418. 人禍再来
薄暗い館内に荒ぶガラス片の吹雪。
それを盾に、黒衣の裾をたなびかせたアルドミラールが大振りの鉈剣を閃かせる。
サベルは回避に徹していた。
四方八方から飛んでくるガラスは纏わせた炎で散らしつつ、相手のノコギリじみた凶器を下がって躱す。
避けるたび、空転したアルドミラールの剣が展示ガラスを粉砕する。粉砕するたび、細かな破片が風に乗って吹きつける。一気呵成の勢いは、室内を蹂躙する台風だった。
「どうしタ……どうしタ、サベル・アルハーノ……!」
フードを目深に被り、窺えない視線。しかし露出している口元は、薄暗い照明によって笑みの形を覗かせていることが分かる。
防御一辺倒な『紫燐』を、謎の刺客は追い回すように暴れ狂う。
「ハ、ハ――!」
アルドミラールは一際に大きく横方向へ得物を振りかぶり、身体ごと回転する勢いで一撃を打ち放った。
追従して飛ぶ風の衝撃波、粉砕する途上の展示箱。豪雨じみた透明の欠片。サベルがその全てを横っ飛びでまとめて躱すと、暴威を受けた背後の壁紙が爆音とともに抉れ裂けた。
「まさか……まさかとは思うが、サベル・アルハーノ……」
鉈を肩に担いだアルドミラールがククと喉を鳴らす。
「期待しテいるのか? この騒ぎを聞き付け、誰かが……助けがやっテくると。無駄ダ。ここは希少価値の高い古物が置かれタ区画。盗難対策のタめ、敢えテ入り組み他と離れタ位置取りになっテいる場所」
もったいつけるように、
「この場にやっテくるまで、思っタより遠かっタダろう? 来んよ。誰も。お前と一緒にいタ連れの女も気付かんダろう。まさか女の助けを待っテタりしないよな? 大の男が」
(……ん? こいつ……?)
そこであることが引っ掛かるサベルだったが、
「そうかい。そいつはよかった」
とりあえずは、安堵の溜息を吐いた。
「よかっタ……?」
アルドミラールの笑みがにわかに曇る。
「逆だぜ。この騒ぎを聞きつけて、誰かが来ちまうんじゃないかと心配してたんだ。んなことになりゃ、間違いなく巻き込んじまうだろうしな」
意志を示すがごとく、サベルは両の腕に紫の揺らめきを纏う。
「俺がジュリーの助けを待ってるだって? 冗談だろ。あいつの美しい瞳に、お前みたいな変態黒マントなんぞ映したくもねーぜ」
「よく口が回るものダ……逃げテばかりの男の台詞とは思えんな」
「お前こそ、根暗そうな見た目の割には随分とよく喋るじゃねぇか。お喋りな怪人なんぞ滑稽なだけだぜ。実は寂しがり屋かい?」
「まず、無駄口をきけんようにその舌をズタズタにしテやろう――」
アルドミラールが無手の左を振るうと、巻き起こった風によって床に散乱していたガラス片が舞い上がった。
「ハ、ハ!」
次いで横に薙がれた鉈剣。それが号令であったかのように、ガラス交じりの暴風がサベルを襲う。
「ぉおっらぁ!」
その攻撃に対し、サベルはまっすぐ真っ向から拳を突き出した。
「!」
息をのむアルドミラール。
爆ぜる。
突風と熱気が激突し、小さな爆発を起こす。
純粋な神詠術と神詠術のせめぎ合い。紫の残照。弾け飛ぶガラスの欠片。打ち勝ったのは――、
「冬だし、屋内つっても冷えるよなァ。まっ、ちょいと暖まっていけよ。変態殺人鬼」
ガラス片による切り傷を頬に刻みながら、サベル・アルハーノが告げる。
「ぬ、ゥッ!?」
アルドミラールが呻いた。
風は熱を帯び、透明の煌めきが赤く色づく。
「なッ――」
そして、逆流した。
焼けたガラス片を含んだ熱風が、至近からアルドミラールへと叩きつけられる。
「おご、ゴッ――!」
飛散し突き刺さる赤い粉塵が、アルドミラールの黒衣に次々と穴を穿つ。そうして溶けた部分から煙が立ち込め、やがて火の粉を散らす。そして燃え広がる。
瞬く間に、殺人鬼の全身は紫の炎に包まれた。
純粋なる神詠術と神詠術の正面衝突。
サベルがアルドミラールの力を上回った。それだけの話だった。
「ご、ば、ばははッ――、は、が……あがッ!」
ごどん、と重い音。たまらず鉈剣を取り落としたアルドミラールは、周辺の展示箱にぶつかりながら激しくのたうち回る。
