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第百二十七話 急性大動脈解離5

「これはすごい。ほとんどできあがっているじゃないか」

「ヴェールのイメージだと、こんな感じだ」

「ねっ? すごいでしょ?」


 その日の午後はヴェールに呼び出された。連れて行かれたルコルの魔道具屋でみせてもらった魔道具型人工心肺はほぼ僕が注文した通りのものだった。

 心臓の替わりとなるポンプ機能を担う部分は魔力が原動力になっている。単純に魔力を流すだけで動く仕組みになっているのだそうだ。それに対して肺はさすがに魔法で補うしかないけど、それでも単純に魔法を使うのではなく、その効果が浸透しやすいように工夫されていた。

 特に血流の中に空気や不純物などが混ざってしまわないように流れてきたものを回収する機構がついているのはよい。一部を外気に解放することで空気は上に上がり、下から吸い出す血液の中には混入しないようになっている。


「吸い出す力は基本的に重力に任せるなんて、すごい発想だと思ったけどな」

「無理に吸い出すと、血液の中の細胞が壊れてしまうんだ」

「サイボウ?」

「血液の中の成分というか溶けているものとでも言えばいいかな。すごい小さなスライムみたいな膜でおおわれているんだけど、壊れると中に入っているものが血液の中に漏れてしまって……」

「あー、俺はそこんとこの詳しい知識は分かんねえけどよ、とにかくこれでいいんだよな?」

「ああ、ありがとう、ルコル」

「まあ、ほとんどは師匠の設計だけどよ」


 当初、人工心肺はヴェールの膨大な魔力でなんとかなると思っていた。しかし、ヴェールにも苦手な魔法が存在したらしく、血液を流しながら酸素を入れて二酸化炭素を抜き出すなんて真似はできないと言われていたのだ。僕は半分くらい諦めていたのだけども、話を聞いたヴェールは諦めていなかったらしい。自分の苦手な部分を魔道具に頼ることで解決しようとした。さらには自分と同等の魔力量をもった人間がこれから現れることはないと思ったらしく、できるだけ少ない魔力量でも使える人工心肺というのを開発しようとしているらしい。


「さすがに、この試作品は私にしか使えないわよ」

「それでもすごい進歩だ。これで助けることのできる人が増えるに違いないよ」


 人工心肺があれば、心臓や大血管の手術だってできるようになる。アマンダ婆さんの手術は人工心肺を使わずにできるものだったけど、状態がもっと悪かったり場所が違ったりしたら人工心肺を使用しなければできなかったかもしれないのだ。


「一度、試運転をしてみたいね」

「またゴブリンでやるのね?」

「できればホブゴブリンがいいね。できるだけ人間と同じくらいの体格の魔物で試してみないと」

「あいつら、意外と数が少ないのよね。目撃情報を集めなきゃ」

「仕方ないよ。用意ができ次第、郊外に行く予定をたてよう。レナの予定も聞かなきゃ」


 人工心肺ができたからと言って、すぐに実用できるわけではない。この人工心肺がどのくらいの早さで血液を流したり酸素を入れたりできるかを試さなければならないのだ。血液の流れが早すぎても遅すぎてもいけない。手術の間に患者はこの人工心肺で生きていることになるのだから、様々な事に気を配らなければならなかった。


「脳分離体外循環までできるようになりたいね」

「あの首にいく血管を手術しなければならない時の方法ね。シュージ先生が書いた教科書を読んだけども、普通の人では思いつかない方法よ」

「医学を突き詰めていくと、あれ以外では手術ができそうにもないと思ってしまうんだけどね」

「複雑すぎて、何がなんだか。何度も読んだけどもいまだに理解できてる自信がないわ」

「ははは、まあ確かに非常に難しい分野ではあるよね」


 心臓からでた大動脈は一度頭側に向かったあとに首の下の部分で弓のように曲がって背中側を腹部に向かって降りていく。ここの部分を大動脈弓だいどうみゃくきゅうと呼ぶ。大動脈弓からは三本の血管が分岐して、それぞれ頭部や上肢に向かっていく。

