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セオドアの勘違い


「ルーファスがいてくれたら…」


新婚初夜、新妻が待つ主寝室のドアを開けようとした時、聞こえた小さな声にセオドアは足を止めた。


 夜会で一目惚れしてから、様々な伝手を駆使し、やっとの思いで迎えた妻アメリア。


 直視するのが難しいほど、輝きを放つウエディングドレス姿のアメリアと挙式を終え、今まさに初めての夜を迎えようとした時であった。



 (やはりそうか…。)


 セオドアの顔に影がさす。

結婚前から、「もしかしたら」と思っていた。


 それでも、彼女も望んで自分の元に嫁いできてくれたかもしれない、と期待も抱いていたし、もしそうではないとしても今日この日からお互いを生涯の伴侶として尊重し合い、いづれ愛し合う夫婦になれればと思っていた。


 (彼女にとっては望まぬ結婚だ。心を得ようなどと思うのは烏滸がましい、か。)


 ズキッと痛んだ胸に気付かないふりをしてセオドアは扉を開けた。




◇◇◇




 アメリアを知ったのは半年前、隣接するフィラー伯爵家の夜会でだった。


「ちょっと!ドレスが汚れたじゃない!!」

夜会に似つかわしくない怒鳴り声が聞こえ自然とそちらを見ると、胸元がぱっくり開いた派手なドレスを着た令嬢が給仕に詰め寄っていた。


 (あれは確か、ルイヴァン伯爵家のマリー嬢か)


 ルイヴァン家の当主夫妻は穏やかな人柄だが、遅くに生まれた一人娘を目に入れても痛くないとばかりに甘やかした結果、マリー嬢はわがままに育ち様々な茶会や夜会でトラブルを起こしていると聞いた事がある。



「も、申し訳ございません!!」

「謝って済む問題じゃないわ!このワインの染みをどうしてくれるのよ!!

このドレスはね、平民の取るに足らぬ給料なんかでは一生かかったって払いきれない金額のドレスなの。

あなたどう弁償するつもり!?」


 そう詰め寄られた給仕は顔を真っ青にして「申し訳ございません…!どうかお許しを…」と頭を下げている。


 周りが好奇の目線で騒動をチラチラと見る中、群衆の中からスッと耳に通る澄んだ声が聞こえた。


「お待ちください。どうかその方を責めないでやってくださいませんか。

彼女はマリー様のドレスの裾がテーブルに引っかかっているのをお教えしようと声をかけただけですわ。」


 

 その声の主がアメリアだった。

派手なマリー嬢に比べ、流行遅れと見える飾り気の少ないドレスを着ている。

宝飾品はほぼ身につけておらず、2人の装いはまるで正反対だった。


 マリー嬢が自分より爵位が上であるとわかっていただろうに、アメリアは背筋を伸ばしまっすぐにマリー嬢を見つめていた。


「なによ、あなたに関係ないでしょう。」

マリー嬢はアメリアの全身をジロジロと見回すと鼻で笑った。


「あぁ、わかったわ。貧乏人同士庇い合ってるってわけね。シルヴェール家は事業の失敗で多額の借金を抱えたと聞いたけど…そんな古臭いドレスを着ているなんて、噂は本当だったのねぇ」


いやらしい笑みを浮かべマリー嬢は言った。


「…私の実家が困窮している事は確かですが、それとこれとは関係ありませんわ。

給仕の彼女がお声がけしようと近付いた時に、テーブルに引っかかってバランスを崩したマリー様とぶつかってしまったのです。

彼女を責めるのはあまりに不憫です。どうかお許しくださいませ」


 そう言ってアメリアは給仕の前に出て頭を下げた。

(マリー嬢の傍若無人ぶりは周りも知るところだ。皆が興味本位で見ている中で彼女だけが助けに入った)


