case30.この関係を変えたくて
高校二年生の五十嵐修斗は、友達以上恋人未満な存在の天羽陽菜との、曖昧な関係に、一人悶々としていて……。
友達以上、恋人未満な二人が、その関係から一歩進もうと頑張る話です。
ぜひお読みください。
寒さが一層深まり、息を吸い込むたびに冷気で胸の奥が少し冷える、十二月中旬のこと。
(俺と陽菜は、どういう関係なんだろう)
そんな疑問が、ここ最近の五十嵐修斗の頭を支配していた。
天羽陽菜。
去年同じクラスで仲良くなって、クラス替えがあった今も、何かと顔を合わせる機会がある。
修斗が入っているサッカー部と陽菜が入っている美術部の帰る時間が被ったら一緒に下校したり、廊下ですれ違えば自然と立ち話が始まったり。
友達、というには少し距離が近い。けれど、恋人とは明確に違う。いわゆる「友達以上、恋人未満」、まさにそんな関係だった。
それが最近になって、少し変わってきた。つい先日から、お互いのことを名前で呼ぶようになったのだ。
「天羽」「五十嵐」が、「陽菜」「修斗」に変わった。
ただ名前を呼び合う。それだけのことが、こんなにも嬉しいなんて、知らなかった。
陽菜には、絶対嫌われてはいないと思う。
むしろ、多分、自分と同じ気持ちを持ってくれているんじゃないか、と思ってしまう事の方が多い。
でも陽菜は、人から頼み事をされたら断らない性格で、誰にでも親切なお人好しな子だと修斗は思う。
かなり前に、その事を陽菜本人に聞いたことがあった。
「だってお互い様でしょ?そういうのって、巡り巡ってきっと自分に返ってくるからね。ていうかむしろ、お人好しは五十嵐の方だと思うけど」
そう言って笑った陽菜の顔を、今でもはっきりと思い出せる。
その笑顔が特別に自分に向けられているのか、それとも誰にでも向けられるものなのか、修斗には、それを判断する自信がなかった。
放課後の教室でひとり悶々としていると、友人の高橋健吾がやってきた。
「お前最近、彼女とどうなの?」
彼女。どうやら周りにはそう見える事が多いらしく、誰かにそれを聞かれるたびに否定しないといけない事が、いい加減かなり虚しい。
「どうって……、俺が聞きてえよ。つうか陽菜は彼女じゃねえし」
そんな返答が来ると思っていなかったのか、健吾が驚いた様に言う。
「は?何、お前ら、めちゃ良い感じじゃん。え、マジで付き合ってねえの?……何で?」
「何でって……、付き合うってそんな簡単なもんじゃねえだろ」
修斗が言うと、健吾は何か察した様な、少し呆れたような顔になった。
「お前はほんと、変なとこ真面目っていうか、頑固っていうか……。もっと簡単でいいんじゃねえの?」
「そうは言ってもな……」
「ま、いいけど。とりあえず、今日帰ったら陽菜ちゃんにLINEしろよ。LINEは知ってんだろ?」
連絡を取り合った事はないが、一年の時のクラスのLINEグループに登録していたので、陽菜のアカウントは知っている。
「LINEか……」
一体何を話せば良いのか、と思う一方で、陽菜とLINEで連絡を取り合うことに対して、“楽しそう”、“やってみたい”という感情が湧いてきてしまった。
……それはそれとして、別で気になる事が出来た。
「何でお前が名前で呼んでんだよ。苗字、天羽だから。……お前は名前で呼ぶな」
(俺ですら、最近呼ぶようになったばかりなのに)
そういうと、健吾は心底呆れた顔で、
「そんな顔で牽制するんなら、さっさと告って彼氏になれよ」
と返してきた。
夜。部屋でスマホを手に取り、何度も打っては消してを繰り返す。そして、ようやく送った一文は、
“お疲れ。五十嵐だけど、今、話しても大丈夫か?”
既読がつくまでの数秒が、異様に長く感じられた。
数十秒後、
“大丈夫だけど、ちょっと手が離せないから電話でもいい?”
