アメリアの想い
アメリア・シルヴェールはしがない子爵家の長女として生まれた。
少しくすんだ色の金髪に焦茶色の瞳という貴族令嬢としてはよくある色味を持ち、容姿も可もなく不可もなくと言ったところだろうか。
とてつもない美人というわけではないが、切れ長の瞳は涼しげで、大好きな祖母譲りの色味もありアメリアは気に入っていた。
シルヴェール領はさほど大きくはない。
これと言った特産物はなかったが、穏やかな気候もあり領民たちは農業や畜産業で生計を立てている。
アメリアは普段は学院に通いながら、空いた時間で主に孤児院への支援を行っていた。
父方の祖母が存命の頃、よく孤児院への慰問に連れて行ってくれた。
「アメリア、自分達の手の届く範囲を守り生かすことが私達貴族の責務よ。特に子供達は将来このシルヴェール領を担っていく大切な存在だからね。」
アメリアは孤児院に着くと歳の近い子供達と無邪気に遊んで過ごしていたが、成長とともに彼ら将来の不安定さに気づいた。
孤児たちは13歳になったらここを出て独り立ちしなければならないが、仕事を得、生計を立てて真っ当に生きていける子ばかりではない。
中には金のためと悪事に手を染める子もいたし、困窮してご飯を食べられず、病や怪我であっさり亡くなる子もいた。
(彼らが己の力で生きていけるように、私には何ができるかしら)
そう考えたアメリアが行き着いたのは、子供たちに文字を教え、計算を教え、身を立てる術を与えることだった。
最初は戸惑っていた子供たちも、少しずつ文字を覚えだすと絵本が読めることに喜ぶようになり、歳の大きな子たちは計算ができれば雇い先の選択肢が広がると積極的に学ぶようになった。
(私は貴族として生まれ、さまざまな権利を享受している。
それを領民に還元して彼らを生かす一助となるのは私たちの義務だわ。)
アメリアが教え出してから1年後、13歳になって孤児院を出た男の子が野菜の出荷を主に取り扱う商家の下働きとして雇ってもらうことが決まった。
読み書き計算ができるので助かると先方からも有り難がられたくらいだった。
「アメリア様のおかげです!僕、一生懸命頑張ります!」
そう言って生まれ育った孤児院を背に力強い足取りで歩いていく少年を見て、アメリアの心は充足感と込み上げる思いでいっぱいだった。
そんな穏やかで充足した生活が一変したのはアメリアが16歳の時だった。
父親である現子爵が酒の席で投資話にうまいこと乗せられ、慣れぬ事業に大金を注ぎ込むも失敗。
子爵家の財政は一気に傾き、家計は火の車となった。
それなりの数がいた使用人は、今では執事と料理人、侍女が1人いるのみとなった。
馬車を売り、馬を売り、宝飾品やドレスも可能な限り処分したが到底足りない。
「…アメリア、すまない。お前の貴族学院の学費だが、もうこれ以上捻出することが出来なさそうだ…」
申し訳なさそうに項垂れる父にそう言われたのは、卒業まであと1年と言う時だった。
貴族学院では淑女コースを専攻していたが、他国の言語や文化にも興味があり、他コースの授業にも参加させてもらったりしていた。
父は学院でよい相手と知り合い、嫁ぎ先を見つけてくることを期待しているようだったが、アメリアはそれよりも学ぶことが楽しかった。
(学院を辞めなければならないのね…。卒業までまだまだ学びたいことは沢山あったけど、仕方ないことだわ…)
1人いる侍女は主に子爵夫人である母の身の回りの世話で手一杯だったから、自然と邸の掃除や身の回りの細々したことはアメリアがやらねば回らないようになっていた。
