第47話 坑道
青空の下、山を登り始めて一時間ほど経った。
あの鬱陶しい霧は、山の麓辺りにしか無かったらしく、霧を抜けた後に視界を遮るのは、周囲の木々だけだった。
木が茂る山道を進み、道の向こうに小さく野菜や穀物の畑と家畜達、それを囲う頑丈な木の柵が見えてきた時、警戒していたドワーフ達から、安堵したような声や溜息が上がった。
彼等の言葉を聞くに、どうやら彼等の里に着いたらしいが、周囲に家は見当たらない。
不思議に思ってイーゴリに尋ねると、山の中腹に露出した、大きな岩の山肌を掘った坑道が彼等の住まいらしい。
畑や家畜の放牧は、鍛冶に使う木々を伐って出来た跡地を、流用したそうだ。
坑道に入ると、彼等の家は、坑道内の各地に各家族が住まいとなる広さの空間を作り、そこに木製の間仕切りや家具を置いて家としていた。
族長のイーゴリが言うには、この里には百人位の住民が住んでいるらしい。
坑道や家の中は清潔で、随所にある魔法のランプの光で坑道にしては明るく、どうやっているのか分からないが、換気も効いていて悪臭や息苦しさも無い。
ロディは鉱山の事をよく知らないが、入口から延々と岩のような地層を掘り進んでいるのを見ると、ここを掘るのは大変だっただろうと思う。
坑道を暫く進んだロディ達は、イーゴリの家に案内された。
天井が少し低い事と、窓が無い事を除けば、住まいとして不満は無い。
案内された部屋は、普段は仲間との打ち合わせにも使う部屋らしく、大きな机と椅子が十脚、置かれていた。
イーゴリが机の大きなランプを点すと、室内が柔らかい光で満たされる。
「ここは昔、人間達が掘った坑道でな。そこを改造してワシらの里として使っているんだ。彼等は発見できなかった様だが、ワシらは新しい鉱脈を見付けて、そこで採掘した鉱石を加工して生活しておる」
イーゴリが、着座した皆に村の紹介をしていると、彼の妻と娘が、木の食器と籠に盛った黒パン、搾ったばかりの家畜の乳の朝食を運び込み、テーブルに並べた。
イーゴリが戻ってすぐ、彼から大まかな話を聞いた彼の妻は、朝早くの来訪なのに嫌な顔一つ見せず、気の毒そうにロディ達をねぎらってくれた。
ロディ達は彼等に礼を言ったが、イーゴリはすまなさそうだ。
「あぁ、粗末な朝食ですまない。口に合うか分からんが、良かったら食べてくれ」
イーゴリは、妻達が部屋を出たのを見て、表情を改めた。
「ところでロディ君。あの町の事を教えて欲しいんだが、怪物は何匹位で、どんな奴がいたか分かるか? ワシらも町の正体に気付いたのは、数日前だろう? まだ分かってる事が少なくて、何でもいいから情報が欲しいんだ。あの町について知っている事を、全部教えてくれないか?」
「分かりました……精霊の話では、住民の大半が怪物で確定ですけど、あの襲撃を考えると全員怪物か、人がいたとしても極少ないと思います。それと、奴等の正体は、ウンディーネさんみたいな、力ある精霊でないと見抜けなかったみたいですから、今まで怪しまれずバレなかったのかと」
「はぁ……そうか。あの惨劇を見て予想はしていたが……やはり大半は確定か」
重い溜め息をついたイーゴリが、少し表情を緩め、興味深げにウンディーネを見た。
暗い所では透明で姿が見えにくい水精霊だが、明るい所では水の固まりの様な姿がはっきり分かる。
「それに、今時、精霊使いとは珍しいな。ワシが若い頃は、この里にも一人いたんだが、精霊を見たのはその時以来だよ」
イーゴリ達が、精霊を見ても驚かなかったのは不思議だったが、見た事があるなら納得だ。
「その精霊さんは、確かウンディーネさんと言ったかな? その大きさだと凄まじい力の持ち主だろう? 昔、ここにいた精霊とは大きさが全然違う」
「精霊の力って、大きさで決まるんですか?」
ロディの口から、驚いたような言葉が漏れる。
精霊の大きさなど、今の今まで気にした事が無かった。
「昔、聞いた話ではな。普通、契約できる精霊は幼児や子供位の大きさだと聞いたが、こんな凄い精霊が契約してくれるなんて、その精霊使いは、余程の信頼を得ているんだろうな……」
