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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
12. アザー・オース
408/668

408. 闇と紫

 ――時は、仲睦まじい二人が別れた時点まで遡る。



 案内表示に従って閑所トイレまでたどり着いたサベルは、小走りで入っていくジュリーの背中を見送った。


(昼飯ん時の茶が響いたかな)


 と、壁に寄りかかりながら苦笑する。

 彼女は、バダルノイスの名産だという冷茶(おかわり自由)をやたらと飲んでいたのだ。そもそもヘソと生脚が丸出しなので、あれだけ摂取した後に外の冷気に晒されればやむなし、といったところだろう。

 サベルも飲んでいたら、今頃同じように隣の男性用のほうへ駆け込んでいたかもしれない。


(俺はどうにもエンメリーフの匂いが鼻についてな……)


 特に理由はないが、子供の頃からダメなのだ。ちなみにこの薬草、別段癖のあるものではない。高価だが一般に流通している材料で、サベルは自分以外にこれが苦手だという人間に会ったことがないほどだ。

 ――などと、心底どうでもいいことを考えた直後だった。


「サベル・アルハーノ様ですね……!」


 小走りで近づいてきたのは、美術館の職員らしき若い男。妙に急いだ様子で、やたら息を弾ませている。


「リューゴ・アリウミ様がご到着されました」

「ん? あァ、おう。そうかい」


 予定より早いなと思うと同時、わざわざ律儀に知らせに来なくても、と内心で苦笑する。

 が、職員は予想だにしない言葉を継いだ。


「それでですね、その……彼がお呼びです。急ぎ知らせたいお話がある、とのことでして」

「何だって?」

「一刻を争う事態とのことです。案内しますので、私についてきてください。こちらです!」


 何か言う間もなく、職員は来た道を駆け足で引き返していってしまう。


「お、おいおい!」


 ちょっと待て、と声をかけるも彼は止まらない。


「ったく……!」


 サベルは咄嗟に女性専用の閑所トイレを振り返った。

 せめて中のジュリーに一声かけておこうと思ったのだ。まさか入る訳にもいかないので出入り口から呼びかけようとしたが、そこでハッとした。彼女の他に利用者がいたりすれば、大声を出しては迷惑だろう。今の美術館の無人ぶりを考えたなら不要な気遣いかもしれないが、サベル・アルハーノは緊急時でも配慮を欠かさない紳士なのである。


 ひとまず流護と合流し、ジュリーには後ほど通信術を飛ばすのが最良か。

 そう結論した青年は、すでに先の角を曲がりかけている男の背を追って駆け出した。


 美術館内ということで規定の道順から外れての逆走は少々気が引けたが、そこは非常事態と割り切る。ああして職員が全力疾走しているのだから仕方ないだろう。


「おいおい、随分と一人で先走ってくれちゃって……! 見失ったらどうする気だよ、っと」


 少し遅れて係員を追い始めたため、まだかなり距離が開いていた。

 硬質な石が敷き詰められた回廊は目立った特徴もなく殺風景で、下手をすれば同じ場所を堂々巡りしても気付かないに違いない。

 しかし幸いにして通路は一本道。曲がる角は多いものの、行き先を間違えることはなさそうだった。


「っと」


 思った矢先に枝分かれした通路が現れたが、そのうち片方の真ん中には『展示場準備中のため立入禁止』と書かれた見覚えある看板が鎮座している。そして男性職員は、当たり前のようにその先へと走っていった。


「おいおい、俺もその先に行っちまっていいのか?」


 とはいえ、ついてこいと言うのだから仕方ない。

 サベルはさらに足を急がせ、少しずつ職員との距離を縮めていく。無数の角を曲がり、やがて彼の背に追いついたのは、薄暗い大きな部屋へと入った直後だった。


「……?」


 まずサベルは、入室するなり眉根を寄せた。

 見覚えのない展示室。ここが準備中の西棟第一展示室らしい。


 本来はかなり広い長方形の空間のようだ。天井まで届くガラスの展示箱をいくつも並べて設置することで、入り組んだ小路が生まれている。

 明かりの数を意図的に絞っているのか暗く不明瞭だが、ガラスの内側には剣や槍、盾といった武具が安置されているようだった。東棟第三展示室で見かけたような、カタナらしき剣も飾ってある。

