22 暗闇と令嬢
「なぜこんな暗闇で泣いていらっしゃるのです、それも一人で……」
宰相ロキスタだった。今更ながら頬の手が異様なほど熱く感じる。エリーザは慌てて顔を背けた。
「なんでもありません、どうか私よりも王太子殿下をなぐさめて差し上げてください」
灯りを求めようともせず、エリーザは寝る支度をするふりをしようとした。だが、立ち上がりかけた彼女の腕をロキスタが掴んだ。
「申しました。辛いのを隠さないでください。なぜ……そんなにお泣きになるのです」
頭がカッと熱くなり、エリーザは怒りすらおぼえた。
「あなたには……あなた方には分からないでしょうね。権力さえあれば、女は皆王太子妃という地位に……ゆくゆくは王妃という地位に憧れると思っていらっしゃるのでしょう?女なんて皆そうだと思っていらっしゃるのでしょう?」
ロキスタは何か言おうとしたが、諦めたように口をつぐんだ。
「でも私は嫌なんです!私はたしかに王太子殿下のお側にいられるのが嬉しかった、でもそれはエリーザとして側にいるからでした。これから……私は私じゃなくなる……。私は誰に、何になるんですか!自分のことに何も決定権も持たずに!」
拳を握りしめ、彼女は睨むように宙を見た。その目にはかすかだが何かが宿っていた。
ロキスタにもそれは分かった。だが彼はあくまで平静を装って呟いた。
「オーラブ様と何かありましたか」
どきっとしてエリーザが彼を見返した。その目は先程とは違い、寂しさだけが揺らめいている。少し戸惑う素振りを見せ、エリーザは小さな声で言った。
「思い知りました……オーラブ様が本当に大切に思っていらっしゃる方はアメリア様だと。私のことをアメリアと呼んでいらっしゃるんです。二人だけの時も……。あの方の眼中に、はなから私なんていなかったのです。当たり前のことですけれど……」
彼女の頬に、ふっと温かいものが触れた。ロキスタの手だ。びっくりして彼を見ると、彼は真剣な顔をしていた。
「大丈夫、あなたは消えたりなどしない。たとえ誰があなたをアメリアと呼ぼうと、私だけはあなたをエリーザと呼び続けますから。消させない……」
言葉の最後は掠れて消えた。宰相は困惑顔のエリーザをその場に残し、背を向けて足早に去っていった。
冷たい夜空を見上げながら、氷の宰相と言われた人は己の気持ちを自覚せざるを得なかった。
今や国中の注目の的ともなり得る自分の存在。妻がおらず、それゆえに娘のいる家庭からは特に目を向けられる。
もし、ここで彼女がほしいと言えたらどうなるだろう?中央の社交界に出た経験もなしに、さらに王太子妃に生き写しという容姿を持つとしたら。
だが、王太子妃がいないとなれば―――最初の契約すら怪しいことになるが―――彼女はオーラブの妻に収まり、手に届かない高嶺の花となるのだろうか?世間はこれからも変わらず彼女をアメリアだと見るだろう。エリーザという娘は消えてしまうのだろうか?
主は―――王太子殿下は、どうも近頃アメリア王太子妃殿下とエリーザを混同している節がある。彼はこれからもますます彼女をアメリアと呼ぶだろう。
だが、彼女は望んでいない。消えることも、宰相である自分に欲されることも。彼女の想いはよく分かる。アメリアと同じだからだ。それは、王太子に他の誰とも被らない己の存在を認めてほしいということ。
宰相は諦めたようなため息をついた。
そのために出来ることは―――彼女の存在を認めること。それだけだ。
まったく我ながら無力だ。汚い感情を堪えて、表は清らかに装う……とんだ悪人じゃないか。
彼女の目を見ていると、胸が締め付けられるように感じる。何も語りはしないが、目が語り掛けてくる。早く助けて、なんとかして。そんな彼女を見るといつも思う。いっそ連れ出して、閉じ込めておいたらどうなるだろう―――。もうオーラブ殿下のことなど考えなくていい。令嬢達の恨みに泣かなくていい。早く楽になってほしい。
令嬢達には圧力をかけてみたところで、逆恨みされるだけだろう。彼女達の親族までもが敵になれば、オーラブとロキスタの力では敵わない。
そして彼女をオーラブから遠ざけてみたところで、ますます彼女を苦しめるだけだ。
彼女のことを考えるだけで頭が以上に熱くなり、何も考えがまとまらなくなる。今まで何をしてきたって、至って冷静に判断してきたのに。なぜ、己を操れない。なぜ、こうも溢れ出る。止まらない動悸、激しくなる呼吸。あまりにそうしていると、自分が壊れてしまいそうだった。




