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転校生は魔法使い狩り

 兄の誕生日から何事もなく一週間くらいが経った。


 幸いな事に毒子ちゃんも村ちゃんも、あれから『魔の誕生日』の事は口に出さなかった。

 兄の方も特に変化もなく、どっしり家に腰を落ち着け引きこもっている。

 私はと言うと、真夜中が主な活動時間の兄と出くわす事はそんなに多くなく、心穏やかな日々を過ごしていた。


 とりあえずは平和が戻ってきたのだと思っていた。


 けれど、月曜日の事だった。


 朝のホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴っても教室のざわめきは収まる事無く、数分後に担任教師の入場を持ってやっと雑談タイムは終了する。


 と言うのが毎朝の光景なのだけど、今日は先生が入場した後も教室は静けさを手に入れない。


 別に担任の斉藤先生が大人しい人だから気付かなかった訳じゃない。

 今日この教室の廊下側の列の一番後ろに新たな席が用意されていて、さらに先生の後ろには少年がいたからだ。


 どうやら中学三年生の夏休み直前なんて大切な時期に、不幸にも転校を余儀なくされた少年がこのクラスにやってきたらしい。


 彼はツンツンヘアーの短髪に、まるで閉じているかのような糸目の少年だった。 


 教室に入場し教卓まで移動した斉藤先生は息を大きく吸い込み「静かにしてね~!」と注意を促す。

 けれど、転校生への興味というやつは中学生にとっては大事件なようで、『先生ゴメン』と思いつつも口を閉じる事が出来ないみたいだった。

 静まらない教室に、「みんな~静かに~」とオドオドするばかりの先生。

 

 この状況を打ち破ったのは毒子ちゃんだった。

 

 一番前の席中央に座っている毒子ちゃんが机を思いっきり叩き、立ち上がり振り返る。


「静かにしな!」

 

 数人の男子が「ドク子が怒った~」などと言う野次を飛ばしながらも、教室は静かになった。


「ありがとう。国土さん」


 斉藤先生は毒子ちゃんにお礼を言ってから、


「今日はみんなに転校生の紹介をします。

 狩野 宗谷君です。

 狩野君はお父さんの仕事の都合で世界中を飛び回らなくちゃいけないの。

 このクラスにもいつまで居れるか分からないらしいわ。

 だから、みんな一早く仲良くなって……、

 真剣に、思い出作ってね!」


「は~い」

 と言う間延びした返事が教室の数箇所から聞こえる。


「それじゃ、狩野君。簡単で良いから自己紹介してね」


「えっとみなさん。こんにちは。

 狩野 宗谷です。

 世界を回っていると言うと、誤解されがちなのですが、日本語以外は実用レベルで使えません」


「え~!」

「英語とか喋れないの~?」


「あはは。

 どうやら、早速みなさんの期待を裏切ってしまったようですね。

 それはさておき、出来ればこの学校で卒業したいなと思っているのですが、なんとも言えない事情があります。

 だからって『どうせいなくなる奴だから』なんていじめないで下さいね」


「それはドク子に言っとけ~!」

「あんたは黙って聞いてなさい」


「仲の良いクラスみたいですね。

 よろしくお願いします。ドク子さん。

 みなさんもね」


 そう言った狩野君の瞳は、私を見つめていた気がする。


 薄く開いたまぶたからは瞳が良く見えないのだけれど。




 ホームルームが終わった後、クラスメイトたちが転校生に群がっていく。

 こんな光景は転校生が来た教室としては珍しくない。


 毒子ちゃんは先ほどのホームルームで野次を飛ばしていた男子生徒の元に文句を言いに行く。

 こんな光景もこのクラスでは珍しくない。


 窓際の列、真ん中ぐらいの席の村ちゃんは、今日も何かの小説を読んでいる。

 こんな村ちゃんも珍しくない。


 私は、いつもなら村ちゃんの読書を邪魔なんてせず、毒子ちゃんとお喋りして一時間目の授業に対抗しえるパワーを五分間と言う限られた時間で補給しなくてはいけないのだけれど、男子生徒とイチャイチャしている毒子ちゃんに話しかけるのは無粋かなと思ったので……、

 

 村ちゃんの読書を邪魔する事にした。


「村ちゃ~ん。今度はどんな小説読んでるの?」


 村ちゃんは文学少女で、昼休み以外の休み時間は読書をしている。

 彼女が読むジャンルは純文学やミステリー、ライトノベルに童話なんかも、統一性がまるで無い。

 小説なら何でも読むみたい。

 読書を邪魔されたのに迷惑そうな表情は微塵も見せずに、微笑みながら村ちゃんは私の質問に答える。


「えっとですね。『雪屋コンコン』と言う童話です」


 そう言って、茶色の紙カバーを丁寧にはずし本の表紙を見せてくれた。


「へ~。今度は童話なんだね。どんなお話なの?」


「コンコンと言う狐さんが雪を売る仕事をしています。

 でも村の人は雪も嫌いだし、冬も嫌いなので、コンコンさんはいつも一人ぼっちです。

 お店にも誰も来ません。

 そんな時、村に新しい人が来ました。

 晴れ屋さんです」


「うんうん。それで?」


「ゴメンなさい」


 と村ちゃんは照れ笑いして、


「私が読んでいるのはここまでなんです。この先のお話は分からないんですよ」


「そっか~。私が邪魔しちゃったのよね」


「そんな……。

 本はいつでも読めます。

 家でも読めますよ。

 そんな事より、このお話って高志さんっぽいんです。

 ほらコンコンさんのライバルさん、えっと晴れ屋さんの口調が似ているんですよ!

