第79話 忍び寄る陰
<<ロン視点>>
「ロオオォォォン!」
キュウか!?
「キキュウアアァッ!」
間違いない、キュウの警告の鳴き声だ!
奇襲、上方!
軸足をひねり、前へ踏み込もうとしていた身体を無理やり右へずらす。
その直後、上から人の胴より太いキマイラの腕が降ってきた。
この翼泥棒、いつの間に腕を振り上げてやがった?
ダメだな、まるで敵の動きが見えてなかった。
さっきの声がなかったら、まずかったかもしれない。
だが、さっきの鳴き声は確かにキュウだ。
その前、俺の名を呼んだのもキュウだろう。
振り返らなくてもわかる。後ろから走り寄って来るのを感じる。
キュウが初めて俺の名をはっきり呼んでくれたのが、暴れる俺を止めるためか。
情けないな、我ながら。
「グルルルルル……」
俺の様子が変わったのに気付いたのか、キマイラは攻勢を止めた。
みっつの首でこっちを見ながら、ゆっくりと歩き俺の横へと回り込もうとしている。
俺の身体が、じんじんと熱い。
槍を握り直すだけで、全身に軽い痛みが走る。
怒りのままに動き過ぎたのかもしれない。
キマイラの攻撃、直撃は食らっていないが、ギリギリのやつは何回もあった。
腕や足はまだ動くが、いずれは限界が来るだろう。
さっきまでの俺なら、それにすら気づけないまま動き続け、いつかは殺られていた。
ここで冷静になれたのは、キュウのおかげだ。
キュウには感謝してもしきれないな。
「ロォン!」
「そこまでですキュウ! ロンにそれ以上近づかないで! 危険ですから!」
この声、カエデも一緒か。
ほとんど誰にでも「さん」をつけるカエデが呼び捨てとは珍しいな。
それだけ焦ってたってことか。
「俺は大丈夫だ! まだやれる! カエデ、キュウを安全なところへ!」
「やだ!」
「いや、そこは言うこと聞いてくれよキュウ」
「やだ!!」
視線をキマイラから外すわけにはいかない。
なんとかキュウをなだめたいとこだが、カエデが無理やり連れて行ってくれないかな。
いや、カエデよりキュウの腕力のほうが強いか?
「グキキキキ」
俺たちの言い合いの内容がわかっているのかいないのか、キマイラが足を止め、かん高い鳴き声を上げる。
何だ、その視線。もしかしてキュウを見てるのか?
目玉に槍をぶち込んでやろうか?
「よーし、いい子だ。そのまま止まってな?」
不意に響いた、その声とほぼ同時。
キマイラの背中、ネズミの首元の影が盛り上がり、人の腕の形を成した。
それに握られたのは、黒塗りの短剣。
「グキイアァッ!」
キマイラも反応したが、遅い。
短剣がネズミの首の延髄に叩き込まれる。
ガラスで岩を引っ掻くような不快な高音が響き渡った。
「固ってえ!」
声の主、ムスタの握る短剣が弾かれた。
影の黒色が飛び散るように消え、入れ替わりにムスタの姿が現れる。
ワーラットの上半身がムスタへ向き直り、その牙と爪がムスタへ伸びる!
「なら、こっちだ!」
ムスタが後ろに飛び退きながら腰に下げられた布袋をつかみ、キマイラの首もとに投げつけた。
袋の中から黄色い粉が撒き散らされ、キマイラの頭にまとわりつく。
「ゴゲエエェッ!」
いままで余裕たっぷりだったキマイラが、初めて苦しみの鳴き声を上げた。
「よーしよし、こっちは効くな」
ムスタはもがくキマイラの背中を蹴り、宙返りして器用に着地した。
「キュウウウウッ!」
後ろからキュウが俺の腰のベルトをつかみ、後ろに引っ張ってくる。
「みなさん、ひとまず無事のようですね」
続けて剣を抜いたカエデが俺の横に並んだ。
「キュウは下がってて。ロン、あなたも少し距離を取ったほうが」
「ああ、って、キュウ」
キュウの背中。
背中の翼が、無い。
せっかく翼が返ってきたと思ったら、また逆戻りか? なぜだ?
