382. 知らないことばかり
ハルシュヴァルト北東部。
白雪に包まれた閑静な街の一角に、その屋敷はあった。三階建ての、いかにも貴族が住んでいそうな大きめの邸宅。
目を引くのは、やたらと急勾配な屋根か。傾斜は下手をすれば六十度ほどもありそうで、その下にはダイゴスの背丈よりも高い雪山がこんもりとできている。屋根に積もった雪がすぐ落下する造りなのだ。
白曜の月、二十日。天候は曇り。
午前中にハルシュヴァルト入りを果たした流護、ベルグレッテ、サベル、ジュリーの四人は、昼を間近に控えてこの場所へ到着した。
「ここが……レノーレの屋敷、か」
「そうみたいね……」
流護の呟きに対するベルグレッテの返答は、どこか寂しげだった。
(……そう『みたい』、か)
親友のベルグレッテでも知らないのだ。
複雑な心境で建物を仰ぎ見る流護たちとは対照的に、
「ここまで来て突っ立っててもしょうがないぜ、お二人さん。お邪魔してみるとしようじゃないか」
元々レノーレと何のかかわりもないサベルは、笑顔で軽く言ってのける。が、彼の発言ももっともだ。尻込みしても仕方がない。
「よし……行くか、ベル子」
「ええ」
長期休暇のたびに、レノーレが帰ってきているはずの場所。
流護もベルグレッテも、「家族と住んでいる」としか知らされていない。家族構成は不明。だが、病気の母親がいることはレノーレ本人から聞いている。
あとは、退学届けを送ってきたウェフォッシュという使用人の存在ぐらいか。
敷地内に入って重厚な扉の前まで進み、備えつけられているノッカーを鳴らす。
もう一度鳴らしてみようかと思った頃、扉が重々しい軋みとともに開け放たれた。
出てきたのは、兵士と思しき一人の青年だった。
年齢は流護たちより上、サベルたちより下、といったところか。優しげな顔立ちの若者で、裏を返せば少し頼りないとも感じられる。
銀色の軽装鎧を着ているが、やはり形状や意匠はレインディールのものとやや異なるようだ。特徴的なのは端々に刻まれた蔦のような模様で、洒落た雰囲気を醸し出している。
「……ええと、あなた方は?」
訝しげな顔で問いかけてくるその兵士に対し、一礼した少女騎士が受け答える。
「お初にお目にかかります。私は、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します。このたびはレインディール王国より、遣いとして参りました」
ナスタディオ学院長が発行した証明書状を掲げると、
「あ、はい……拝見してもよろしいでしょうか?」
「ええ、ご確認ください」
受け取って文面に目を走らせた青年兵の表情から、わずかに警戒していた気配が消えていく。
「なるほど、レインディール……ミディール学院、ですか。確かこの学院は……つまり、あなた方のご用件は……」
「はい。レノーレ・シュネ・グロースヴィッツについてです」
ベルグレッテの即答を受けて、兵士は迷ったように視線を泳がせた。
「……そう、ですね。ええ、はい。ここでは何ですので、中へどうぞ」
促されて屋敷内へ入ると、豪奢な外観に違わぬ内装の空間が広がっていた。
ロビーの天井から吊り下げられたシャンデリア、敷き詰められた値の張りそうな柄絨毯。清掃も行き届いていそうだ。
兵士の後に続いて歩きながら、しかし流護の脳裏には違和感がよぎる。
(何か閑散としてるっつーか……あんま生活感がないよーな……?)