紫炎は勢いを増し、敵を舐め尽くすべく踊り狂う。
そうして火だるまになった男が転げ回るも、床に敷かれた絨毯が燃え上がることはなかった。
「アルドミラール……とかいったか? お前さん、俺がレフェの天轟闘宴に出てたことは知ってるかい?」
酒の席で問いかけるような軽い口調に、もちろん炎上中の相手は答えない。答えられるはずもない。
サベルはサベルで、まるでお構いなしに続ける。
「結果は中途脱落で、特に賞も獲得できずじまい。記憶も怪しくなるぐらいの大ケガこいちまってな。あんましハッキリ覚えちゃいないんだが、最後にバケモンみたいな風使いと当たったんだ」
――それは、比喩でなく怪物だった。
黒に近しい肌の色をした、人間とは思えないほどの巨躯を誇る大男。
その筋力や耐久力などの身体能力は明らかに桁を外れており、加えて詠術士としての技量も抜きん出ていた。
居合わせた他の参加者たちは呆気なく殺され、サベルとジュリーも絶体絶命の状況まで追い込まれた。
それ以降の記憶が定かでなく、命を拾ったのは奇跡だと考えている。
脳裏には、おぼろげな深紅の炎――自分のものではない、激しくも美しい業火の記憶がうっすらと刻まれているが、それも今ひとつ不明瞭なままだ。
とにかく――
「同じ風使いでも……お前さんは、あのバケモンやジュリーには遠く及ばんな」
そもそも、己が術力に不安があるからこそ、突風にガラス片を散りばめるなどという小細工を弄しているのだ。
もっとも絶大な恩恵を授からなくとも、工夫や戦略によって一流の詠術士に匹敵する戦力を発揮する者もいる。
が、この相手はそうでなかった。それだけの話だ。
絶叫したアルドミラールが、何度も自身を取り巻く風の渦を発現させる。それでもその身を包む炎はなかなか消えず、むしろ気流に乗って満遍なく全身へと広がっていく。
「が、ばは、あががダがダダが――……!」
――風が荒ぶること数度。
ようやく紫の灯火が消える頃には、室内の薄暗さも手伝い、アルドミラールは真っ黒な塊と化して横たわっていた。着ていた黒衣の色なのか、焼け焦げた肌の色なのか。一見、その判別すらつかない。
「おお、よく消したじゃないか。頑張った頑張った。ま、ちょいと手遅れっぽいが。しっかし……俺自身は、自分の炎も熱も問題ねえが……どうしても一つだけ、慣れないことがあるんだよなァ」
異質な炎の申し子は、黒化した相手を見下ろしながら鼻を摘む。
「焼け焦げたこの臭いだけは、どうにもならんぜ」
ただでさえ薄暗い室内に充満する黒煙、鼻孔へと入り込む焦げた臭い。
展示ガラスのいくつかは散々《ちぢ》に碎け、あるいは倒壊し、中に収められていた品が散乱している。
絨毯にはそれら破片とおびただしいまでの血の海、首と胴が分かたれてしまった従業員の死体。
そして、焼け焦げて息も絶え絶えに横たわる黒衣の殺人鬼。
美術館の展示区画、という場にあるまじき惨状だった。
「……ったく、どこから手をつけたもんか」
それら全てを一瞥し、サベル・アルハーノは心の底から嘆息した。
まずは、この事態を誰かに知らせる必要がある。
やむなく置いてくる形になってしまったジュリーも、とうに用を済ませているだろう。今頃、愛しの伴侶の姿がなくて困惑しているかもしれない。
「……ガ…………ハ、……グヌッ……」
この異常事態を引き起こした謎の襲撃者――アルドミラールは、完全に虫の息だった。
サベルは己が属性とは相反する冷たい視線で、この黒衣の刺客を見下ろす。
「どーすっかなァ……、っと」
――止めを刺すか否か。
即断しかねる部分だった。ここで息の根を止めてしまえば、ひとまずの危難は去る。が、謎が残る。
そもそも、このアルドミラールと名乗った相手は何者なのか。なぜ襲撃してきたのか。誰かに雇われたのか。それとも、ただの狂人に過ぎないのか。
もし何者かに差し向けられたのなら、返り討ちにしたことで『次』も考え得る。流護の名前を騙り利用した手口を鑑みれば、彼やベルグレッテにも危険が――
(……いや待てよ。そういえばこの野郎、さっき妙なことを……)
