02 「チョコ味の湿布はありますか」
昼休み、早々に学食で昼食を終えて保健室を目指す。朝担任に指示された通り、保険の佐藤先生に指示を仰ぐためだ。
すれ違う人々がぎょっとした目で二度見するけど、流石に慣れてきた。朝から何処行くにしても注目の的だ。最初こそ目を伏せていたものの、次第に面倒になったので堂々と歩くことにした。
こういうのは気の持ち方が全てだ。色眼鏡上等、文句があるならかかってこい。
そんなこんなで歩いていると、金髪美少女とすれ違った。
……金髪美少女と、すれ違った。
艶のあるロング・ブロンド。手足はすらりと長く、出るところは出てひっこむところはひっこんだモデル体型。純正日本人がどれほど切望しても手に入らないナイスバディの上には、人形のように美しい顔が燦然と輝いていた。
鼻は高く、唇はぷっくらとアヒル口。頬はきゅっとしまっており、余計な染みもニキビも何一つついていない。
帰国子女だか留学生だか分からないけれど、こうも完璧な美少女っぷりを見せつけられると種としての同一性を疑う。ああ母上様、どうして私は日本人なんでしょう。それはね、おばあさまが日本人だからなのよ。
学園生活という日常に穿たれた青天の霹靂に、思わず振り返って二度見してしまう。見れば、彼女も振り返っていた。自然、目があった。
開ききった瞳孔と、目があった。
*****
「楓、楓ー! なんか面白いの拾った!」
金髪美少女は片手で私を抱えたまま、保健室の扉を一閃するなりそう叫んだ。
どうしてこうなったかは分からない。気がついたら金髪美少女に抱えられて拉致された。何を言っているかは分からないけど、私も何がなんだか分からない。
「フィー、変なものを拾ってくるな。元の場所に捨ててこい」
「でもでも楓! ***目だよ***目! 激レアだよ!」
「***目を珍獣扱いしないでください」
美少女の腕の中から脱出し、保健室の中を見渡す。楓と呼ばれた女生徒がパイプ椅子に腰掛けて、ファッション雑誌をめくっていた。
「高等部1年2組、桐堂亜衣です。保険の佐藤先生はいらっしゃいますか」
「見ての通り居ないが。どうした、怪我か?」
「いえ、保健委員なのですが、ここ1週間休んでいたので指示を仰ぎに参った次第です」
「ああ、お前が入学式にぶっ倒れた奴か。ちょっと待ってろ」
女生徒はファッション雑誌をうつ伏せにして、養護教諭の机を漁った。机の上に設置されたラックから一枚のプリントを抜き出すと、私に手渡す。
「それ、読んどいて」
それだけ言うと、女生徒はパイプ椅子に座り直して再び雑誌を開いた。手渡されたプリントを2つに折り、失礼しますと声をかけて保健室の扉を開いた。
「ちょっと待てや」
金髪美少女に補足された。
「……なんですか」
「何で普通に帰ろうとしてるのよ!」
「私の用事は済んだのですが」
「私たちの用事が残ってるの!」
「俺は用なんて無いぞ」
相変わらず雑誌に目線を落としたまま、女生徒はひらひらと手を振る。常識的なのか非常識なのかよくわからない人だ。
というかこの女生徒、俺っ娘か。
「ねね、なんで***目なの? どうやってるの? カラコン?」
「そのままお返しします、なんで瞳孔全開なんですか。怒ってるんですか笑ってるんですか怖いんですけど帰りたいんですけどチョコ食べたいんですけど」
「どうでもいいが、騒ぐなら外でやってくれ。保健室は静謐と湿布の聖地だ。それ以上騒ぐなら水をたらふく吸った湿布を口の中に突っ込む」
「チョコ味の湿布はありますか」
「あったら食うのか。えーと……」
「桐堂です。桐堂亜衣」
「そう、桐堂後輩。柚木原楓、2年3組保健委員」
「そういえば自己紹介もまだだったね。フェリシア・キャンベル。同じく2年3組よ、よろしくねー」
金髪美少女――キャンベル先輩はにこやかな笑顔で私の手を取り、ぶんぶんと縦に振り回す。あまりよろしくしたくない人種の人だ。こういう勢いのある人はなあなあで主導権を握られて、気がついたら引きずられてることが往々にしてある。
ようやく私達に興味を示したのか、女生徒――柚木原先輩が雑誌を閉じて顔を上げた。そして私の目を見て、固まった。
