第百十一話 スティーブンス・ジョンソン症候群3
「頭が悪い……だと? 俺は天才のはずだ……」
ベルホルトが思った以上に落ち込んでしまっていた。きっかけは僕の一言であり、そもそもベルホルト自身もうすうす気づいていたらしい。
天性の魔法の才能がある彼にとって、人生における初めての挫折である。今までは彼の回復魔法をありがたがる人間しか存在していなかったところに、僕の持ち込んだ医学という治療の学問が大きな壁となって彼の前に立ち塞がっていた。
「まあ、馬鹿は馬鹿なりに努力するしかないぜ」
「誰が馬鹿だと!? このクソガキめ!」
「適正ってもんはあるからな。それを越えようと思うと努力するしかないって、お父さんが言ってた」
ローガンがベルホルトを正論で殴りにかかっている。今までさんざんやられていた仕返しだろうか。この前までは敬語を使っていた気がするけど、すでにベルホルトのことをなめているのが態度に現れていた。これはローガンの父親に見つかると説教される流れだろうけど、僕は放っておこうと思う。
場所は世界樹の第七階層手前、もうちょっとで樹液が産出されている樹洞につくところだった。今日は世界樹の雫を作りに来るのにレナとローガンだけではなくベルホルトを連れてきている。彼の製薬魔法はローガンと遜色ないほどに上達しており、魔法に関しては本当に天性の才能を持っているのが分かる。そしてまだ子供であるローガンとは違って、その魔力量は僕よりも多い。
「今日はベルホルトも来ているからたくさん薬が作れると思うんだよ」
「樹液の量にもよるわよ。こういう時に限ってあまり樹液が出てないってこともあるんだから」
「レナ、そんな事言わないでくれよ」
完全な遮光をして、冷所保存をしておけば世界樹の雫の中の抗菌薬成分はそれなりに保存が効く。数日に一度取りに来ているのは消費量が多いからで、たくさん作れるようになれば一週間は大丈夫だろう。
製薬魔法が上達したベルホルトならば世界樹の雫も作ることができるはずだった。彼がいつまでこのユグドラシルの町にいるかは分からないけれど、いる間は製薬を手伝ってもらおうと考え付いた僕は冴えているに違いない。
「おい、シュージ。この世界樹の雫以外に抗菌薬として使えるものはないのか? この町以外では呪いが治せないではないか」
「まあ、今のところは世界樹の雫だけだね。だから僕はわざわざこの町で診療所を開いているわけだけど」
ばば様に教えてもらった薬の中に抗菌作用があるものを見つけたのはレナ以外には秘密にしてある。まだ、医学を広める準備ができていない段階でこれを公表しても扱いに困るからだった。一応は家の裏の畑にねづいた王の草はなんとか栽培できそうである。
「なんだって抗菌薬なんて重要な薬がこんな所ででしか手に入らないんだ」
「それを僕に言われてもね」
まあ、世の中思い通りにならないほうが多いっていうのをベルホルトはようやく知り始めたところだろう。僕もユグドラシル以外で抗菌薬が手に入っていたらレーヴァンテインで診療所を開設していたかもしれない。
目標に対して少し近づいたというのを感じている。その目標というのは「病院」を作ることで、僕の言う「病院」は今の「診療所」とは違ってもっと大きなものだ。そこではローガンたちのような医学を学ぶ人間たちがいて、それを教える医者たちがいる。つまりは僕一人ではないという事だった。医者だけではなくてそれぞれの分野の専門家を育て上げて、それを受け継いでいく道を作り上げることが僕の目標である。
それがどれだけの長い時間がかかるのかは分からないけども、着実に医学に関わる人が増えてきていた。
ぶつぶつと何かを考え込み始めたベルホルトの右手には僕の書きあげた薬の本が握られていた。汚したりなくしたりすると嫌だからとローガンが抵抗していたけど、ベルホルトはそれを無理やり持ってきてしまっている。こういう強引なところがなければもしかしたら根はいい奴なのかもしれないけど、態度はでかいし考えは傲慢だしで僕とはあまり合わない。しかし、この数日でちょっと慣れてきたかもしれないと思い始めていた。
「おい、他にも世界樹の葉で作る事のできる薬があるんじゃないのか?」
「まだそこまでは研究できてないよ。それとも、ベルホルトが新しい薬の製薬をやってみるかい?」
「新しい薬の……製薬だと?」
「ああ、素材になりそうなものを片っ端から鑑定して、必要な物質を抽出するんだ。魔法が得意ならば、うってつけだと思うけど」
真剣な顔でそれを聞いていたベルホルトはいきなりその辺りの葉をむしりだした。葉だけではなくツタや苔なども採取している。
「おいクソガキ、そういえば薬草の本もあっただろう」
「ふざけんなよ、また勝手に持っていく気か!」
さっきまで落ち込んでいたはずのベルホルトはいつの間にやらいつものベルホルトに戻ったようである。しかし、新薬の生成にこれほど興味を持つとは思ってもいなかった。診療所に帰ったら製薬のことで質問攻めにされそうである。
「なんか意外ね」
「ああ、そうだね。僕も彼がこんな風になるとは思わなかったよ」
いきなりやってきて医学を学びだしたベルホルトという人間を僕もレナも見誤っていたのかもしれない。
「なんか、ローガンと二人でああやっているのを見ると、どっちも子供ね」
「……たしか、ベルホルトはレナよりも年上だと思うよ」
「信じられないわ」
この日、いつもの倍の量の世界樹の雫を作り出すことに成功した僕らは足早に診療所へと戻った。
***
「それで、あれからずっとやってるわけ?」
「ああ、すでにこの診療所においてあった薬は全部作れるようになってるみたいだよ」
ベルホルトは診療所の製薬室にこもって研究を始めたようだった。食事とトイレの時以外はずっと何かしらの魔法を試している。よくもまあ、あれほどの魔法を使って魔力量がもつもんだと思う。ちなみに取り扱いしてはいけないことになっているポイズンアロートードの毒は隠してあるからばれてない。
「おい、シュージ! この薬の原料になるものはなんだ?」
そんなベルホルトが僕の書いた医学書を片手に部屋からでてきた。書いてあるのは僕が以前に教えたスティーブンス・ジョンソン症候群の治療薬にもなる副腎皮質ステロイドである。
「ステロイドは人の副腎で生成されるホルモンだからね。作るとすれば、人型の魔物の副腎じゃないかな」
他にも精巣、卵巣、胎盤で作られていると言われている。現代日本ではそれらを牛から取り出して製薬していたのではなかったか。なので完全に人型である必要はないと思うけど、魔物が哺乳類なのかどうかもよく知らないので人型のオーガなどがいいだろう。
まだこの診療所にはおいていない薬の一つであるけど、実は以前にオーガを討伐した際に作ることができるのは確認してあった。しかし、僕の製薬魔法ではまだ実用できるほどの量は抽出できなかったのである。素材を多く手に入れるか、魔法を磨くかしなければならない。
「よし、冒険者ギルドに依頼を出しに行ってくる」
「え? オーガの副腎を入手しろって?」
「ふん、取り出すのを他人に任せるわけにはいかん。解剖も兼ねて俺の護衛依頼だ」
そういうとベルホルトは診療所を出て行ってしまった。これから冒険者ギルドで前衛職を雇いオーガ退治に行くのだろうか。なんて行動力だ。
「もしかすると、本当に新薬を開発しちゃうかもしれないね」
この世界特有の薬があってもおかしくない。僕はベルホルトに期待してもいいかもしれないと思った。