家のこと以外にも、金策に駆けずり回る父親の代理として領地を見て回った。
田畑をまわり収穫量を確認し、領民たちにも何か不足や不備がないか聞いて回る。
孤児院への訪問もおざなりには出来なかった。
夜は寝る間を惜しんでハンカチやちょっとした小物入れなどに刺繍を刺し、商家に卸して売ってもらった。
儲けは二束三文だったが、何もやらないよりはマシだ。
フィラー伯爵家からの夜会の招待状が届いたのはそんな時だった。
家計が苦しくなってからは茶会や夜会もほとんど出ていなかったが、伝手やこれまでの付き合いから低金利で融資をしてもらえそうな相手がいる場には時たま出席していた。
久しぶりの夜会には両親とアメリアの三人で出席した。
3人とも持ちうる衣装の中でも最も状態の良いものを着てきたが、それでも誰の目から見ても流行遅れのものである事は明らかだった。
夜会が始まると両親はあちらこちらへ顔を出し、融資のお願いをしているようだった。
アメリアもそれに同行していたが、普段から無理をさせている自覚のあった父が「たまの夜会だ。少しでも楽しんできなさい。」と軽食やデザートの置かれた一角を指差した。
アメリアが壁際でぼんやりと見つめる先には、煌びやかな衣装を纏った人々が一見華やかに親しげに言葉を交わしている。
(ほんの数年前までは私もあちら側にいたのよね。)
アメリアは不思議な気分だった。
確かにあれ以来生活はガラッと変わり厳しくなった。
アメリアももはや貴族令嬢というよりはちょっと余裕のある平民といった方が近いだろう。
それでも、アメリアは不幸だとは感じていなかった。
日々領地をかけずり回り、孤児院で子供達に教え、内職をし…クタクタになって眠る。
翌朝になれば陽の光と共に起き、また同じ1日を繰り返す。
生きるということ、働くということの尊さを身をもって感じていた。
(真っ当な貴族令嬢として生きていた頃では分からなかった気持ちだわ。)
そんなことを考えていると、ふと手前のテーブル脇で会話をしている令嬢のスカートの裾がほつれ、テーブルの脚の装飾に引っかかっているのが目に入った。
(あのまま動くと危ない…!)
アメリアが声をかけようと一歩踏み出したところで、側にいた給仕の女性が令嬢に近づいた。
目線がドレスの裾に行っている。
(あぁ、彼女が声をかけてくれるのね。)
ほっとして居住まいを正そうとした時、歩き出そうとした令嬢がグラッとバランスを崩し、近付いていた給仕にぶつかったのが見えた。
その拍子に令嬢が持っていたワイングラスが傾きドレスにワインの染みができた。
令嬢に詰め寄られ顔色を失くす給仕を見ていても立ってもいられずつい声をかけた。
あの給仕はおそらく平民だろう。孤児院から巣立っていった子供達の中でも貴族家の下働きに就職した子は多い。
決して恵まれぬ環境の中一生懸命学び身を立てる術を身につけても、こうして貴族の何気ないとばっちりで職を追われる事もある。
(それはとても理不尽な事だわ。)
そんな思いからつい黙って見ていられず口を出してしまったが、マリー嬢の神経を逆撫でしてしまったようだった。
事態を大きくしてしまったー
このままでは主催のフィラー伯爵に迷惑をかけてしまう、と気持ちは焦るも、周りは皆関わりたくないとばかりに見て見ぬふりだ。
ーそんな時声をかけてくれたのがあなただった。
「失礼、ルイヴァン家のマリー嬢でしたね。