家族が暮らしている場所、という感じがしないのだ。
途中で誰かとすれ違うこともなく、四人は広い客間へと通された。勧められて、一行は中央のソファに腰を落ち着ける。
対面に座った兵士が、神妙な面持ちで軽く頭を下げてきた。
「あっと、名乗り遅れました。僕は、この街に駐在しているバダルノイス正規兵、ヘフネル・アグストンと申します」
「あ、えーと……レインディールの遊撃兵、リューゴ・アリウミです」
「俺はサベル・アルハーノ、こっちのルグミラルマの精霊も顔負けの美女はジュリー・ミケウスだ。まァ、俺たちはただの付き添いなんだが……同席しても大丈夫かい」
「ああ、ええ、はい。どうぞ……」
ベルグレッテが見せた書状の信頼性から、その連れの素性も問題はないと判断したのか。ヘフネルは快く首肯した。……と思いきや、
「……ん? サベル・アルハーノに……ジュリー・ミケウス?」
彼は訝しげに眉をひそめ、
「え!? も、もしかして……『紫燐』のサベルに、『蒼躍蝶』のジュリーですか!?」
目を見開いて驚きにのけ反る。
「おっ、何だ。知ってるのかい、俺たちのこと」
「し、知ってます! 知ってますよ! ベーリョン遺跡の偉天宝剣の話、有名じゃないですか! すごいなあ、まさかこんなところでお会いできるなんて!」
「はっは、そりゃまた光栄だ」
「ふっふふ。やっぱり有名人よね~、あたしたち!」
トレジャーハンターの両名はご満悦だ。
(あれ、ちょっ。俺が名乗っても何も反応なかったんすけど……)
最近それなりに知られつつある自負のあった流護は、ちょっとだけヘコんだ。まあレインディールなら有名人だし、つか別に知られてなくてもいいしなどと内心でうじうじするうち、ベルグレッテが口を開く。
「ヘフネルさん、ですね。レノーレの親族のかた……ではないのですね」
「あっ、ええ、はい。僕はしばらく、この屋敷で来客対応をするよう上から言われていまして……彼女とは、無関係の人間です」
「誌商対策、ってところかい」
サベルに言われ、ヘフネルは「ええ、まあ」と曖昧に頷く。
(誌商……あーなるほど、そういうことか)
流護にも察しがついた。
何しろ、賞金首となったレノーレの金額が金額である。言い方を変えれば、今のバダルノイスで最も話題の人物となっていてもおかしくない。
広報誌商団――現代日本でいうところの新聞社みたいなもの――にしてみれば、これ以上ない格好のネタだ。
そんな連中に日々押しかけられては、レノーレの家族もたまらない。来客を精査するために、このヘフネルがこうして詰めているのだろう。
「ご家族のかたにお話を伺うことは、できますでしょうか?」
逸るようにベルグレッテが尋ねるが、
「……その……彼女の家族について、あまりご存じではありませんか?」
逆にヘフネルから、そんな問いが返ってきた。
「……っ」
少女騎士も、気勢を削がれたように押し黙る。
たった今、投げかけたその質問だけで。
レノーレの家族構成について詳しくないと、悟られてしまった。
長期休暇になると、家族が住んでいるハルシュヴァルトの屋敷へ帰る。秋頃、母が急病を患った。ウェフォッシュという名前の使用人がいる。
流護が知っているのはこの程度だが、ベルグレッテやミアも大差ないと聞いている。
もっとも相手が誰であろうと、自分のことをベラベラと喋るレノーレの図はちょっと思い浮かばない。
「現在、この屋敷の住人は……駐留している僕を除けば、使用人のウェフォッシュ氏だけです」
元々は母親とレノーレ、そしてウェフォッシュの三人で暮らしていたという。
グロースヴィッツ家は古くよりバダルノイス上流貴族に名を連ねる系譜だったが、当主たる父はレノーレが幼い頃に他界。
現在のバダルノイスでは、一部の上位貴族にのみ一夫多妻が認められている。グロースヴィッツもその資格を有したため、レノーレには異母兄弟が何人か存在している。ただ、彼女自身ですらその正確な人数を把握してはいないようだ。
「一夫多妻、ねぇ。一人の男の人に奥さんが何人も、かぁ~……うーん……」
話を聞き、眉根を寄せるのはジュリーである。特定の男性に一途な彼女としては、思うところがあるらしい。
「まァ、そう言うなよジュリー。それだけバダルノイスもヤバかった、ってことだ。かくいう俺も噂に聞いた程度でしかないんだが……よっぽどだったみたいだな、『滅死の抱擁』ってのは」
