第9章──堕羅Ⅴ
堕羅Ⅴ
Ⅷ
大門の赤鬼は祠泉飲んで襲われる
「もし私の想像どおりなら、この短文は堕羅の大門の玉の在処を示しているはずよ。そしてそれは祠の中に隠されている…。で…カエルの魔物ちゃんが守っている大事な物というのが正に…」
「堕羅の大門の玉ね……。残念だけど私もそれしかないと思うわ…」顔を曇らせながら智信枝栄が呟いた。
「ねぇ、ポッキーのおじさん…もう一度確認するけど、この祠に入れるのは門番さんだけ?」
「そうだとも…」
「もし門番さんがいなかったら、代わりに誰が祠に入れるの?」
「代わりなんかいるものか」
「だよね…………う~ん……」錫は頭をフル回転させた。今までこんな時こそ良い考えが浮かんできたのだ──〝追い込まれたら何か閃くかも…〟と必死で考えてみた。
「……………うーん……あっ…×…。…うーん…………そうだ…そうだわ!」錫の顔が〝パッ〟と明るくなった。
「ご主人様、また素晴らしい名案が浮かんだのですね?」いしは答えを聞く前から嬉しそうだ。
「簡単なことよ!おじいちゃんの前の門番さんにお願いすればいいのよ!?つまりポッキーのおじさんを助けてくれた門番さんよ!」
「そりゃ良い!抜群の考えだ!」保鬼が必要以上に大袈裟な態度で答えた。
「でっしょう、でっっしょう!」嬉しくて錫も舞い上がっている。
「…………と言いたいが…そりゃダメだ」
「………えぇ~…さっきの振りはうそなの…?ポッキーのおじさん冗談キツイよ…」錫は一気に凹んだ──。
「この祠に入るのを許されているのは今の門番様だけだ。一旦門番を退いてしまえば、あの魔物は誰であろうと容赦なく襲いかかるだろう」
「そんなぁ~…それじゃ、永遠に堕羅の大門の玉は祠の中じゃない…。カエルの魔物を煽てて説得できないの?」
「そんな小細工が通用するわけないだろうが…」
「う~ん……それじゃぁねポッキーのおじさん、せめて教えて……その門番さんは誰なの?」
「聞いてどうするんだ?」
「きっと何か良い方法があるはずよ。門番さんを訪ねて直接聞いてみるわ」
「知りたいなら教えてやるが、そんなことしてもムダだと思うぞ…」
「いいからいいから…誰だか聞かせてよ」
錫が保鬼から門番の名前を聞き出そうとしたその時だった──。
「逃げろ──っ!」遠くから鬼が叫んだ。それを聞いて保鬼は堕羅の大門に目を遣った。
「大門が開く。お前たちも逃げるんなら今のうちだぞ…」
「私たちは逃げません!堕羅の世界のことを知っておきたいので門の向こうに行ってみます」智信枝栄は胸を張ってきっぱりと言い切った。
「でもさぁ浩子…ポッキーのおじさんからいっぱい話も聞いたことだし…取りあえず〝それで良し〟としない?」
「お生憎様、それで良しとしません!」智信枝栄はそう言いながら、錫のほっぺたを軽く抓った。
「…いでっ!………もう~…こういう時の浩子は融通が利かないというか生真面目というか…トホホ」
「お前たちがそうするなら仕方ない。わしについてこい!」保鬼は大きな図体を起こして、堕羅の大門の左隅へと走り出した。
「よく聞け…大門を覆っている霊気が消えてしまえば、堕羅の亡霊たちが忽ちこっちの領域に侵入して来る。だが、それはこっちも堕羅に入れるということだ…分かるな?」
「は、はい…」錫は萎えた声で返事をした。
「堕羅に踏み込んでどうなるのか……それはわしにも想像がつかん。だが一つだけ大事なことを伝えておく。今の堕羅の大門の霊気は約二時間でまた復活するはずだ。それまでに黒の国に戻らなければ二日間は堕羅に閉じ込められてしまう…分かったな?」
「は、はい…………………………いやだぁ~!」
「な、泣かんでくださいご主人様…。いしがご主人様を必ず守りますけん」いしは怖じ気づいている錫の左手の甲をぺろぺろと舐めて励ました。
「う…ん…………ありがと……」
「…お前、今からそんな調子で大丈夫かぁ?」呆れ気味に保鬼が言った。「ほれ…霊気が消え始めたぞ!」
「行きましょう!」智信枝栄が先陣を切って堕羅の大門を潜った。
「こんな時の浩子ってかっこいいわぁ~…」
「ご主人様、感心してる場合ではありませんよ。我々も参りましょう。……お前もついてこい」
