391. 白銀の聖女
室内には護衛の姿などもなく、待っていたのはただ一人。
青の幕やタペストリで彩られた、厳かな部屋の中央。
レインディールと違い、据えられている玉座はひとつだけ。そこに腰掛けていた人物は、一国の主らしく堂々と構えている――ことなく、流護たちの入室とともに立ち上がった。
「ようこそお越しくださいました、皆様。お初にお目にかかります。私は、エマーヌ・ルベ・オームゾルフ。現在のバダルノイス神帝国を預からせていただく者です」
透き通るような声、優美な一礼。聖女、その呼び名に偽りなし。
流護が受けた第一印象はそれだった。
銀色の意匠が施された汚れなき純白のローブに身を包み、同色の長い神官帽を冠したその姿は、女王よりも聖職者といった趣が強い。
優しく細められた瞳、長く伸ばされた髪ともに、目の覚めるような青銀色。白く透き通るような肌、小造りに整った面立ち。儚げながらも美しいその姿は、まさにこの氷雪の国を見守る精霊がごとし。神性、とでも呼ぶべき雰囲気の備わった人物がそこにいた。
「……お、お初にお目にかかります。私はレインディール王国は準ロイヤルガード、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します……!」
さすがに、女王相当の人物がいきなり向こうから真摯に挨拶をしてくるとは思わなかったようだ。生真面目な少女騎士が慌てて名乗りを上げ、跪こうとする。が、
「あ、よいのです。楽になさって」
オームゾルフ自身が、にこやかにそれを遮った。
「我々が請うてお招きしたのです。お客様のお膝を折らせるわけには参りません。そして何より……早速で恐縮ながら、本題に入らせていただきたいと存じます。長旅でお疲れのことと思いますが……どうかご容赦を」
聖女の青銀の瞳に、優しさ以外の強い光が灯ったように見えた。
「ひとまず本日のところはイシュ・マーニの時分となってしまいましたし、簡潔な情報交換のみに留めましょう。お時間は取らせません。この後、皆様にお泊まりいただくお部屋へご案内いたしますので」
「承知しました」
ベルグレッテも力強く頷く。
流護としても、上流階級の挨拶だの形式だのは面倒臭いばかりなので、この即断ぶりはありがたい。オームゾルフはそのおっとりした外見に似合わず、話の早い人物のようだ。もしくは、レノーレの一件がそれほどまでに逼迫しているか。
「まず……我々バダルノイスが抱える事情については、ある程度ご理解されている――という前提で、お話をさせていただいてよろしいでしょうか」
「はい」
ベルグレッテが肯じ、
「僭越ながら、僕……私から説明させていただきました……!」
後ろに控えていたヘフネルが、緊張も露わに最敬礼で報告した。
「あら、ありがとう。では、本題に入らせていただきますね」
オームゾルフは前半を自国の若兵に、後半を一行に向けて言う。
まずは、数日前の夜に宿で聞いた話と同じ内容が、今一度彼女の口から語られた。
レノーレが『ペンタ』メルティナ・スノウを連れ、姿を消したこと。
見え隠れする、犯罪組織オルケスターの影。
そして、予測されるレノーレの最終目的。莫大な魂心力を得て、それにより母親の記憶喪失を癒したいという願い……。
「我々としては、何としてもレノーレを止めたいと考えています」
まぶたを伏せたオームゾルフは、己の胸に手を当てて呟いた。そういった所作のひとつひとつが実に様になっている。
「ここまでにおいて、何かご質問などございますでしょうか」
そう一同を見渡す聖女に対し、
「……では失礼ながら私から、ひとつよろしいでしょうか」
ベルグレッテが頷く。どうぞと促すオームゾルフに従い、少女騎士は切り出した。
「今ほど、オームゾルフさまはレノーレを『止めたい』と仰いました。このお言葉は、そのままの意味で解釈してよろしいのでしょうか。レノーレを『殺める』のではなく、あくまで『その所業を阻止する』ことが目的であると」