 高志さんの書いた本だったりしますか!?」


 村ちゃんは少し鼻息荒く、聞いてきた。


 村ちゃんが文芸少女である理由。

 それはどうも兄の小説を探しているみたいだった。

 私はいつも「う~ん。どうだろうね」とだけ答えて、笑って誤魔化す。


 誰もが知っているベストセラーを指差しながら質問されようが、兄が書いている小説よりドギツイエッチ小説を指差されようが、答えは変わらない。

 人に知られたくない情報があるならば、一切の情報を絶つべきなの。

 万が一にも「こんなベストセラー作家な訳ないよ」なんて爆笑しながら答えてしまったら、その著名が兄のペンネームではない事だけでなく『ベストセラー作家』でもない事を教える事になる。

 また「ここまでハードコアなのは書いてないよ」等と赤面しながら答えてしまったら『エロ小説家かもしれない』と言う予感を与えるかもしれない。


 村ちゃんは「うぅ……。怪しいです……」と言っていたが、童話作家と勘違いしてくれるならむしろ有難い。


「どうだろうね~。分からないね~」


 私がからうかうように誤魔化すと、村ちゃんは下唇をかみ締めながら、


「うぅぅ……」


 と長い前髪越しに上目遣いで見つめてくる。

 うひゃ~、たまらなくカワイイな。


 その時だ。

 

 後ろから教室全体を包み込むような、大きな声が聞こえた。


「え~!! そうなの!?」


 どうやら転校生を囲むクラスメイトの一人が絶叫をあげながら驚愕するような事実を、狩野君は持っていたらしい。

 

 教室中の視線が狩野君と叫んだクラスメイトに集まる。


 狩野君は照れくさそうに苦笑いし、先ほど叫び声を上げていたクラスメイトはバツが悪そうにみんなへ『ゴメンなさい』のジェスチャーをしていた。

 

 各々は小さく笑い自分たちの作業へと戻っていくが、みんなの会話の中身は私たちとそんなに変わらないはず。


「一体、何に驚いたんだろうね」

「きっと、狩野君の家庭の事情についてですよね」

「そうだね~。世界を旅する家庭って謎だよね」

「う~ん。一度や二度の転勤って感じではなさそうな自己紹介でしたしね」

「狩野君が宇宙人だったりして! それでプロフィールも名前も全部偽者なの!」

「そんな事はないですよ。でも、なんらかの理由で偽名を使っている可能性はありますよね」


 噂ってのは怖いわね。

 私たちのような会話がこのクラス中で行われていて、気が付いたらその内のいくつかの偽情報が真実として伝播されていくのだ。

 

『仮定』が本人たちも気づかないうちに『結論』や『事実』になってしまう。

 

 私のグループではあり得ない事だけど。何故なら毒子ちゃんがいるから。


「な~に、邪推してるのさ」


 と噂をすれば何とやら。

 青春のイチャつきタイムを終えた毒子ちゃんが、私の後ろから声をかけてきた。


「ゴメンゴメン。でもさ、毒子ちゃんは気にならない?」


「気になる。凄く気になる。

 だからって陰で噂するのは失礼だよ。

 良し。私が聞いてくる!」


 なれない環境に不安だろう転校生の『家庭の事情』について根掘り葉掘り聞くのは失礼ではないのだろうか、と言う疑問はあるけれど、私は黙って毒子ちゃんに付いて行く事にした。


「村ちゃんも行こう!」


 と私が声をかけると、村ちゃんは「えっと……、えっと……」と考えてみるのだけれど「あ、はい」とどうやら私と同じような答えを出したらしい。

 

 毒子ちゃんは狩野君に群がるクラスメイトたちを「ちょっとゴメンよ」と搔き分け、


「ねぇ。狩野君はどうして世界中を旅するの?」


 と直球ストレートど真ん中で質問する。


 狩野君の取り巻き連中の邪険な視線と、その他大勢のクラスメイトたちの好奇心の視線が毒子ちゃんに集まっていく。 


「えっと、気になるよね。うん。そりゃそうだ」


 と狩野君は困ったように笑い、しばらく何か考え込んで、席から立ち上がった。


「皆さん、聞いて下さい。

 僕は三年前に狩野さん夫妻の養子となったけど、その前の記録が無いんだ。

 戸籍的な意味でね。

 だからと言う訳じゃないけど、その質問に答えられないんだ」


 ホームルームから続いた喧騒は嘘のように静まり返る。


 この教室で、この説明を聞き、理解出来た者はいないだろう。

 でもきっと私たちが思ってる以上に複雑な環境の家庭で、むやみやたらと踏み込んではいけない地雷原だったんだと思う。


 その地雷原で力いっぱい地雷を踏みつけた毒子ちゃんは、


「そうか。分かった。

 君の言う事は分からなかったけど、私たちがやるべき事は簡単に分かったよ!

 過去が無いなら今を大事にすれば良い!

 私たちは出会って十分も経ってない。

 まだ狩野君と話してない奴もいる。

 だけどそんな事は関係ないね!