 優しさなのか、それともマリー嬢の言うように同情からなのか、それはわからない。


それでも。


真っ直ぐマリー嬢と向き合い、馬鹿にされても凛と顔を上げているアメリアから目が離せなかった。








「…失礼、ルイヴァン家のマリー嬢でしたね。

ドレスが濡れたままでお身体が冷えてしまってはいけない。替えの衣装をお持ちであれば、ぜひ控室まで私にエスコートさせていただけませんか。」


 騒動の中心に近付いたセオドアがそう声をかけると、マリーは途端にきゅっと胸の前で手を組み、頬を染めてセオドアを見つめた。


「まぁ、セオドア様。セオドア様にエスコートしていただけるなんて嬉しいですわ。

ぜひお願い致します。」


そう言って差し出した腕にギュッと絡みついてくるマリー嬢を見下ろしながらセオドアは少し声を張った。


「フィラー伯爵、どうやら皆さん退屈されているようです。そろそろ音楽隊の演奏が始まる頃でしょうか。」


 騒動を聞きやっと駆けつけたフィラー伯爵は

「そうですな!さあさあ皆さん、本日は当家自慢の音楽隊が夜会に相応しい演奏ををご披露しますぞ。是非ご注目ください!」


 野次馬をしていた客たちはその言葉をキッカケにパラパラと散っていった。



 マリー嬢を促し控室へと歩き出したセオドアは、瞬間チラッとアメリアを見、目礼した。

目が合ったアメリアはハッとした顔をし、目元を和らげて頭を下げた。


 



 (美しい令嬢だったな。)


 夜会から帰る馬車の中で、セオドアの頭に浮かぶのはマリー嬢に向き合った令嬢の凛とした瞳だった。

焦茶色のよくある色の瞳だが、セオドアにはそこに宿る知性と強さと優しさが感じられた。


 (彼女のことを知りたい)


 これまでセオドアに近づいてきた令嬢は多々いたが、セオドアの心を揺るがすような相手はいなかった。


 セオドアは自分の容姿が整っている自覚はあったし、なにより侯爵家嫡男という肩書きに寄ってくる令嬢たちに辟易としていた。


 (そんな俺がこんな気持ちになるなんてな)


セオドア自身、自分の胸を占める初めての気持ちに戸惑ったが、この胸の高鳴りが嬉しくもあった。




 

 その後夜会のホストであったフィラー伯爵にアメリアの名前を聞き、シルヴェール子爵家の困窮具合も知ることになった。


 シルヴェール家は事業の失敗により確かに多額の借金を抱えていたが、侯爵家から見たら払えない額でもない。


 セオドアはすぐさまシルヴェール家にアメリアへの求婚状を送り、結婚が成った暁には侯爵家が借金の肩代わりをすると条件を提示した。


 親類の中には子爵家の令嬢を次期当主夫人として迎えることに反対の者もいたが、セオドアが入念な手回しと下準備をし、アメリアを迎えるために万全の状態を整えた。


 

 そうして嫁いできたのがアメリアだった。






◇◇◇






 「君を愛するつもりはない。」


 部屋に入ってきたセオドアにビクッと身体をこわばらせたアメリアを見て、セオドアの心は決まった。


「セオドア様…それはどういうことでしょうか?」


「君に期待するのは次期当主夫人としての最低限の仕事のみだ。

領地のことは俺と家令が行なっているし、うちはそう社交も多くはない。

いくつか出席しなければならない場には共に行ってもらうが、それ以外は自由にしていい。」


「…もちろん、閨事もするつもりはない。醜聞にならない程度なら外に情人を囲っても構わない」


 本当はそんな事を言いたくはなかった。

こんなにも恋しく思い、やっとの思いで妻に迎えたアメリアが自分以外の男と愛を育むなど、想像もしたくない。


 それでも、想い人であろう男の名を呟き切なげに瞳を揺らすアメリアの姿を見ると、せめて気持ちだけでも解放してやらなければと思った。



 セオドアの言葉を聞いたアメリアは顔色をなくし、しばらくの間セオドアの顔を見つめていた。

 そしてゆるゆると目線をおろすと小さな声で言った。


「かしこまりました…。」




◇◇◇



 それからの生活は完全に冷え切ったものだった。

セオドアは元々王宮での仕事に加え領地経営で忙しかったが、アメリアと結婚してからはさらに仕事を詰め込んだ。


 (家に帰り、アメリアを見るのが辛い)


 執事や侍女頭にはアメリアをよくよく丁重に扱うようにと言いつけてあった。

 彼女が望むものならドレスでも宝石でもなんでも買い与えてよいと伝えていた。


 きっと彼女は今頃、ルーファスという想い人と愛を育んでいるのだろう。


 どんなにアメリアを切なく愛しく思おうが、彼女を金で買ったような自分にはそれを止める権利はない。


 ルーファスという男の身分はわからない。

それでも、


(俺が結婚の申込みをしなければ2人は結ばれていたのかもしれない)


