419. 殺戮の極光
アルドミラールが放ったその一撃は、あまりに桁を外れていた。
一直線に延びる水流。それは硬質な石の天井へと突き刺さり、迸る軌道そのままに抉り抜く。
封印術が施されているはずのそれを、ものともせず。
「うおっ!」
削り割られ落ちてきた岩盤から、サベルは慌てて身を躱す。重い落石の振動が、かすかに足下を震わせた。
「メチャクチャやりやがるぜ……!」
「期待しテはいないダろうな、サベル・アルハーノ」
「はァ?」
もうもうと立ち込める埃の中。怪人の唐突な言葉の意図が掴めず、サベルは眉を寄せる。
「流石にこれダけ騒げば、誰かが気付きやっテくる……などと、考えテはいないダろうな?」
黄ばんだ歯を剥き出しながら、アルドミラールは嗤った。
「おいおい、その話はさっきもしただろ。忘れたのか? 来られちゃ困るんだ」
言い返すと、怪人の笑みがより深みを増した。
「そうか。ならば好都合ダっタ」
「!」
その言葉で、サベルは敵の狙いを察する。
今ほど断ち割られ、崩壊した天井の一部。それら瓦礫によって、二箇所あるこの部屋の出入り口がどちらも閉ざされていた。
実際のところこれだけ暴れたなら、いかに隔離された展示室でも――頑強な造りの建物でも、誰かが異常に気付く可能性は高い。
ゆえにアルドミラールは余計な横槍を防ぐと同時、獲物を逃がさぬようこの場を孤立させた。
今この場は――逃れることの叶わぬ密室と化した。
「……成程。で、お前さんはどうやってここから出るつもりなんだい」
「! これは……ふむ、うっかりしテいタ。ダが……まあ、気にする必要はない。どうにデもなる。どうにデもな……」
意味深に笑うアルドミラールの手のひらから撃ち出される氷の連弾。
「……ッ!」
走りながら回避していく位置取り上、偶然盾になった展示箱が易々と粉砕、派手にガラスを巻き上げる。
「ハッ、ハ、ッハハハ――!」
アルドミラールが振るった右手に従い、室内を暴風が蹂躙する。
「――――!」
身構えるサベルだったが、それは回避不能の一撃だった。
序盤戦と同じ、ガラス片を含んだことにより斬撃の渦と化した旋風。しかし異なるのは、その規模。部屋の隅々まで舐め尽くす嵐、気流に乗って乱れ舞う透明の刃。
「が、はっ!」
咄嗟に展開した紫炎の間隙を縫ったガラスの欠片が、四方八方からサベルの全身に突き刺さる。
縦横無尽に飛び散った破片はそのままアルドミラール自身にも降り注ぐが、
(な、に……!?)
サベルは愕然とする。
全方位から不規則に飛来する欠片の雨が、ひとつの例外もなくアルドミラールに触れる直前で蒸発していく。強固な絶壁に阻まれるかのごとく。
(こ、いつ)
紫炎の青年は即座に理解した。それは自分と同じ、炎属性。そして、
(特殊防御術……!)