「……ええ、はい。僕は当時、まだ子供で……住んでいる地域も違っていたので、直接の経験はしていないのですが」
十数年前の冬。
バダルノイス北西部を、かつてない大寒波が襲った。
国土の四分の一に当たる地域が、およそ一ヶ月近くもの間、止むことのない猛吹雪に晒され続けたという。その凄まじさから、通信の神詠術が遮断されるほどだったらしい。
寸分先も見通せぬ悪天候によって交通網が遮断され、それに伴う住民の孤立も発生。食料が底をつき、業を煮やして外に飛び出し行方不明、もしくは留まって餓死、といった惨事も多発。
さらには倒壊した家屋の下敷きとなった者、厳しい寒さにより凍死した者……それら被害者の数、実にバダルノイス全人口の三割。
該当地域に大きな街や工場が密集していたことも、甚大な被害へ繋がる要因となってしまった。
これが、『滅死の抱擁』と呼ばれる未曾有の大災害。
人々は、氷の女神キュアレネーの怒りだと大いに恐れ慄いた。
この厄災――あるいは『裁き』によって、バダルノイスの文化・文明は五十年分ほど後退した、と主張する識者もいるのだとか。
そんな大打撃から国力を回復させるために、当時の為政者が打ち出した政策のひとつが――
(一夫多妻制、なぁ……)
とにかく、藁にすがってでも激減した人口を何とかしたかったに違いない。その対応の成否はともかくとして、
(結果、グロースヴィッツって貴族の奥さんの一人から、レノーレが生まれた……って訳か)
現代日本で生まれ育った流護としては、正直ピンとこない感覚だった。飲み込めないでいる間にも、ヘフネルが続きを話す。
「これも聞いた話になりますが……レノーレ……氏の神詠術の才能は、相当に抜きん出たものがあったそうです。バダルノイス史上最年少となる十一歳で宮廷詠術士として登用され、目覚ましい活躍をしたと聞いています」
「……やっぱり……」
ヘフネルの言葉に力なく呟いたのはベルグレッテだ。普段のレノーレの様子や能力から、思い当たる部分があったのだろう。流護としても、なるほどと納得するところだ。
「ついには我が国の秘蔵戦力……『ペンタ』であるメルティナ・スノウ氏の従者を務めるまでになり、将来は『雪嵐白騎士隊』入りも確実、と有望視されていたとか。グロースヴィッツ家の血縁、異母兄妹とはいえ兄と妹の同時所属もありえるのではないかと」
「ん? 兄……って?」
呆気に取られるのは流護である。声には出していないが、ベルグレッテも目を丸くしていた。
「ああ、ご存じありませんでしたか。『雪嵐白騎士隊』の隊長、スヴォールン様はレノーレ氏の腹違いの兄上になるんです」
「スヴォ……!?」
流護とベルグレッテは全く同時に仰天した。
「スヴォールンって、あのスヴォールンか……!?」
「ええ、はい。そのスヴォールン様です」
ヘフネルとしては、自国の精鋭騎士という認識だろう。しかし、流護はもちろん違う。
忘れようはずもない。あの高圧極まる態度と振る舞いを。
(あの野郎……てめえの妹を罪人呼ばわりして、あんなに部屋までメチャクチャにして行きやがったのか……)
何も、必ずしも兄と妹の仲が良好でなければならない訳ではない。母親も違うという。とはいえ……。
「おっと、話が逸れてしまいましたね。ともあれレノーレ氏は、宮廷詠術士として非常に優秀だったと聞いています。ですが……」
「ですが?」
ジュリーに促され、若い兵士は気乗りしなさそうに続ける。
「やはり……当時、同僚からの妬み嫉みというものが、半端ではなかったらしいです」
そう聞いて、サベルがさもありなん、と重い相槌を打った。
「十一歳で宮廷詠術士……ってことは、同僚なんぞ一回りも年上の連中ばっかだったろうしなァ。そいつらにしてみりゃ、年端もいかない嬢ちゃんに肩を並べられて面白くない訳だ」
「ええ、はい……。そのうえレノーレ氏は、嫌な顔ひとつせず仕事を引き受けてこなす性格だったそうで、上からの評価も非常に高かったようです」
となれば、同僚からの風当たりがどうであったかなど、もはや考えるまでもない。
「その後レノーレ氏は、十四歳の時に宮廷詠術士を辞職。皇都からも離れ、母君のレニン氏と一緒に、このハルシュヴァルトへと……この屋敷へと住居を移したそうです」
高い評判にもかかわらず、わずか三年での退職。加えてわざわざ引っ越したとなると、それなりの事情があったのだろうと察せられる。