 大動脈弓に病変がある胸部大動脈瘤きょうぶだいどうみゃくりゅう急性大動脈解離きゅうせいだいどうみゃくかいりでは脳にいく血管を遮断しなければならなくなる。しかし、人間の脳神経細胞は常温では三分程度だけでも血が流れなければ死んでしまうと言われており、麻酔をかけた状態で体温を三十度以下に下げたとしても十数分しか耐えられない。

 そのために基本的には脳には常に血液が流れている状態を維持しなければならない。ついでに言うと少しの空気や血の塊が混ざったりしても血管が詰まって脳梗塞になるから、細心の注意が必要だった。

 脳分離体外循環というのは、脳に向かう三本の血管にそれぞれに管を入れ、体側とは別に血液を流す方法である。流しすぎると脳がむくんでしまい脳浮腫をきたすし、流れないと脳にダメージが残る。


「つまりは脳に送る血液の量ってのが一番重要なのよね?」

「うん、そうだね。それで間違ってない。あとは実践あるのみだと思うよ」


 現代日本では、人工心肺に使用する管の大きさから血流の速さ、圧や温度まで詳しく数字で表すことができた。しかしこの世界ではまだそこまでの取り決めも測定器具もできていない。魔力というものもあるために、ある程度のものは感覚的なものになってくる。特に頭に流れている血液の量を測るには心眼が必要になってくるために、これを数字というか誰もが間違いなく評価できるという意味の客観的な指標で表すことがものすごい難しい。なんとなく、でやらなければならない時点で科学ではないのだけども、魔法を使っているから仕方ないと思う。僕らが感覚的なものを磨いていくしかないのだ。


「そうだ。魔法隊にホブゴブリンを生け捕りさせよう。そうしよう」

「先生? なにか魔法隊に恨みでもあるの?」


 数日後、僕らは郊外に仮設した小屋で人工心肺の試運転をすることに成功した。あと何度か練習を行うことで手術にも使えるようになるのではないかと思う。気になる点や反省点などを含めてもう少し改良は必要だけども、まさかこんな事ができる日がくるなんてと、僕は少し感慨深く思った。




 ***




「次のジンコウシンパイの練習ってのはいつなんだ?」

「いや、まだ決めてないけど。どうかしたのかい? ノイマン」

「ああ、俺らのところにもレグスからの依頼ってのが回ってきててな。もしそのジンコウシンパイの練習があるんだったら俺とアレンだけで行って来ようかなと思うんだが」

「ああ、そうか。申し訳ないことをしたね」

「いやいや、ミリヤが手術に必要だってのは分かってるしよ。レグスの依頼よりもシュージの依頼の方が優先度が高いんだから」


 ノイマンたちのパーティーにも、例の魔物が出そうな場所の探索という依頼が回ってきたようだった。ユグドラシルの町の西側にはできるだけ低ランクの冒険者たちは行かないようにという連絡が来ている。レグスたちが転移テレポートを使ったから先にユグドラシルの町に到着したわけだけど、そろそろ例の魔物が追いついてくるのではないかとギルドは予想しているようだった。


「索敵と退却だけの任務だから、私がいても足手まといになるかもしれないしね」

「ミリヤ。治癒師がいるのといないのではだいぶ違うんだが」

「そうだよ。足に攻撃を受けてしまったらどうするんだい?」


 ノイマンとミリヤの会話を聞いていて、僕はミリヤもついて行くべきだと感じてしまった。なんとなくだけど、万全を期していた方がいい。


「もう、だいたいのやり方というのはできあがったし、あとは細かい調整だけだから、ローガンでもなんとかなるよ。ミリヤもついて行きなよ」

「いいんですか?」

「レグスたちが手こずる魔物がいるかもしれないんだ。無理はしないでね」

「見つけて、報告するだけだ。簡単だよ」

「油断しないように」


 次の日、ノイマンたち三人はユグドラシルの西側へと向かって出て行った。街道沿いではなく、人気の少ない所を集中的に回るのだという。他にも高ランクの冒険者パーティーが同時期に周辺に向けて出て行き、レグスたちはすぐにでも出ることができるように町の西側の門の所で待機するとのことだった。



 ジャックは、この厳戒態勢は数日で終わるだろうと言っていたけど、魔物の発見の報せはその日のうちに届くことになった。

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