 それはともかくとして、不可解なことがひとつ。


「……おい、どうした?」


 サベルは、部屋の中央でこちらに背を向けたまま立ち尽くしている職員へと声をかけた。

 そもそも、彼が足を止めたから追いついたのだ。


「ここでいいのか? リューゴはどこだ?」


 呼びかけに応じて、彼が振り向く。


「…………ど、う……じで……」


 ごぽり、と濡れそぼった異音。職員の口から溢れ返り、顎の下へ脈々と伝う鮮血。

 驚愕に満ちた瞳。しかしその眼差しは、すでに何も映してはいない。


 それを証明するかのように――彼の首が、ずり落ちる。


 トン、と柔らかな絨毯に転がる頭部。そして、身体の頂点へと成り代わった首から吹き上がる盛大な赤の噴水。

 命という支えを失った肉体が傾き、周囲のガラスや絨毯にどす黒い飛沫をぶちまけながら倒れていく。


 その惨劇に紛れ、サベルの視界の片隅で影が動いた。


「!」


 大きく飛びずさるサベル、直前までその首があった空間を一閃する銀の鈍光。低い風切り音と、胴体だけになった職員が倒れ伏した重い音は、全くの同時だった。


 展示棚の陰から飛び出すなり斬りかかってきた、その影。

 横たわった首なし死体を跨ぎながら現れたのは、飾り気もない黒一色のローブで頭の先から足元までを隈なく覆った人物だった。

 一見すれば性別も不明に思えるが、体格や露出している角張った顎先から、明らかに男だと分かる。

 両手で握った得物は分厚さと幅を備えた太い剣で、形状としては鉈やノコギリによく似ていた。鮮血にまみれたそれを一振り、右肩に担ぐローブ姿。


「おいおい。ほんの小一時間会わないうちに随分と別人になったな、リューゴ」


 油断なく相手を見据えたサベルが軽口を叩くと、


「虚しい……虚しいものダよな」


 黒ローブがぼそと呟く。低く篭もった、やけに聞き取りづらい声だった。

 吐いた台詞とは裏腹に、その露出している口元がぐぐっと上がっていく。


「二十年と少し、っテところか? こいつにも、生まれテからここまデ積み重ねテきタ歴史があっタんダ。それがまさか今日いきなり終わるなんテ、想像すらしテなかっタダろうな」


 言いながらつま先で職員の死体を小突く黒ローブに、


「お前さんが終らせたんだろうに」


 サベルは素っ気ない返事を投げる。


「そうダ」


 一方、相手は裂けるほどの笑みをたたえ、


「俗物なりに積み上げテきタダろう、それ。人生という名の柱を突き崩す瞬間が、『傷』を刻む瞬間が、タまらなく楽しい――」


 痙攣したように身体を震わせながら、黒装の男は独り言のように続ける。


「首っ。人の歴史を崩すには、首を落とすのが確実ダ。ダが俺は正直、タダ首を刎ねることには飽きタ。こいつを終らせテ、心底実感しタ。知っテいるか? 人は度し難いまデの恐怖や痛みを覚えると、嘔吐するんダ。そこダ! 今、俺が魅力を感じテるのは、その瞬間なんダ。人目も憚らず吐瀉物を撒き散らしテ命乞いする奴、その首を叩き飛ばす。するとな、吐いテタものが喉の穴から飛び散るんダ。それはもう無遠慮にな、醜いなんテもんじゃない。壮観ダぞ。貧民街の壊れた下水管の方がマシに見えるほどダ。吹き出す血と溢れテくる胃の内容物デ、もうぐちゃぐちゃになるんダ。直前までその肉塊が人ダっタ、なんテ思えないぐらいにな」


 一人でとめどなく羅列し、サベルへと一歩近づく。手にした大振りの刃を閃かせながら。

 はためく黒衣に包まれたその威容は、まるで歌劇に登場する殺人鬼そのもの。


「サベル・アルハーノ、お前もダ。朝、昼、そしテほんの一分前まデ――まさか今日、自分が首から汚物を撒き散らしながら死ぬことになるなんテ……思いもしなかっタダろう? タまらんよ。俺がそれを成すと思うとな」


 ニタリと笑んだ殺人鬼が、足元に落ちていた『それ』をサベルへ向けて蹴り飛ばす。


「!」


 咄嗟に躱したサベルのすぐ脇を飛んでいったのは、職員の生首だった。


 すれ違いざまに見えた彼の表情は、やはり崩れ落ちる直前のまま。何が起きたか分からない驚愕に満ちたままだった。

 そんな死者への冒涜を皮切りに躍りかかる、黒衣の男。ノコギリじみた大きな凶器を振りかぶった――その横っ面で、青黒い火花が爆発した。


「グッ!」


 呻いて大股で下がる相手に対し、


「何でもいいんだが」


 突き出した右拳から白煙を舞わせ、サベルは平坦に紡ぐ。


「自分の特殊な趣味を語って聞かせる前に、まず説明すべきことがあるだろ。誰だよ、お前は。リューゴの名前を使ってまで、俺を呼び出した理由は何だ?」


 灯る。サベルの両腕に、爆炎の劫火が。周囲を鈍く染め上げるその色彩は、黒みがかった紫。


「お前にとって最後の会話だぜ、変態黒マントよう……名前ぐらい名乗ってみちゃどうだい」


 サベル・アルハーノは、決して正義の味方ではない。

 見ず知らずの人間が殺されたとて、義憤に燃えたりはしない。そんな『よくあること』でいちいち心を乱していては、生きていけない。その程度に、故郷を失って否応なく放り出された外の世界というものは過酷だった。


 しかし『よくあること』だからこそ、知っている。


 世の中には、度し難いまでの悪が存在することを。その場で排除しなければ厄災を振り撒きかねない、正真正銘の『凶』が存在することを。

 せめて犠牲者が安らかに眠れるように、その毒牙にかかる者が再び現れないように。そして自分の身と、愛しい女性を守るために。


「名前ぐらい俺の耳に残していきな。これから炭になるお前の身体は、風にでも吹かれたら何も残らなくなっちまうんだからよォ……!」


 猛るのだ。

紫燐ウィステリード』の二つ名を有する青年は、立ち向かうことを厭わない。


「紫の炎……なるほど、聞いタ通りダ。面白い」


 サベルの両腕に宿る紫の灯火。その揺らめきに照らされた殺人鬼の姿が、より不気味さを増す。


「――アルドミラール。それが俺の名ダ。お前の人生を崩す者の……名ダ」


 手にした鉈剣を横一閃。アルドミラールは、至近の展示箱へと峰を叩きつける。耳障りな音とともに、砕かれたガラスの破片が舞う。そして、


「足掻いテ見せろ――」


 かすれた言葉に従い、前触れなく発生する突風。その勢いに乗り、サベル目がけて一挙殺到するガラス片の煌めき。


「どうも、お前とは意見が合いそうにないな」


 大小入り乱れた透明の刃、その全てを発現させた紫の渦で防ぎ散らしながら、炎の青年は言い捨てる。


「足掻かなくていいぞ、アルドミラールとやら。恋人を待たせてるんでな」

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