 そう思うと居た堪れない気持ちになった。

アメリアの心が自分になくても、彼女の笑顔が曇らないよう自分にできる事はしてやりたい。


 セオドアの脳裏に浮かぶのは、あの夜会での凛としたアメリアの瞳と、最後にふと笑いかけてくれた優しい笑みだった。









 そんな日々が3ヶ月ほど続いたある日。

ここ数日は台風のような強烈な雨風が続いており、馬車での移動を危険だと判断したセオドアは王宮で寝泊まりして仕事をこなしていた。


(雨足もだいぶ落ち着いてきたな。今日こそ邸に帰ろう。遠くからでも、一瞬でもアメリアの顔を見たい)


ほとんど顔を合わせることのない2人だったが、それでも一つ屋根の下で暮らしている事で時たますれ違うこともあった。

セオドアは顔には出さずともそんな機会をいつも心待ちにしていた。


 (我ながら女々しいな。)

フッと自嘲した時、執務室のドアが乱暴にノックされ、自宅にいるはずの見慣れた執事が飛び込んできた。


「セ、セオドア様!!急ぎ邸にお帰りください!


アメリア様が、アメリア様がお倒れになられました!!!」





 


 そこから邸に帰るまでの道中はあまりに必死で記憶にない。


「アメリア…!アメリアは部屋にいるのか!?」


 雨に濡れながら玄関扉からホールに飛び込んだセオドアは、コートを脱ぎ捨てると乱れた髪もそのままにアメリアの自室へと走り出した。




 執事が言うには、アメリアはここのところ毎日のように近隣の孤児院を訪問していたらしい。

 孤児院では子供達に絵本を読んだり、字を教えたりしていたと。



…当然、アメリアの生活の中にセオドアが危惧していたような男の影などかけらもないとの事だった。


「奥様は、セオドア様のために何かお役に立ちたいと仰っておられました。

初めは侍女達の手伝いを申し出てくださいましたが、奥様にそんなことをさせるわけには参りません。

 ある時、侯爵家が援助する孤児院を見に行かれてはどうかとお勧めしたところ、視察に向かった奥様はあっという間に子供達と打ち解けて…。


 孤児院で子供達と過ごす奥様はよく笑っておいででした。私は奥様のあのように柔らかい表情を見るのは初めてでございました。」


 邸ではいつも、どこか寂しそうな顔をしていらっしゃいましたから、と執事は続けた。


 

 続く大雨で孤児院の屋根が一部壊れ、内部に雨水が漏れてしまったと聞いたアメリアは、周りが止めるのも聞かずに雨足が弱まった今日飛び出したということだった。


 たどり着いた孤児院では部屋の一つが膝まで浸水しており、比較的歳の大きな子供たちがバケツで必死に排水していた。

それを見たアメリアは、ドレスが濡れ身体が冷えるのにも構わず、自分がやるから、と子供達を部屋に戻したと言う。


 この国では末端まで医療が行き届かず、病や怪我が元で亡くなる平民は珍しくない。

年端もいかぬ子供であれば風邪が命取りになることも多々ある。


 子供達を守ろうと、同行した護衛や馬丁とともに数時間に及ぶ作業を行ったアメリアは、邸に戻った直後に高熱を出し倒れたということだった。



(ああ神よ、これは妻と向き合おうとしなかった俺への罰なのか。

どうか愛する妻を連れて行かないでくれ)


