688. 果てなき
唐突な幕切れだった。
おぉ、と観覧席からも困惑と驚きの入り交じったざわめきが発せられる。
力なくうなだれたエーランドに肩を貸すドーワ判定員が片手を振ると、観覧席の隅に控えていた救護班が担架を携えて駆けつけた。
『敗れようとも、地に伏すことはなく……っ! 今、静かに担架へ乗せられたエーランド選手が運ばれていきます……! そしてその様子を見届けたダイゴス選手も、踵を返して……おお、片足を……右足を引きずっています……そして、ミディール学院側の観覧席へと向かっていきます……。ここで事態を把握したであろう観覧席からも、拍手が……おお、割れんばかりの喝采が巻き起こります! ……激闘、と呼ぶに相応しい……もはや模擬戦の域からは逸脱した精鋭同士の一戦だったかと思いますが……ええと、いかがでしたでしょうか! レヴィン様っ』
意見を求められた『白夜の騎士』は、ややうつむきながら神妙にかぶりを振った。
『ええ……、そうですね……。エーランドが日々努力を重ねていることは、間近で見てきた僕が誰よりも分かっていたつもりです。とみに近年、その成長ぶりには目を見張るものがありましたが……今や、この域にまで上り詰めてきたのだなと。……けれど、焦ることはない。無茶をせず、着実に積み上げていけば……近いうちにきっと、稀代の勇士となれる。今は、彼にそう伝えたいです』
言い結ぶ頃には、その横顔に穏やかな笑みがたたえられていた。
『ありがとうございました……! 我らが誇りし「サーヴァイス」の未来は明るいということですね……! ……それにしても……あの決着の間際、一体何が起こったんでしょうか? エーランド殿が一撃を……それも拳を繰り出し、完全に捉えたかと思いきや……ダイゴス選手がいつの間にやら背後に回り込んでいた、と申しましょうか……』
ふぉっふぉ、とアンドリアン学長が顎ひげを撫でる。
『身体強化……とはまた異なる技能に見えましたのう。決して多重保持者の特性だけに傾倒してはおらん、ということですな。しっかりと独自の術を構築しておる。詠術士として見習いたい姿勢と言えましょうぞ』
自国の精鋭が敗れながらも、リズインティ学院の責任者にして至大詠術士は満足げに目を細めた。
『ううむ……アンドリアン学長でも、その刹那、その詳細までは見極められなかったと……。……それでは猊下、いかがでしたでしょうか? 只今の一戦……』
機嫌を窺うような……いや事実窺っているだろうエフィの問いかけに対し、ローヴィレタリアは常と変わらぬ笑顔をたたえて返した。
『ホッホ。我らが若き羚羊は、惜しくも矛の血脈には届かず……。バルクフォルトとしては無念の結果と言えましょうが、こうした機会でもない限り実現し得ぬ貴重な一戦となりましたな。元々エーランドは、天才と称されながらもその並ならぬ努力にて駆け上がってきた身。彼には、この敗戦が更なる飛躍の糧となるよう期待したい次第ですぞ、ホッホ』
『あっ、はい、そうですね……! 先の天轟闘宴にて覇者となる一歩手前まで迫ったダイゴス選手に対し、この健闘ぶり……。エーランド殿の非凡さが光る一戦でしたね! 猊下、ありがたいお言葉をありがとうございました……!』
ホッとした風情のエフィが早口で締め括るが、そもそもローヴィレタリアとしては機嫌を損う理由がない。むしろ想定した通りの結果だった。
あの東の武祭を制しかけたほどの猛者が相手となれば、少なくとも『今の』エーランドでは荷が重いことなど自明の理。
(じゃが、概ねの立ち位置は分かった)
不敵な笑みを浮かべて退場していく矛の末弟だが、一見した印象ほど無傷ではない。足取りは重く、疲労も色濃い。
上位五番目のエーランドがこの戦果。これまで明確に測る機会もなかったが、『サーヴァイス』と『十三武家』の間に大きな力の差はないと見る。
個人としてエーランドが敗れこそしたものの、『サーヴァイス』の品位が落ちるようなものではない。
(友邦国といえど……レインディールを間に挟む立地上、レフェとの繋がりには希薄さが生まれがちじゃが……やはり、決して軽んじてはならぬと再認識できたわ)
これほどの戦士を国許に置かず、他国の神詠術学院へ送り込む余裕。国長カイエルや最強戦士ドゥエンが臥せって情勢が下向いているとはいえ、近隣最大の国の力を侮ることはできない。