どちらかといえば、それはベルグレッテ自身の……もちろん流護としても、『願い』に近い。そうあってほしい、という。
「ベルグレッテさん……でしたね。レノーレとは、そちらの王立ミディール学院で共に学ばれているのだとか」
「はい」
「我が国の民を……彼女を大切に思ってくださっているのですね。感謝いたします。ご質問についてですが、我々としてもそのように考えております。レノーレを討つことが目的ではございません。傷つけず確保することができれば、それが最善と考えております」
その回答にホッとする流護だったが、ベルグレッテは表情を緩めなかった。それどころか不可解とばかりに、切れ長の美しい瞳が細まる。
「では……レノーレを生死問わずの賞金首と認定なさったのは、いかなるご事情によるものなのでしょうか?」
少女騎士が呈した疑問に、流護もハッとした。
それは矛盾だ。
バダルノイス側はレノーレを殺すつもりがないと言いながら、生死不問で手配している。今この瞬間にも、あの少女の命は危険に晒されている。
「……バダルノイスも、一枚岩ではないのです」
聖女が発したのは、呻くような一言だった。
「『雪嵐白騎士隊』の長……スヴォールンが、レノーレの生死を問わない処分を強く望み……そして、主導しています」
「!」
出てきた名前を聞いて、流護は目を見張る。と同時、勢いのまま喋り出していた。
「ちょっと待ってくださいよ。スヴォールンって……その、腹違いでもレノーレの兄貴なんですよね? なのに……」
妹の死すら厭わず――どころか、率先して処断しようとしているのか。
飲み込んだその言葉を察したか、オームゾルフは小さく答える。
「……同じグロースヴィッツの名を持つ者……だからこそ、という面もあるのだと思います」
「…………、」
貴族の矜持、ということだ。
身内の恥をそそぐ。あるいは、そのように動くことで相対的に自らの価値を高める。
学院で対峙したスヴォールンの人柄から察するに、どちらもありそうだと流護には思えてならない。
「『雪嵐白騎士隊』は、バダルノイスが擁する精鋭騎士団でしたな。なら女王の貴女が強く言えば、その隊長殿とやらも考えを改めるのでは?」
そんなサベルの疑問に対し、
「いいえ。『雪嵐白騎士隊』は、私個人に忠誠を誓っているわけではありません。彼らは彼らで、バダルノイスのためを思って独自に動いています。場合によっては、私と正反対の意見を主張することもあります」
「今回の件がまさにそれ、ってことかしら」
ジュリーが肩を竦めた。
弱々しく微笑みながら、聖女は独白する。
「それに……私など、所詮はお飾りの小娘。代々続いていた主導者の系譜ではなく、教団からやむなく引き抜かれた身です。軽んじられている部分があることは、否定できません」
バダルノイスはバダルノイスで内部に色々抱えてそうだな、と流護は胸中で溜息をついた。
「それに……レノーレを生死問わずで手配している理由は、もう一つあるのです」
雪国の長は続けた。
「――もし……レノーレが、すでに『力を手にしている』ならば」
「!」
腫れ物に触れまいとするかのような言い回し。
しかし、流護も即座に察する。
「その仮定が現実のものとなったなら……レノーレは、恐るべき力を秘めた存在となるでしょう。少なくとも、バダルノイスで右に出る者はいないほどの詠術士に。となれば……捕縛、などと手緩いことは言っていられなくなるはずです」
すでにメルティナが死亡し、その力の宿った臓器を摘出されていたら。レノーレが、『融合』に成功していたら。
レドラックやブランダルですら、あれだけの能力を発揮したのだ。その力は、どれほどの脅威となるか。
(うーん……でも、それってなぁ)
五日前。ハルシュヴァルトの宿で兵長ヒョドロからも告げられた、悪夢のような推測。
流護にとっても衝撃的だったが、時間が経過し落ち着いてみると、実は個人的にやや気がかりな部分が出てきている。