「王宮の人間関係で色々あったんでしょうね、かわいそうに。あー、これだから宮仕えってイヤなのよ。せっかくの才能を育てるどころか、よってたかって潰そうとするんだから。あー、やだやだ!」
分類としては冒険者――自由人となるジュリーは、苦々しい顔で肩を竦めた。
「しっかし、それだけデキるお嬢ちゃんとなると……父親のグロースヴィッツ卿ってのは、かなり凄腕の詠術士だった訳か? 沢山の嫁さんを娶るに申し分なし、ってところかね」
そんなサベルの言葉に対し、ヘフネルはすまなそうに「いえ」と口にする。
「グロースヴィッツ卿は、主に内政面で才能を発揮された方でして……。母君のレニン氏のほうが、高名な宮廷詠術士として活躍されていました」
「おや、そうなのかい」
「ええ、はい。レニン・シュリエ・グロースヴィッツ。おそらくバダルノイスの王宮関係者で、その名を知らない人はいないでしょう。掛け値なしに、国一番の宮廷詠術士だったお方です」
「……『だった』? と、いうことは……」
ベルグレッテがその部分を指摘する。察したヘフネルが重く頷いた。
「ええ、はい。残念ながら、何年か前に現役を退かれました。レノーレ氏と一緒にハルシュヴァルトへ移って以降は、この屋敷で暮らしておられましたが……去年の秋にご病気を患い、今は王宮に戻って治療と経過観察を受けておいでとか」
「そうだ。その……レノーレの母ちゃんの病気、ってのは何なんすか? 詳しく聞いたことなくて」
そこに、少なからず手がかりがあるかもしれない。
そんな理由から何気なく尋ねてみた流護だったが、直後、頭を殴られたような衝撃を味わうこととなる。
「その……実は、病気と言っていいものなのかは難しいところなのですが……。……記憶喪失、だそうです」
「――――――――」
去年の秋。
母が急病を患ったと、唐突に学院を発った物静かな少女。
流護とベルグレッテが原初の溟渤への遠征や現代日本への逆トリップを経験している間、彼女はしばし故郷に滞在していたと聞く。
そして――『白兎の静寂』を控えた、ある冬の日。
学院の資料室で偶然出会った、レノーレとのやり取り。走馬灯さながらに、あの会話が少年の脳裏を巡る……。
『……あなたは記憶を失っていたけど、最近になって取り戻したと聞いた』
なぜそんなことを、と思ったのだ。
『……何が切っ掛けで記憶を取り戻したの?』
『記憶が戻る前後で、心身に何か変化はあった?』
『記憶を失う前と後、両方のことを覚えてるの?』
『記憶がなかった期間はどのくらい? お医者様には診てもらった?』
物静かな彼女らしくなかった、矢継ぎ早の口調も。
『……そう。……記憶を失ってなんて、いなかったのね』
流護が記憶喪失ではないと知ったときの、あの反応も。
(そういう……こと、だったのか……)
感じたに違いない。軽々しく記憶喪失と偽った流護に対して。落胆を。怒りを。
流護も後ほど知ったことだったが、この世界において記憶喪失は非常に珍しく、ほとんど確認されていないらしい。
「ふーむ。記憶喪失、ときたか……。さすがの俺でも驚きだぜ、実在するんだな。何もかも、きれいさっぱり忘れちまうもんなのかね?」
流護の内心の衝撃など知るよしもないサベルが首を傾ぐ。
「少なくとも、レニン氏の場合は……全てを忘れてしまわれた、と」
聞かされた全員が、にわかに息を飲んでいた。
『全て』。
短いその言葉に、とてつもない重みが凝縮されている……。
「す、全て? ほんとに全部なの? たとえば、自分が誰なのか、ってことも……?」
ジュリーの言葉に、若い兵士は無言で頷いた。
誰も口にしなかったが、そうなれば当然――
(レノーレのことも……)
凄絶。
そして、流護は改めて愕然とする。
そんな彼女に対し、「実は俺、記憶喪失じゃなかったんだ」と語った。やっと本当のことが話せると、それはもう嬉しそうに。
事情を知らなかったとはいえ、何という仕打ちをしてしまったのか。
「記憶がなくなると、神詠術の扱いなんかはどうなるんだろうな?」
「力を発現することそのものはできますが、独自に考案した技術などは……。やはり、手順や方法を忘れてしまうようで……」
「生まれ持った魂心力は残っても、詠術士として積み上げたモノは失われちまう、ってところか。そいつは残酷だな……」
サベルが沈み切った口調で零し、場が沈黙に包まれた。