ドレスが濡れたままでお身体が冷えてしまってはいけない。替えの衣装をお持ちであれば、ぜひ控室まで私にエスコートさせていただけませんか。」
そう言って口元にうっすら笑みを浮かべたセオドアは、見惚れるほどの優美さでエスコートの腕を差し出した。
セオドア・ルーズヴェルト次期侯爵。
艶やかな黒髪と切れ長のアメジストの瞳。スラッと高い身長に程よくついた筋肉を持ち、彼が社交場に姿を現すと若い令嬢はみな頬を染めていた。
次期公爵としても非常に優秀と呼び声高く、社交界では知らない人などいない。
本人は無口なタチなのか、美しい令嬢達に声をかけられてもいつも失礼のない程度に躱している。ルーズヴェルト次期公爵を射止めるのはどんな深窓のご令嬢かしらとよく話題になっていた。
社交界に疎いアメリアでさえも、遠くからポーっと見つめた事は幾度となくある。
自分とは交わることのない高貴な方だと、うっすら憧れのような気持ちがあったかもしれないけど、ただそれだけー
マリー嬢を優しくエスコートしたセオドアがアメリアの前を通り過ぎる時、ふとこちらを見た。
目が合った瞬間、アメリアは時が止まったようだった。
セオドアの深い知性を纏ったアメジストの瞳は労りを持ってアメリアを見つめていた。
身分の低い給仕を庇ったこと。伯爵令嬢であるマリー嬢に意見をしたこと。招かれた夜会で騒動を大きくしてしまったこと。
誰も彼もが興味津々と眺めるだけで助けてはくれなかった中、セオドアは場を納めるためにわざわざ出てきてくれたのだとアメリアは気付いた。
ハッとして淑女の礼をとった。頭を上げた頃にはセオドアの姿はもうなかった。
ー深い、深いアメジストの瞳。その瞬間、アメリアは己が恋に落ちる音を聞いた。
◇◇◇
幸い夜会での騒動はさほど大きくならなかったようで、フィラー伯爵からのお咎めはなかった。
翌日からはまた同じ日常が始まった。
家事をし、領地を回り、孤児院を訪問し、内職をし、眠る。
それでもアメリアの頭にはふとした瞬間にセオドアが浮かんだ。
穏やかな声。シャンと伸びた背中。
エスコートされるマリー嬢を見つめる優しい目元。
(そういえば、いつかの茶会でマリー嬢がセオドア様と親しい仲だと話していた気がする…)
美男美女の寄り添う姿が目に浮かび、なんだ、そういうことか、と自嘲した。
(私は何を期待したんだろう。家格も容姿も、何もかも釣り合わない。選ばれるわけないじゃないの。)
元より何を期待していたわけでもない。長年心から愛していたと言うわけでもない。それでも、この胸を締め付ける思いは本物だった。
(ふふ、恋を知った途端に失恋なんて、笑っちゃうわね。)
ー父の元にセオドアからアメリアへの求婚届が届くのはそれからすぐのことだった。
◇◇◇
「アメリア、もう一度確認するが、ルーズヴェルト次期公爵との接点は先日の夜会でだけだな?」
「ええ、そうです。お父様」
「ふむ…。それならばなぜうちなどに…。借金の肩代わりをするとまで書いてあるが、そこまでしてうちと縁続きになってもルーズヴェルト家にはなんの旨みもあるまい」
父は求婚届を前に解せぬとばかりに腕を組んでいたが、じっと考えた後アメリアに言った。
「…アメリア、これはお前が決めていい。
私の事業の失敗からお前にはずっと苦労をかけてきた。確かにルーズヴェルト家は格上だが、私としてはこれ以上お前の犠牲を元に家を立ち行かせようとは思っていない。
お前はどうしたい?」
アメリアは青天霹靂だっだ。正直父以上に「なぜ?」という思いが渦巻いている。没落寸前の子爵家から次期公爵のもとへと嫁ぐとなると、相当苦労することは目に見えている。