 うちらクラス全員が友達さ!!」


 毒子ちゃんは振り返り、クラスのみんなに「でしょ?」と質問すれば、教室中から賛同の声が上がる。


 狩野君は「ありがとう」と微笑み、「本当に良いクラスで良かった」と付け加えた。


「で、狩野君は携帯電話を持ってる?」


 と言う毒子ちゃんの質問に、狩野君は、


「うん。持ってるよ」


 と答えながら、鞄から取り出した最新スマートフォンを見せる。


「凄いの持ってるね。

 良かったら電話番号とメールアドレスをここにメモしてくれないかな」


 と毒子ちゃんは生徒手帳の空欄のページを開き、狩野君に手渡した。

 

 狩野君は「分かったよ」と了解し、最新式のスマホの番号とアドレスをレトロに手書きする事になった。


「それとこの学校じゃ携帯電話禁止だから、明日から持ってきちゃ駄目だよ」


 と毒子ちゃんはウインクするけれど、狩野君は書き物中なので見ていない。

 ただ「うん」と返事は返ってきた。


 こうして、クラス中がどこか熱血青春ドラマな空気になった所で、一時間目の授業の始まりを知らせるチャイムが鳴る。

 この一時間目の授業中、私は授業には全然集中出来なくて、きっとそれはこのクラス全員が同じだったんだと思う。

 先生の目を盗みながら回される毒子ちゃんの生徒手帳から、狩野君の電話番号とメールアドレス情報を自分たちの生徒手帳に書き写し、狩野君と接点を持たない授業中ではあるけれど、各々が何かしらの考えを巡らせ、私たちは一時間目の授業が終わる頃には親友になれた。

 そんな気がした。


 一時間目と二時間目の間にある休み時間には、噂を聞きつけた他クラスの連中が来るのだけれど、狩野君の過去に対する質問に、私達は口を揃えて「人の過去を詮索するな」と答える。

 まるで少し前の自分たちへの戒めのように。


 こうして、私たちに親友が出来た。




 放課後。

 私と毒子ちゃんは廊下でお喋りをしながら、掃除当番の村ちゃんが掃除し終わるのを待つ(決して手伝いはしないのよ)。


 その後、村ちゃんと毒子ちゃんと部活に行くのだ。


 運動部に所属している三年生の殆どの人たちは、春と夏の間にある中体連の地区予選後に引退する。

 特に強豪部の存在しないこの学校では、殆どの運動部員たちの引退時期は重なる。

 私の知る限り、七月初旬でも部活動を続けているのは水泳部の田中君ぐらいだ。


 一方で文科系に所属する三年生の引退時期は、各部のローカルルールに左右されるので様々だ。

 例えばコンピューター部の人たちは夏休みまでらしいし、文芸部の人たちは卒業するまで在籍するらしい。


 私たちは演劇部に所属していて、演劇部の『引退時期』は秋に行われる文化祭での公演が節目になる。


 部室に向かうまで私たち三人は「そろそろ文化祭の演目を決めるためのミーティングが開かれるね」と言う会話をしながら、体育館横の女子更衣室でジャージに着替えて、活動場所である第一視聴覚室に向かった。


 ドアの前に着けば、防音効果があるはずなのに室内の音は廊下まで漏れており、中のやかましい様子は簡単に想像出来た。

 ドアを開けると、やっぱり奇声が色々な所から上がっている。


 教室の前、上げ下ろしの出来るスクリーンの下では練習熱心ないくらかの生徒が発声練習をしている。

 教室の後ろでは、男子生徒がプロレスごっこらしきものをしながらじゃれ合っている。

 床に固定され動かせない四人用の机と椅子が、横二列、縦六列に設置されていて、その所々で仲良しグループごとに集まり会話している女子生徒たち。


 私たちも空いている席に座り、おしゃべりの続きをする。


 五分後一人の男子生徒が教室に入場し、更に五分後に時計が十六時を指した所で、毒子ちゃんから最近部長称号を引き継いだばかりの二年生の掛け声を合図に、ゾロゾロと廊下に出る。


 まずは北と南に設置されている二つの階段やロビーを囲むように、四角形になっている廊下を十週するランニング。

 これまた規則性なくゾロゾロ行軍。

 ついで、第一視聴覚室前の二階ホールで腹筋に重点を置いた筋肉トレーニング。

 最後に第一視聴覚室に入場し発声練習するはずだった。


 いつもならね。


 発声練習で基礎トレーニングは終わり、その後は代々伝わる練習用の劇や、去年の文化祭で発表した劇や、あるいは絵本とかのワンシーンをやってみたりするのだけれど……。


 私たちが教室に入ると、固定式椅子たちと対面するように教室前方の窓際スミに配置されている教師用椅子に、斉藤先生が座って待っていた。


 斉藤先生は私たちのクラス担任であると同時に、演劇部の顧問でもあるのだ。


 みんなは空いてる席に座り、部長さんが斉藤先生の所に行き指示を仰ぐ。


「今日こそ、文化祭の演目を決めるミーティングかな!」


 私は弾む気持ちを隠しきれないトーンで二人に意見を求めると、


「そ、そうですね。斉藤先生がこんなに早い時間に来るのは珍しいですよね」


 と村ちゃんは嬉しそうに答え、


「まぁ、焦っても仕方ないさ」


 と答えた毒子ちゃんも言葉とは裏腹に興奮を隠せていない。


 当然よね。

 あまり活発的でない我が校の演劇部が、一つの作品を完成させる機会は文化祭しかない。


 みんなも同じ気持ちらしく、「文化祭の事かな?」とか「今年は何やると思う?」のような似たような会話の断片が、あちらこちらから聞こえた。

 

 しばらくして斉藤先生との会話を終えた部長さんは「では発声練習をします!」と宣言する。


「先生と何を話してたの?」


 ともちろん不満の声が上がるけれど、

 

「それは、後で! さぁ、立って!」


 と部長さんは強引に場を進め、

 

「アメンボ赤いな、あいうえお! はい!」

 

 自分に続けて発声練習をするように促す。


 私たちはモヤモヤした気持ちのまま発声練習する羽目になった。

 早く言いなさいよね!


