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 新年を祝う特別演目が公開されている王立歌劇場は、今年は特別に庶民にまで解放されていることもあり大いに賑わっていた。桟敷席に居るレウィーシアにも、階下にぎっしりと詰め込まれたように座る女たちの熱気と熱狂が伝わってくるようだ。


「千秋楽を避けて来たのに、凄い人出ね」


 リリアンナは下を覗き込むように軽く身を乗り出した。


「お母様!」


 いくら自由奔放な振る舞いがリリアンナの持ち味だとしても、人目に付く場所でこれはあんまりだ。


 執事のバスターが細長いグラスによく冷えたリンゴ酒を注ぐ。薄い琥珀色の液体の中で、細かな泡がゆらゆらと立ち上った。たちまちクルリと身を翻し椅子に座り直したリリアンナは、グラスを受け取ると一口飲み頬に手を当てた。


「んー、楽しみねぇ、アムセンの原作でナグワーの演出でしょ?」


 今王都で一番人気の恋愛小説家と、自身も役者であり舞台監督も務める美形演出家の夢の共演が話題にならない訳が無い。


「えぇ、学院の女子学生の皆さんも小説を読んで劇場にも家族で行くという方が沢山いらっしゃいましたわ」


 取り巻きの令嬢達も流石にレウィーシアには勧める事は出来ないようだったが、こそこそと夢中になって小説の感想を語り合っているのを聞いてしまった。


 やがて劇場の灯りが奥から順番に消され、緩やかに軽く弦楽器の音が流れ始めると客席の喧騒もようやく静まっていく。真紅の緞帳どんちょうがスルスルと開くと、舞台の上に一人立つ可憐な少女が明るい歌声を響かせた。


 通常、王立歌劇場の歌姫ディーバといえば例え少女の役柄でも声量を確保する為でっぷりと肥え太ったベテラン女優が務めるものだか、この舞台では若くほっそりとした体型の新人女優が起用された。足りない声量はバックコーラスが支えており、普段から歌劇を見慣れない庶民や原作小説のファン達にも広く受け入れられたようだ。レウィーシアとリリアンナも軽いお酒と果物を楽しみながら舞台を見守る。


 ーー美しい騎士の娘エリーナは、とある貴族の子女ばかりが通う学園で伯爵家の庶子グリアムと出会う。幼い頃に実の母親に捨てられ、父親の伯爵家に引き取られたものの父の新しい家族に馴染めずに母親を恨み、全ての女を毛嫌いしていたグリアム。エリーナは唯一人グリアムの孤独に気付き、持ち前の明るさと優しさでグリアムの冷たく固まった心を解きほぐしていく。


 ーーやがて恋に落ちた二人に最大の危機が訪れた。伯爵家の嫡出子セドリックがエリーナに横恋慕するのだ。親の権力を笠に着てエリーナに妾になれと迫るセドリック。二人は手を取り合い、家も国も捨て隣国に逃れることを決意する。


「なんというか……ずいぶん陳腐ちんぷな筋立てですわね」


 レウィーシアが思わず呟くと、リリアンナが振り返りキッと睨んだ。


「だから良いのよ!自分にだけ心を開いてくれる美少年と健気で可愛い女の子の恋物語!永遠の憧れだわ!」


「……お母様にもそんな感情がおありになったのですね」


「現実とお話を混同しちゃ駄目よ、レウィーシアちゃん!」


「……はい」


 瞳を潤ませながら舞台を見詰めるリリアンナの隣で、そっと溜め息をつくレウィーシア。


 ーー夜中に屋敷を抜け出したグリアムは、自分を追いかけて来る人影に気付いた。すわ追っ手かと身構えるグリアムの元に駆けつけたのは義理の姉だった。影ながら二人を応援していた義姉は自分の宝石箱を差し出し、これで逃げるように言う。本当は家族に思い遣られていた事に初めて気が付いたグリアムは、これまでの冷たい態度を謝罪し宝石箱を受け取った。


「うぅー、良い話だわー」


 涙を拭いながらリリアンナはお菓子を摘まんだ。


 ーーところが、義姉の宝石箱の中には婚約者から贈られた指輪が入っていたのだ。指輪を失った事を婚約者に激しく責められる義姉。ついには自害してしまう。自分たちの背後で起こった悲劇も知らず、吹雪の中ついに国境を超えた二人は隣国にたどり着き、春を告げるトリシアの花の下で永遠の愛を誓い合った。


 幕が降り、若く美しい男女に降りかかった悲劇と幸福な終幕フィナーレに客席からは万雷の拍手が起こった。


 レウィーシアも微妙な気分ながら拍手を送る。隣のリリアンナはセドリック役の俳優の名前を叫びながら力一杯拍手をしていた。これもまた、通常の劇なら大抵敵役の俳優は醜いと決まっているが今回の舞台は敵役も脇役も美形揃いで衣装も非常に凝っており、其々ファンが付いて毎日通う女性客も続出するくらいだ。


