第5話・人生っていうのはね、一人につき一回限りしかないものなのよ
「? どうしたのです、勇者様?」
――マキの声だ。
あれ……? 辺りがやけに静かなような……。俺はさっきまで、何をしてたんだっけ……。
「ゆーうーしゃーさーまー」
再びマキの声を聞き、俺はやっと意識が覚醒した。
――そうだ! さっき俺らは、よくわからないタコ足の女に襲われて……!
「マキ!!」
俺はマキの両肩を掴んだ。
「――マキ! 大丈夫か!? 痛むところは!? あのモンスターと女はどこへ行った!?」
「突然、なんの話なのです? 別に痛いとこもないのですよ。……しいていえば、今、勇者様に掴まれてるのが少し痛いのです」
「っ! ごめん!」
俺は慌てて手を離した。
一旦、落ち着いて状況を整理しよう。
周りの景色を確認する――見覚えがある。ちょうどレベルアップした、あの場所だ。
剣を確認してみるが、あのとき折れたはずの刃は折れておらず、しっかりと剣の形を残していた。
――状況は把握した。俺はあのとき、モンスターの尻尾に押し潰されて死んだんだ。そして、最終セーブポイントであるここへ戻ってきた……と。
その際に、壊れたものも元通り戻ったってわけだ。
マキはあのときのことを覚えていなさそうだし……やっぱりこの力は、俺だけが記憶を持ったまま、セーブ地点まで時間を遡って戻ってくる……って感じか。
――なら、今頃リアムは、この先でモンスターたちと戦っていることになる。
タコ足の女が現れる前に、早く逃げるように伝えないと、リアムがやられちまう!
「急ぐぞ、マキ! 早くリアムの元へ行こう!」
俺はマキの手を握って、リアムの元へ走り出した。
「ゆ、勇者様!? 一体なんなのです〜!」
――どうか持ち堪えてくれ、リアム。
「何がなんだかサッパリなのです! 勇者様、急にどうされたのですか?!」
「悪い、マキ。あとでちゃんと説明する! 今は俺についてきてくれ!」
リアムのいた場所まで来た。ちょうど魔獣を倒し終わるところだった。どうやら、あの女が現れる前には来れたらしい。
「マキはここで待っててくれ。ちょっとリアムのところに行ってくる」
「え……。なぜわたしは待つのです?」
万が一、マキをあの戦いに巻き込んではいけない。俺は待っているよう再度お願いし、マキを木の影に残し、リアムのところへ行った。
「――リアム!」
「おー! ユータじゃん! あれ、マキは? ……あ、もしかして、フラれたってやつか?」
「そんな冗談付き合ってる場合じゃねぇんだ! 今すぐこっから離れるぞ!」
「What? どうして……?」
「いいから!」
俺はリアムの手を無理矢理引いてこの場を離れようとした――しかし。
「どういうことだ?! 出られねぇ!」
一旦マキの元へ戻ろうとしたが、何やら透明な壁のようなものに阻まれ、これ以上先へは進めなくなっていた。
なぜだ? リアムのほうへ行くときは、こんな障害なかったのに……。
「……Probably……『バトルからは逃げられません』、みたいなそんなやつじゃないか? オラ、さっきまでバトルだったし。Oh……オラ、倒したのに、ケーケンチもらってない!」
リアムは今更経験値がもらえていないことに気づいたみたいだが……今はそれは問題じゃない。
それよりも問題なのは、バトルの参加はできるけど、『逃げる』ことはできないという可能性が浮上してしまったことだ。
「勇者様!」
立ち往生していた俺を見てか、マキもバトルフィールド内に入ってきてしまった。
「マキ! そこで待ってくれって……」
「どういうことかわからないのですが、ただ勇者様を見ているなんて嫌なのです! 何があっても、わたしは勇者様といっしょにいるのです!」
「……マキ」
――こうなったら、しゃあねぇ。もっかいリベンジといこうじゃないか。
「――あらあら。まさかエサがこぉんなに寄ってたかるなんて」