という返信。
悩んだ末に、修斗は通話ボタンを押した。
『も……、もしもし』
陽菜の緊張した声が耳に届き、心臓が跳ねた。
「あー、悪い、なんか忙しかったのか?」
『今、美術部の合同展の作品考えてて。ちょうど画材広げてたとこ。でも話しながらなら大丈夫。……嬉しいよ』
嬉しい、という言葉に、じんわりと胸が熱くなる。
「そっか。……なら良かった」
少しの沈黙。
何故かその沈黙が、心地よかった。
「何の絵描いてんの?」
『えっ、それは……内緒』
「えー、気になる」
『そ、それより、いが……、修斗の用は?』
(今、“五十嵐”って言いかけた……)
わざわざ呼び直して名前で呼ばれたことに、じわじわと嬉しさがこみ上げる。
だから、正直に言葉にしたくなった。
「……陽菜と話したくて」
『……っ!』
電話越しに、陽菜が息を呑んだのが分かった。
「俺、絵の事なんてよく分かんねえけど、何度か見せてもらった陽菜の絵は、本気ですげえと思っててさ。だから、その合同展、見に行ってもいい?」
少し悩むような声が聞こえたあと、
『……分かった。良いよ』
その返事に、思わず「やった」と声が出た。
しばらくの間があって、
『あのさっ!』
突然、陽菜が勢いよく声を上げた。
『今度、どっかに遊びに行かない?……2人で』
「……えっ?」
完全に予想外の言葉に、修斗は固まる。
『だ、駄目?』
「駄目じゃねーよ!」
思わず大きな声が出る。
……期待してしまっても、良いんだろうか。
そう思わずに、いられなかった。
念を押す様に、確認する。
「それって……デートって思っていいか?」
聞いた後、自分でも顔が熱くなっているのがわかった。
『と、当然でしょ!』
そう言った陽菜の声も、ほんの少しだけ震えていた。
電話を切った後、そのままベッドに仰向けになる。
どこに行こう、何をしよう。
先程の電話を反芻して、勝手に顔がニヤけてくる。
誰かに見られたら、絶対に揶揄われるだろう、情けない顔をしている自覚があった。
だけど、それを止められる訳も無かった。
side陽菜
陽菜は、自分の部屋で画材に囲まれながら、一枚のスケッチブックを見つめていた。
ペン先が止まっている。
頭では分かっているはずなのに、手が動かない。
(……これで、本当にいいのかな)
いろんな高校の美術部の作品を集めて開催される、合同展覧会のテーマは「恋」。
毎年、実行委員の委員長になった学校がその年のテーマを一つ決め、そのテーマを元に参加校の美術部員が絵を描く。
恋。いろんな方面から見る事ができて、表現方法も数多くある面白いテーマだとは思うが、その分、難しいテーマだなと最初は思っていた。
でも、
(私、今、恋してるんだよね……)
そう自分で思った瞬間、胸がじんわりと熱くなり、描きたい方向性がなんとなく思い浮かんできた。
恋をしている相手の顔が、輪郭が、声が、表情が、ふと思い出されるたびに、胸の奥がキュッと切なくなる。
五十嵐修斗。
去年、同じクラスだった彼は、最初は「少し話しやすい良い人」くらいの印象だった。
放課後に一緒に帰ったり、廊下でちょっとした会話を交わすたびに、どんどん仲良くなっていった。
クラスが変わった今も、自然と関係は続いていて、気がついたらその存在が、自分の中で特別になっていた。
それが嬉しくもあり、でも時々不安にもなる。
(彼にとって、私ってどういう存在なんだろう)
修斗は優しい。本物のお人好しだと思う。
でも、陽菜も、修斗にお人好しだと言われた事があった。
だから、もしかしたら、彼は陽菜が「誰にでもそうしてる」と思ってるかもしれない。
違うのに。
修斗に対しては、特別な気持ちを持ってるのに。
何だか胸の奥がもやもやして、絵も進まず、思わずスマホに目をやる。
すると、LINEの通知が届いた。
“お疲れ。五十嵐だけど、今、話しても大丈夫か?”