 随分と長く感じられた発声練習が終わり、その間妙にイタズラなにやけ面だった部長さんは、


「さて、みんな気付いているようだけど……。

 今日の練習はここまでです!」


 それだけで、私たちは予感が当たってたのだと確信した。

 さっきとは違って、賞賛の声が教室中に溢れる。


「静かに~! 今日は文化祭でやる演目を決めます」


 部長さんは『静かに』なんて言うけれど、それは不可能な訳で、よりざわめきめいた教室。


 でも部長さんもどこか嬉しそうに、みんなを眺めていた。

 彼女は、私たちの興奮が少しだけ収まるのを待って、手拍子で黙るように促し、


「じゃあ、何か案がある人いますか? 挙手して下さい」


 すると毒子ちゃんは、みんなに釘を刺す。


「いいかい。ちゃんと挙手してから言うんだよ!」


 前方に座っていた二年生の男子生徒が勢い良く手を挙げる。

 部長さんに指名された彼は、


「オズの魔法使いが良いと思います」答える。


 その意見に呼応するように、皆は小声で近くに座っている人とミニミーティング。

 次に一年生の女子生徒が手を上げる。

 部長さんに指名された彼女は、


「一年に一回なんだから、オリジナルにしたいです!

  魔法っぽいのです!」答える。


 すると、挙手を忘れた何人かが、


「オリジナルが良い!」と騒ぎ始めた。


「きょ~しゅ~! 挙手してから!」


 と毒子ちゃんが怒鳴るように言って、手を上げる。

 指名された毒子ちゃんは、


「で、オリジナルも良いと思うけど、誰か考えてくれる人はいるのかな?」答える。


 静まり返る教室。

 今度は三年生の男子生徒が挙手し、


「魔法使いなら何でもいいかな!」意見する。


 こんな調子で、まとまらない意見。

 ただとりあえずみんなは『魔法使い』に関連したものがやりたいらしい。

 

 止めてよね。『魔法』なんて単語聞きたくないのに。


 お兄ちゃんを思い出しちゃうじゃない。


 私はこの流れを止めるために何度か挙手して、


「ロミオとジュリエットが良いよ!

 世界はラブとロマンスで出来ているんだよ!

 やっぱり、愛だね! 愛!!」



 なんて頑張ってみるけれど、一切の効果はなかった。

 私の意見の後だけ教室は不気味に静まり返り、どこの席でもミニミーティングは開かれなかった。


 結局、部活動を許されている十九時まで、残り十五分となっても意見はまとまりそうも無いので、部長さんは提案した。


「それじゃ、オリジナルにしたい人は簡単なあらすじで良いから自分たちで考えてみて。

 他の演目をしたい人も自分の意見を考えてね。

 そして、来週の月曜日に提出された意見の中から、話し合って、最後に多数決で決めましょう」


 実は毎年こんな流れで、経験済みな二年生と三年生は自分の意見を通すための戦略を大分前から考えていたりする。


 でもミーティング中ずっと黙って見ていた斉藤先生が余計な事を言いました。


「あのね。みんな。

 木村さんのお兄さんは小説家なの。

 もう何冊も本を出してるのよ。

 だから、来週までに木村さんのお兄さんにもオリジナルのストーリを考えてもらうようにお願いしてはどうかしら?」


 シーン。


 異様な静けさ。


 そして数秒後に起こる、だ・い・爆発。


「マジかよ。スゲーじゃん!」

「もうそれで良いよ。『魔法』を使ったオリジナルを考えてもらおうぜ!」

「私もこっそりオリジナルのお話し考えてたんだけど、プロにお願いした方が良いかも!」


 魔法使いで盛り上がってた時より、ずっとずっと嫌な空気。


 って言うか~! 

 毒子ちゃんと村ちゃん以外には兄が小説だって事を秘密にしていたのに!

 

 気が付けば、村ちゃんは何故か陰ちゃんモードに移行していて、


「良いです! 賛成です! 大賛成です!!」


 とスタンディングオペレーション。


 部長さんは


 「静かにしてよ! この日のために準備した人もいるんだから、来週公平に多数決するからね」


 とか言ってたけれど。


「毒子ちゃん。

 せっかくの一年に一回な部の活動なのに部外者が乱入するなんて、その時点で公平じゃないよね。

 良くないよね?

 元部長として止めなくちゃ!」


 さぁ、毒子ちゃんよ。この馬鹿騒ぎを止めて!


「いや~。ゴメン。

 私も舞子のお兄さんがどんな話を書くのか興味あるな」

 裏切られる。


 挙手ルールを忘れてしまったこの教室で、無理だと思いつつも「部外者なんて反対です!」と私は大声で意見する。

 だけれども、やっぱり誰も耳を傾けない。


「来週まで保留です。

 良い? まだ、木村先輩のお兄さんが了解してくれるとも限らないよ!

 各々ちゃんと考えてきてね!」


 と部長さんが締めた所で、十九時になり下校指示を表すチャイムが鳴る。


 その後、何人かの生徒に「これ準備していた話なんだけど……」とルーズリーフ渡された。


 私は毒子ちゃんと陰ちゃんに、今日は一緒に帰れない事を告げる。


 毒子ちゃんは「う~ん。手遅れだと思うけどね。まぁ、頑張ってみなよ」と、陰ちゃんは「え? あ、はい! とりあえず、高志さんの事頑張って下さい!」と、正反対の意味で応援してくれた。


 私は辛うじて怒りを抑えながら、力いっぱい斉藤先生を睨みながら、教室からみんながいなくなるのを待つ。


 斉藤先生は私の意を汲んだのか、教室から出ようとはしなかった。


 ただ私の恨めしい視線を微笑みで受け流しながら、座っていた。


 誰もいなくなった事を確認し、私は斉藤先生に詰め寄る。


「ちょっと、先生!

 何で言っちゃうの?