……ついに現れた。タコ足の女だ。
タコ足の女は、やはり俺を見て目を細めた。
「わたしって、なんて運がいいのかしら。勇者の顔を拝めるなんてね。お散歩して大正解だわ」
タコ足の女は手を二回叩いた。
「――アンタら、まとめて……」
「――お前ら! できるだけコイツから離れろ!!」
あのモンスターが地面から飛び出した。
俺の言葉を瞬時に聞いてくれたマキとリアムは、その衝撃でダメージを受けることはなかった。もちろん、俺もノーダメだ。
「なんでアンタ、今のがわかったのよ……?」
タコ足の女は顔を歪めた。
「一度、ソイツに殺されてるんでね」
「……はぁ?」
と、俺も余裕を噛ましてられるのもここまでだ。
「リアム! 不本意だろうけど、今は俺たちと協力してくれ! モンスターの相手を頼む!」
「なんだ、ユータは逃げるのか?」
「俺は別ですることがあんだよ。いいから頼むぞ!」
「オーケィ、オーケィ」
今度はマキを見た。
「マキ。急なことで悪いが、リアムといっしょにモンスターを頼む。……大丈夫か?」
「もちろんなのです。わたしは、いつでも勇者様の味方なのです!」
――ああ。本当、マキと仲間になれてよかった。
リアムとマキはモンスターに向かった。
俺は操り主である、タコ足の女の元へ走る。
タコ足の女は、あの巨大なモンスターを操っている。なら、俺の攻撃に対して反応ができずにダメージを与えられるか、もしくは反応遅れるか……どちらにしても、俺のほうが有利なはず。
そのまま運よく勝てるか、勝てないとしても、あの女にダメージはいれられるはず!
俺は地面を蹴り、剣を振り上げた。
「くらえっ! 俺の必殺――」
「隙が多いこと。本当に勇者?」
その直後、腹に重い打撃を受ける――剣を振り下ろすことも叶わず、俺は口から血を吐いて地面に蹲った――ゲームのさんよ、そんな忠実に怪我の再現なんかしなくていいのに……と内心嫌味を垂れつつ、腹部の痛みを耐えるのに精いっぱいだった。
「今のうちなら、わたしにダメージを与えられると思ったの? 舐められたものねぇ……。モンスターなんて片手で十分、操れるのよ」
タコ足の女の触手が俺の上に乗る。あまりの重さに身体が悲鳴を上げた。
「……ガ、アガ……!」
「顔を上げなさい、坊や」
一本の触手が俺の顔を持ち上げた。
「せっかくだし、あの子たちが死ぬところを見せてあげる。そのあと、アンタも逝くといいわ」
「ふざけんなっ! そんなこと――」
「いいから見ていなさい、負け犬」
俺は身体を動かそうとするが、全く動かない。動かない上に、全身が痛くて堪らない。
つぐつぐ思う。ゲームを始める前は、この最新技術に喜んでいたが……今となっては最悪の機能だ。
マキとリアムは必死にモンスターと戦っているが、攻撃は全く効いていない。
二人の顔に、疲れの表情がありありと見えた。
「…………マキ……リアム……」
モンスターに向かって、魔法を放ったマキは、俺の様子に気づいたのか、ふとこちらを見た――そして、その表情は悲しみものへと瞬時に変化した。
「勇者様!!」
「マキ! 余所見するな!」
マキの頭上にはモンスターの尾が容赦なく振りかかろうとしていた。マキはギリギリで躱し、タコ足の女との距離を詰めながら、杖を構えた。
「〈ホムミ〉!」
マキの杖の先に小さな炎の渦が生まれ、渦が玉状に形を変えた刹那、それはタコ足の女に向かって発射された。
「しょっぼい魔法ね」
タコ足の女は即座にその触手で炎の玉を揉み消してしまう。
「――温まるほどでもないわ」
タコ足の女は、そのまま、その触手でマキを地面に叩きつけた。
「マキ!!」
地面に倒れたマキは、もうぐったりして動かない。
「弱い……弱いわねぇ。たった一撃で死ぬなんて」
タコ足の女は何が面白いのか、腹の底から捻り出したような、気持ち悪い笑い声を上げた。
「……ウソだろ、マキ……?」