『さて、これにて学院対抗戦も三回戦までが終了しました! ミディール学院がここで一勝目を獲得し、現在どちらにとっても一勝一敗一分! 残り二戦にて決着はつくのか!? いざ折り返しての四回戦……の前に、ここで三十分の休憩時間を挟みます! 観覧席の皆様も、そしてこれから出場される選手の方々も、後半戦に向けて一息入れてくださいませ!』
暗殺者の家系に生まれながら、男はしかし正面切っての闘いにこそ心を昂らせた。
漠然とではあるが、国を出て多様な強者と渡り合ってみたいとの思いを抱くようにもなった。己の立場を鑑みたなら、それはきっと叶わぬ夢想だろうとも考えていた。
しかし――
(……良き立ち合いじゃった)
よもや、今ここでこのような経験ができようとは。
思い耽るダイゴス・アケローンの裡に、この上ない感慨が満ちる。
(……うむ)
その充足感たるや。
『サーヴァイス』所属、エーランド・レ・シェストルム。
リズインティ学院生としては異端の立ち位置となるその者の名を生徒たちから幾度となく聞き及んでいたが、噂に違わぬ……否、それ以上の相手だった。
驚くべきは、その順応力の高さ。強力な一撃に繋がると読んだ踏み込みを阻止し続け間合いを維持していたが、ついにはそれを打ち破ってきた。
何よりよもや、六王雷権現・二連を真っ向から迎撃しようと試みるなど。
しかし、あの無謀とも思える反抗ゆえにわずか威力が削がれた。だからこそ、彼は立ち上がることができた。
そして、消耗した己は反撃を受けるに至った。
残る力で機を探るうち――、最後の局面が訪れた。
仮にもう一度闘わば、まるで違う展開となるだろう。
間違いなく逸材。あと数年もすれば、無類の精鋭となることは確か。
すぐ向こう隣の国に、これほどの才者がいるのだからたまらない。
これだ。こんな闘いがしたかったのだ。
観覧席から降り注ぐ万雷の拍手も心地よい。元来、戦闘行為を演じてそれを称賛されることなどありえない身。
(……フ)
いつか、兄のような戦士となりたい。
その思いはやがて、『超えたい』との願望に変わっていった。そしてそれは、様々な強者と鎬を削りたいという夢へと広がっていった。
そうした密かな情を抱いていた最中。このような機会に恵まれるのだから、世の中どうなるか分からない。
人の欲とは果てなきものだ。
幼い頃から夢見ていた天轟闘宴への出場が叶ったことでこの渇きが満たされるかと思えば、それどころかより肥大した。
……そして今この時も、際限なく。
受けた傷、軋む身体の痛みはむしろ、その道を着実に歩んでいる証なのだと実感すら覚えさせる。
有海流護は言う。
この世界で最強を目指すのだと。
(…………)
誰もが耳を疑う宣言。
しかし、だ。
その地平こそ、己の抱くこの果てなき夢のやがて行き着く先でもあろう。
遊撃兵の少年は、全てを護るためにその頂を目指す。
ダイゴスとて変わらない。
仮初めの間柄でしかなかったはずの皆を。そして、『神域の巫女』として振る舞うあの少女を。
どちらの夢も、至る先はその頂点。
今はまだ、程遠い。
己より強い者など、きっとこの世界には数え切れぬほどひしめいている。
だが。
(……堪らぬわ)
青年はただ、これまでにない感情に心を震わせた。
すっかりなじんだ不敵な笑みが浮かんでいることを自覚しながら。
右足をわずかに庇うようにした巨漢が戻ってくると、いつもの面々が我先にとそれぞれの言葉をもって彼を迎えた。
「やったー! 勝ったね! さすがダイゴスだよ!」
「ケッ。当然の結果だな」
「……すごい試合だった。……お疲れ様」
「全く。思えばダイゴスの実戦に近い闘いを見たのはこれが初めてですが……ここまでの実力を隠していただなんて、人が悪いですよ」
「お疲れさま、ダイゴス。見事な勝利だったわ。ケガの状態は……?」
最後に気遣ってきたベルグレッテに対し、彼は薄笑みを崩さぬまま糸目を下向ける。
「やや強引な真似をしたからの。右の膝をやったようじゃ」
「……見た目ほど軽傷ではなさそうね。念のため、医務室へ行っておいたほうが……」
「そうしよう」
表面上は普段通りのダイゴス対し、流護も声をかける。