ーそれでも。
また、あの深い瞳で見つめてもらえるのなら。
あの穏やかな声で名前を呼んでもらえるのなら。
…愛してもらえるのなら。
「お父様、私、セオドア様の元へ嫁ぎたいです」
◇◇◇
そこからの日々は目まぐるしく過ぎた。
セオドア様は忙しいようで直接会うことはなかったが、頻繁に贈り物が届いた。
花束から始まり、ハンカチ、ブローチ、手鏡…
そしていただいた手紙には、家のことで多忙のため会う時間が取れずに申し訳ない、結婚式を楽しみに待っている、と流れるような筆跡で書かれていた。
アメリアの思いは日に日に高まっていった。
恋しく思う相手と結婚する。そんな幸福が自分に訪れるとはー。
結婚式当日、式場の扉前でヴェール越しに顔を合わせたセオドア様はじっとアメリアを見つめた後ハッとしたように目を逸らし「…さぁ、行こうか」と腕を差し出した。
…その不自然な態度に疑問を抱かなかったわけではない。馬子にも衣装かもしれないけれど、ウエディングドレス姿を見て「綺麗だよ」と言ってくれるかも、なんて期待していたから。
(ううん、気のせいよね。こんな事をいちいち気にしていてはいけないわ)
式はつつがなく終わり、いよいよ初夜を迎えることとなった。
アメリアは侯爵家の侍女達に風呂場で入念に磨かれ、良い香りのオイルを塗り込められ、肌が透けるほどの夜着を着せられてポツンと夫婦の寝室のベッドの上に座っていた。
「…寒いわ…。」
まだ夏の終わりで本来なら寒いような気温ではない。それでもアメリアは、これからセオドアと本物の夫婦になるんだという興奮と、初夜に対する不安でガチガチだった。
緊張で指先が震える。
こんな時いつもどうしていたっけ?ぼんやり考えたアメリアの頭に、大きな尻尾を振って嬉しそうにこちらにかけてくる犬の姿が浮かんだ。
実家で飼っている犬のルーファス。あたたかな体に抱きつくと、いつもひだまりの匂いがした。
(ああ、こんな時)
「…ルーファスがいてくれたら…」
がたっと扉の開く音がして驚きのあまり身体が跳ねた。
入り口を見やると、同じように風呂上がりの様相のセオドアがどこか呆然とした表情で立っている。
(ああ、立ってお迎えしたほうがよかったかしら、でもこの夜着あまりに短くて薄くて、立ち上がるのは恥ずかしい…)
アメリアそんなことを考えていると、頭上から声がした。
「君を愛するつもりはない。」
「…え?」
突然のことに声は掠れて音にならなかった。
セオドアを見やると、どこか苦しげなそれでも淡々とした様子で話している。
次期公爵夫人としての仕事はほとんどこなさなくていいと。
そしてー
「閨事もするつもりはない。醜聞にならない程度なら外に情人を囲っても構わない」
パリン、と張り詰めた心がひび割れる音がした。望まれて嫁いできたなんて、そんなおめでたいことを考えていたのは私だけだった。
(セオドア様はお飾りの妻が欲しかっただけなんだわ。)
閨事もしないと言うことは、他に心から愛した女性がいるのかもしれない。
ああ、それがあのマリー嬢なのかも。
愛し合ってはいるけれど、何らかの事情で一緒になれない相手。それでも今後も続けていくための偽装結婚。
悲しいと思った。裏切られたと思った。それでも、憎めなかった。憎むにはこの胸に育ったあたたかな思いは大きくなり過ぎていた。
「…かしこまりました。」
それから、セオドアとはほとんど顔を合わせることはなかった。