 お兄ちゃんが小説家だって。

 職権乱用です。

 プライバシーの侵害です。

 汚職です。

 懲戒解雇です!」


「ゴメンなさい」


 と斉藤先生は申し訳なさそうに謝るけれど、すぐにどこか余裕を持った笑みを浮かべ、


「でも、舞子ちゃんなら許してくれると思ったの」しれっと抜かす。


「許すわけ無いでしょう~が!」


 私は敬語を忘れてしまったけれど、


「じゃあ、教育委員会に言っちゃうの? 私をクビにしちゃうの?」


 おねだりする様な潤んだ瞳で、上目遣いに私を見上げてくるので、私はどこか申し訳ない気持ちになる。


「そんな事はしないけど……」


「でしょ!」


 コロッと満面の笑みを浮かべやがった。このアマ。


「でもでも、絶対に! 死ぬまで許しませんから。

 一生根に持ちますから!」


 だけど、ここで私は思いついた。

 私が兄に言わなければ良いのだ。

『忙しいって断られちゃいました~』と報告すれば、みんなも納得する。


 な~んだ。簡単じゃん。


「済んだ事は仕方ないですよね。

 私から兄に一応は言ってみます。

 無理かもしれないけれど」


 だけどそんな私の思考を見透かすように斉藤先生は、


「私からもお兄さんに連絡しとくわ。無茶なお願いだものね。

 言い難いでしょ?」


「いえ、大丈夫ですよ。

 私からちゃんと言えますから。

 私たちって仲良し兄妹なんです」


「ううん。言い出したのは私だもの。私が罪を被るわ」


「本当に良いですから~!」


「じゃあ、勝手にやっちゃう。

 私のせいで生徒の家族が崩壊するなんて駄目よ。

 家族の他に恨むべき人物がいた方が丸く収まると思うわ」


 しつこく食い下がる斉藤先生の態度に、少し疑問を感じた。


「先生。もしかして『私が兄に言わない』とか思ってません?」


「うん!」


 どうもおかしい。


「うん。って先生。

 私が嫌がってるの分かってませんか?

 って言うかさっきのも私が反対するって分かってたでしょ?

 確実に。

 更にあの流れ。

 お兄ちゃんが台本を書く事が確定っぽくなるのも予想してませんでしたか?」


「うん!」


「なんで~!?

 そんな事して先生に得があるんですか?」


「だってファンなのよ。

 今岳 大人さんでしょ?

 お兄さんのペンネーム!」


「知ってるんだ……」


 学校に兄の職業を書いた書類を提出するとしても『エロ小説家』なんて書かないはずだし、ペンネームを書くとも思えない。

 せいぜい『小説家』あるいは『自由業』とか。

 そんなさわり程度にしか書かないはず。

 だと思ってたのに~!


「あなたが入学してきてビックリしたわ。

 だって高志さんの妹さんがいたんだもの。

 しかも演劇部にも来てくれるし!

 でも、やっぱり今日みたいな方法っていけない事でしょ。

 だから二年間は我慢出来たのよ。

 でも舞子ちゃんは今年で卒業じゃない?

 だから今日は無理でした」


「酷いよ。先生。ずっとみんなには秘密にしてたのに」


「そう、秘密だったのね……。

 エヘ! テヘ! キャピキャピ!」


「カッコ、二十八歳女教師、カッコ閉じ。

 とか突っ込めばいいのでしょうか?」


 どこか陰ちゃんに通じる、いつもと違って明るすぎる斉藤先生。

 本当にお兄ちゃんのファンなんだね。

 

 ん?

 エロ小説家の?


「え? 先生って、あういう本好きなんですか?」


「ううん。今岳さんだけ。

 舞子ちゃん読んだ事無いの? 結構、純愛なお話なんだよ」


「でもページの半分ぐらいはエッチなシーンじゃないですか。

 読めませんよ! 中学生が!」


「そうよね。R―十八作品が多いものね」


 そうじゃない。


「もう良いです。諦めますよ。負けましたよ。

 ただ、本当に一生恨みますから!」


「ゴメンね。舞子ちゃん。

 でもお詫びに良い事教えてあげる」


 疲れきった私にはどうでも良い事なのだけれど、とりあえず聞いてみる。


「何ですか?」


「今後の人生のために覚えておくといいわ。

 女は生まれながらの『策士』なのよ」


「ふ~ん」


 やっぱり期待するほどでもない事。

 

 のように思えたけれど、私の『どこか』で引っかかる。


 策士。


 その言葉がどうにも気になる。

 

 どこか……。

 

 そうだ。さっき私が言った言葉。

 斉藤先生は二十八歳。女教師。付け加えるならば独身のはずだ。

 

 思いついちゃった。


「先生。そんな微妙な知識だけじゃ許せませんよ。

 私の質問にも答えてください」


「え? 何? とりあえず質問してみてよ。

 なんか怖いなぁ」


「大した事じゃないですよ。先生は独身ですよね?

 彼氏もいないですよね?」


 斉藤先生はどんな質問を浴びせられると思っていたのか、自分の心音を確かめるように胸に当てていた手を、ホッとおろしながら笑顔で答える。


「いないよ。ここ五年ぐらいは縁が無いわね」


 良し良し。

 私はある悪巧みを思いついたのだ。

 兄の恥を打ち消せるかもしれない。

 しかも三つも同時に。


 斉藤先生に兄を押し付けてしまえばいいのよ!

 そうすれば、『未経験』称号と『魔法使い』称号を消せるわ!!

 

 さらに台本を書くだけじゃなく、シナリオ家として責任持って学校に来て指導してよ、とか言えば『引きこもり』も少しは直るかもしれないわ!!


 ついでにあの駄目男を押し付ければ、斉藤先生にも復讐出来ちゃう!!!