「あたいに偉そうに命令しないで!」いしと綿は相変わらずだった。
全員が堕羅の大門を潜った──。
薄暗い世界にうっすらと霧掛かった見通しの悪い視界だ。
「ここも殺風景で不気味な場所ね…」八方をきょろきょろ見回しながら錫は顔を顰めた。
「あっ!スン……錫雅様の姿からだんだんスンの姿に…」
「えっ!?……ほんとだ…なんだか変身もののキャラクターになった気分…」自分の変わりゆく姿を楽しげに見ていたその時──。
「お前たち危ない──!」保鬼がいきなり叫んだ。
何かが忍び寄っていたが、つい油断をしていたことと視界が悪いこととが相俟って、その気配にまったく気づかないでいた。錫が保鬼の叫び声に驚いて顔を上げた時、その相手は長い胴体を撓らせ地面を蹴り上げて宙を舞い、錫目がけて襲いかかってくる寸前だった──正体は全長五㍍はあろうかという真っ黒い蛇だ。大きな図体だがとんでもない跳躍力だった。
錫目がけて一直線に飛んでくる黒蛇の喉元を空中で確実に捉えたのはいしだ。いしは黒蛇の太い喉元に尖った牙を食い込ませたまま離そうとはしなかった。〝がぐぅー〟っと低い唸り声を発しながら、口吻には普段見せることのない深い皺を寄せていた。肉を噛みちぎるように頭を振り乱しているその姿は、神社にある石彫りの狛犬より遥かに荒々しかった。
だが黒蛇も負けてはいない──太く長い胴体で反撃に転じた。いしの胴体に何重にも巻き付くと、じりじりと締めつけにかかった。黒の国では、霊体であってもまるで肉体があるかの如く形が定まってしまう。それ故、体を締めつけられるにつれて、口から内臓が飛び出そうな苦痛がいしを襲う。苦しさのあまり顎の力が抜け、がっちりと食い込んでいた牙も緩んだ。藻掻けば藻掻くほどその苦痛はさらに増し、とうとういしの牙は黒蛇から離れてしまった。
そんな極限の苦痛からいしを解放したのは───なんと綿だった。綿は黒蛇の尻尾に牙を立てると、綱引きの如くあらん限りの力で引っ張り、いしに巻き付いていた長い胴体を伸ばしはじめた。そのわずかな隙を見逃すことなく、今度は保鬼が黒蛇の胴体を両手で鷲掴みにして思い切り左右に引っ張ると〝ぱっつん〟と音を立てて頭と尻尾にちぎれた。呆然と立ち尽くしたまま傍観していた錫は、我に返って口を開いた。
「ち、ちぎれちゃった………………ぱっつん…」。「しかし霊体だ……またくっつくぞ」
「えっ!?復活しちゃうの?」。「あぁ、暫く動きを止めたにすぎない」
「そうなのぉ…。あっ、ポッキーのおじさん、助けてくれてありがとう!」
「いやいや………勇敢なのはあの狛犬たちだ」錫は〝分かっています〟と言わんばかりに大きく頷いた。
「いしも綿も本当にありがとう!」錫は同時に二匹の頭を撫でながらそう言った。いしはデレデレしていたが、綿は澄ましたままだった。
「わたくしも一応お前に礼を言っておこう…。た、助かった…」いしはチラチラと綿を見ながら小声で言った。
「礼を言うなら一応じゃなくて、きちんと言ってもらいたいわ…」
「うぐぅ……。本当はお前の助けなど借りなくても大丈夫だったが、それでは済まないから一応と言ったのだ…」
「あら?…余計なお世話だったようね…。分かった、もうあんたの邪魔はしないわ…」ツンと澄まして綿はいしに背を向けた。
「ふん…それは願ったりだ…」いしも同様に綿にプイと背を向けた。
「およしなさい二人とも…」割って入ったのは智信枝栄だ。
「なんなのですか……そこへお座りなさい!せっかく力を合わせて、ご主人様を助けたんでしょ?…少しは仲良くできないの?だいたい背中を向け合った狛犬なんて見たことないわ…」
──「ぷふっ!浩子は栄養士よりも幼稚園の先生の方が似合ってるかも…」智信枝栄のお小言をしょんぼり聞いているいしと綿をそのままにして、錫が保鬼に尋ねた。
「ポッキーのおじさん、堕羅ってこんな奴ばっかりなの…?」
「いんや!こんなデカくて強い奴はめったにいない。だいたいシマヘビやアオダイショウ級の大きさが多いのだ」
「だけどそれって毒蛇じゃないわ…」
「ん……?がははは…!ここに棲む奴らがみんな毒を持っているとは限らん。何人たりとも堕羅に近寄らせないための嘘だ」