柚木原先輩は中腰の姿勢で器用に固まったまま、私を凝視する。次第に口元が緩んでいき、つり上がった目は爛々と輝いていた。
「おい、桐堂後輩。どうして君は***目なんてしてるんだ。何かあったんだな? 大丈夫だ、この優しい優しい先輩に任せるといい。何があった、話せ」
柚木原先輩は満面の笑みを浮かべ、人間業とは思えない足運びでこちらににじり寄ってきた。思わずのけぞる。
「何もないです近寄らないでください、朝起きたらこんな目になってたんです近寄らないでください。ですから何でもないんです近寄らないでくださいってば!」
「嘘をつくんじゃない、桐堂後輩。突然***目なんかになるわけがないだろう。相手を庇ってもいいことは無いぞ、正直に話すんだ。安心しろ、俺たちは君の味方だ」
「初対面の相手に味方だって言うほど胡散臭いことは無いと思いませんか」
「信頼は時間よりも密度だとは思わないか」
「密度と密着は違うと思うんです。いい加減離れてくださいよ!」
必死に押し留めると、柚木原先輩はようやく少しだけ私から離れた。それでもパーソナルサークルを大幅に侵略している距離感だけれど、目と鼻の先よりは幾分か落ち着く。
少し離れて、柚木原先輩を睨みつける。長身短髪のしなやかな痩躯に、つり上がった狐目が特徴的だ。狐目の女は、妙にそわそわしながらも私の目から視線をずらすことは無かった。
「ねー、面白いでしょこの子ー。これは綿密な事情聴取が必要だとは思わない?」
「そうだな、これはどんな手を使ってでも吐かせ――もとい、相談に乗らねばなるまい。いやはや、こんなに早く厄介事が舞い込むとは僥倖じゃないか」
「キャンベル先輩、私は自分のクラスに戻りたいのです。この白玉のように美しいお手を離してもらえませんか」
「フィーよ。キャンベル先輩じゃなくて、フィー」
「キャンベル先輩、離してもらえますか」
「犯すわよ」
「……フィー先輩」
そう呼ぶと、フィー先輩はようやく手を離してくれた。それでも自然と出入り口の前に陣取る辺り逃がすつもりは無いらしい。1つため息をつくと、昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
*****
「じゃあ、本当になんでも無いんだな?」
「むしろ理由があったら知りたいですよ。私だって困ってるんです」
時間は既に5時間目の授業中、パイプ椅子に縛り付けられて延々と質問攻めにあっていた。新学期早々サボったりして、単位は足りるんだろうか。あはは。
「そうか、なんでも無かったのか……。いやはや長いこと引き止めてしまってすまない、桐堂後輩」
「本当になんでもないんだ……。ごめんね、亜衣ちゃん。付きあわせちゃって」
私も憔悴していたけれど、それ以上に先輩方は落胆していた。どよどよとした雨雲が頭の上に浮かんでいるのが見えるくらいに。
「そのね、ごめんね。悪気は無いんだよ。ただちょっと、刺激が欲しかっただけで」
「刺激? 罪のないイタイケで穢れまとわぬ純真無垢な後輩を授業時間中に拘束して、延々と質問攻めにするのが先輩方の求める刺激なんですか?」
「あぅ……。違うの、そうじゃないの。ひょっとしたら亜衣ちゃんが何か事件に巻き込まれてるのかもしれないって思って、その助けになれたらなって」
「まあ、早い話が厄介事だ。暇なんだよ俺達。なんか面白いことあったら教えてくれ」
「厄介事ならありますよ。瞳孔の開いた金髪美少女に拉致されて、狐目の女に尋問されました」
「その案件に関しては対応部署が存在しない、他を当たってくれ」
「これだから公務員は嫌いなんです」
今日になって何度目かのため息をつき、立ち上がる。
「どうした、桐堂後輩。今更授業に出ても出席には数えられないぞ」
「出席日数のために授業を受けるんじゃないです。ただでさえ1週間も遅れてるのに、これ以上サボったら取り返しがつかなくなります」
「真面目だねー、亜衣ちゃん。私が教えてあげよっか? 英語なら得意だよー、ほらほら座って座って」
「勘弁してください……」
ひらひら手を振って、私は振り返ること無く保健室の扉を開いた。