他人の不幸を喜ぶ連中がこぞって口にする“心霊現象”と呼ばれるような事態に、皆遭遇して退去している。気になりそうなので申し上げますが、最後の入居者は“心霊現象”に遭われたのも理由ですが、ちょうど結婚が決まったのも引っ越し理由だったそうです。少なくとも“心霊現象”以外に何か悪しき事故があり部屋を去ったのではないと言い切っていいでしょう」

「つまり、理由はないはずなのに何故か気味の悪い思いを皆して、それが続いて心霊現象が起きているような……その原因の事故が発生した物件のような扱いをせざるを得ない状況だと」

「ええ、ええ。実際は気のせいだというのに誰かが酷い亡くなり方をしてその霊が住み着いて悪さするレッテルを貼られてしまっている。でも原因はないのに結果だけは発生している事実から逃げるのは弊社としても不誠実だと上が判断しまして……売るこっちの身にもなってほしいんだが」

 最後の本音に苦笑いで返したものの、それから数秒、互いに見つめ合ったまま黙っていた。冬が去り、春の陽気がやってきそうな季節にしてはひどく暑い。はあ、はあ、と橋川の呼吸音がして、ヤニがこびりついた歯が妙に目についた。

「あの部屋に住んでいた方々は皆……」

 橋川が口にした”この部屋に住んでいた人間が遭遇した怪奇現象”は、そこだけ抜き出せばたしかに気のせいだと笑い飛ばせる内容ではあった。誰かが部屋に住んでいると思い込み、自分のミスをその者のせいだと押しつける。恐怖が己の過失への認識をおかしくしていると嘆くのも無理はないだろう。

 けれど。

「住みたいです。家賃と立地が気に入りました」

 私にとっては、十分決定打となる事実であった。

 こうして私は、家賃三万のマンションへの契約を決めたのだった。三月下旬の、勤務先も引っ越し業者も大忙しの区切りの季節のことだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