セオドアは王宮での仕事や領地の仕事で駆け回っていたし、朝は早く夜は遅かった。
お見送りやお出迎えをしようとしたアメリアだが、執事を通して止められた。
「セオドア様は若奥様に心穏やかに過ごしていただきたいと考えておられます。
仕事の都合で出入りの時間が不規則になるため、奥様はどうか気にせずお寛ぎください。
何か不足のものがあれば何なりとお申し付けください。」
アメリアは一目でいいからセオドアに会いたかったが、たまに邸ですれ違う以外に機会はなかった。
そんな時は不躾にならない程度にじっと見つめてしまう。
あんな事を言われても変わらずセオドアを愛おしく思う自分がおかしかった。
(セオドア様のために、何かできることはないかしら)
本来であれば家の管理は妻の仕事だが、それも止められている以上勝手なことはできない。実家にいたときのように家事を手伝わせてもらえないかと尋ねたが、とんでもない!と断られた。
悶々とした日々が続いたとき、見かねた執事が孤児院の訪問を提案してくれた。
「セオドア様より、若奥様はご実家にいらっしゃる際も孤児院への支援を手厚くなさっていたと聞きました。
この邸から馬車でいけるところに当家が支援している孤児院がございます。
若奥様さえよろしければ、お顔を見せていただけると子供達は喜ぶかと存じます。」
「まあ、嬉しいです!すぐにでも行きたいです!」
そうして通い出した孤児院ではすぐに子供達と仲良くなった。
これまで領主邸からの金銭的な支援はあれど人的支援はなかったようで、アメリアが本を読み聞かせたり歌を歌うと子ども達はとても喜んだ。
(ああ、昔を思い出すわ。シルヴェールの子供達も変わりないかしら。)
アメリアは寂しさを押し殺すように、毎日のように孤児院に足を運ぶようになっていた。
そんな時、秋の長雨で台風のような暴風雨が数日続いた。
セオドアは馬車での行き来が危険だとここ数日は王宮で寝泊まりしている。
(孤児院が心配だわ。この風に耐えられるかしら。屋根が飛ばされて浸水でもしたら…)
アメリアはいても立ってもいられなかったが、とても外出できる状態ではなく悶々と屋敷で過ごしていた。
しばらくしてやっと雨足が弱まってきた時、邸がバタバタとしていることに気づいた。
「どうしたの?」
「若奥様、申し訳ございません。
実は先ほど孤児院からの遣いが来まして、雨風で水漏れがひどい箇所があるそうで。
今はシスターと子供達がどうにか応急処置をしているそうなのですが、もう少し雨がおさまったらこちらから男手を出そうかと相談しているところでしてー」
そこまで聞いたアメリアはパッと身を翻すと玄関のほうへ小走りで進みながら声を張り上げた。
「私が行きます!お願い、馬車を出して!」
「なっ…若奥様いけません!!まだ雨は降っておりますし、そんな危険な場所へ若奥様を行かせたとあってはセオドア様がなんとおっしゃるか…」
「大丈夫、セオドア様にご迷惑はかけないわ。
それより子供達の身体が心配よ。濡れて風邪でも引いたらあの子達にとっては命取りだわ…!どうかお願い、馬車を出して…!!」
なお引き止めようとした執事だが、アメリアの鬼気迫る表情に気押されるように馬車の準備を始めた。
子供達の無限の可能性にずっと心をあたためられてきた。
必死に教えを乞い、学び、そして巣立っていく。
アメリアには子供はいないけれども。そしてこれからも持つことはないかもしれないけれども。
(自分の手の届く範囲にいる子供達くらい、守ってみせるわ…!)
