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日常恋愛オムニバス  作者: 陽ノ下 咲


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24/42

case24.雨宿り

高校一年生の一ノ瀬(いちのせ)茉莉奈(まりな)は、図書館を訪れていた。帰り道、突然の土砂降りの雨で傘も無く、屋根のあるバス停で雨宿りをする事に。偶然そこに、茉莉奈の想い人の岩瀬(いわせ)遙紀(はるき)もやってきて……。


両片思いを拗らせた男女の、雨宿りのお話です。

ぜひお読みください。

 七月も終盤に差し掛かり始めた夏休みの午後の事。

 蝉の声が遠くから聞こえる中、高校一年生の一ノ瀬茉莉奈は町の図書館の静かな空間に身を沈めていた。

 茉莉奈は高校でも図書委員に所属している。図書館や図書室の、沢山の本に囲まれた時の、匂いや空気感が好きだった。


 大きな窓から差し込む柔らかな光。天井の高い館内に漂う紙の匂いとエアコンの涼しさが、夏休みの熱気を忘れさせてくれる。

 茉莉奈は、以前から気になっていた恋愛小説を手に取り、空いた窓際の席へと腰を下ろした。


 読み進めていくうちに、登場人物の男の子の穏やかな物腰と、さりげない優しさが、ある人を思い出させた。


(……岩瀬くんに、ちょっと似てるかも)


 同じ図書委員の岩瀬遙紀。口数は多くないけれど、いつも自然に手を貸してくれる人。重い本を持ってくれたり、困っていたらさりげなく助けてくれたり、多くを語らずそっとそばにいてくれる優しい彼に、茉莉奈はいつの頃からか恋心を抱いていた。


 物語の中の彼と遙紀の姿が重なって、ページをめくった先に、ほんのりと官能的な表現が現れた瞬間。


「……っ」


 茉莉奈は慌てて本を閉じた。真っ赤になった頬に手を当てながら、思わず辺りを見回す。誰も見ていないのを確認してから、そっと深呼吸する。


 窓の外を見ると、雲が重たく垂れこめていて、風が湿った空気を運んでいた。


(……雨、降りそう)


 急いで本を借りる手続きを済ませ、図書館を出て小走りで移動して少しした頃。ぽつ、ぽつ……と顔に水滴が落ちる。


「あっ……」


 瞬く間に、ざあっという大粒の雨が空から降り注いできた。


 慌てて走り出した茉莉奈は、近くの屋根付きバス停に滑り込んだ。白いブラウスが肌にぴたりと張り付き、涼しさを通り越して肌寒い。


 ふぅ、と息を整えてから、空を見上げる。雨はまだ止みそうにない。


 ふと、反対側の道から駆けてくる人影に気づいた。


(……あれ?)