そこでふと引っ掛かったことがあったサベルだったが、
「……、オ、オ」
ほとんど生焼け肉と化した相手に尋ねて、まともな答えが得られるかどうか。知るためにはやはり拘束し、兵に引き渡すのが最善か。もっともこの大火傷では、事態が落ち着くまでもたないかもしれないが。
「お、のれ」
とそこで、アルドミラールの喉から呻き以外の音が発せられた。
「アルド、ミラール……デは、ダめダっ、……タか……」
「?」
その瀕死ぶりで口がきけたことにも驚くサベルだったが、まず妙な言い回しを訝しく思った。
「それなり、のもの、と……自負しテいタ、の、ダがな……」
どこにそんな余裕があるのか、フードの合間から覗く半死人の口元には明らかな笑み。
「タダの……アルドミラール、デは、従来の俺デは、貴様に及ばぬ、と……認めねば……ならんらしい……。実に……腹立タしい、ことダがな」
「――――」
自分のことを俯瞰から見ているような――どこか客観的な物言い。
そして直後、もうひとつ別の不可解さが加わる。
「ダが……納得しタ。俺が出向くダけの価値はあっタという訳ダ」
今にも事切れそうだったアルドミラール。言葉を発するなど到底無理かと思われた半死人。その喋りが、淀みないものになってきている。
(こいつ……、回復して――)
思うが早いか、サベルはその場から即座に飛びずさっていた。
その差は間一髪。真上から落ちてきた神詠術の一撃が、誰もいなくなった空間を押し潰す。荒んだ烈風、その中に散り煌めく透明の礫。
先ほどまでアルドミラールが振るっていた攻撃方法。これを目にしたサベルは、
「っと、馬鹿の一つ覚えかい――」
嘲笑しかけて、言葉を切った。
(――、違う)
いなした風の余波が、やけに冷たい。加えて、その風術にまぶされたガラス片らしきものは妙に丸っこく、
(ガラス、じゃない――これは、氷の……欠片……!?)
ぐんとアルドミラールの肉体が跳ね上がる。角度だけを変じたように、仰向けだった身体がその姿勢のまま直立した。立ち上がるというよりは、急浮上からの着地とでも表現するのが正しいだろう。神詠術なくては実現しない挙動だった。
「実に、実に不本意ダが……『以前の俺』デは敵わん、と認めよう。ここからは、『新しい俺』が相手をさせテもらうとしよう――」
そんな口上とともに、男はその身を包む黒ローブを脱ぎ捨てた。
「……!?」
サベルは思わず自分の目を疑った。
大陸各地を渡り歩いてきた身の上、大概のものは見慣れている。そんなトレジャーハンターですら、ただただ絶句した。
はためく黒布の下から現れたのは、半裸の肉体。
外套と同じ闇色の下衣のみを履いた、痩身の姿。死体のごとき、生気の失せた青白い身体。一切毛髪の存在しない禿頭、骸骨に薄く肉づけしただけのような、痩せ細った猛禽を思わせる面構え。その奇異な面相からは年齢がまるで読めず、二十とも三十とも、果ては四十歳代とも見える。
顔、胸、腹、腕……露わとなった肌には、古くなった切創が際限なく刻まれていた。
幾重にも走るそれらは、一見して刺青のようでもある。白蝋じみた肉体は所々が黒化しており、これはサベルの攻撃による火傷に違いない。
総じて異質な出で立ちではあったが、サベルが驚愕したのは、そのいずれに対してでもなかった。
「お前さん……何をぶら下げてんだい、そりゃ」
「見テの通り……心臓ダ」
見せびらかすように。
アルドミラールの胸や腹には、宿った果実さながらに心臓が剥き出しでぶら下がっていた。その数、実に四。それらは、脈動に合わせて鈍く赤く明滅している。
「更には脊髄も二人分、体内に移植しタ」
「……成程」
その異様極まる風体を前にして、サベルはようやくに納得した。
「実在したんだな。オルケスターとやら」
ベルグレッテから聞いた、にわかには信じがたい――まるでゴーストロアに語られるようなその話。
身体の特定部位に宿るという魂心力。『融合』なる特異な技術。それによって生み出される、複数の属性を操る詠術士――。
(昨日の一件で、俺たちのことを目障りと感じたか?)