「……そうかも知れません……ああ、それと僕達が見た怪物は、僕の六割位の背丈で、酷い猫背の黒い猿の様な奴です。長く鋭い爪と素早い動きで、オークなんかより遙かに手強く、暗闇でも僕達を察知してたと思います……あと分かった事は、町に出た霧は黒魔法の産物で、あれのせいで術や精霊達が弱体化した事。そして、これは僕達が全滅させたようですが、町には精霊でさえ気配を察知できない、新しい使い魔がいた事です」
「黒魔法の霧に、新しい使い魔……それに長く鋭い爪の、猫背の黒い猿……か……ケネス君達も黒い猿だと言ってたな……遠眼鏡で町を見た時にも、黒い奴が見えたが……ふぅむ……」
何か心当たりでもあるのか、イーゴリが訝しむ様に眉間に皺を寄せた。
「……それと、あの霧にそんな力が? どうして分かったんだ?」
「ウンディーネさんと、もう一人の同じ様な力を持つ精霊の、二人がかりで見破りました……ですが、彼女達でも正体を見破るのは難しかったようで……分かったのは、イーゴリさんと出会う直前です」
「……なるほど……この凄い精霊が言うなら、信用できるな」
ウンディーネを見つめるイーゴリの言葉に、ケネスが悔しそうに顔をしかめた。
彼等も霧のせいで視界を奪われ、術が使い物にならなくなって仲間を大勢失ったのだ。その無念さはいかほどだろう。
「ヴェルゴーに到着して、その夜に襲撃を受けましたから、僕達が町について知っている事は、これくらいです……ケネスさん達は如何です?」
「僕達も、同じような物です。遠眼鏡の監視も始めて間もないですから、めぼしい情報は何も……せいぜいが、僕達の後にヴェルゴーに来たのは、皆さん達だけって事ぐらいですね……」
「……僕達以外、誰も来ていない……って事は、銀灰はまだ……」
「ええ。奴等が使ってなければ、多分、まだヴェルゴーにあります」
「ああ、そうか! ケネス君達は、盗まれた銀灰を奪還するよう、ある商人に雇われてテッド商会に行き着いたんだったな? ロディ君は彼と知り合いらしいが、君達も、その商人に雇われたのか?」
イーゴリが、興味深げに尋ねる。
彼は、ロディ達がどんな商人に雇われ、一体何があったのか興味が出たのだろうが、その件を色々話すとボロが出て、秘密にすべきラングドン一家の事を話す必要が出るかもしれない。そうなるとマズい。
ケネス達が盗賊とバレれば、自分達への心証も悪くなるだろう。
「……ええ」
短く返事をしたロディは、彼が何か言う前に話を変えた。
「そうだ! イーゴリさんは、これまで何か気付いた事は無かったですか? 皆さんは、もう何年もここに住んでいらっしゃるんでしょう?」
「気付いた事か……特に無いな。ワシらも来て二十年位なんだが……さっきも言ったが十五年程前からかな? ヴェルゴーに行った後、様子が少しおかしくなかったか? とか言う奴が偶に出てきたな……」
イーゴリが顎髭をなでながら、何かを思い出す様に少し首を傾げる。
「そう言う奴が出る度に、皆で妙な所が無かったか考えたんだが、誰も何も思いつかなかったんだよ……精々、気配とか雰囲気とか漠然とした事だし、あの町は善良な奴が多いから、気のせいだろうと放っておいたんだが……」
その言葉が終わらぬうちに、突如、風が扉の隙間を通る様な音がして、弱い風が室内に吹いた。
その風はマーシアの辺りで止まり、次の瞬間、シルフとアネモスが姿を現した。
「マーシア! シルフさんが報告したい事があるって!」
「皆さん、よくご無事で……」
シルフの声には安堵の色が窺えたが、すぐにその声が、焦りに満ちた物に変わった。
「もうご存じでしょうが、アリシア様とお仲間が怪物共に捕まりました。怪物共は皆様が明日の正午までに投降しないと、全員殺すと言ってます」
その話を聞いた途端、はっとしたようなマーシアが血相を変えて立ち上がり、シルフに詰め寄った。
「ねぇっ! 母さんは無事? 皆の最新の状況を教えてっ! お願いっ!」