 うひゃ~。

 私って天才策士ね。


「そうなんですか~。さっきは怒ってしまってゴメンなさい。

 今日の事はもう忘れます。

 これからもよろしくお願いしますね」

 将来の義理姉さん(ハート)。


 悪巧みを思いついた私は自分でも不気味な感じに、「うふふ」と笑みがこぼれる。


 悪巧みを完遂した斉藤先生からも同じような感じで、「うふふ」と笑みがこぼれている。


 これが俗に言う女の怖い「ウフフ」なのかしら。

 私は少し大人になった気がした。




 斉藤先生に『エロ』小説家な事は秘密にするように念を押し、更衣室で制服に着替え、珍しく一人で帰宅する事になった私は、校門を出た所で思わぬ人物と遭遇した。


 彼は誰かを待っているみたいで街燈によしかかり校門を見つめていた。

 制服姿なのを見ると、家には戻らずにずっと誰かを待っていたのかもしれない。

 

 素通りしても良かったかもしれないけれど、どうも気になったし、親友に声をかけ無いのも可笑しい気がしたので、声をかけた。


「狩野君。どうしたの? こんな時間まで」


「ちょっと待ち人がいるんだ」


 やっぱりと言うか、誰かを待っている様子だ。


 でも転校初日から待つべき人がいるものなのか。

 何故?

 どうして?

 誰を?


 私の顔はよほどキョトンとしていたのか、狩野君はクスリと笑った。

 そんな狩野君からは意外な答えが帰ってくる。


「君を待っていたんだ」


「私を?」


 急速にギアを上げ、ドンドン高鳴る心音。

 私には上手く状況が理解出来ない。

 男子生徒が転校初日にクラスメイトの女の子を待つ?


 ここで私の直感は一つの単語を導き出す。

 

『告白』と。


 でも転校初日で?

 仮に狩野君がかなり一目惚れ体質だとしても、それは不自然に思えた。

 私は考えるけれど、そんな私を無視して狩野君は話を進める。


「どうすれば上手く伝えられるか考えながら待ってたんだけどね。

 こう言うのは時間がいくらあっても答えは出ないみたいなんだ」


「そ、そうなんだ」


 こんな状況は人生初の経験で、私はどうしていいのか分からないまま、何故かは分からないけれど、とりあえずこの場から逃げ出したいと願うばかりだ。

 もう私には狩野君の顔も見れない。

 って言うか狩野君の方も見れない。

 自分の靴を見つめながら、早く早くと思いながら、狩野君の次の行動を待つしか出来なかった。

 心臓は本当ウルサイし。


 狩野君は狩野君で、あれから「う~ん」と唸るだけで、次の行動に移らない。

 

 馬鹿!

 意気地なし!


 とは思ったけれど、私だって固まったまま動けない。

 何も出来ない。


 どうやら私は、まだ大人の女にはなってないみたいだった。


 私の心臓が破裂する前に、なんか言いなさいよ。

 って言うか何でこんなに緊張してるの? 


 体感十倍はあっただろう一分ぐらいが経った所で、やっと狩野君は、


「やっぱり言葉じゃ言い難いや。だから、これ……」


 そう言って私に何かを手渡した。


 見れば紙だった。

 四つ折にされ中身が見えないとは言え、封筒にも入ってない無機質な紙。

 

 これはラブレター?

 

 その無機質で飾り気のなさは、本当に直前まで口で言うべきか、それとも手紙で伝えるべきか悩んでいた証拠のようだった。


 そんな不器用な彼が、何故か愛しく思えてきた所で……。


「それを、お兄さんに渡してくれないかな?」

 

 お約束のオチが待っていた。

 

 私のドキドキを返してよ。

 なんか乙女の純情を踏みにじられた気分の私は、ぶっきらぼうに答えてしまう。


「良いけど……」


「そう。良かった。お兄さんによろしくね」


「はいはい。了解したわ」


「それと、中身は見ないでね」


 私は赤面してしまった顔を見られないように、話の途中だろうが振り返り、


「うん。大丈夫だよ」


 手の裏でバイバイした。


 にしても、勘違いした私も私だけれど、あの態度は紛らわしいわよ。

 全く。乙女心を理解出来ないのかしら。

 

 自分でも八つ当たりだと分かっているよ。

 でもこの『羞恥』の責を自分にあると認めてしまうのは、私が自意識過剰で自信過剰だと認めてしまう気がするので出来ない。

 それが恥ずかしいからと言うより、それが兄に似ているからなの。


 と言う事で、今回私が無駄に恥ずかしくなったのは、完全に狩野君が悪い訳なのです。

 

 我ながら見事な論理的思考ね。


 ではでは、勝手に手紙を見てしまいます。

 

 我ながら見事な復習劇だわ。

 

 私は角を曲がり、耳を澄ませ狩野君や他の人が付いてきてない事を音で確認し、四つ折にされていたラブレターもどきを躊躇なく開いた。


 そこにあったのは短い文章だった。


『お久しぶりです。魔法使い狩りが帰ってきました。狩野 宗谷』


 その文章量は部外者が見ても何も理解出来ない程に少ないのだけど、私には多くの疑問を投げかける。


『お久しぶりです』とあるので、狩野君と兄は今日以前からの知り合いだったのは確からしい。

 でも何故?

 狩野君は三年前より前の記憶が無い。

 世界を転々としているらしい彼が、三年の間に兄と知り合いになる機会があったのだろうか?

 いやそもそも私が知る限り、兄が会うのは妖花さんたちだけ。

 あとは仕事関係の人が二人いるぐらいだ。

 殆どを家で過ごしているし、男子中学生と知り合いになる接点があるとは思えない。

 それに仮に二人が知り合いだとしても、木村なんて苗字は珍しくも無い。

 いや日本でトップ五に入るぐらい多い苗字のはずだ。

 転校初日で、木村である私が、木村である兄の妹だって気が付くのだっておかしい。

 ただこの点に関しては、手紙を貰った時点で気が付くべきだった。

 

 それより気になるのは『魔法使い狩り』の方だ。

 私としては有難い事なのだけれど、どうやって兄を魔法使いじゃなくするのか。

 狩野君の家は結婚相談所でもやっているのかしら。

 

 あるいは狩野君が……。

 まさか……。

 嘘……。

 これは本物? 