孤児院に着くと、いつも文字を教えるときに使っている一部屋が雨漏りから浸水し、子供達がバケツを手に必死に排水を試みていた。
「みんな!」
「わかおくさま!わかおくさまだ!」
「ここは私たちがやるわ。あなた達は部屋に戻って。ありったけのタオルで体を拭いてね。体を冷やしちゃダメよ!」
アメリアは子供達にそう声をかけると侯爵家から共に来た使用人達と数時間に及ぶ作業に没頭した。
「みんなのおかげで何とかなったわ。ありがとう。無理に付き合わせてごめんなさいね。」
帰りの馬車の中でぐったりと背もたれに身を預けながら、アメリアは同乗した侍従に言った。
「いえ、とんでもございません。むしろ若奥様こそお身体がお辛いでしょう。
領民のためにあそこまで…彼らに代わり御礼申し上げます。」
そう言うと侍従は深々と頭を下げた。
「頭を上げてちょうだい。
…私ね、ここに嫁いできてから何もできなかったの。セオドア様のために何かお力になれることがあればと思ったんだけど、ダメね。何もできなくて。
でも孤児院に行くようになって、子供達の無邪気さやひたむきさに救われたのは私の方なのよ。
彼らの力になれたのなら、よかったわ。」
望まれぬ結婚だとしても、セオドア様に相応しくありたい。そんな思いから普段は弱音など吐けなかった。
今は身体の疲れからか、気が緩んだからか、口からスルスルと言葉が出た。
「この雨でセオドア様は大丈夫かしら。こんな大変な時だもの。お戻りになったら、今回だけ、私もお出迎えしてもいいかしら…。」
そう呟いて体力の限界を迎えたようにふと目を閉じたアメリアの姿を、侍従は痛ましげに見やった。
そうしてルーズヴェルト邸に戻ったアメリアだったが、流石に雨の中長時間の肉体労働に体は悲鳴をあげていた。
玄関先に足を踏み入れるとふらっと身体が傾ぎ、そのまま意識が遠のいた。
(セオドアさま…)
倒れゆくアメリアの脳裏にふと過ったのは、あの夜会で微笑みかけてくれたセオドアの優しい笑みだった。
◇◇◇
左手があたたかい。
ふと意識が浮上し、アメリアは目を開けた。
「ん…わたし、、どうして…」
まだぼんやりとする頭で何が起きたのかを思い出そうとする。
そんな時、ベッド脇に気配を感じた。
「…アメリア!目が覚めたんだな。」
なんとそこにはセオドアが驚いたような、心底ホッとしたような顔でアメリアを覗き込んでいた。
状況に戸惑うも、セオドアを前にベッドに横たわっている自分の状況を思い出し慌てて起きあがろうとした。
それを優しく制したセオドアは、これまでにないような優しい手つきと表情でアメリアの体調を思い遣った。
(一体何があったと言うの?いつものセオドア様とは全く違うわ…)
戸惑うアメリアだったが、その後セオドアの発言を聞き、耳を疑った。
(セオドア様が私を愛している!?心から妻に迎えたいと思い、求婚書を送ってくださった?信じられないわ…。
だって、嫁いできてからのセオドア様は私とは全く顔を合わせてくださらなかったし、それに、それならばどうして…)
「…ではなぜ、初夜であんな事をおっしゃったのですか。」
初夜のあの出来事は、セオドアを愛し嫁いできたアメリアの心を抉った。
その後も愛は枯れることはなかったが、それでもこの3ヶ月間、求められぬ名ばかりの妻だと思い知らされ辛い思いを抱えてきた。
「君には他に愛する男がいるのだろう」
そんなセオドアの言葉にアメリアは苦しい胸の内も一瞬忘れ、はて?と首を傾げた。
他に愛する男?セオドアは何を言っている?
そこからの話の中で、セオドアが犬のルーファスを人間の男性だと、しかもアメリアの思い人だと勘違いしていることがわかった。
ルーファスは犬だと、実家でよくもふもふに抱きついていたのだと告げるとセオドアはあまりの事実に頭を抱え、顔を青くしたり赤くしたりしていたが、そんな姿を見ているとアメリアはなんだか笑い出したくなるような、胸のつかえがふと溶けていくような、不思議な気持ちになった。
そしてストンと何かが胸におさまった。
アメリアの中で、夜会で恋に落ちたあたたかなセオドアの姿と、今目の前で右往左往しアメリアに心底侘びているセオドアの姿が重なった。
(あぁ、この姿を見た今なら信じられる。セオドア様が私を愛していると言ってくれたこと。私を本当に望んでくれていたこと。
私の幸せは、ここに、こんなに近くにあったのね。)
そしてアメリアも己の気持ちをそっと打ち明けた。
あの夜会でセオドアに恋をしたこと。
その恋を、身分差から諦めようとしていたこと。
求婚届がきてどんなに嬉しかったか。
そしてー
「あなたの妻になりたくて、私は望んでここに嫁いできたのです。」
そう言ったときのセオドアの表情をアメリアは生涯忘れることはなかった。