少年のそんな内面をよそに、サベルが口を開く。
「危惧されるお気持ちも理解できますが、その可能性は低いのでは? メルティナ・スノウといえば、音に聞こえし北方随一の英雄だ。そう簡単にやられるとは思えませんが」
その意見に対し、しかし聖女の表情は曇ったまま。
「メルティナは……負けず嫌いで強気な気性ゆえ、他者にきつく当たることもありますが、本質的には快活で心優しい娘です。そしてレノーレとは、無二の親友同士とも呼べる間柄。彼女らは、非常に強い絆で結ばれています」
その発言の意図が分からず、流護は眉をひそめる。
「ま、さか」
一方で乾いた声を漏らしたのは、ベルグレッテだった。
「メルティナ氏が、自発的に……?」
「……そのような行動に出る可能性も、ないとは言い切れません」
「な……」
ようやく流護も理解した。
つまり――事情を知ったメルティナが、自分から進んでレノーレに協力する。魂心力の宿った己の臓器を差し出す。
「ちょっとちょっと、いくら何でもそれはありえないんじゃない? だって、その『融合』だかをやったら、自分は死んじゃうワケでしょ……!?」
目を白黒させるジュリーには、ベルグレッテが追従する。
「そ、それに……このバダルノイスにおいて、自死を始めとした自棄的な行いは禁忌とされていたはずです」
「仰る通りです。……しかしあの自由なメルティナならば……彼女なら、あり得ない話ではないと考えています」
聖女がそう答えると、しばしの沈黙が場を支配した。
「私が皆様をお呼びしたのは、未だ捕らえられないレノーレについて、膠着状態を打破できるような情報が得られないか。そして仮に『手遅れ』と判明した場合、戦力としてご助力をいただくため」
『真言の聖女』は、その名に違わず率直にそう告げた。
「……またひとつ、質問をよろしいでしょうか」
静かな問いかけは、ベルグレッテのもので。
はい、と聖女に促され、彼女も覚悟を決めたように発する。
「もし『手遅れ』だった場合、レノーレの処断については……いかようになさるおつもりでしょうか」
何度目かの静寂。
「……そうですね」
それを破る聖女の声。わずかな間を置いて、
「仮にメルティナが自分の意思で協力したとしても……やはり、我が国でただ一人の『ペンタ』が……名高い英雄の存在が失われてしまうとなれば、それは看過できぬ一大事です。仮にその力をレノーレが受け継いだとしても、です。そのような行為に与していたとなれば……極刑は免れぬでしょう。むしろメルティナが自分の意思で協力したならば尚更、と申しましょうか。自死を禁ずるキュアレネーの教えに反するのですから。その力を得たレノーレは、多くの人にとって許されぬ存在となるはずです」
嘘をつかないというバダルノイスの支配者は、はっきりと断じた。
(……、)
流護とて、全く予期していなかった訳ではない。
事の規模の大きさから、その結末はありうると思っていた。それでいながら、極力考えないようにしていた。
いかに母を治療するためとはいえ、オルケスターなどという犯罪組織に加担してしまったことも、恩赦を受けられない要素となるはず。
(もう……話がデカくなりすぎちまってる……いや、)
話の大きさにようやく気付いた、というのが正しいか。
仮に最悪の事態を免れ、レノーレもメルティナも存命のまま事件が解決したとしても、レノーレがミディール学院へ戻ることはもはや不可能だろう。
最初から、そんな規模の話だったのだ。
自分たちは、今ようやく知ったというだけ……。
流護が密かに噛み締める中、
「――承知しました」
返答は、この上なく凛としていた。
「ご協力させていただきます。この件を解決するために」
断じたベルグレッテの、その言葉に。レノーレを止める、救うといったセリフは含まれていなかった。
それこそが、『万が一』を覚悟した証であるように。