呼びかけるが、マキは全く反応を返さない。地面に顔をつけたまま、ピクリとも動かない。
「そろそろ、アイツも片づけるとするわ」
タコ足の女の言葉を受けて、モンスターは地面に潜り込んだ。
「Where――」
地面からモンスターが大きな口を開けて現れた。
リアムは為す術なく、モンスターに飲み込まれていく。
「いい子ね、もういいわよ。残り一人はわたしが殺るから」
タコ足の女はそう言い、モンスターは地面の上に唾を吐き捨て、土の中に潜っていってしまった。
――違う。ただ唾を吐き捨てたわけじゃない。乱雑に、リアムを吐き出した。
胃液にまみれたリアムには、痛々しく首に噛まれた痕が見えた。その瞳に、もう光はない。
喉からせり上がるものを堪え、下唇を噛んだ。
マキも殺られて、リアムも殺られた。
俺が、タコ足の女の攻撃を誤ったから。
再び、動かないマキを見つめる。
目を凝らしてみると、マキのステータスが浮かび上がって見えた。
〈DEAD〉
その文字は、ありありと現状を俺に突きつけた。
……同時に、ここでひとつの疑問が生まれる。
ここはゲームの世界だ。死んでしまった――この世界において言い換えれば、ゲームオーバーになってしまったこの状態、普通は本体なんてこの残らず消えてしまって、RPGでいうと教会か……それかどこか安全な場所で蘇ってまたゲーム再開……なんて流れになるものじゃないだろうか?
同じパーティーだから、俺が生き残っている影響でマキがあのままだとか……? いや、それだったらリアムはどうなる。パーティーになったわけじゃないのに、リアムはずっと地面に倒れたままだ。
俺は何度も倒れては、セーブポイントで生き返っている。
――いや、俺の場合はまた少し話が違う、か。
それでも、どうしてマキも、リアムも倒れたままなんだ?
「あら、何をそんなに不思議そうな顔をしているの?」
タコ足の女が顔を覗かせてきた――いくらその顔が整っていようが、俺にとっては嫌悪感と腹立たしいものにしか思えない。
「あんな死体をじっと見つめて。なにか変なことでもあった?」
癪に障るが、少しでも情報を得られないかと、俺はひとつ聞いてみることにした。
「……身体……が、そのまま、残っているから……」
触手が首に巻き、呼吸も苦しいせいで、言葉がスムーズに発せなかった。
「なんで、ずっと……消えずにそのまま……なんだ?」
俺の発言が予想外のものだったようで、今度はタコ足の女の方が不思議がっていた。
「……ちょっと何を聞いているのかわからないのだけれど。そんな一瞬で、死体が土に還るわけないでしょ?」
「そう……じゃ、ない。なんで、すぐに生き…返らない…んだ」
そう聞くと、タコ足の女は吹き出し、大声を上げて笑った。
「仲間を殺されて、アンタの常識までおかしくなっちゃったのね! いいわ、死ぬ前に教えてあげる。……人生っていうのはね、一人につき一回限りしかないものなのよ」
触手が、ゆっくりと俺の首を締めつけ始めた。
「――この世は、死んだらそこで終わりなの」
死んだら、終わり。
ゲームオーバーになってしまったら、終わり?
じゃあ、現実世界の俺らは、どうなっているんだ?
二人は現実世界で目覚めてる……なんてことはないのか?
まさか現実世界でも目を覚まさずに眠りつづけている……なんてこと、ないよな。
――ありえない。ゲームで死ぬなんてことがあるわけない。
そうだ、このタコ足の女が適当を言っているに決まっている。
――でも、もしコイツの言葉が、そっくりそのまま、文字どおりだったら……。
「それじゃ、あなたもおやすみ」
――仮に、セーブポイントまで俺が戻れたとして、マキとリアムは、そこにいるのだろうか。
考えがまとまらない中、最後のトドメと言わんばかりの力で、首が絞めつけられた。
「……ガハッ」
最後の息が喉の奥から漏れ出て、ゆっくりと目を閉じた。