 髪も制服もぐっしょり濡れたその人影が近づいてくる。見慣れた姿に、胸が高鳴った。


「あっ……岩瀬くんだ」


 声が漏れた。


 その瞬間、こちらに気づいた遙紀が足を止める。


「……一ノ瀬」


 いつもと変わらない声。でもその顔には驚きが浮かんでいた。お互いずぶ濡れで、なんとも情けない格好なのに、遥紀の姿を見ただけで、嬉しい気持ちが溢れてくる。


「岩瀬くん、偶然だね。……急に降り出しちゃって、びっくりだよね。傘持ってなかったから、ほら、この通り」


 茉莉奈は苦笑しながら、自分の濡れた髪を指先でつまむ。


「ふふ、岩瀬くんも、びしょ濡れだね」


 そう言って、鞄から取り出したハンカチを差し出す。


「ハンカチだからあんまり拭けないかもだけど、せめて顔だけでも拭いて?」


 茉莉奈の言葉に、遙紀は一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。


「いや、俺より一ノ瀬が……」


 言いかけたその時、不意に遙紀の声が止まる。

 その目線が、明らかに茉莉奈の胸元に向かっているのに気づいた。


「え……?」


 視線をたどり自分の状態を見て、茉莉奈は一瞬で顔を真っ赤に染めあげた。


 白いブラウスは雨で肌に貼りつき、下に着ていた淡いピンク色のブラが、うっすら透けてしまっている。


「ひゃぁっ!」


 茉莉奈は慌てて胸元を両手で覆った。


 沈黙。


「ご、ごめん!」


 遙紀は顔を思い切り背けて、目をぎゅっと閉じる。


「見てないから……!」


 目を瞑ったままの遙紀に、茉莉奈は小さな声で言った。


「い、岩瀬くん……大丈夫だよ? 事故みたいなものだし」


「いや、それでも……」


「それに……他の人だったら嫌だったけど、岩瀬くんなら、安心……だし」


 そう口に出し、恥ずかしくて少し緊張しながら、気持ちを伝える。


「だって、岩瀬くん優しいし……、私のこと……いつも気にかけてくれてるの、凄く感謝してるんだよ」


 その言葉に、遙紀は一瞬目を開き、驚いたような顔を見せたあと、そっと微笑んだ。


「……俺の方こそ、ありがとう」


 バス停の屋根を叩く雨音だけが、2人の沈黙を包む。けれどその静けさは、どこか心地よくて、甘くて、優しい。


 茉莉奈はそっと遙紀の頬にハンカチを持った手を伸ばす。


「ほんとに顔、びしょ濡れだよ」


 手が頬に触れた瞬間、遙紀はびくりと肩をすくめた。


「一ノ瀬、ありがとう。でも、もう大丈夫……というか、これ以上は、ちょっと……」


 照れたように言葉を濁し、遙紀は目を逸らす。耳まで赤く染まっていた。


「あ……ごめん、嫌だった?」


「嫌なわけじゃない!」


 勢いよく、いつになく強く言い返してきたその声に、茉莉奈は驚いて目を見開いた。


 そして、ふっと笑う。


「ふふ……岩瀬くん、焦りすぎ」


 呆気に取られたような顔の遙紀が、ふいに吹き出した。


「……なんだよ、それ」


(……岩瀬くん、こんな風にも笑うんだ)


 初めて見る笑顔に、胸がまた少し熱くなる。


 2人はそのままベンチに腰掛けた。雨はまだ止みそうにない。


「……私、また雨の日でもいいな」


 ぽつりと、茉莉奈が呟いた。


「岩瀬くんと、こうしてお話できるなら」


 しばらくして、遙紀も同じように、静かに答える。


「……そうだな」


 遥紀の返事が嬉しくて、茉莉奈はふわりと微笑んだ。


 通り雨が止むまでの時間。


 静けさが漂うおだやかな時間と、甘い緊張感が、妙に心地よかった。



side遥紀


 塾の夏期講習からの帰り道。

 空はさっきまで晴れていたのに、あっという間に黒く染まり、夏の通り雨特有の湿った風が頬をかすめる。


 そのまま足を速めて駅前の屋根付きバス停に駆け込んだ時、そこに、見慣れた後ろ姿があった。


視界に入った小さな後ろ姿。濡れた髪。背中までしっとりと濡れた白いブラウス。


 一ノ瀬茉莉奈だった。


 遥紀は何の準備もなく心臓を撃ち抜かれた。

 想定してない瞬間ほど、茉莉奈は自然に遥紀の世界の真ん中に現れる。


「あっ……岩瀬くんだ」


  濡れた髪が頬に張り付き、制服の袖から滴が落ちている。

 けれど、彼女は遥紀に気がづくと、花が咲いた様に、ふわっと笑った。

 名前を呼ばれただけで、体温が上がる。胸が少し痛い。

 

