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第77話 逆鱗

 低く重い羽ばたきの音が防壁の向こうから聞こえる。

 大きく、不自然な形の影が防壁から垂直に上昇し、太陽を背に翼を広げた。


 逆光で黒くしか見えないが、確かに羽根がいっぱいある。

 突然変異のヒポグリフ?

 だが、あまりにも不自然だ。


 普通の倍近くはある体躯たいくに、六枚の翼。

 そして前脚には、両側に一体ずつカブトイノシシが鷲掴わしづかみにされている。

 それでいて、そいつは円状に広がった翼をはばたかせ、その巨体をブレることなく空中に静止させていた。


 でたらめな飛行能力だ。

 あの翼なら、さっきの無茶な空中機動もこなせる、か。


 しかし、あんな目立つ魔獣がそこらに住みついていたら、とっくに発見報告があるはずだ。

 なら、遠くから移動してきた? 未開拓の奥地から?


「グギエエエェッ!」


 大きく鳴いたそいつが横に旋回し、足につかんだカブトイノシシを振り回す。


「投げてくるよ!」

「まずい、全員退避!」


 マールと俺が反射的に叫び、兵士たちが周囲へ散る。

 遠心力をつけて投げ飛ばされたカブトイノシシが、俺たちの頭上を越えて側面の小屋に激突した。


 あのでかいカブトイノシシが、まるで小石扱いだ。

 突然背後に現れたカブトイノシシは、ああやって投げ落とされたのか。


 カブトイノシシを投下し終えた巨大なヒポグリフは、俺の正面、他の兵士たちが槍を構える中を悠々と降下していった。

 翼で姿勢を制御しながら後ろ足だけで着陸し、その巨体で俺たちを見下ろす。

 巻き起こる土煙が、まるで防壁のようにそいつの周囲を渦巻いていた。


 本来のヒポグリフの目は黄色、瞳孔だけが黒のはずだが、こいつの眼球はすべてが真っ黒だ。

 まるで黒いガラス玉で、どこを見ているかがわからない。


 顔には横一文字の古傷があり、盛り上がった肉がむき出しになっている。

 そして身体は茶色一色ではなく紫のまだら模様があり。

 六枚の翼は土煙で乱反射した太陽の光を受け、黄金色にギラギラと輝いている。


 いやいや、なんだよコレは。

 合成獣キマイラか?


 高度な呪術で複数の動物や魔獣を合成させた人工魔獣、キマイラ。

 有名なのは獅子しし山羊やぎの二つ首、尾には大蛇。

 他にも、陸上生物に大型の鳥を合成し、翼を生やさせて術者専用の騎乗用キマイラにするってのも聞いたことがある。


 だが、生み出すのには相当大掛かりな儀式呪術、場所の準備と大量の術者が必要なはずだぞ。

 旧大陸ならともかく、この新大陸の奥地にそんな大人数の術者がいるはずがない。


「チチチチチ」


 いや、いる。

 人間以外なら。

 この耳障りな、かん高い鳴き声。


「チヂュゥァアッ!」


 ヒポグリフの背から、大ネズミの上半身が姿を現した。

 それも、ふたつ。

 しかも両方とも、陽の光を照り返してなお輝くような紫色。

 あいつら、他の生物を操ることまでできるようになったのか!?


「グギギギギ」


 中央の首、ワシの頭のクチバシが大きく開いた。

 真っ赤なはずの口内や舌は、毒々しい紫色に染まっていて。


「ギハアアァッ!」


 その口から紫の粉煙ふんえんが吐き出された!

 俺を含めたその場の数人がその煙に巻き込まれる!


 俺は横に転がって避けるが、一瞬遅れた。

 これが毒だとまずいことになるが。


「……なんともない?」


 少なくとも、俺の肉体には変化が無かった。

 あいつの息が生臭かったぐらいで、呼吸に問題は無い。

 槍も握れる。足も動く。目も鼻もく。


「お前たち、無事か?」

「だめです、腕が」

「足が、くそっ、動け!」


 しかし、他の兵士には被害が出ていた。

 ある兵士は腕をだらりと下げ、またある兵士は足から力が抜けたように腰から地面に崩れ落ちている。

 そして、槍を握ろうとしては取り落とす兵士の腕、その鎧の隙間から、紫の光が見えた。


 あの症状、まさか!


