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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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41/43

支配率とゲームの支配

9.ハーフタイム――「支配率」と「支配」の違い


前半終了の笛が鳴ると、

スタジアムの熱気が一瞬だけ、呼吸を止めたみたいに静まった。


日本 1-0 フランス。


スコアボードには、確かに日本のリードが刻まれている。

だが数字だけを見れば、試合はフランス優勢にも見えた。


ボール支配率

フランス 65%

日本   35%


けれど、その65%は、

フランスが思い通りに試合を支配していたことを意味しなかった。


むしろ逆だった。

持たされていた。

高い位置で、危険でない場所で、回させられていた。

その事実に、フランスのベンチははっきりと気づいていた。


フランスのロッカールーム ――「支配していない65%」


ドアが閉まるなり、フランスの監督は大きく息を吐いた。

怒鳴り散らすでもなく、しかし声は鋭かった。


「65%?

 それが何だ。

 数字を見て安心するな。

 お前たちはボールを支配していない。

 支配させられているんだ。」


ホワイトボードに、太い線が何本も引かれる。

左SB、左WG、インサイドハーフ。

前半、何度もボールが集まったエリアだ。


「日本はここに誘っている。

 持たせている。

 高い位置で回させて、

 “攻めている気分”にさせているだけだ。」


選手たちの顔が曇る。

痛いところを、正確に突かれていた。


「不用意なパスミスをするな。

 あの一点は、ほんの少しのずれから始まった。

 ほんの少しで、あいつらは殺しに来る。」


監督はマグネットを動かしながら続ける。


「そして、もう一つ。

 日本は身長が低い分、小回りが利く。

 狭いところで、二歩三歩の細かい動きに強い。

 こちらの寄せが甘いから、

 あいつらは体を半分だけずらして、次のパスコースを作っている。


 今のスコアは、

 詰めの甘さのスコアだ。」


監督の人差し指が、テーブルを叩く。


「もっとプレスをかけろ。

 もっと前で潰せ。

 “回収”じゃない、奪い切れ。

 後半、最初の15分で試合をひっくり返すぞ。」


選手たちは無言でうなずく。

だがその表情には、

焦りと、苛立ちと、追い詰められた者だけが持つ鋭さが宿っていた。


10.なでしこジャパンのハーフタイム――「走らせているのは、こっち」


一方、日本のロッカールーム。

選手たちは息を整えながら、タオルで汗をぬぐっていた。

疲れていないわけじゃない。

押し込まれた時間も長かった。

それでも、空気は不思議なくらい落ち着いていた。


原町監督は、入ってきた選手たち一人ひとりの顔を見て、

まず短く言った。


「よし。

 前半、完璧に近い。」


美里が座りながら小さく笑う。

柚月はドリンクボトルの水を一口飲んで、深く息を吐く。

葵はグローブを外し、膝の上にそっと置いた。


原町はホワイトボードの前に立つ。


「向こうは、後半もっとプレスをかけてくる。

 それはほぼ間違いない。

 さっきの前半で、一番嫌がってたのが何か、もうわかるよな?」


「……高い位置で持たされること。」

と美里が答える。


「そう。

 あいつらは“押してる”つもりで、

 実際には走らされてる。」


そこで岩出コーチが、前半終了時点のデータをスクリーンに映した。

モニターに、両チームの総走行距離が表示される。


前半終了時点・総走行距離

フランス 56.8km

日本   53.1km


数字の差は、たった数キロかもしれない。

だが、走り方の中身が違う。


岩出コーチが、さらに細かいデータを指し示す。


「向こうは前向きのスプリントと、戻りのダッシュが多い。

 こっちは横移動と短距離加速。

 つまり、向こうの方が“重い走り”を強いられてる。」


渡瀬が画面を見て、ふっと笑う。


「じゃあ、もっと走らせればいいんですね。」


「そういうこと。」

岩出コーチも笑う。


原町が続ける。


「後半、もっと左右の幅を使う。

 サイドチェンジの回数を増やせ。

 向こうが寄せてくるなら、

 その熱を逆に利用する。

 来たぶんだけ、反対側を空ける。」


ホワイトボードに、大きく矢印が二本引かれる。

左から右。

右から左。


「今のフランスは、縦に行きたい気持ちが強すぎる。

 だから、一回横に振られると、

 守備の向き直しでコンマ数秒遅れる。

 その向き直しの遅れが、今日の鍵だ。」


柚月が、無言でうなずいた。

その顔にはもう、後半の絵が浮かんでいるようだった。


「もう一つ。

 相手が前から来るなら、

 “そこで勝つ”必要はない。

 引きつけて、逃がして、走らせる。

 焦って奪いに来たところが、次の入口になる。」


最後に、原町が全員を見渡す。


「後半も、

 相手のテンションに付き合うな。

 こっちの温度でやる。

 走らせて、削って、最後に笑う。

 それでいい。」


美里が手を叩く。


「よし。

 後半、もっと面で揺らすよ。」


「おう!」


短い返事が重なった。

ロッカールームの熱は、

静かに、しかし確実に上がっていた。


11.後半開始――実況席の声


スタジアムに戻ってくる両チーム。

後半開始の笛が鳴る。


実況

「さあ後半スタートです!