 

 私は腐ってない女の子のつもりだったけれど、ちょっとワクワクしてしまうわ。


 ラブレターもどきは、やっぱりラブレターだったのかも!


 う~ん。

 あんな短い文章じゃ、いくら考えても答えは出てこなさそう。


 まだ狩野君がいるかなと思い、角から校門の方を覗いてみても、もう彼はいなかった。


 まぁ、いいや。

 狩野君には悪いけれど、やっぱり身内からそういうのは遠慮したいのよ。

 あ、誰か女の人を紹介してくれるなら、それでも良いかもしれないけれど。

 

 状況が分からない以上、私は私で『斉藤義理姉さん』作戦を実行するわ。

 兄に振り回される先生を見ておきたいしね。

 

 家に帰れば、私が最後の帰宅者だったみたいで、玄関には全員分の靴が並んでいた。

 

 そして玄関を開けた瞬間から私の胃袋を刺激する、美味しそうな晩ご飯の匂い。

 

 今日はカレーみたい。

 

 私はリビングのドアを開け、


「直ぐ食べる! 直ぐ準備するから用意しといて!!」


 ママにお願いすると、


「あらあら。今日も元気ね~。おかえりなさい。もう直ぐ食べられるわよ」


「ありがとう。ママ!」


「こら! 舞子。ただいまを言いなさい」


「はいはい。パパはいつもウルサイな。

 ただいま! 本当に直ぐ戻ってくるからね」


 私は洗面所で手洗いウガイ洗顔を済ませ、制服のままリビングに戻れば、豪華絢爛有難たカレーが席に用意されており、サラダもばっちりスタンバイされていた。


 私が席に座れば、父が「制服ぐらい着替えてきなさい」とか言うのだけれど無理よ。


「知らないの? 玄関開けたら二分でご飯なのよ。これ日本の常識!」


 だって、そうでしょ。

 私って育ち盛りだし。

 これは良い女になるためには仕方ない事なの。


 晩御飯を美味しく頂いた私は、気が付けば、兄や学校の事なんてすっかり忘れてしまっていたのだけれど……。


 部屋で着替えている時に、ママが来た。


「舞子~。妖花さんから電話よ~」          


「え? お兄ちゃんにじゃなくて?」


「うん。舞子に用があるんですって」


「分かった~。もう直ぐ着替え終わるから、ちょっとだけ待っててもらって~!」


 私は急いでパジャマに着替え、部屋のドアを開ける。

 子機を受け取り、ベッドに倒れこむ。


「お待たせしました。妖花さん。どうしたんですか?」


「うん。ちょっとね……。大した事じゃないのだけど、そろそろ一週間でしょ?」


「兄の誕生日……。からですよね?」


「そうそう。ちゃんと秘密を守っているかな~、と思って確認の電話なの」


「大丈夫ですよ。言いたくても言えないですから。

 他の二人も誰にも言って無いと思いますよ~。

 私たち三人でもあんな話しないし。

 出来れば記憶から消去したいぐらい、とお互い思っているのが手に取るように分かります」


「良かった。絶対に駄目だよ」


「用事ってそれだけですか?」


「えぇ。本当に本当に、駄目だからね」


 う~ん。妖花さんは心配性だなぁ。

 この後も四回ほどしつこく口止めされ、本当に用事はそれだけだったようで電話は終わった。

 

 ただ、この時になって私は学校での出来事を思い出し、兄の部屋に行かねばならない事を思い出した。

 

 嫌だなぁ。『斉藤義姉さん大作戦』は楽しい計画にはなりそうな気もするけれど、いざ兄に話しかけるとなると嫌で嫌でしょうがない。 

 

 部屋の前まで来ても、兄の部屋からは光も音も漏れておらず、あいつが寝てるのは確かなようだ。

 

 私が家を出る八時前にも寝ていて、今二〇時を少しすぎても寝ていると言う事は、どんだけ寝てんだ、この馬鹿は。


 とりあえずノックをするけれど、やっぱり返事は無い。


 ドアを開けて照明を付けてみれば、久しぶりに見るけれど、遠い過去の記憶とそんなに違わない、酷い部屋が私の視界に広がる。


 部屋の中央に布団を取り外された『コタツ夏ver』が置いてあり、その上に執筆用のノートパソコンと、趣味用のデスクトップパソコンが置いてあった。

 そして、後は本棚、本棚、本棚、本棚、そして本棚、あとベッドとクローゼット。

 説明終わり。

 ソコソコ小奇麗にはされているけれど、本棚だけしかないと言っても良いほど本棚だらけの部屋は、小説家っぽくも見えなくは無い。

 ただ隠される事なく堂々とエッチな本だけで占められている本棚が、二架ある。

 その背表紙を見るだけで、恥ずかしくなってくる。

 

 私って純粋無垢な乙女なのよね。

 

 肝心の兄は、小説を抱いて寝ていた。

 著者名は今岳 大人。

 

 自分がそんなに好きなのね、馬鹿兄貴。


「お兄ちゃん。起きてよ~!」


 私は演劇部で鍛えた自慢の大声で言うのだけれど、兄は「起きたぞ~」と寝ぼけて嘘を吐きながら寝返りをうつだけで全然起きそうに無い。


 親切な私は、兄の意を汲む事にした。

 大切な自分の小説に埋もれなさい。

 馬鹿兄貴。 

 

 恥ずかしい本棚から十三冊の『今岳』作の本を取り出し、両手一杯に本を抱え込みながらベッドの横まで移動し、兄にブックシャワーを浴びせてあげようとした時……。


 窓からそよ風が吹き込み、風鈴が鳴る。

 惜しい事に風鈴の音で兄は目が覚めてしまった。


「ま、舞子。何をする気なのだ?