「え~……そんなぁ…」
「お前だって毒があると聞いたら、ビビって近づきたくなかっただろうが?…そういうことなのだ。もちろん本当に毒を持った奴らもいるから気をつけなければならんがな…。それ…お前さんの仲間たちも、そろそろお小言が終わりそうだぞ…」
「二人とも分かったのね!?」
「へい!」。「あい!」
「浩子からお叱りを受けて神妙にしてるわ…ふふふっ」
「さぁて…先に進まねばならないが、ここまで見通しが悪いとは思わなんだ。このまま進めば方向を失って全員が迷子になりそうだ…。誰か一人が大門に残って場所を教える役目をしたらどうだ?」
「それならスンが適役よ!スンの集鬼鈴があれば、私たちはすぐにそこに戻れるわ。だから今日はスンがここに…ね?」
「う、うん…」
「いしもよ…あなたがしっかりご主人様をお守りしないとね」
「はいですけん!」いしはきちんとお座りすると、右の前足を使って敬礼してみせた。
「いし、あなた…くふふふ…可愛いぃ」智信枝栄は殊の外その格好が気に入ったようだった。
「きゃはは……あんたそんなのいつ覚えたの?」錫も目を細めながら尋ねた。
「ご主人様が時々なさるのを見て覚えましたですけん」いしは得意満面で答えた。
毎度の綿は〝しらっ〟と横目で傍観していた──。
智信枝栄と綿、それに保鬼が堕羅を奥に進んで数十分が過ぎた。錫は大門の隅っこでいしにしがみついて震えていた。
「ねぇ、いし見てよ…なんで堕羅の大門からあんなにたくさん蛇やムカデが出て行くの…?」
「ご主人様…たくさんというのは語弊がありますよ。多くても十匹足らずですが…」
「…えぇ~…私にはその何十倍にも見えるけど…。乱視かも…」真面目な顔で冗談を言う錫がいしにはおかしかった。「あのにょろにょろには手が出せないんでしょ?」
「はい、霊力を使っては駄目だと言ってましたね。あんな姿でも一応堕羅の亡者ですけん…」
「さっきの黒蛇と比べると、こいつら可愛いもんだけど…それでもやっぱり気持ち悪いから、ここにじっとして隠れていよう…」
「どこに隠れる?」いきなり真後ろから声がした。ビックリして咄嗟に振り向いた錫は、その姿を見て肝が縮み上がるほどの恐怖に襲われた。太長い胴体、そして肥大した頭──どれもバランスが取れていない。けれど錫にとって問題なのは、そこに足が付いていないことと、全身を覆っているザラザラのウロコだ。触れば火傷をしそうな溶岩色のウロコを主体とした黒と紫の斑模様が毒々しくて不気味だった。肥大した頭は蛇かトカゲの顔だが、なぜだか脳天からその中心部まで縦に裂け目が入っていた。威嚇したコブラのように鎌首を擡げた格好で錫を上から見下ろす金色の目は、獲物を狙う爬虫類独特のゾッとする目だ。極めつけは顎まで裂けた口の先から、二股に別れた赤く長い舌がチョロチョロと顔を出すことだった。
「どこに隠れるというのだ?」錫より数倍デカい大蛇の化け物は、同じ言葉を繰り返して錫の恐怖心を煽った。
「み、見つかったから…隠れる必要はなくなったみたい…ははっ…」
「お前は黒の国の亡霊ではないな?何しにここに来た?」
「そんなこと…あんたに話す必要ないでしょ!」
「威勢の良いお嬢ちゃんだが、声は上擦っているぞ…くくくっ」大蛇の化け物は錫をからかって反応を楽しんでいる。
「あ、あんたは…堕羅の亡霊なんでしょ?」
「私か?くくっ、冗談だろう…。私を罪深い堕羅の亡霊と一緒にしてくれるな」
「罪深い堕羅の亡霊?」
「お前なんにも知らんのか?そんな奴がなんの目的でここへ来た?」
「ひ・み・つ・で・すぅ~っ」
「ふん…それは挑発か?」大蛇の化け物は大きな口を開けると、上顎から突き出した二本の牙の先から黄色い液体を錫に吹きかけた。錫は飛んで来る液体を難無く躱すと大蛇の化け物を睨みつけた。
「ほう…案外身軽だなぁ。狛犬も一緒だということは、大方白の国から来た奴か…。ではこれでどうだ…」大蛇の化け物は地面に腹をつけ、錫の回りを這い出したが、その姿が徐々に違う生き物に変わっていった。
「い、いし…あれ…何…?」にょろにゅろと蛇行していた大蛇の化け物の両腹から、数十本の手が生え、頭からは触覚らしきモノが伸びてきた。長い体からウロコが消えて無くなり、青黒いつるんとした表皮に変わった。
