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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
11. 白氷世界のヘクセンヤクト
380/669

380. 温もりの団欒

「ど、どうでしょうか?」


 娘の母親から、たどたどしい手つきの治療を受ける。


「……まァ、楽になってきた……きやしたよ、ハイ」


 正直、世辞にも優れているとはいいがたい手並みだった。

 添えられた指の内側で輝く神詠術オラクルの光は今にも消えてしまいそうなほど弱々しく、傷の治りも遅い。

 母親の額には、この寒さにもかかわらず汗が伝っている。施術に集中し、全力を注いでいる証だ。

 率直に言って、これならば術ではなく薬やら包帯やらで処置したほうが手っ取り早い。とはいえ、これが一般的な人間の――詠術士メイジではない者の力。

 ベルグレッテのように、みるみるうちに傷が塞がる術を使えるほうが希少なのだ。詠術士メイジの卵ばかりが在籍するあの学院で生活していると、つい忘れがちになってしまう。


「……」


 ふと、エドヴィンの脳裏にあの少女騎士の顔が思い浮かぶ。

 入学してしばらくの一年生時。

 ケンカ三昧で生傷の絶えなかった自分を心配して、回復術を施してくれることが何度もあった。そんなはみ出し者の自分にも優しく接してくれた彼女。改めて思えば、そうしていつしかベルグレッテに惹かれていったのだ。


「……、」


 そんなことを考えると今度は、俺はこんなとこで何してんだ、と自身への憤りが沸き上がってきた。

 講義もまともに受けず落ちぶれて、だらだらと毎日を過ごして。唯一真面目に打ち込んだ肉体の鍛練は、所詮お遊びの域を出ず。

 そして今、自分でも分からないままハルシュヴァルトまで流されてくるなどという体たらく。学院の皆が知れば、心底呆れることだろう。


(……意味、あんのかよ……?)


 少し前から、そんな疑問を感じるようになった。


 有海流護のようになれないことなど分かっている。そのうえで肉体の鍛練を続けることに意味があるのか。

 ミディール学院生としてやる気もない。そのうえであの学舎にいる意味があるのか。


『年に一度のディアレー降誕祭だったものね。……来年もまた、みんなで楽しみましょう。今度は、レノーレも一緒にね』


 去年のディアレー降誕祭の翌朝、ベルグレッテは当たり前のようにそう言った。


(俺がいる意味なんざ、あんのかよ……?)


 その『みんな』に、自分が含まれている必要などあるのか。

 自分がいなくとも、誰も気にしない。誰も必要としていない。誰も、自分を見てなどくれない。


「あ、あの、どうされましたか。傷に障りましたでしょうか?」


 知らずしかめっ面になり、勘違いさせてしまったらしい。


「あ……イヤ、大丈夫……ですよ。あ、もう充分なんで、終わりにしてく……ださい。もう痛みも感じねーんで」


 どうにも慣れない丁寧さで、悪童は母親を押し止める。

 するとそこで、


「あ、あの! よければ、うちで晩ごはん食べていきませんか!」


 これまで静かに治療の様子を見守っていた少女が、唐突にそう提案した。


「あぁ? イヤ……」


 確かに時間は夕刻。季節柄、外はすでに暗くなり始めている。丸一日何も食べていないため、腹も減っている。

 しかし、そろそろ父親が帰ってくる時間帯のはずだ。仕事を終えて戻った我が家にこんな悪人面が上がり込んでいたら、さぞ驚くに違いない。が、


「そうですね。ご迷惑でなければ、いかがですか?」


 母親のほうまでもが、笑顔でそんなことを言い出してしまう。


「イヤ……そろそろ、旦那さん帰ってくるんじゃ……」

「それでしたらご心配なく。主人はもう亡くなっていまして……うちは、母子ふたりだけですから」


 ……そんなこんなで、なし崩し的に夕飯を食べていくことになってしまった。

 エドヴィンは不真面目な学生に違いないが、良心の呵責を感じない悪党や外道ではない。

 本当に娘を助けたつもりがなかったため、至れり尽くせりの扱いにだんだん居心地の悪さを覚え始めていた。無論、不快な訳ではない。逆に申し訳ないというか、くすぐったいのだ。