「アニキ! だいじょうぶ!?」

「俺は問題ない! 無事な兵士は煙を浴びた兵士を下げさせろ! 引きずってでもだ!」


 あれは呪いの息吹いぶきだ。

 食らったやつの力を奪う、あのワーラットどもの呪術。

 俺はもう呪いを受けてるから効かないってだけだ。


「ブシャアアアッ!」


 ヒポグリフの首が再び口から紫の煙をまき散らす。

 その煙は近くの兵士とカブトイノシシをまとめて包み、巻き込まれた兵士たちが次々と武器を取り落とし、倒れていく。


 まずいぞ。


 このへんに配備されていた兵士は、以前に呪いを受けた古参兵じゃない。

 呪い騒ぎの後に、開拓本部から新しくこの村に来た兵士だ。

 この場でワーラットの呪いに耐性を持っているのは、俺かマールぐらいしかいない!


「こっちだ、このネズミ野郎!」


 俺は叫びながらネズミの乗るヒポグリフ、その後脚まで飛び込み、槍で切りつける。

 しかし一撃目は弾かれ、二撃目で表皮にかすかな傷を作る程度。

 三撃目でようやく、刃が皮膚に食い込んだ。


 こいつの固さ、ヒポグリフの比じゃないぞ。

 カブトイノシシの頭か、それ以上かもしれない。


「ブシュルルル!」


 頭上からまた紫の煙が降ってくる。

 あいつが足を踏み鳴らすときの土煙と、ワシの口から吐き出す紫の煙。

 俺にはどっちも直接的な被害はないが、視界が狭くなってやりづらいことこの上ない。


 俺は立ち位置を変え、時には槍を振り回して少しでも煙を散らしつつ、ただ一か所を狙い続けた。

 何度も同じ場所を切りつけることで、その傷は少しずつ、本当に少しずつだが深くなっていった。


「グギャアアアッ!」


 俺に煙が効かないことがわかったのか、それとも少しは傷を気にし始めたのか。

 ヒポグリフが後脚立ちを止め、その前脚を俺に向かって勢いよく振り下ろした。


「くっそ!」


 俺は横に地面を転がり、ギリギリでその爪を避けた。

 いつかはやると思っていたから避けられたが、振り下ろされた時の衝撃はちょっとした地震だ。

 直撃したら一発で戦闘不能、悪くすれば即死だろう。


「この……」


 体勢を立て直し、顔を上げたその時。

 そいつが地面に前脚を付けて身を伏せ、その翼で周囲の煙をすべて吹き飛ばした時。

 俺は初めて、そいつの全体像を見た。


 前半身がワシ、後半身が馬の、ヒポグリフの肉体。

 古傷のついたワシの頭。

 その首の後ろに、後付けの粘土細工のようにみにくく貼りついた、二体のワーラットの上半身。


 そして、拡げられた左右三対の、六枚羽根。


 最下段、一番大きい翼は、紫の羽根。

 中段の翼は、ヒポグリフらしい、黒と茶色のまだら羽根。


 そして、最上段。

 最も高く掲げられた羽根は。


 キュウと同じ、若草色の羽毛の翼。


 そうか。

 お前か。


 お前だな?


 お前が、キュウから翼を奪ったんだな?


 あいつが六枚の羽根を拡げる。

 これは自分の物だと言いたげに。

 俺の目の前で、あいつの頭上に、緑の翼が広がる。


「アニキ、もっと下がって! そいつはやばいよ!」


 マールの声がする。

 近くにいるはずなのに、ずいぶん遠くから叫んでるように聞こえる。


 マールには悪いが、下がるわけにはいかない。

 こいつは、俺の前で、あの翼を広げた。


 六枚の羽根を無駄に広げて、威嚇いかくのつもりか?

 よりによって、俺の前で?

 キュウから奪った翼を使って?


「……!」


 近くの兵士が何か言っている。

 だが、聞こえない。

 俺の指示がいるのか?


「動けるやつは、動けないやつを下げさせろ! 戦えるやつはイノシシを仕留めろ!」


 これで十分、伝わるだろう。


「こっちの邪魔をさせるな!」


 邪魔したやつも同罪だ。


 目の前で、ネズミと鳥の三つ首が、なにかわめいている。

 だが、聞こえない。


「この泥棒ネズミどもが」


 どこかの国では、盗賊は罰として腕を落とすと聞くが。

 その程度で済むと思うな。


「こいつは、俺が!」


 翼の根元の骨ごと! えぐり取って!


る!!」


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