「最後に、『使わされた』な。雷舞抛擲」
「うむ」
投擲する得物などの威力や命中精度を著しく向上させるその術。
決着に至る間際、最後の攻防。
渦巻く風に両脚を拘束され身動きの取れなくなったダイゴスは、振り解くため自らに雷舞抛擲を施すことで強引に脱した。
かつて、流護ですら反応が間に合わなかったダイゴスの奥の手である。
おそらく、対峙していたエーランドを始め大半の者には何が起きたか視認すらできなかったことだろう。
至大詠術士と称されるアンドリアン学長ですら一目では看破できなかった技術。何せ、ダイゴスのオリジナルにして奥の手だ。
「つーかさ、今の決着……まんま、天轟闘宴の時のダイゴスを思い出したよ」
「……ふむ」
覇者を決めるあの一騎打ち。
流護との決戦に敗れたダイゴスはしかし、最後まで倒れ伏すことはなかった。立ったまま意識を手放す、という限界の極致。
まるであの時のダイゴスの意志が、今回のエーランドへと受け継がれたような決着。
「才気に溢れた良き相手じゃった。あと数年もすれば、凄まじき使い手となるじゃろう。ワシもうかうかしてはおれんの」
いつもの笑みを心底楽しそうに深めて、巨漢は観客席を後にする。
「ほんっと、すっごい試合だったぁ……」
彩花も放心したようにその大きな後ろ姿を見送っていた。
「だろ。あれがダイゴス・アケローンよ」
「あっ。で、あんたはそのダイゴスさんよりすごい、って言いたいんでしょ。はいはい自分上げ自分上げ」
「何も言ってないが」
終わってみれば、痛打となるような攻撃はほとんどもらっていない。
しかしダイゴスは、迷わずその足を医務室へと向けた。
多重保持者としての特性を駆使した怒涛の攻撃術は精神力と集中力を大きく消耗し、秘技たる雷舞抛擲は多大な反動をその身に突き返す。
総じて、ダイゴスの消耗具合は相当なものとなったはずだ。
攻撃術についてはあえて火力を抑えたことも確かだが、雷舞抛擲に至っては『使わされた』。そうせざるを得ない状況まで、エーランドが追い込んだ。無論、相手を気遣った模擬戦だったからこそその状況が生まれたことは確か。
エーランドは加減されたことを承知のうえで、しかし試合上の勝ちを得るために割り切って全力で巻き返そうとした。
ダイゴスは、雷舞抛擲を使わされたこと自体が想定外。あれはかつての天轟闘宴にて流護やエンロカクに勝つために用意した切り札であり、そもそも本来は身体に施すような使い方をする術ではない。ダイゴスオリジナルの技巧で、まだそこまで最適化されていないのだ。その代償の大きさを思えば通常の戦闘で使うことは前提としていない。しかし今回、その札を切るほどの窮状へと陥った。
きっと両者ともに、悔いる部分が生まれた一戦。
だが、それはいわば伸び代だ。互いに強敵と交わったことで、これから克服すべき課題が見えたともいえる。
どちらも一流。今回の経験を糧として、更なる躍進を遂げることは間違いない。
「はぁ……、ものすっげえ試合だったな……こんなの、タダで見ていいのか……。最後はなんか、静かに終わったけど……」
「おう……達人同士の試合は難しいね……。って、今のうちに用足し済ませておこうぜ」
半ば放心したような生徒たちが、長めの休憩時間を活用すべくそれぞれ席を立っていく。
「ベルちゃん、といれいこー!」
「はいはい」
こちらの皆も奔放なミアの宣言を皮切りに、後半戦に備えて席を立つのだった。
石造りの狭い医務室は、時が止まったかのような静寂に満ちていた。
少女はただ、目を閉じた旧知の少年の寝顔を見守り続ける。
「…………リムか」
ややあって。寝台に横たわった少年……エーランドが視線だけを向けてきた。その声で、静止していた全てが動き出した気がした。
「……、よかった」
このまま目覚めないのではないか。そう心配になるほど静かだったから。
傍らで彼の寝顔を見守っていたリム・リエラ・ローヴィレタリアとしては思わず漏れた安堵の言葉だったが、少年は歯痒そうに眉根をしかめた。
「……良かないだろ。……負けちまった、くそっ」
その表情は悔しさだけが原因ではないだろう。決して軽い傷ではないのだ。
「こんなところで躓いてる時間はないってのに……」
いつもそうだ。彼は何かにせき立てられるように上を目指す。
