第百二十四話 急性大動脈解離2
「接収なんて穏やかじゃないね」
「仕方がなかろう。王族に対して出て行けと言った上に謝罪すら受け入れないというやつを守るためにはユグドラシル領の全力を挙げなければならないからな」
なるほど、それで集団の後ろにロンさんがあわてて追いかけてきているのが見えるのか。ニヤニヤしながらアレンは言うが、それは言葉で表す以上に大変な仕事ではないだろうか。
「そうか。いや、迷惑かけてたみたいでごめんよ」
「冒険者ギルドだけでは守り切れないと判断した。とはいっても所属を変えるだけでシュージたちの診療を邪魔するわけではないから安心してくれ」
あのパーティーにはアルカ=スティングレイがいた。本人が文句を言うことがなかったとしても、周囲の人間がそうとは限らないという判断だろう。僕は僕の意地を押し通しすぎたために周囲に迷惑をかけてしまっていたことに気付き反省しつつ、それをフォローしてくれたアレンに感謝した。
「ただし、それだけじゃないぞ」
「というと?」
アレンがニヤッと笑って言う。
「医者を育てることを目的とした病院を作れ。そしてシュージはその創設者になるんだ」
それは後の世にユグドラシルホスピタルと呼ばれる施設への、第一歩だった。
***
「医者という一人が全てを統括するのではなく、役割を細分化するというのだな」
「ええ。そして僕は魔法外科医という立場で主に外科手術を行う医者となります」
「手術を行わない医者もいるというわけか」
「そうですね。外科医に対して、内科医と言いますね」
ランスター=レニアン領主の前でユグドラシルホスピタルの構想を語ったのはその日の午後のことである。以前、簡単なものはアレンに話したことがあった。しかし、僕の中ではそれ以上に具体的な病院と、医療従事者を養育する大学の構想が出来上がっている。それは現代日本の医療が基本となっている。ここは異世界なので特にそれと同じものにする必要はないのだけれども、一人ひとりの役割を一から考えるのは大変であるし、後になって不具合が出るようならばそこで変えればいいだけだと割り切っていた。
問題はまだそれぞれの役割のトップである教授役の人物が育っていないということで、おそらく最初は全てを僕がこなさなければならない。
「我が領の治癒師たちを学ばせよう。特に若い者たちを中心にだな」
「単純に回復に特化した治癒師も必要な職業だとは思います。全ての治癒師たちを医者や他の職業にする必要はないと思いますが」
「だが、回復のかけ方に医学の知識が有用であったという報告も受けているぞ」
「まあ、おっしゃる通りですが勉強量はかなりのものになってしまいます。カジャルさんに今更医学を学んでくれというのもどうかとも思いますので」
「いや、あれは自分から学びに行きそうだが」
学生の中にカジャルさんがいても僕が困るのだけど。そして教える人も足りていない。
「まずは、それぞれの職業を教える前に、座学が必要ですね。基礎知識がなければ現場での説明にものすごい時間がかかってしまいますから」
「ふむ、学校設備が必要というわけだな」
「はい。最終的な実習というのは病院で行うことになりますけど、何も知らない人が入ってきても邪魔なだけなんですよ。ある程度の知識は知っていてもらわないと」
「であるならば病院よりも学校設備を先に準備させよう」
「ありがとうございます」
当面はギルドの横の診療所での営業が続く。ギルド側には接収にあたってそれなりの資金援助を条件として出したそうだ。それは接収とは言わないと思うけども、対外的に接収したという事実だけが欲しいらしい。
そしてすでに病院と学校を建設する予定地というのは決まっていた。地図で示されたそれは僕の予想をはるかに上回る広大な敷地だった。町の中心部から離れた畑のど真ん中にできると言う。というよりも、今の僕とレナの住んでいる小屋に結構近い。
「世界樹の雫が薬として世界中に広まると同時に、ユグドラシル領の重要性が格段に上がる重要な計画である。失敗は許されん」
たしかに今は僕が細々と診療を行っているだけだけど、ユグドラシル領として診療を行うことになると大陸中から貴族たちがやってくるだろう。他にも金銭的に余裕のあるものはユグドラシル領を目指すに違いない。