通常、防御術は実物の盾と同じく前方へ掲げて展開し、自らの意思で操作、維持する。稀にその常識に当てはまらない使い手も存在するが、その『稀』をアルドミラールは手中に収めている――。
(噂に聞いたことはあるが、初めて見るぜ……。確か、自律防御……とかって奴か)
攻撃に反応し、術者の意思とは関係なくその身を守る鉄壁の防御術。
(こいつは……厄介なんてもんじゃないな……)
認めざるを得ない力の差。
溢れんばかりの魂心力による、隙のない連撃。強固な防御。序盤戦とはもはや別人としか言いようがない立ち回り。その姿はまるで――
「どうしタ、弱気になっテないか!?」
余裕とばかり哄笑を轟かせるアルドミラールが、矢継ぎ早にあらゆる属性を乱舞させる。
炎、水、氷、雷。
邪悪な風貌の詠術士より撃ち出される色とりどりの軌跡はしかし、それぞれに絡み合って美しさすら感じさせる輝きを放つ。
何がどう作用したか、空間には七色の煌めきが尾を引いた。
「……ッ!」
しかしそれらは、目を奪われたなら死に直結する殺戮の極光。
サベルは破壊されていく室内を駆け回り、転げ回りながら、虹色の光条を避け続ける。壁に手をつき、床に手をつきながら、次々と迫り来る美しき暴虐の嵐をいなし続ける。
「クハ、ハハハ……! どうしタ、どうしタ! 最早打つ手なしか!?」
「…………」
サベルの本領は接近戦。距離を置いての撃ち合いはどちらかといえば不得手。それでも並の詠術士以上にはこなせるが、とてもそんな力量で抗えるものではない。アルドミラールの言葉通り、ここから即座に反撃できるような手段はなかった。
途切れることのない攻勢。部屋の壁や床にぶつかりながら、サベルはひたすらの回避に徹する。
黄ばんだ歯を剥き出しに、アルドミラールが次なる一波を放つ。
「――――――」
それは螺旋描く横向きの竜巻に乗った、業火の奔流。サベルとジュリーが二人で連係してようやく放てる規模の、絶大な焦熱の嵐だった。
真っ赤な尾を引く螺旋は紫炎の障壁をいとも容易く食い破り、サベルを横殴りに弾き飛ばす。馬車に散らされた小石さながら、青年はあまりにも軽々と宙を舞った。後方に吹き飛ばされること、およそ十マイレ。
「が――、ごふっ!」
接地せず一直線に滑空したサベルの肉体は、分厚い石壁へと激突することでようやく静止した。
「……、…………ぐ」
そして――、どうしようもなく崩れ落ちる。
サベルだけではない。
今や整然と並んでいたはずの展示箱や棚もことごとく破壊し尽くされ、一帯は瓦礫の山と化していた。
その中で唯一屹立するは、いくつもの心の臓を宿した黒き怪人。
「悲観することはないぞ、サベル・アルハーノ。子供デも分かる簡単な理屈ダ。複数の力を持つ俺に、単一の力しか持タんお前が敵うはずもない。それダけの話ダ」
両手を広げて綽綽と語るアルドミラールの姿は、いっそ真理を説く聖職者のようですらあった。
(こい、つ……)
サベルも歴戦の冒険者。今まで、数多の強者と干戈を交えてきた。
遠距離戦を得意とする者、近接戦闘に自信を抱く者、優れた戦術を展開する者、一芸に秀でた者。
在りようは千差万別、得手不得手も各々によって異なる。
唯一ともいえる共通点は、長所を最大限に発揮し、短所を最小限に抑え込むこと。
何事にも通じるようなそれこそが、詠術士として生き残るために最も重要な心得だった。
――しかし世の中には、その範疇に収まらない例外が存在する。
持って生まれた力のみで、何もかもを圧倒する者。
生まれながらの天才。もしくは怪物。認識は様々なれど――
『ペンタ』。
人は、彼らをそう呼んだ。
サベル自身、奇しくもつい先日その実力を目の当たりにしたばかりだったが、
(こいつ……、匹敵するぞ……)
人為的に強化されたこのアルドミラールという男は、『彼ら』のような生まれながらの超越者にも届くのではないか。その領域に到達しているのではないか。
「さテ、幕引きダ……、! ふむ、これは」
満足げに嗤うアルドミラールが、足下に転がっていたそれに気付いて拾い上げる。
「ふむ……良い輝きダ」
一振りすれば、鈍い光が尾を引いた。
怪人が右手に握り締めたそれは、カタナと呼ばれる剣。遥か遠い東で用いられているという得物。この部屋に展示されていた品だった。
「知っテるか? この剣は、とかく切れ味に秀デテるそうダ」
品定めするように眺めながら、アルドミラールの濁った瞳がギョロリと横向く。