流護以外の者にしてみれば、神詠術の技術や知識すらも消えてしまうという事実は、この上なく恐ろしいことに違いない。おそらく己の全てを失うに等しいはずだ。
「……レノーレがどのような罪を犯したのか、お尋ねしてもよろしいですか」
ややあって、決心したようにベルグレッテが切り出していく。何もかもを胸のうちに押し込めたような表情で。
しかし一方のヘフネルは、
「それは……僕の一存では、何とも……」
「どういうこった? 賞金首――っと、今は敢えてそう呼ばせてもらうが、その詳細ってのは兵士に訊けば教えてもらえるもんだろ?」
そんなサベルの疑問に対し、
「レノーレ氏の場合、懸賞額が額なので……無用な混乱を避けるため、兵舎でのみお答えすることになっているんです」
「ちょっとちょっとー、ここまできて随分とおカタい対応ねぇ」
「も、申し訳ございません。ですが、決まり事ですので……」
呆れたようなジュリーの言にも、若い兵士は縮こまるしかないようだ。
ベルグレッテはといえば、表情ひとつ変えずに頷く。
「いえ、承知しました。後ほど、詰め所のほうに伺います。では、使用人のウェフォッシュ氏にお会いすることはできますでしょうか」
こちらの要求は通り、「失礼」と席を外したヘフネルがほどなくして一人の女中を連れてきた。
何の変哲もない――と評しては無礼だろうが、いかにも屋敷に仕えるメイド、といった静かな雰囲気の女性。
歳は二十前後か、表情に乏しい、落ち着いた物腰の人物だった。外見はまるで異なるが、密やかな佇まいはどことなくレノーレに通じるようにも思える。
「……そう、ですか。レノーレお嬢様の……」
ベルグレッテから簡単な事情説明を受けて、ウェフォッシュは抑揚なく呟いた。
「このレノーレの退学届けを記入されたのは、あなたですね」
「はい」
少女騎士が提示した紙切れに視線を落としながら、メイドは首肯する。
「どういった経緯であなたが?」
「レノーレお嬢様が尋ね人となられた後、そちらの学院長様からお手紙を頂戴しまして……どのように対応すべきか兵舎にお伺いしたところ、退学届けを出しておけ、とヒョドロ様が……」
ここで流護の中に、ちょっとした納得いかない反発が生まれる。サベルやジュリーも同じだったらしく、やや釈然としない表情を見せていた。つまり、
(退学届け出しとけって言われて、素直にすんなり出したんかい……)
「ヒョドロ様、というのは?」
ベルグレッテが尋ねると、
「この街のバダルノイス側を統括する、兵士長のお名前です」
これに答えたのはヘフネルだった。
「その……ちょっと気の荒い方なので……ウェフォッシュ氏も、従うほかなかったと思います」
流護たちの内心を察したか、メイドを擁護するように言い添えた。
小さく頷いた少女騎士が質問を続ける。
「レノーレの件について……なにか、お心当たりは?」
「兵士様がたからも、幾度となく尋ねられましたが……特に何も……」
「レノーレが失踪する前後に、なにか変わったことはありませんでしたか? どんな些細なことでも構いません」
「それにつきましても、兵士様がたに尋ねられましたが……」
何もなし、か。
そう察するや否や、ウェフォッシュは妙なことを口走った。
「ええと……一点だけ。お嬢様がいなくなられる数日前、玄関の扉が破損しまして……」
流護ら四人は、一様にきょとんとなる。
「あ……やはり、不必要なお話でしたね……」
「あっ、いえ……構いません。念のため、お聞かせください」
ベルグレッテが優しく促す。
「兵士様がたからは、どうでもいいとお叱りを受けてしまったのですが……。玄関の扉が壊れてしまったとお嬢様からご報告を受け、修理に出すよう言付かりました」
(はは。本当にどうでもよさげな話っぽいな……)
そう思う流護だったが、ベルグレッテは訝しげに眉をひそめていた。
「レノーレが、自分からあなたに報告をしたのですか? 玄関の扉が壊れてしまった、と」
「はい。その扉の破損状況が、また奇妙と言いますか……真っ二つになっていたのです。硬い黒檀の扉が、縦にすっぱりと」
両断されたみたいになっていた、ということらしい。上等なノコギリを使ってもここまできれいに切断できるかどうか、と職人も首を傾げていたという。
(……なるほど。劣化した蝶番が外れてもげたとか、何かの拍子にぶっ壊しちまったとかだと、普通そうはならんわな……)
見るからに頑丈そうな扉だった。奇妙といえば奇妙だが……。
(誰かと争った、とか?)
