表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/56

第9章──堕羅Ⅲ

 堕羅Ⅲ



 Ⅳ


 越知(おち)英資(えいすけ)(いま)だに何も音沙汰(おとさた)の無い錫にしびれを切らしていた。

 ──「あの巫女みこさん、まだ解決の糸口いとぐち(つか)めていないのだろうか?」

 越知は師匠乾丸正嗣(いぬいまるまさつぐ)の代わりに依頼人の除霊をしていたが、まだまだ乾丸の足下(あしもと)にも(およ)ばない。せめて乾丸愛用の霊具・晶晶白露を使えれば乾丸に(おと)らぬ除霊も可能なのだろうが、乾丸が()()()()では使用許可を求めることもできない。

 乾丸婦人は夫が呪われてからというもの、片時も側を離れることなく付きっきりだった。そして〝この人にとって晶晶白露は自分の命と同じくらい大事な(たまわ)り物でしょうから…〟と、常に晶晶白露を乾丸の枕元まくらもと()えてやっていた。

 そんな婦人が珍しく外出した。「今しかない!」越知はこの機会を(ひそ)かに心待ちにしていたのだった。

 越知には(ため)してみたいことがあった。それゆえ一度だけ晶晶白露を無断で使おうと決めていた。婦人の留守を狙って後ろめたく思いながらも、ぐっすり眠っている乾丸の枕元に立つと、目的の桐の箱にそっと手を伸ばし静かにふたを開けた。そして(おもむろ)に晶晶白露の()をしっかり握った越知は、今まで感じたことのない(いかずち)のような霊気が全身に(ほとばし)るのを感じた。短刀を握っている右手がブルブルと震え出す。越知は(ひたい)に脂汗を(にじ)ませながら、小刻(こきざ)みに震えている刃先をじっと(にら)んだ。胸いっぱいに空気を吸い込んで気持ちを落ち着かせると、視線を晶晶白露の刃先から乾丸へと移動させた。何も知らずにぐっすりと休んでいる乾丸を上から覗き込み、肩まで掛けてあった布団をお腹の辺りまで(まく)り、握っていた晶晶白露を逆手に持ち替えた。

 ──「力を込めて突き刺す必要はない。刃先を軽く当ててやるだけでいいんだ…」越知は自分にそう言い聞かせると、晶晶白露を真っ直ぐ乾丸の胸に振り下ろした。

 〝ぴくん〟──乾丸の反応はそれだけだった。越知は異変が起こることを信じて乾丸を見守った。

 だが越知が想像していたような変化は見られない。「結局無駄骨(むだぼね)か…」ぽつんと(つぶや)いた越知は、晶晶白露を桐の箱に納め、部屋から出ようとドアの前まで来て、何気(なにげ)なくもう一度乾丸に目を()った──異変が起こったのはその時だった。

「ぐっっ………ぐぐうっ……」ちょうど乾丸婦人も帰宅して、夫に挨拶をしようと部屋の前まで来ていた。ドア越しに(ただ)ならぬ(うめ)き声が聞こえてきたので、急いでドアを開けようとしたが、鍵が掛けられていて開けられない。

「あなた……あなた!」乾丸婦人は必死で夫に声をかけた。

 部屋の中では、今まさに(おぞ)ましい事態が起こっていた。

 全身の血管の中をウジ虫が()い回るような感覚に襲われ、断末魔(だんまつま)に近い叫び声を上げながら喉元(のどもと)()きむしっていたのは────乾丸正嗣ではなく越知英資の方だった。




 Ⅴ


 白の国を守護する矢羽走(やばしり)(ひこ)照陽(てらしはる)龍社(たつやしろ)王尊(のきみのみこと)は同じ霊神に恋心を抱いていた。

 だが白の国には〝何人(なんぴと)も愛してはならない〟という(きび)しい(おきて)がある。白の国に住む限り、この掟は守らねばならない。まして民の魂を守る位の高い霊神となれば(なお)のこと、自分たちが規律(きりつ)を乱すことなど決して許されるものではなかった。

 白の国の民たちは温和で平和を好む魂たちだ。そしていかなる物も空想の世界によって手に入れられるので、他の民たちを羨望(せんぼう)することもない。()って(いさか)いなどはまず起こらない。