「ど、どデカい蚣ですけん…」化け物は、それまでの蛇の動きから、もぞもぞと百本の足を動かすムカデの動きへと変化した。
「大蛇よりこいつの方が早いのでなぁ…くくく」不気味に笑うと大ムカデは、毒を持った牙を立てて錫に向かって来た。それでも動きは単調なので、錫は容易く体を左に躱すと、隙だらけの大ムカデに一蹴りしてやろうとしてしたが躊躇した。
「ご主人様、どうして止めたんです?」チャンスを見逃した錫を不思議に思ったいしが尋ねた。
「ごめん……触るのが気持ち悪い…」
「あ~……」いしは錫のその一言に納得だ。
「ん~む…やはりまだ時機が早かったか…」大ムカデはぼそりと呟いた。
「あんたいったい何者?」
「ふんっ……出会った誼に教えてやろう。私の名は蚣妖魎蛇。今は罪人の掃き溜め──この堕羅で燻っているが、いずれは他の国を支配する神となる存在だ!」
「蚣妖魎蛇?何が神よ……だいたい自称の〝神〟っていうのは怪しいんだから……ねぇいし」いきなり同意を求められたいしは、錫の言わんとしている相手が天甦霊主だと分かっているだけに、苦笑いするしかなかった。
「ん…?お前はよく見ると強い霊力を秘めているな…くくく、よしよし私のエサになれ」
「冗談でしょ!あんたのエサになるくらいなら、死んで地獄に行く方がましよ!」
「バカかお前は!もう地獄へ来ているではないか…くくく」
「……んぐぅ~、悔しいよぉ、いしぃ~…」
「まぁまぁ、ご主人様…あんなの相手になさらずに…。それよりもここは私が食い止めますけん、その間にご主人様は大門の外にお逃げください」
「えっ?それこそ冗談でしょ!?いしだけ置いて逃げられるわけないでしょう!」
「ですが…ご主人様はこんな奴が苦手でしょうからわたくしが…」
「大丈夫!…みんなを呼び戻すから」錫は霊気を右の手のひらに集めて集鬼鈴を出現させると、左手にしっかりと持った。蚣妖魎蛇はその一部始終を見て驚き、じりじりと後ずさりした。
「お前……それは…!」蚣妖魎蛇は含みを持った驚き方をした。
「これは集鬼鈴。今から仲間を呼ぶから待ってなさい!」
「お前がここに来た目的はなんだ?まさかお前たち…堕羅の大門を封印しに来たのか?」
「さぁーどうでしょう」錫は蚣妖魎蛇の質問を濁して集鬼鈴を振り鳴らした。
シャウィ───ン………シャ──ン…
霧深く寂とした堕羅一円に、澄み切った音色が響き渡った。
「今日のところはこのまま引き下がってやる…。お前が堕羅を封印するつもりなら、また会うこともあるだろう…。その時は今回のようにはいかんぞ。くっくく…」蚣妖魎蛇は落ち着いた物言いだったが、錫にはどこか慌てているようにも、怯えているようにも感じた。
智信枝栄が集鬼鈴の音色に誘われて戻って来たのは、蚣妖魎蛇が立ち去ったすぐ後だった。
「あっ、浩子早い…お~い!」かなりの早さで駆け寄ってくる智信枝栄の姿が見えると、錫は嬉しくて大声で叫びながら手を振った。しかし錫の呼びかけに対して、智信枝栄は意外な一言を発した。
「スン危ない、うしろ!」慌てて振り向いた錫は氷のように固まった。錫の目に映ったそれは、頭と胴と尻尾は明らかにトカゲに見えたが、手と足は獣そのものだったからだ。それに首回りや背中にも獣のような剛毛が生えていて、トカゲと獣が掛け合わされたような奇妙な化け物だった。
「ははははは……こんな姿になってしまったか…」そいつは自分でも奇妙に感じている様子だった。
「スン…大丈夫?」
「ありがとう浩子…こんな奴が後ろにいたなんて…全然気づかなかった」
「そうだろうとも。私もたった今現れたのだ」奇妙な化け物がそう言うと、智信枝栄は何を思ったのか〝ふっ〟と顔を顰めたが、それからすぐ目を閉じて気を集中させると、相手の霊気を静かに探り始めた。
わずか数秒だった──智信枝栄は〝はっ〟と息を吸い込み、同時に大きく目を開くと、はっきりとした口調で化け物に問うた。
「あなたは………矢羽走彦ね!?」
「ひぇっ!?」錫は黒の国に来てから、ずっと驚きっぱなしだ。
化け物は無言のまま不敵な笑みを浮かべるだけだった。