 前半アディショナルタイムの柚月のスーパーゴールで、日本が1点をリードして折り返しました。」


解説

「フランスとしては、かなりストレスの残る前半だったと思います。

 支配率は65%ありましたけど、

 “持っているのに、試合を握れていない”という感覚があるでしょうね。」


実況

「後半、かなり前から来そうですか?」


解説

「来るでしょうね。

 むしろ来ないといけない。

 ただ、日本としてはそこも込みでプランを組んでいるはずです。

 “持たせる”んだけど、“支配させない”。

 そこが今日の面白いところですね。」


12.予想通りの猛プレス、でも前線には進入できない


後半立ち上がり。

予想通り、フランスは前から圧をかけてきた。


左WGが日本のSBへ一直線に寄せる。

その背後をIHがカバーし、

さらにアンカーが中央の縦コースを消しに来る。


日本は食いつかない。

CBからSBへ。

SBからボランチへ。

そこから一度、後ろへ戻す。

戻したところへ、またフランスが来る。


だが、その寄せ方には微妙な無理があった。

三人、四人と前に出る分だけ、

背後のスペースが少しずつ広がる。


それでも、フランスは前へ行きたがる。

日本の最終ラインから中盤にかけて、

ボールは回る。

奪えそうで、奪えない。

フランスの足が空を切るたびに、

スタンドのざわめきが少しずつ変わっていく。


実況

「フランス、かなり高い位置までプレスをかけています!」


解説

「ただ、前線にはなかなか入れていないですね。

 日本が後ろで回しているように見えて、

 これ実は“回させてる”んじゃなくて、

 **“回して、走らせてる”**んですよ。」


実況

「なるほど。」


解説

「フランスは“奪いたい”気持ちが強すぎて、

 一つ外されると全体がまた10メートル走らされる。

 これ、地味に効いてきます。」


フランスは確かにボールの近くに人を集める。

だが、集めるたびに、逆サイドの幅が広がる。

そこへ日本は、一度、二度、三度とボールを振る。

サイドチェンジの回数が、前半より明らかに増えていた。


左右へ。

さらに左右へ。

そしてまた戻す。


フランスの守備が、少しずつ重くなる。

一歩目の反応が、

前半よりもわずかに鈍くなっていく。


13.後半13分――ずれた一瞬を、逃がさない


後半13分。

フランスが再び中盤でテンポを上げようとした。


右CBからアンカーへ。

アンカーがワンタッチで左IHへつなごうとする。

そこまでは、前半も何度も見た形だった。


だが、この一本が、ほんの少しだけずれた。


たった10センチ。

たった半歩。

受け手の足元ではなく、少し前。

それだけのずれ。


けれど、その“ほんの少し”を、

なでしこジャパンはこの90分ずっと待っていた。


美里が、そこへ飛び出す。


一歩で届く。

インターセプト。

その瞬間、フランスの中盤が前向きから後ろ向きへ切り替わる。

だが、その切り替えはもう遅い。


「行く!」


美里は奪った勢いのまま、左サイドを一気に駆け上がる。

芝を削るスパイク音。

観客席のどよめき。

その中で、日本の前線が一斉に動いた。


右サイドでは、柚月が全力で駆け上がっている。

中央では、渡瀬がまっすぐにゴールへ向かって走る。

三本の矢。

その角度が、完璧だった。


フランスのDFは、どちらへ絞るべきか迷う。

美里が左から運んでくる。

そのまま自分で仕掛ける可能性もある。

だが右には柚月。

中央には渡瀬。


一瞬の迷い。

その一瞬が、カウンターでは命取りになる。


美里はその迷いを見逃さなかった。


「右!」


左足で、大きくサイドを変える。

クロスでも、ただの逃がしでもない。

相手の守備全体を、ぐいっと横に引き剥がすような展開。


柚月が右で受ける。

トラップは小さく。

フランスの左SBが飛び込んでくる。

だが、その寄せを見た瞬間、柚月は一拍だけ待った。


その中央を、渡瀬が駆け上がってくる。


「そこ!」


柚月の縦パスが、

守備の股を抜くような角度で中央へ刺さる。

渡瀬は走りながら受けた。

完全に抜け出した。

GKと、1対1。


スタジアムの空気が、きゅっと縮む。


実況

「渡瀬! 渡瀬! これは決定機!!」


解説

「落ち着いてますね、これは!」


GKが前へ出る。

渡瀬は慌てない。

ゴールの右隅を、一度だけ見る。

そして右足をコンパクトに振る。


強くはない。

でも、正確だった。

ゴール右隅へ、吸い込まれるように転がり込む。


――ゴオオオオオオオッ!!


日本 2-0 フランス。


実況

「決まったぁぁぁ!! 日本、後半13分、待望の追加点!!

 渡瀬ひかり、冷静に沈めました!!」


解説

「これは素晴らしいカウンターですね。

 美里のインターセプトから始まって、

 左へ運んで、右へ振って、最後は中央。

 フランスのプレスの熱量そのものを利用したカウンターです。

 狙い通りですね。」


渡瀬は両手を広げ、

そのまま日本ベンチ前へ駆けていく。

美里が追いかける。

柚月も笑顔で飛びつく。


「ナイスー!!」


「完璧!!」


「うわ、今の気持ちよすぎ!!」


柚月は荒い息のまま、

渡瀬の肩を叩いた。


「よぐ落ち着いだな!」


渡瀬が笑う。


「特上のサーロイン、

 だいぶ近づきましたね。」


「おめぇ、そこ聞いてたのかよ!」


笑いが弾ける。

でも、その目はもう次を見ていた。


スコアは2-0。

フランスにとっては、

ますます前へ出なければならない状況。


そして日本にとっては、

さらに“走らせる”時間が始まる合図でもあった。

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