「……一ノ瀬」


 どうにか返すと、彼女は笑って、言った。


「偶然だね。……急に降り出してきちゃってびっくりだよね。傘持ってなかったから濡れちゃった。ふふ、岩瀬くんも、びしょ濡れだね」


 無邪気な笑顔。柔らかな声。すべてが心に突き刺さる。

 この空間の中で、茉莉奈だけがキラキラと輝いて、胸の奥が少しきしんだ。


「ハンカチだからあんまり拭けないかもだけど、せめて顔だけでも拭いて?」


 差し出された桜色のハンカチ。その手が、あまりに自然で、優しくて。


 けれど。


「いや、俺より一ノ瀬が……」


 言いかけた時、ふと目に映った彼女の姿に、言葉が止まった。


 ……ああ。


 真っ白なブラウス。雨に濡れて、素肌に貼り付き、下着の色まで透けて見えた。ピンク色。茉莉奈の一番好きな色だ。


 一瞬、呼吸が止まる。


 胸が苦しくなる。

 視線を逸らせばいいだけのことなのに、脳が拒否していた。目が離せない。

 視線を逸らすべきだと頭では分かっているのに、動けなかった。


 なんとか無理やり視線を引き剥がし、顔を背ける。


「え……?」


 茉莉奈が自分の状態に気づいた。


「ひゃぁっ!」


 慌てて胸元を隠す彼女。その手。その震え。その顔。


「ご、ごめん!」


 背けた顔のまま、強く目を瞑る。

 この視界の奥に、まだ彼女が焼き付いてる。


「見てないから……!」


 自分で言っていて、滑稽だった。

 見てしまったし、忘れられない。本当は忘れたくなんかない。


「い、岩瀬くん……大丈夫だよ? 事故みたいなものだし」


 茉莉奈の気遣う声が、優しくて、苦しかった。


「それに……他の人だったら嫌だったけど、岩瀬くんなら、安心……だし」


 鼓膜を震わせるその言葉に、全身が熱を帯びた。

 茉莉奈を安心させられている自分が嬉しくて、苦しくて、どうしようもなく彼女を抱きしめたくなった。


「だって、岩瀬くん優しいし……」


 違う。優しくなんかない。

 本当は、誰にも触れさせたくない。茉莉奈に話しかける男がいれば全部排除したい。

 こんなふうに、柔らかく笑ってくれるのは、自分だけにしてほしい。


「私のこと……いつも気にかけてくれてるの、凄く感謝してるんだよ」


 そんな言葉、反則だ。


 俺は君を、『好き』なんかじゃ済まないくらい、見てる。見続けて、どんどん深く沈んでる。


「……俺の方こそ、ありがとう」


 そう言いながらも、声が震えていた。

 気づかれないように、いつも通りのフリをするのがやっとだった。


 茉莉奈に嫌われたくない。


 ただ、それだけで、遥紀はすべてを抑えていた。


 茉莉奈がそっとハンカチを遥紀の頬に当てた時、反射的に肩が跳ねた。


 指先が、あまりにも優しくて。

 でも、このまま触れられ続けたら、抑えられない気がして。


「一ノ瀬、ありがとう。でも、もう大丈夫……というか、これ以上は、ちょっと……」


 抑えが効かなくなる前に距離を取った。

 彼女を傷つけたくない。怖がらせたくない。

 ……でも、誰かに取られるくらいなら、いっそ。


 そんなことを考えてしまう自分が、少しだけ怖い。


「あ……ごめん、嫌だった?」


 手を引っ込めた彼女の表情が、不安げに曇る。

 それを見た瞬間、遥紀は堪らない気持ちになって口を開いた。


「嫌な訳じゃない!」


 全力で否定する自分の声が、こんなにも情けないとは思わなかった。

 でも、少しだけ彼女が笑った。


 それを見た瞬間、張り詰めていた何かが崩れて、思わず笑ってしまった。


 こんなふうに、彼女に振り回されて、笑ってる自分が、嫌いじゃなかった。


「……私、また雨の日でもいいな。岩瀬くんと、こうしてお話できるなら」


 その言葉が、胸の深いところに静かに降り積もる。


 また、会いたい。

 また、話したい。

 雨でも晴れでも、嵐でも、どんな日でも。


 できれば、誰にも見つからない場所で。


「……そうだな」


 そう答えるのが、今の遥紀にできる精一杯のことだった。


 通り雨はまだ止まない。

 この時間が永遠に続けばいいと、心のどこかで願いながら。


本作は

case6. 両片思いな二人-side茉莉奈

case7. 両片思いな二人-side遙紀 の拗らせ両片思いの2人の話です。


遙紀×茉莉奈の話のバックナンバー

case6. 両片思いな二人-side茉莉奈

case7. 両片思いな二人-side遙紀

case13.独占したい、その笑顔

case18. 鋭い君が、鈍感なのは


こちらも合わせてお読み頂けると嬉しいです。

ぜひお読みください!


陽ノ下 咲

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