 アメリアの部屋に飛び込んだセオドアは、ベッドに寝かされぐったりと目を閉じるアメリアの姿を見て神に祈った。


 久しぶりに正面から見たアメリアの顔は、記憶にあるよりも痩せていて、目の下にはうっすらと隈もあるようだった。




「セオドア様」


侯爵家お抱えの老医師がセオドアに声をかけた。


「奥様はこの雨の中数時間も力作業をしたと伺っております。

元々体力も落ちていたようで、身体の抵抗力もあまりないように見受けられます。

命に関わる事はないでしょうが、熱が下がるまでは相当苦しいはずです。

どうか今晩はゆっくりと休ませて差し上げてください。」


「ああ、わかった。ありがとう。」


そのあと食事や薬の指示を出し、老医師は帰って行った。


「今晩は俺がアメリアについている。お前達も下がっていい。」


 使用人たちにそう告げたセオドアは、2人きりになった部屋の中でアメリアの手を握った。








「アメリア、すまなかった。

君が寂しい思いをしていることに気付かなかった。

俺は、君に拒絶されるのが怖かったんだ。君の気持ちを勝手に決めつけて、自分が傷つきたくないがために君を遠ざけた。


許してくれとは言わない。

それでも、これから君のそばで償わせてほしい。」


 セオドアはそう呟くと、アメリアの手を暖めるかのように優しく握り、その顔をただただ見つめていた。




◇◇◇





「ん…わたし、、どうして…」


 頭上からふと掠れた声が聞こえてセオドアはハッと身体を起こした。


 夜更けまで氷嚢を変えたり部屋の温度を確かめたりとアメリアを看病していたが、どうやら手を握ったまま突っ伏してウトウトとしてしまったようだった。


「…アメリア!目が覚めたんだな。」


 まだぼんやりと目を瞬いているアメリアを優しく覗き込み、そう声をかけた。


 暫くしてアメリアはセオドアが目の前にいることに気付きパッと身体を起こそうとした。


「だ、旦那様、申し訳ございません…!」


「いいんだ、アメリア。急に動いてはいけない。ほら、まだ横になっていて。」


セオドアはアメリアの背に手を添えると、そっとベッドに横たえた。


「喉が渇いたろう。水差しを持ってくる。」


アメリアはセオドアがなぜここにいるのか、なぜこうも優しい目で自分を見るのかわからなかったが、差し出された水指しからコクコクと水を飲んだ。




「君は昨日孤児院から帰ってきて高熱を出して倒れたんだよ。覚えているかい?」


「邸に戻ってきたところまでは何となく…。旦那様、勝手な行動でご迷惑をおかけして申し訳ございません。」


アメリアは目を伏せると声を震わせてそう謝罪した。

よく見るとセオドアはいつもキッチリと整えている髪を乱し、タイを緩め、いかにも慌ててここまで来たというような様相だった。


(お忙しい中、私のせいでお仕事を抜けさせてしまったのだわ。)


 そう思うとアメリアは申し訳なく居た堪れない気持ちだった。



「いや、謝らなければいけないのは俺の方だ。

君が寂しい思いをしているのも気づかなかった。孤児院で子供達の面倒を見てくれているのも…。


昨日君が倒れたと聞いて、心臓が握りつぶされそうだったよ。

もしも君を失うことになったらと嫌な可能性が頭をよぎって、俺は…。


なぜ君と向き合わなかったのかと、君に嫌がられても、軽蔑されてもいい。こんなにも君を愛していると伝えるべきだったと。」


 そう言ってセオドアは赦しを乞うように項垂れた。


 アメリアはそんな姿を驚きの表情で見ていた。

いつも冷静で堂々としたセオドアが、今は小さく弱々しく見えた。


(セオドア様が私を愛している…?そんなはずないわ。だってセオドア様にはマリー様がいらっしゃるし、初夜だって…)


「…セオドア様、愛しているだなんて、そんな嘘をついてくださらなくていいのです。

今回のことは私の自業自得ですから…」


「嘘ではない!!」


セオドアは身を乗り出した。


「俺は、フィラー伯爵の夜会で初めて君を見た時に一目惚れしたんだ。

弱い立場の給仕を庇い、自分が矢面に立つことも厭わなかった。

まっすぐ前を向く君は誰より気高かった。」


「すぐに君が誰なのか調べさせたよ。

領内でも孤児院の訪問や慈善事業に力を入れていたこと、領民たちから深く慕われていること、学園では最高位の成績を残しながらも学費の関係で最後まで通えなかったこと…それでも腐らずに、夜な夜な刺す刺繍を売りに出して家計の助けにしていたこと…。


 君を知れば知るほど、強く惹かれていった。こんなに心優しく清らかな人が妻となり、自分と生涯を共にしてくれたらと想像して…。


そして君の実家に求婚届を出した。

借金を肩代わりするといえばお父上は断らないだろうと踏んでのことだ。

 君を金で買うような形になったが、それでもいい。君が欲しかった。」



 そう言うとセオドアは握っていたアメリアの手を祈るように額に押し付けた。



「…ではなぜ、初夜であんな事をおっしゃったのですか。」


 セオドアは苦しそうに告げた。


「それは…。君には他に愛する男がいるのだろう」





アメリアはキョトンとした。

「そのようなお相手はおりませんが…」


「隠さなくていい。

初夜の時、部屋に入る直前に君が男の名を呟いていたのを聞いてしまったんだ。

名前は確か…ルーファスだったか?


 俺は君を金で買ったのと同じだからな。

家のことを思い俺の求婚を断れなかったのだろう。

ルーファスという男とは将来の約束をしていたのか…?