指が一瞬止まる。
鼓動が高鳴る。
すぐに「うん、話したい」と打ちたかった。
でも、今は絵の制作中で、既に画材も広げてしまっている。スマホで文字を打ちながら作業する事は不可能だ。
だからこう返した。
“大丈夫だけど、ちょっと手が離せないから電話でもいい?”
その直後、通話のアイコンが光った。
「も……、もしもし」
緊張で少し声が裏返った。自分の声が、相手にどう届いたのか考えるだけでドキドキする。
『あー、悪い、なんか忙しかったのか?』
修斗の声がスピーカーから聞こえ、また心臓がドキッと跳ねた。
「今、美術部の合同展の作品考えてて。ちょうど画材広げてたとこ」
自分でもわかるくらい、いつもより話す声が緊張している。
「でも話しながらなら大丈夫。……嬉しいよ」
口にしてから気づく。「嬉しい」なんて、あからさまに好きって言ってるようなものじゃないか。
でも、修斗はとても優しく返してくれた。
『そっか。……なら良かった』
少しの間、穏やかな沈黙が流れる。
その沈黙に、ほっとした。
『何の絵描いてんの?』
修斗からのその問いに、思わず口ごもってしまった。
修斗のことを描こうとしていたから。
もちろん、本人の顔をそのまま描くわけじゃない。
けれど、恋のテーマで描こうとしたら、自然と彼の輪郭が浮かんでしまった。
好きな人を題材にした絵を、完成前に見せるなんて、できるはずがなかった。
「えっ、それは……内緒」
なんとかごまかすように言って、すぐに話題を変えた。
「そ、それより、いが……、」
五十嵐、と苗字で呼びかけて、止めた。
名前で呼ぶと決めたんだ。今呼ばないと、苗字のまま過ごす事になってしまう。
そう思って言い直した。
「修斗の用は?」
少しの間。
『……陽菜と話したくて』
そう言った修斗の声が優しくて。
電話越しでも少し緊張しているのが分かって。
「……っ!」
一瞬、心臓が止まりかけた。
声が漏れたのは、コントロールできなかった。
耳に残るその言葉を、脳が何度も反芻する。
『合同展、見に行ってもいい?』
修斗にそう聞かれて、恥ずかしいという気持ちより、彼に見てもらいたいという気持ちが強くなっている自分に気がついた。
「良いよ」と答えたら、電話越しに修斗の弾んだ『やった』という声が聞こえた。
その無邪気な声に、胸がじんわり温かくなった。
どうせ絵を見られるんなら、むしろ修斗と一緒に居て感じた気持ちを描きたいと思った。
だから、精一杯の勇気を出した。
「あのさっ!」
自分でも驚くくらい大きな声が出る。
「今度、どっかに遊びに行かない?……2人で」
語尾に行くにつれ、声がどんどん小さくなってしまった。
『……えっ?』
修斗が戸惑った声を出した。
「だ、駄目?」
(キモかったかな?調子に乗り過ぎた?)
途端に怖くなって聞く。
間髪入れずに修斗の声がスピーカーから響く。
『駄目じゃねーよ!』
そして続けて。
『それって……デートって思っていいか?』
一気に頬に熱が集まる。
(えっ、それを聞くのは私の方だったのに……!)
「と、当然でしょ!」
精一杯の強がりで返したけれど、スマホの向こうで彼が笑っている気がして、ふっと力が抜けてしまった。
電話を切った後、ぼんやりと天井を眺める。
どこに行こうかな、何をしようかな。
先程の電話を反芻して、頬が緩んできてしまうのを止められない。
その日は結局、絵は手につかなかった。
見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!
本作は
case9.友達以上、恋人未満 の二人の話です。
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case19.君にジャージを借りたなら
case22.ポッキーゲーム
case26.君に名前を呼ばれたら
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ぜひご一読ください。
陽ノ下 咲