 ただ一つだけ、空想であっても手に入らないものがある──〝愛〟だ。愛だけは代用するわけにはいかない。

 愛は相手の心を奪いたくなる。愛は自分の心を伝えたくなる。愛はどこまでも美しいものだが、無限(むげん)の力を秘めている。時にその力は嫉妬(しっと)となって現れる。やがてそれは白の国の瓦解(がかい)つながると恐れられ、愛することはご法度(はっと)となっているのだ。

 矢羽走彦も照陽尊(てらしはるのみこと)もそのことは重々(じゅうじゅう)承知していた。けれどもこの二柱(ふたはしら)の霊神は、恋心を上手(うま)く隠せるような器用さを持ち合わせてはいなかった。

 矢羽走彦と照陽尊が共に熱愛し、競い合っていた霊神は泉坂(いずみさか)()(しずく)(ひめ)といった。(しずく)(ひめ)もまた白の国を守護する霊神だった。特に雫姫は長い年月その役目を(にな)っていた。雫姫に続く霊神は他に三柱あって、これを合わせて〝白の国の四天王〟と呼んでいた。もちろん矢羽走彦と照陽尊もその四天王に名を連ねていたが、筆頭だったのは雫姫で──〝霊力はきわめて(こう)にして絶世の美女〟と噂されていた。

 残る一柱は天翔虎(あまかけるとら)慈之(いつくしみの)(みこと)で、四天王としての年月は一番浅かった。しかしその霊力は矢羽走彦や照陽尊とは比べものにならぬほどきん出ていた。けれど、そうであっても虎慈(こじ)()(みこと)出過ですぎた真似まねは決してせず、常に雫姫を補佐(ほさ)しながら自分の任務を黙々(もくもく)遂行(すいこう)していくような霊神だった。


 ある時──矢羽走彦は人間界へと修行に出る決意をした。ある者はその勇気を素直にたたえた。気がおかしくなったのではないかと噂する者もいた。あれは雫姫の気を引くために自分を売り込んでいるだけだと(はす)から見ている者もいた。真意のほどは明かではなかったが、矢羽走彦は(しばら)くして白の国から姿を消した。

 矢羽走彦がいなくなったことで、照陽尊は雫姫を独占どくせんできた。今までのように雫姫と矢羽走彦が話をしているのを、黙って横目で見ているような不愉快ふゆかいさからは解放されたし、矢羽走彦が雫姫と力を合わせて悪霊あくりょうを退治した時に決まって聞かされていた、武勇伝ぶゆうでんなのか惚気(のろけ)なのか判断できないげんなりする話に付き合わされる事もなくなった。独占といっても、たかだかその程度の事だったが、照陽尊にとって、それは充分すぎることだった。


 それから数十年の歳月が流れた──。

 矢羽走彦は修行を終えて帰ってきた。人間界での修行は苛酷(かこく)とされていて、無事白の国に帰れただけでも(はく)が付く。まして修行の成果を上げ、魂を磨き上げて帰ってきたとなると霊力は高まり、より位の高い霊神として(あが)められる。一見(いっけん)良い事尽()くしのようだが、それでも誰もが率先(そっせん)して人間界に出て行こうとしないのは何故(なぜ)だろうか──。

 錫がそうであるように、人間として生まれると白の国の記憶は(すべ)て失われる。記憶が再び(よみがえ)るのは人間としての修行を(まっと)うした時──つまり死した時だ。白の国の住人たちは、ここがあまりにも魂の安らぐ楽園であるため、苦難苦痛くなんくつうのある人間界には行きたがらない。我々が地獄を恐れるように、白の国の住人から見れば、人間界は地獄に(あたい)するような場所だ。そう考えると好んで人間界に行こうとする魂がいなくて当然だといえる。

 もう一つ人間界での修行をきらう理由がある。それは人間に生まれた時、どういう人格になり、どう生きて行くのかはその魂次第だということだ。

 万が一、人間としての人格が(ねじ)れてしまい、極悪非道ごくあくひどうな魂に成り下がったまま人生を終えたとすれば、人間界での修行が失敗したことになる──そうなれば(たちま)ち地獄落ちだ。生まれた境遇(きょうぐう)の悪さや起こりくる運命の悪戯(いたずら)に対する言いわけは一切(いっさい)通用しない──配慮はいりょ同情どうじょうも決してない。ヘレン・ケラーも野口英世も、人には理解できない苦境(くきょう)を乗り越えて偉人(いじん)となった。