「ク、クフ、ク、クククク、これはいい。これデお前の首を落とせば、ゾロゾロと逆流しテくるダろう。喉から……切断面から、食っタばかりの麺がな。血と汚物にまみれタその様は、実に無様デ壮観ダろう。そうダ、サベル・アルハーノよ。小便に行きタくないか? 行きタいはずダ。うむ、まずは腹から掻っ捌いテやろう。自分の腹から腸と糞と小便が噴出する様を見せテやる。人生デ一度しか目にデきん、貴重な光景ダぞ」
細身の曲刀を肩に担ぎながら、黒き怪人が一歩一歩近づいてくる。これ見よがしに刃を閃かせる。
そんな凶器を使わずとも――その場から動かずとも、今のアルドミラールならば指先ひとつでサベルを仕留めることは容易なはずだった。それをしないのは絶対的な実力差からくる余裕か、殺人者としてのこだわりか。
ともあれ最後は、その希少な得物で直に止めを刺すと決めたらしい。
(さァて……、いよいよ参ったもんだ……)
血まみれになって壁にもたれる自身の身体を俯瞰しながら、サベルは心中で独りごちる。血を流しすぎたか、思考が途切れがちになりつつあった。
(ちょいと勝てそうにないぜ、こいつは……)
胸を渦巻くのは諦念と、
(実に腹立たしいが、よ……)
怒り。
サベルは火神クル・アトの加護を受けて生まれた身だが、他者と比較したならそこまで熱心な信徒ではない。少年期に故郷を失ったこと、奇異な紫色の炎によって差別を受けたことも一因ではあるだろう。
が、そんな少し斜に構えた青年であっても、今なら敬虔なベルグレッテの気持ちが自分のことのように理解できた。
神詠術とは、その持ち主を象徴する神からの授かりもの。この世に生を受けた瞬間から、天上へと導かれるそのときまで。生涯をかけて付き合っていくことになる、自分だけの力。
レフェの民のように恩恵と考えない者も存在するが、結局のところなくしては生きていけない、もうひとつの命とでも呼ぶべきもの。
それを奪い取ったうえ、我が物顔で使い倒すという行為がどれほど冒涜的か。蹂躙や凌辱という言葉では到底、表現しきれないだろう。
(キンゾル・グランシュア……オルケスター……思った以上に、ブッ壊れた奴らだぜ……。……だが、それよりも――)
易々と禁忌を犯す異常性もさることながら、このアルドミラールと実際に対峙したことで浮かび上がる懸念があった。
(……こんな奴が、他にも……いやがるなら……)
『融合』なる技術によって生み出された、多大な魂心力と複数属性を宿す詠術士。仮にこれほどの使い手が量産されているのだとしたら、オルケスターの戦力は計り知れないものとなる。
「……、」
密かに戦慄するサベルをよそに、ゆっくりと歩み寄るアルドミラールが口を開く。
「美術館としテ改修される前、ここはガロール城と呼ばれテいタそうダ。必要以上に堅固ダっタこの城は、後に罪人の収容施設としテ使われタ。内戦の折には、移民がこれデもかと放り込まれタらしい」
語るその口元が、際限なく愉悦に裂けていく。
「奇遇ダな……外部から隔離されタこの部屋は、かつテ処刑室ダっタという話ダ」
力なく座り込むサベルの前までやってきた殺人者は、もったいつけるようにゆっくりとカタナを振り上げた。
凶刃に狙いを定められた当のサベルは、どこか他人事のような眼差しでその様子を見やる。
「どうしタ? 落ち着き払っテ、観念しタつもりか? 先程も言っタダろう。一撃デ首を刎ねテ終わり――デは済まさん。恐怖ダ。恐怖と痛みで嘔吐するまデは殺さん。少しずつ……最終的には、細かく……とテも元が人間ダっタとは思えんほどに細かく刻んデやろう。何なら、その肉片を連れの女に見せテやるのも一興ダ。その虚勢、すぐに剥ぎ取っテやろ――」
「一分半、ってところか」
愉悦に浸る殺人者、そこへ差し込まれるサベルの呟き。
アルドミラールは、カタナを振りかぶったままピタリと静止した。
「……何ダ?」
「お前の術で……俺が吹っ飛ばされて、このザマになってから……今、この瞬間までの時間さ」
「それが……どうかしタか?」
アルドミラールの余裕は崩れない。崩れるはずもない。
今やサベルは瀕死。万全の状態であっても、地力ではアルドミラールが遥かに上。加えて、いかなる不意打ちすらも防ぐ自律防御を有している。サベルがどの瞬間にどんな攻撃術を放とうとも、アルドミラールには届かない。
「ふむ、およそ一分半……詠唱には充分ダな、サベル・アルハーノ」
殺人者は高みより嗤う。
密かに備えていたなら反撃してみろ。この状況を覆せるならやってみろ、と言わんばかりに。
サベルは疲れ果てた溜息をひとつ、率直に切り出した。
「……認めるさ。俺じゃ、お前には勝てない」
これはもう、覆らない事実だった。
人造の強化詠術士。そうとでも表現すべきこの相手に、サベル・アルハーノは届かない。
「……けどよ」
だからこそ、
「お前みたいな『凶』を……このまま勝ち逃げにはさせねえぜ」