ユーバスルラの街で展開された、レノーレを確保するための大捕物。それによってこちらの存在を知り、排除にやってきた。現況から、サベルは即座にその解を導き出した。
(……尾けられてる気配はなかったんだがな)
ともあれ、実際にこうして現れたのだから是非もなし。
『女に助けを求めんよな』、という先のアルドミラールの言から、ジュリーが別の刺客に襲われている可能性は低いと考えられる。もし彼女も狙われているのなら、その事実を告げてこちらを焦らせるはずだ。無論、楽観はできないが。
このわずかな合間にも、余裕げに笑うアルドミラールの青白い肉体から、炭化した黒がみるみるうちに消えていく。
(回復術……、それもかなり高位のもんだ)
つい今しがたまで瀕死だったはずのアルドミラールは、もはや明らかに全快していた。
「不思議なものダ……こうしテ新しく負った傷は消せるんダが、昔の傷は消えんのダ。何故ダろうな」
確かにサベルが負わせた火傷はきれいさっぱり消えているにもかかわらず、元から刻まれている切創などはそのまま残っている。
が、サベルとしてはどうでもいい話だ。
「成程な。ここからは自分の力だけじゃない……人様からぶん取った力も使うってことかい」
それはトレジャーハンターとしてこれまで培ってきた経験によるものか。
「…………」
サベルは上着の内側についている衣嚢へと手を伸ばし、収められている『それ』に触れた。指先で弾き、『起動』する。
そんなサベルの密かな行動には気付いていないのだろう。
「さテ、デは続きダ」
深手から完全に甦ったアルドミラールが、嗤う。
とにかくサベルとしては、相手が何者だろうと関係ない。愛する伴侶へと危害が及ぶ前に排除するだけだった。
神詠術。
この世界に生きる全ての人間へ与えられた、神からの贈り物。大小強弱の差こそあれ、必ず賜る力。
それを恩寵と見るか、はたまた憐憫と受け取るかは人それぞれだが、そんな不可思議で便利な力も決して全能ではない。
「クハハハハ……! どうしタ!? 手も足も出んか!?」
例えば、授かる属性はひとつだけ。賜る魂心力の量は、生まれながらにおおよそ決まっている。
攻撃系統の術、防御系統の術……もしくは、補助系統の術。それら性質が異なる術の同時行使は不可能――などなど、細かに挙げたならキリがない。
しかしそれらは誰もが知る常識であり、人々は疑うこともなくそれらを受け入れたうえで術を扱っていた。
――ゆえに、ありえないことだった。
「……ぐ、おっ……!」
大きく下がったサベルの鼻先を、飛来した鋭い氷刃がかすめていく。
さらに退路を塞ぐ形で迸る紫電の閃き。そして、足が止まったところに殺到してくる――水の散弾。
「……! ち、ぃっ――!」
回避はおろか、防ぎ切ることも難しい物量による猛攻。
咄嗟に紫炎を喚び出して相殺しようとするも、
「か、はっ!」
貫通した数発が、腹や脚を強かに打ち据える。
(手数も増えたが、やべぇのは威力……! 一発一発の重さが尋常じゃねぇ……!)
原則として、魂心力の保有量と神詠術の規模は比例する。
いくつもの心臓を外付けして多量の魂心力を獲得したことで、単純に攻撃術の威力までもが底上げされているようだった。
中でも、アルドミラール本来の属性と思われる風の威力が殊更に強い。
「どうしタ? 反撃の手が止まっテいるぞ」
何より、複数の属性が絡み合って同時に襲ってくるという情景。サベルにとって――いや、誰にとっても未知となるだろうその戦法。
「へっ……、そんなにやり返されたいのかい? まあちょっと待てよ、お前をどう焼こうか考えてる途中なんだ」
「そうかそうか」
――実際、どうする。
どう闘えば突破できる?
「無様ダな。逃げ回るしか出来んか? 先程まデの威勢はどこへ行っタ? サベル・アルハーノ」
くくと嗤う、死蝋じみた様相の男。胸や腹に接続された四つの心臓が、呼応するように光り蠢く。
その右手には氷嵐が渦巻き、左手には電光が瞬いている。熟練のトレジャーハンターとて、これまで見たことのない――あるはずがない、複数の属性を操るというその所業。
そんな信じがたい存在を前にしてなお、サベルは常と変わらぬ軽口を叩く。
「はっ。そう言うお前さんは、随分と調子に乗ってるじゃないか。他人から盗んだだけの力を振り回して」
「盗んダ……ダけ、デはない」
そこでわずかに目を剥いた殺人鬼は、さも不服そうに否定する。
「元の持ち主以上、ダ。俺が振るうことデ、『こいつら』は真価を発揮するのダ」
自らの上半身に所狭しと並ぶ四つの心臓たちを手で指し示しながら、さも誇らしげに豪語する。サベルの目には、無造作に吊り下げられたそれらが、晒し者にされる罪なき生贄にしか見えなかった。
「お前さん、あれだろ? 女を口説く時、自信満々に『お前を幸せにできるのは俺だけだ』、なんてほざくクチだろ? 疎ましがられてることにも気付かずにな」
「まダ減らず口を叩く余裕はあるようダ。が……時間の問題ダ。じき、その喉から溢れるのは言葉デはなくなる。薄汚い吐瀉物に取っテ変わる」
薄暗い展示室内に――雷、氷、風、水、炎が乱舞した。