 どのような境遇にあっても人間として生まれてきた目的に気づき、世の中に貢献(こうけん)する生き方を全うできれば、その魂はより高い位となり白の国でも優遇(ゆうぐう)される。

 逆に起こり来る境遇に負けてしまい、人生を呪い、(よこしま)な心に魂を売り、私利私欲のために世の中を乱すような人間に(おちい)ったなら、これは間違いなく人間界での修行の失敗となる。

 誰が好んでこんな()るか()るかの冒険に望むだろう────。少なくとも強制的に修行に出されるまでおとなしくしていれば、白の国でおだやかに暮らせるのにだ────。

 そんな人間界に身を投じた矢羽走彦の修行の成果など、照陽尊にとってどうでもよいことだった。気に入らなかったのは、思ったよりも早く矢羽走彦が戻ってきたこと──そして何より、雫姫が矢羽走彦を()(たた)えていたことだ。

 自ら人間界へ修行に出たといっても、所詮(しょせん)は雫姫に取り入るために仕組んだ大芝居(おおしばい)にして大博打(おおばくち)だったに違いないのだ。雫姫もどうしてそれくらいのことが見抜けないのかと、照陽尊は両者を苦々(にがにが)しく思っていた。


 矢羽走彦が人間界から戻ってきた時、白の国は戦の最中さいちゅうだった。拗隠の国に抜け穴ができてしまい、白の国の侵略(しんりゃく)を狙って狡狗が暴れ回っていたのだ。

 もちろん矢羽走彦も応戦した。白の国に帰ってきて早々(そうそう)のことで霊力もまだ本調子ではない。どこからか湧いて出てくる狡狗を押さえ込むがせきの山だった。それでも白の国にとってはねこの手も借りたい時だ──矢羽走彦の応戦を雫姫は素直に喜んだ。

 けれど照陽尊はそれさえも許すことができなかった。矢羽走彦と雫姫を遠巻(とおま)きに見ながら、ただただ嫉妬(しっと)(ねん)()られるのだった。


 一方矢羽走彦だが、雫姫と数十年の空白があったものの、その気持ちに差ほど変わりはなかった。

 ただ矢羽走彦は、どうしても()()()()()()()()()()()()()()()()()を引きずっていた。白の国に帰ってきた今も、その女性の存在を消し去ることはできない。できる事ならもう少し生き長らえ、自分のおよぶ限りの事をして守ってやりたかった──それほど愛しい女性だった。狡狗との戦が終われば、時折人間界に降りて、その女性を見守ってやろうとも考えていたほどだった。 

 雫姫に対して、以前のように感情を露骨(ろこつ)に表さなくなっていたのは、もしかすると、そんな気持ちも影響していたからかもしれない。ともあれ誰の目から見ても、矢羽走彦は以前より落ち着いていて、()つ一回り大きくうつって見えた。

 ところが照陽尊にしてみれば、そんな矢羽走彦が余計よけい(かん)(さわ)ってしかたなかった。



 それからまた日月が流れた────。狡狗とのいくさ一向いっこう終結しゅうけつする気配を見せない。矢羽走彦が照陽尊に呼び出されたのはそんな時だった。

「まったく私は散々(さんざん)だ…。お前は突然人間界に修行に行き、帰ってきた途端に英雄えいゆうだ。しかもあのお方は相当お前に感心があるようではないか…?大した奴だ…お前には負けた……脱帽(だつぼう)だ…」

「よせ…(おだ)てても無駄だ…」。「煽てではない。いいか矢羽走彦よ……耳を貸せ…………」

「…………なっ…本当か…?」。「本当だ。嘘ではない証拠はこれだ!」

「………こ、これは!?」。「そうだ…全気(ぜんき)滅消(めっしょう)瑠璃玉(るりぎょく)───これをたくされたのが何よりの証拠だ。もちろんお受けするだろう?」

「ごめいとあれば…」。「ならば急ぐがよい。お前の活躍かつやくを期待して待っているはずだ……天甦霊主様は…」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