 その大量の本をどうする気なのだ?」


 とか言うのだけれど、突然の事態に硬直したまま回避行動には移れないみたいなので、私は無言で兄の腹めがけてブックシャワーを降らせた。


「お兄ちゃん。ゴメンね。

 そばに自分の本があった方が良い夢を見られるかと思って……。

 でもビックリしちゃって落しちゃった……」


 兄は咳き込みながらベッドから降り、


「そういう事か。

 悪かったな。

 驚かしてしまって、せっかくの親切心を踏みにじってしまったな。

 我が愛しのライアーシスター」


 私はあっかんべーの舌を出してから、


「何度も起こしたのに起きない方が悪いんですよ~だ!」


 もう一発、嫌味をお見舞いしとく。


 私はコタツ夏verに座り、兄を呼び込みながら、


「それよりさ。お兄ちゃんって寝すぎだよ。

 何時間寝れば気が済むのさ。十二時間? 十三時間? 二十四時間?」


「舞子。お前は勘違いしているぞ。

 私は二度寝システムを採用しているのだ。

 四時間寝て八時間活動する十二時間リズムで生きているのだ!」


「ふ~ん。それは別にどうでも良いよ。

 ねぇ。演劇部では文化祭で演目をやるんだよね」


「それなら知っている。

 毎年見ているからな!

 言われなくても今年も行くぞ!

 安心して良いぞ。

 兄はお前をちゃんと見ている!」


「違うわよ!

 って言うか毎年来てたのか……。

 まぁ、いいや。

 なんかね、お兄ちゃんに劇の台本を書いて欲しいんだって」


「おぉ! そういう事か! 任せるが良い。

 舞子のためなら何本でも書いてやるさ!」


「一本で良いってば。それと言っとくけど、中学校で使う台本だから、エッチなのは駄目よ」


「任せなさい! 私はむしろその方が得意なつもりだ!」


「じゃあ、エッチな小説を書かないでよ。ったく」


「無理を言うな。舞子。

 良いか?

 私が高貴な志を持ち魔法使いを目指し、その目標を達成出来たとしてもだ。

 性欲には逆らえないように出来ているのだよ。

 男の子ってやつはな。男=Xとする時、X=エロが成り立ってしまうのだ!!

 仕方が無いのだ!!」


「知るか!」


 妹の前で性欲とか生々しい言葉使わないでよ!

 それに子は無いでしょうが。三十歳が。

 しかも完璧な論理武装をして反論の余地を残さない所もムカつく。

 

 私は話の流れを変える為に、鞄からクリアファイルを取り出し、


「これ。みんながこの日のために考えたお話だって。

 でも何人かがお兄ちゃんに一任したいから、参考資料として渡しとけってさ」


「ふむ。なるほど。だが本当に参考程度にしか目を通さんぞ」


「それは別に良いんじゃない?

 ただね……。『魔法』の劇をやりたいんだって。

 これは絶対条件なんだってさ。

 映画にでも影響を受けたのかしらね。みんな子供すぎるのよ」


「ふむ。まぁ、任せなさい!

 私に任せておけば全て大丈夫だ!

 丁度仕事も一段落したしな。

 私の全ての時間をこの台本に捧げようではないか!!」


「あ~。そんなに気合入れなくて良いよ。

 まずはどの劇をするか投票するの。

 だからあらすじ程度で良いよ。

 来週持って行くから、日曜の夜までにお願い」


「そうか」と兄は空返事を返しながら凄く貴重で珍しい真剣顔でルーズリーフを読んでいたので、私は黙って部屋を出ようと立ち上がった時、


「舞子。これはなんだ?」と狩野君のラブレターをクリアファイルから取り出し聞いてくる。


「え? えっとね。

 て、転校生が来たの。

 お兄ちゃんに渡して欲しいって頼まれたんだよ。

 中身は見ないでって頼まれたから全然分からないの!!!」


 うっかり存在自体を忘れてしまってた私は軽くパニック状態だったのだけれど、兄は中身を確認してから

 

 「本当に見て無いんだな?」

 

 と問い詰めてくる。

 

 真剣顔のままの兄に見つめられ、ドギマギしながらも、


「本当よ! 内容がラブレターっぽいなぁ~って思っただけ! 中身は予想つかないわね」


「ふむ。なら……。良いんだ」


 嘘を突き通せた。

 少し落ち着きを取り戻してきた私は、更に完璧な嘘にするため、


「どんな内容だったの?」

 

 と見事なまでの策を巡らす。


「ひ・み・つ!」

 

 と兄はカワイイつもりらしい表情を作り、

 

 「エヘ。テヘ。キャピキャピ!」

 

 とかほざいた。

 何コレ流行ってんの?


「はいはい。カッコ、三十歳引きこもり、カッコ閉じ」


 私は内心呆れながらも、なんとか狩野君のラブレターを見た事を隠し通せたという、したり顔で部屋を後にする。


 でもあの手紙は何だったのかしら。

 う~ん。兄にも深く追求出来なかったし、狩野君に聞いてしまったらラブレターを見た事がバレてしまうかもしれないし、気になるけど分かんない事は忘れちゃえ!


 その後、少しの勉強をし好きなテレビ番組を見て、私は布団にもぐった。

 

 劇の事やら斉藤先生の事や狩野君の事など、色々考える事はあったのだけれど、それらを考えるスキも無く、私は直ぐに眠りに落ちた。

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