「僕は、たとえ王様であっても患者の差別はしない主義ですよ」
「分かっておる。だが、現実的には全てがそれで通せるわけではないという事は知っておくべきだ」
「周囲に迷惑が掛からない程度に、善処します」
「……」
例え王様から呼び出しをくらったとしても、他の患者を放っておいて王都まで往診することはない。ランスター領主にはそう伝えた。逆にきちんとルールにのっとって診療所にくるのならばそれが魔族であろうがきちんと診療をしようと思う。魔族を診ることができるかどうかは分からないけども。
ランスター領主は最終的に苦笑いをしながらも了承してくれた。だが、本当は病院と学校設立にあたって尽力を尽くしてくれるこの領主が、どうしてもといえば優先させねばならない患者もいるのだろう。しかし、そういう事が極力ないようにやっていく。それを知っておいてもらう事は大切だと思う。
「忙しくなるだろうが、まずは我が領地の新規加入させた治癒士たちと、希望者を募って医者としての知識を教えてやってくれ。学校設備ができるまでは領主館の部屋を使ってくれてかまわん」
「分かりました」
さて、大人数に講義をするなんて大学に在籍していた時に少しやっただけでそれからはほとんどやっていない。ローガンだけに教えるのと複数人に教えるのではやり方も変えなければならない。僕の方の準備も忙しくなりそうだった。まずは教科書を書き直さなければならない。
途方もなく長くかかりそうな仕事だったけど、僕はこれをするために異世界に来たのだと思っている。心が躍るっていうのはこういう事を言うのだと、初めて知った。
***
「レグス!!」
「避けろ!」
高熱量の何かが通り過ぎる。それは今まで対峙してきた魔物たちとは一線を画すものであり、レグス自身初めて見るものだった。
「このっ!!」
アルカの詠唱が始まる。それを見て魔物は攻撃対象を変えたようだった。いままでは勇者の鎧があったからなんとか戦いになっていたが、アルカがこの攻撃を喰らえばひとたまりもない事だけは確実だった。事実、重戦士として防御力は仲間内で一番のシュトレインは吹き飛ばされて起き上がってこない。少しだけ動いていたためにまだ死んでいないだろうが、早く治療を行う必要があった。しかし、そんな暇は与えられない。
「くそっ、俺としたことが」
「レグス、落ち着け」
ベルホルトはそう言うと何かを投げた。それを払いのけた魔物が死角から投げられたもう一本の投げナイフに反応するのが遅れる。たかが投げナイフのはずだったが、アルカを狙っていた魔物はふらつき、ベルホルトとレグスの方に向き直った。
「な、何をしたんだ?」
「ナイフに毒を塗っておいた」
「毒?」
この仲間がいままでそんな事をしたことはなかった。剣技はそこそこにできたが、絡め手を使って戦うスタイルではなかったはずだ。
「業火球!」
アルカの魔法は空を切った。そして魔法を避けた魔物はそのまま逃走へと移ったようだ。距離を置いて、姿を見せなくなった。
「ベルホルト、お前……」
「それよりも吹き飛ばされたシュトレインの治療が先だ。急ぐぞ」
随分と落ち着きがでた。今までは自分の意向に沿わない時があれば仲間の意見なんか聞かない奴だったが、ユグドラシルでの経験が彼の何を変えたのだろうか。
「これで仕留めそこなったのは、三度目か」
「今までは本気で俺たちを狩りに来ていなかっただけかもしれん。あの攻撃は初めて見る」
「魔法か? それとも魔物固有のブレスのようなものか?」
回復したシュトレインは途中から倒れながらも戦いの様子を観察していたと言った。その意見を聞きながらベルホルトは「敵」の情報を整理していく。
「この方角は、もしかしてな……」
王都を攻めた魔物たちの生き残り。コクやセキの所在が分かるかもしれないと追っていたが、もっと他の何かかもしれないとベルホルトは考えているようだった。そしてベルホルトは目撃情報や遭遇した地点から考えられることを導き出す。
魔物は、ユグドラシルの町へと向かっている。そうとしか考えられなかった。