そのセンも否定できない。仮にそうだとすれば、一体相手は何者なのか。そこに、どういった経緯があるのか……。
「レノーレに尋ねなかったのですか? その扉について、なにがあったのか」
「はい。私のほうからは、余計なことを訊かないようにしています」
その後もあれこれとベルグレッテが質問をするが、成果は得られなかった。
「何だか淡白な感じだったわねぇ、あの女中さんってば」
開口一番。屋敷の外へ出るなりそう零すジュリーは、見るからにすっきりしない面持ちだ。
「…………」
一方、豪邸を無言で振り仰いだ流護は、心のどこかで納得していた。
ウェフォッシュは、レノーレと母親がこのハルシュヴァルトへやってきてから雇った住み込みの使用人だという。
そうしてこの街で暮らし始めてすぐ、レノーレはレインディールへと渡り全寮制のミディール学院に通い出した。ウェフォッシュとともに過ごした時間は、きっと予想以上に少ない。
そのうえ、あの物静かなレノーレの性格を考えたなら、自分から気さくに話しかけたりしないことは明白。ウェフォッシュはウェフォッシュで、明らかに内向的な性格が見て取れた。
そんな、ある意味で似た者同士の二人。その間柄がどうであったかなど、考えるまでもなく察しがつく。
「さてと。次の目的地は兵舎でいいんだろ? ベルグレッテ嬢」
気を取り直したようにサベルが問う。
「はい。兵舎で、レノーレの罪状について尋ねてみるつもりです」
「ようし分かった。すぐ向こうに馬車屋があったな。俺たちでちょいと一台呼んでくるから、若いお二人さんはここで待っててくれ。行こうぜ、ジュリー」
返事をする間もなく、トレジャーハンターの二人はさっさと行ってしまった。きっと、物憂げなベルグレッテに気を遣ったのだろう。
流護は彼女と二人、雪の街にぽつんと取り残される。
「……『学校に行きたかった』、かぁ」
おもむろにベルグレッテが呟いた。
「それって……レノーレが学院に入った動機、だったよな」
学院を発ってすぐ、馬車の中で聞いた話だ。
「うん。入学して、みんなと出会って……。最初はね、変わった子だなーって思ったの。レノーレのこと」
教室の片隅で、静かに一人。無感情な顔のまま、誰とも話さずにいたという。流護にも、その図は容易に想像できる。
「……でも、今頃になってようやく知った。ようやく分かったわ。『学校に行きたかった』。この言葉に、どれだけの思いが込められていたのか……」
まだ幼い頃に、宮廷詠術士として登用され。周りは皆、自分より一回りも年上で。そんな『同僚』たちに、妬みの情を向けられて。
当たり前の学び舎というものが――そこに通う同年代の生徒たちが、レノーレの目には輝かしく見えたのではないだろうか。
「何つーかさ、わざわざ遠いレインディールの学院に入ったってのも……多分」
「……ええ」
自分を知る者がいない場所で、何の変哲もない生徒として過ごすため。
これまでの過去や経歴なんて関係なく、もしくはなかったことにして、年相応の少女として。
「ベル子とかミアとか……クラスの皆に自分のこと話さなかったのも、そういうことだったんだよ。バダルノイスの元・宮廷詠術士として見られたくなかったんだろな。そんな色眼鏡なしで……レノーレいち個人として、皆と付き合いたかったんだと思う」
「……ん」
ベルグレッテは弱々しく頷いた。
(レノーレのこと、少しずつ分かってきた気もするけど……)
そうなると、余計に結びつかない。
あの少女が、なぜ国を挙げて追われるような立場になっているのかが。
(兵舎に行って……話を聞いてみて、だな)
流護も決意を固め、灰色の空を見上げた。