本当は君の気持ちを思い、君を手放してやるべきなんだろう。

…だが、すまない。俺に気持ちがなくてもいい。ただそれでも、俺は君のそばにいたいんだ。」


 



 アメリアはあの初夜の時からずっと苦しかった。悲しかった。

求婚が届いた時から、なぜ自分のようなしがない子爵令嬢を選んでくれたのかはわからないが、セオドア様の妻となれるのだと胸を高鳴らせ嫁いできたのに。


 ずっと沈んでいた心が、こんがらがった糸がスルスルと解けていくような、重く苦しかった胸がスッと軽くなるような気持ちがした。

セオドアの言葉が嘘ではないのだと、なぜか素直にそう思えた。








「犬です。」



「…は?」


「ですから、ルーファスは犬です。

実家で飼っていた大型犬で、令嬢としては褒められたことではありませんが、毛並みがふわふわでいつも同じベッドに入れて寝ていたのです。

とても可愛がっていたのですが、さすがに輿入れでここに連れてくるわけには参りませんでしょう。


それで初夜のあの時は…その、薄い夜着でおりましたし…緊張で指先から震えがくるようで…

ルーファスがいてくれたら、あの温かい毛並みをぎゅっと抱きしめられたら、心が落ち着くかと思ったのです。」


 そう言ったアメリアは、あの時の自分の格好を思い出したのか頬を染め俯いた。



(いぬ…犬、だと?俺は犬に嫉妬して勘違いしていたというのか…?)


 セオドアは自分の途方もない勘違いにサッと血の気が引いた。

自分の勝手な思い込みで、結婚から今日までの3ヶ月間アメリアを1人きりにし傷つけてしまったというのか。


 (俺はなんて愚かなんだ…)

 

 

 それでも、頬を染めて恥ずかしそうに俯くアメリアを見て、勇気を出して問いかけた。


「では、君は、その…他に好きな相手などは、いないのだろうか?」


「他に、という事であればおりません。

私は、私は…ただ1人、セオドア・ルーズヴェルト様をお慕いしております」



◇◇◇





 その後アメリアの回復を待って2人で色々なことを話した。


 あの夜会で一目惚れをしたのはセオドアだけではなかったこと。


 マリー嬢からさりげなく自分を庇ってくれた姿を見て恋に落ちたこと。


 明らかにセオドアに恋をしているマリー様と、マリー様を優しくエスコートする姿を見て、2人は特別な関係なのではと思っていたこと。


 自分には手の届かない相手だ、夢を見てはいけないとこの想いに目を瞑ろうとしていた時、セオドアから求婚が届いたこと。


 それを父から聞き、自分から望んでここに嫁いできたこと。



 


 セオドアは次々語られる事実を信じられない気持ちで聞いていた。

それでもアメリアも自分と同じ気持ちだったと知り、もうこの胸に溢れる愛おしさを隠さなくてもいいのだと堪らずアメリアを抱きしめた。


「アメリア、俺の勘違いから君を傷つけ、こんなにも遠回りをしてしまった。

2度と君を傷つけるような真似はしないと誓う。

 改めて言わせてくれ。アメリア・シルヴェール嬢、君を愛している。俺の全てを以て、生涯かけて君を守る。」


「…はい、セオドア様。

私も生涯あなただけを愛しております。」



 そうして初めて交わした口付けは、甘く甘く溶けていった。




◇◇◇




 セオドアとアメリアはその後、結婚直後の不仲は一体なんだったんだと周りが驚くほどのおしどり夫婦となった。


 二男二女に恵まれ、全員が両親の背中を見て立派に成長した。

長男が家を継ぎ、その他の三人もそれぞれの道へと進んでいった。




「ねぇ、あなた」

「なんだい?」

「子供たちも巣立って家の中が寂しくなりましたね。」

「そうだね。子の成長は早いものだ。」


 長男以外は全員嫁いだり独立したりで家を出て行ったし、最近当主を継いだ長男も仕事で精力的に動き回っている。



「それでね、わたしペットを飼いたいと思っていますの。」

「いいじゃないか。ペットといえば、今貴婦人の間では人間の言葉を覚えるというインコが人気なんだろう?」


「インコも良いですけれど、

私は毛並みがふさふさした犬がいいかしらと思っていますのよ。」

「犬…あ、あぁ。犬か…。

いやまぁ、君がどうしてもと言うなら犬を飼っても……いや、やっぱり…」


 君の隣で寝るのは僕の特権だ、とか、いやでもあくまで犬は犬だし…とブツブツ言い出した夫を尻目で見て、アメリアはふふふと笑った。



 


 あの時の自分に教えてあげたい。

ねぇアメリア。何も諦めなくて大丈夫。

あなたにはこんなにも幸せな結婚生活が待っているわよ、とー。

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