いや、予想できるよな。犯人は目の前にいる。
あいつだ。
地面を転がって、今まさに緑の翼を汚し続けている、あいつだ。
この翼泥棒が、どうしてくれよう。
「ロン、やる気ですか? 今なら隙だらけですし、攻めるのも一理ありますが」
「そうだな、やるか」
「やめー!」
「やめときな。近づいたら、僕が撒いた毒の煙を吸っちまうぞ」
斬りかかろうとするか相談する俺とカエデに、キュウとムスタの制止の声が飛んだ。
「まったく。正気だよな、ロン? 僕がわかるか?」
いつの間にか俺の横側、微妙に離れた位置まで来ていたムスタは、片目を細めて俺の顔をのぞき見てきた。
「か弱い僕に襲ってくるなよ? 頼むから」
「どういう意味だよ」
「あらゆる意味でだよ。ま、一応は大丈夫そうだな。もし襲われたらアレを鼻に詰めてやるつもりだったけど」
ムスタが横目でキマイラを見る。
キマイラは無様に地面を転げまわり、あたりの壊れた建物に激突してさらに悲鳴を上げている。
そしてムスタの投げた黄色い細かな粉末は、普通ならすぐに飛び散るはずだが、蛇のようにキマイラの頭に絡みついて離れない。
「アレって、あの黄色の煙のやつか?」
「ああ。僕が情念込めて作った特性の毒薬だよ。効果テキメン、粘り気バツグン」
「そういうのに込めるのは情念じゃなくて丹精ってやつじゃないのか?」
「呪術に丹精込めるって言葉は似合わないねぇ」
なるほど、あの粉薬は呪術がらみの毒薬か。
「しっかし、あんまり効いてねえな」
「あれで効いてないのか?」
キマイラは今にもこの場で嘔吐しそうなくらい苦しんでるが。
「あれは本来なら、ヒポグリフみたいな大型魔獣だろうが涙と鼻水とヨダレと咳とくしゃみが止まらなくなって、ついでに全身が麻痺していって、そのまま動けずに自分の体液で溺れ死ぬようなシロモノなんだよ」
「またエグイものを……。ちょっと待てムスタ、お前まさかそんな猛毒を俺にぶつけるつもりだったの?」
「ロンにやるのはちょっとだけ薄めたヤツだよ。それに解毒剤だってあるから安心しな」
「ちょっとだけってなんだよ。もっと薄めなきゃダメだろ」
軽口を叩きながらも、キマイラの監視はゆるめない。
まだまともに動けないようだが、ほんの少し、暴れ方が大人しくなってきている。
あれは力尽きようとしてるわけじゃないな。
おそらく、苦しみに慣れてきている。
「あの毒だけじゃ仕留めきれないんじゃないか?」
「みたいだな。それに急所にも刃物が通らなかった」
そう言ってムスタが黒塗りの短剣を取り出した。
先端の刃が欠け、全体が少し折れ曲がっている。
「骨と骨の隙間をきっちり狙ったんだけど、狙う場所とかそれ以前の問題だったな。皮からして固すぎる。まるで岩の塊だ」
ムスタが、鞘に収まらなくなった短剣を右手でくるくると回す。
「けどロンお前、よく槍一本で今まであいつを抑えられたよな。後脚とか、けっこうでかい傷がついてるじゃないの」
「正直なところ、同じ場所に何度も切りつけたぐらいしか覚えてない」
怒りのままに槍を振り回していた時のことは、本当に断片的にしか覚えてない。
当てられる場所に力任せに槍を叩き付け、攻撃が来たら反射的に避ける。ただその繰り返しだった。
「それに、相手の傷はどれも致命傷にはほど遠いぞ」
「みたいだねぇ」
キマイラについた傷口はどれも浅く、血が少しにじみ出る程度だ。
石のような皮膚からして、斬撃は効果が薄い。
「アニキ! みんな! カブトイノシシはあと一匹だけだよ!」
屋根の上で四つんばいになったマールが声を上げる。