 リリアンナの涙が止まるのを待ってホールに出ると、歓談していた貴族達の動きが止まり何故だか少し決まりが悪そうな視線を向けられた。


「現実とお話を混同しちゃ駄目……ですわよね」


 レウィーシアは小さく呟くと微笑みを浮かべ、リリアンナと階段を降りホールで顔見知りの貴族たちと軽い挨拶を交わしてから馬車の乗り場に向かう。幸いしつこく話かけてくる者もおらず、すぐに公爵家の馬車に乗り込めた。


 昨年の秋に起こった公爵家の庶子と男爵家の次女が駆け落ちするという一大醜聞スキャンダルは当初貴族社会を大いに賑わせたが、直後に発売された人気小説家の書いた物語と現実が混じり合い、瞬く間に純粋な愛の物語としてちまたに流布していったのだ。


 最初は事情をよく知らず噂話を聞くだけの侍女や小間使いから、いつの間にか待合室や休憩所に置かれた小説本が回し読みされてロマンチックな物語を『お嬢様』に勧める者が現れた。次に駆け落ちした公爵家子息と男爵家令嬢にそっくりな挿し絵と状況に、恋に夢見る貴族の令嬢たちが自身の妄想と願望の入った『真実の物語』を学院や姉妹等の家族に語る事で更に現実と虚構は曖昧になった。


 元々、非嫡出子と名ばかりの下級貴族の娘が居なくなって困る者など身内以外に居ないのだ。


 失踪したのが王太子の婚約者の弟という事で騒ぎ立て、アフェンドラ公爵の監督不行き届きを責める声もあったが、公爵が娘と王太子の婚約を辞退し領地を少し返上した事でその声も鎮まった。あくまでも男爵令嬢とクリナムの行方を探すよう強硬な姿勢を貫いていた王太子と宰相の息子も、最後には折れた。二人は新年の祝賀行事が終わり次第、東極国に留学するそうだ。


 元から男爵家が公爵家に何を言えるはずも無く、娘のふしだらな醜聞が他の兄弟の縁談に影響するのを恐れて男爵一家は王都を離れ辺境の狭い領地に引っ越した。こうして公爵家庶子の駆け落ち騒動はあっさりと幕引きとなった。


「あの方達が折れるなんて、何があったのでしょうね」


 馬車の中で侍女に買わせた役者絵を広げ、満足そうに眺めていたリリアンナが応じる。


「そりゃあ誰だって【悪役】になんか成りたくないでしょ?無理矢理【悪役】にされそうになったら逃げるのも、他の誰かに【悪役】を押し付けるのもアリよ」


 劇中に出てきたヒロインに横恋慕する敵役のセドリックは、美男子で外面は良いが蛇のように陰湿で卑劣な性格だった。確かにあれに重ね合わされるのは誰でも嫌だろう。レウィーシアも弟の不始末で王太子との婚約を破棄された可哀想な令嬢と同情されるのは不本意だが、リリアンナ曰く怖い令嬢だと思われるより間抜けで可哀想な令嬢だと思われる方が周囲の油断を誘いやすく、結果的におトクだそうだ。


 レウィーシアは王太子との婚約を解消された後に公爵家で執事見習いをしていた遠縁の青年と婚約し直し、その青年が婿養子として次期公爵に内定したのでこのまま公爵家で何不自由無く暮らす事になった。返上した領地ももろい岩場で資源となる石材も取れず開拓が不可能だと判断された土地で、公爵家の税収はいささかの変化も無い。


 リリアンナはレウィーシアの婚約者となった遠縁の青年が地味な顔立ちなのがやや不満らしいが、その能力と忠誠心は夫のウィルフの折紙付きなので最後には納得したようだ。


「まるでこの世界は、悪役が居なくては何も動かないかのようですわね」


「さあ?知らないわ。ここがどんな世界だろうと、お母様は女同士の意地悪ならぜーっっったいに負ける気がしないし、難しい事はウィルフに任せれば良いし、この世界の異分子として好きなように生きるだけよ!」


 シュッ、シュッと口で言いながらリリアンナは拳を交互に前に付き出している。


「レウィーシアちゃんもぼんやりしていたら駄目よ?」


 春が来て国境の雪が溶けたら、クリナムとあの娘の乗った馬車が崖の下から発見されるだろう。


 今度は悲劇の一家として好奇の目に晒され、あまりにも公爵家に都合の良い結末に不審を抱く人々も現れるかも知れない。レウィーシアとリリアンナはあくまで無欲で無垢な令嬢と令夫人として社交の場を遣り過ごす必要がある。


「お父様もお母様も頼もしいですわ」


 まだまだ両親から学ばねばならない事は多いと考えながらレウィーシアは微笑んだ。

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