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「真紀、ちょっと出かけてくるから。お留守番よろしくね!」
リビングで有名私立高の問題集を広げ、ウンウン頭をひねっていたら、足取り軽くお姉ちゃんがやって来た。よほどゴキゲンのようで、「よろしくね」の語尾が半音上がり、「ン」の音が混じる。
間続きになっているキッチンへ行って冷蔵庫のドアを開けると、お姉ちゃんはコラーゲン入り栄養ドリンクを一本取りだした。ふたを開けたとたん、ゴクゴクと一気に飲み干す。
見たところ、今日のお姉ちゃんのファッション・ポイントは脚見せだ。ひざ上ロールアップパンツから伸びた、お姉ちゃんご自慢の細い脚が悩ましい。ダイヤ柄の黒タイツは昨年買ったもの。白のタートルネックのニットに包まれた丸い胸がツンと上向いているので、この前通販で購入したばかりのボリュームアップ・ブラを使っているな、とすぐにわかった。
妹のわたしが言うのもなんだけど、お姉ちゃんはめっちゃ貧乳だ。それは、身内としての謙遜ではなく。わたしより四つも年上のくせに、胸の成長だけ忘れてしまったのではないかと思っちゃうほど、そら恐ろしくペッタンコなのだ。
機能派ブラにより他人の目をごまかすことができても、妹の目だけはごまかせやしない。一緒にお風呂に入らなくなってから久しいけれど、証拠ならつかんである。シャンプー液の詰め替えをしようと洗面台の横にある棚を探したとき、引き出しの奥から見慣れないピンク色のチューブが出てきたのだ。
なんだろうと思って、手に取ってみたら、ラベルにバストアップ用マッサージジェルの表示があった。しかも、おフランス製。こんなヤツ使うの、我が家にはお姉ちゃんしかいない。
「どうぞ、ごゆっくり」
思いっきり皮肉を込めて、わたしは笑顔で答えた。同時に、心の中で毒づく。
――あーあ、ハリきって赤のグロス塗りたくってさ。スプラッター映画のキャラみたいでキモいよ。
どうせ今夜も遊びに行くのだろう。お姉ちゃんのメイクは、思いっきり派手だった。香水までつけているせいか、むせ返るほど部屋中に匂いが充満し、マジで半端ない。なんて大メーワクなの。出かけるのなら、黙ってとっとと行ってほしい。
それなのに、お姉ちゃんはリビングを素通りせず、わたしの横に立つと、どかっと腰を下ろした。わたしのお尻の下のソファが弾む。
「ひゃっ!」
おかげでバランスを崩し、起き上がりこぼし人形みたく、コロンとひっくり返ってしまった。
「も~う、なんなのよう。こっちは勉強してるのにさあ」
ブツブツ言いながら、ソファの背につかまって身を起こした。すると、お姉ちゃんがにんまりと唇の端をあげて、わたしを待ち構えていた。
「なーに、その返事はあ。さては、うらやましがってるな。フフン、もっとうらやましがりなさい」
お姉ちゃんのスゴイところは、どの角度から顔を見せると可愛く見えるか、ちゃんと計算していることである。
テーブルの上で両手を組んで、尖ったあごを乗せながら、お姉ちゃんはグラビア・アイドルみたいに下側斜め四十五度の角度から、わたしに視線を向けていた。長いまつげの下の、くっきりとした縁取りの中の目に、ムスッとしたわたしの顔が映っている。
本能でやっているのかどうか知りたくもないけれど、実の妹で恋の技を試さないでほしい。だって、お姉ちゃんの瞳に映る自分を見るたびに、その圧倒的なちがいにため息が出てしまうんだもの。つまり、お姉ちゃんは誰もが納得するほどの美人で、わたしはへーへーぼんぼんの女子高生なのだ。
「ぜーんぜん、うらやましがっていないもんね。っていうか、逆に憐れんでいるの!」
ダメダメ! お姉ちゃんのペースに乗ったらダメだ。
――集中、集中!
再びテスト勉強に取り組もうと問題集の両端をつかんで、勢いよく顔の前に持ってきた。お姉ちゃんを一歩たりとも自分の視界に入れさせないために、ページの間に顔を挟む。
可笑しそうにクスクス笑う、お姉ちゃんの声が聞こえた。
「そんなんじゃ字、見えないよね。ホント、あんた子供なんだから~」
顔から問題集のページまでのあいだ、およそ三センチ足らずの距離。お姉ちゃんの言うとおり、この至近距離では字を読めるはずがない。それでも、わたしは適当な問題を声に出しつつ、さりげなくお姉ちゃんを無視した。
「えーと、なになに。問三は、国民の三大義務を述べよ、か。こんなのカンタンだって。勤労、納税、教育っと」
このバトルは本当に馬鹿げていて、まったく意味がないものなんだけど、だからといって売られたケンカを真正面で買うほど、わたしは暇じゃない。挑発しようとしたって、その手に乗るもんか。
すると、お姉ちゃんは作戦変更をしたらしく、「ま、そんな意地っ張りなところが、カワユイんだよね」と手を伸ばしてきた。
「あっ!」
グイッと引っ張られ、顔前にあった問題集がさらわれてしまった。お姉ちゃんが横から手を出して取っていったのだ。
「ちょっと、邪魔しないで! って、この間言ったばかりだよね。お母さんに言いつけるよ」
そんなわたしの頭の上に手を置いて、お姉ちゃんは「いい子、いい子」と髪をくしゃくしゃにするのだった。
いつもは、こんなことしないのに。
お姉ちゃん、どうしちゃったんだろう。