もちろん、リムは知っている。
一刻も早くレヴィンを支えられる存在となるために、いつも無茶をしているのだと。
『サーヴァイス』上位に列せられるほどの騎士となったといえど、その道のりは決して平坦なものではなかった。
無茶なまでの激しい鍛錬を繰り返し、大ケガを負ったこともあった。功を焦るあまり怨魔の群れに飛び込み、死にかけたこともあった。そして逸るように『サーヴァイス』上位陣へと挑み、叩きのめされたこともあった。
しかしそれでも決して折れずに立ち上がり、今の地位にたどり着いた。
世間では若き天才と評されたが、それでもここまで想像を絶する努力の積み重ねと苦難の連続があったのだ。
物心つく頃からの間柄であるリムは、誰よりもそれを知っている。
だから、自分の役目だ。その二つ名のごとく、放っておけばどこまでも駆けていってしまいかねない彼を、しっかりと繋ぎ止めるのは。
「レヴィンさま、いってた。あせらなくていい、無茶はしなくていいって。エーランドならきっと……ちかいうちに、稀代の勇士になれる、って」
「……もったいないお言葉だ。お優しい方だよ、ほんと」
泣きそうな顔でうつむく少年だが、それはそう言う彼自身も同じだと思う。
エーランドほど心優しい人を、リムは他に知らない。
強く勇猛な男であろうとして、自分のことを『おれ』と呼称するようになったのも比較的最近の話で。それも今ひとつ慣れなくて、ともすれば『僕』と口をついて。
競うべき相手を見出せば、あえて挑発的な物言いで敵愾心を誘う。そうすることで、後に退けなくして己を奮い立たせる。
そんならしくもない真似を、ずっと続けている。
「エラン、しばらく見ないうちにまたつよくなってた。その歳でそんなにすごいひとなんて、そういないでしょ」
「いや、リューゴなんておれと同い年だぞ……。あんな奴が出てきたら、そりゃ焦りたくもなる……」
顔をしかめつつ身を起こしたエーランドが、溜息とともに寝台の縁へ腰を落ち着けた。
「別に腐っちゃいないよ。今回は、まだ今のぼ……おれには勝てない相手だと最後に悟った。ここが今のおれの限界だと。そりゃあ悔しいよ。けど、絶対に無理だとは思っちゃいない。すぐ超えてやるさ。これまでみたいに」
「……うん」
「そんな心配そうな顔をするなよ。大丈夫だ。むしろ今回は、現時点での自分の立ち位置ってものがよく分かった。ったく……世界は広いよな。強い奴が腐るほどいる。超えなきゃいけない壁が数え切れないほどある。……果てしないな。おれも、まだまだだ……」
よし、と踏ん切りをつけるように呟いたエーランドが首を巡らせる。壁かけ時計に目を留めたついで、リムを流し見た。
「四戦目は?」
「……いまは休憩中。あと十分ぐらいで、はじまる……かな」
そうか、と居住まいを正したエーランドの瞳が、まっすぐにこちらを見据えてくる。
「リム、聞いてるぞ。……お前、出るつもりなんだって?」
静かな、優しい声での問いかけ。少女はただ、無言でかすかに首を下向けることで意を示す。
「猊下や、おば様は……知ってるのか?」
その問いには、やはり無言で……今度は首を横へ振ることで答える。
「……そうか……。最終戦は、シスとベルグレッテさんで実質決まってる訳だよな……そうなると、お前……」
エーランドはその先を明確な言葉にはせず、心配げな目を向けてきた。
「……まぁ、どういう考えがあってのことなのかは知らないけどさ。お前って、いつも受け身だろ。ああ、おれに対する態度以外な。そんなお前が出るって決めたんなら、きっちり自分のやりたいことをやってこいよ」
「……うん」
詳しく追及するでもなく、ただそう言ってくれる。
今は、その心遣いがありがたい。
(………………)
本人には決して言わないが。
己が夢に向かって邁進するエーランドは、いつだって眩しくて、誇らしくて。格好よくて、本当に尊敬できる。
……そんな彼のことが、リムは大好きだ。
(……それにくらべたら、わたしは……)
何と小さいことか。
本当に、我ながら嫌になる。ただただ子供でしかない。
今回の試合に出ようと思った理由なんて、とてもエーランドには言えない。
それを言えば、呆れられてしまうかもしれないから。