「ごめんなさいね。食べていってくださいとお誘いしておきながら、大したものは出せませんが……」


 食卓も狭く、言葉通り質素な品揃え。見るからに古い麦を使った飯が少々と、切り分けた根菜が数枚。スープは薄味で、具も入っていない。

 学院の食堂で最も安いものを注文しても、これ以上の質と量が出てくることは確かだ。

 それでも、


「……イヤ、旨い……ですよ」


 世辞ではなかった。

 物足りないことは間違いない。しかし、


「ああ、お口に合ったみたいでよかったわ」

「うちはあんまり豪華なものも出せませんけど、お母さんの料理はおいしいんですよー。えへへ」


 込められた感謝の情と、和やかな食卓の雰囲気。それらが料理の味を底上げしていることは疑いようもなかった。


「えーと……エドヴィンさん……は、どこの人なんですか?」


 つい先ほど教えたばかりの名前をたどたどしくなぞり、少女が問うてくる。


「あ? 俺か? 生まれも育ちも王都だ」


 娘の質問に答えると、瞬く間に彼女の瞳が輝いた。


「お、王都……! すごいです、うらやましい! 王さまや姫さまを見たことはありますか!?」

「まー、何回かはな」

「すごいすごい! いいなぁ! 姫さま、おきれいなんだろうなぁ。大きな街なんだろうなぁ。きれいな服もいっぱい売ってるんだろうなぁ」


 少女にとっては憧れの都であるようだ。


「実は私、ミディール学院に行ってみたいなーってずっと思ってるんです」


 なぜか。

 その言葉を聞いて、ギクリとした冷たさがエドヴィンの背中を伝った。やましいことなど、何もないはずなのに。


「エドヴィンさんは、ミディール学院を見たことってありますか?」


 優秀な詠術士メイジの卵が集う、荘厳な学び舎。

 それがあの学院に対する一般的な印象だろう。エドヴィン自身、入学試験を受けるまではそう考えていた。実際、間違ってはいない。

「見たことありますか?」という問いかけからして、少女もこの悪人面が学院生とは予想だにしていないはずだ。


 ここで本当のことを言えば、彼女はきっとまた驚きと羨望の眼差しを向けてくるに違いない。


「イヤ……ねーな……」


 それを踏まえたうえで、エドヴィンの口からはそんな返答が零れ出ていた。

 自分でも、嘘をついた理由はよく分からなかった。


「そうなんですかー」


 興味がなさそうだ、とでも思ったのだろう。少女はそれ以上、学院の話題を口にすることはなかった。


「いつか王都に住めたらなぁ、なんて儚い夢を思い描いてたりするんですけどね」


 ともあれ、レインディール中心地への憧れは尽きないようだ。


「別に儚くもねーだろ。王都だからって、金持ちしかいねーワケじゃねーしよ。住もうと思えば誰でも住めるだろーよ」


 貧しい者向けの区画や貸し家、というものも存在する。あとは本気で移住する気があるかどうか、というだけの話なはずだ。

 ――が。


「……夫が、バダルノイスの人だったんです」


 そこで申し訳なさそうに……かつ意を決するように言ったのは母親だった。


「……、ってことは」


 エドヴィンの視線を受けた娘が、やはり申し訳なさそうに弱々しくはにかむ。


「はい。私、レインディールとバダルノイス……両方の血を引いてるんです」


 儚い夢。

 たかだか王都に住むだけのことをそう表現した彼女に、納得がいった。


 陽気さや勇敢さで知られるレインディール臣民だが、最も特筆すべきはその愛国心、忠誠心の強さ。

 仲間思いで団結力にも優れるが、反面、他を排斥したがる傾向がある。レインディールこそが至高、それ以外は格下、という極端な考えを持つ者も少なくない。


 そうした思想から、他国人との間に生まれた子供は、『交ざり者』などと呼ばれ迫害の対象となる傾向が少なからずあった。

 一見しただけでは見分けがつきにくいことも、この気風に拍車をかけている。

 それまで良好な関係を築いていたにもかかわらず、『交ざり者』だと知られたことで謂れのない誹謗中傷を受け、人間関係に破綻をきたす事例も多い。


 それでもアルディア王がこの国の指導者となってからは、諸外国を歓迎する向きも強くなってきた。

 ミディール学院などは、まさにそれを実践する最たる例といえるだろう。

 ダイゴスやレノーレは異国出身ながら仲間として違和感なく溶け込み、それぞれ学院生活を謳歌している。

 ……とはいえやはり、最初の頃は近づこうとする者は少なかった。


 人の奥底に根差す性質は、そう簡単に変わらない。

 やはり自国の人間以外を苦々しく思う者は未だ数多く、それは学院においても例外ではない。

 ダイゴスやレノーレがそういった輩と軋轢を生まないのは、身も蓋もない言い方をすれば『強いから』なのだ。単純な腕っ節の意味でも、備え持つ精神の面においても。

『狂犬』だのケンカ『だけ』は強いだのと評されるエドヴィンを一蹴できる実力があり、また学業成績も優秀。他の生徒に比べ物静かで理知的、大人びている。早い時期に、王宮関係者であるベルグレッテらと親しくなったことも理由のひとつだろう。

 彼らに因縁をつけよう、などと蛮勇を発揮できる人間がそういないのだ。


(ま、俺はダイゴスに吹っ掛けてやられたけどよ……)


 それも、あの巨漢が異国人だから難癖をつけた訳ではない。この男となら面白いケンカができそうだ、と思ったから決闘を挑んだのだ。……結果として、手痛い敗北を喫することになったのだが。


(それより……コイツの場合……)


 自衛手段や後ろ盾がない。

 例えば王都や学院に入ることができたとして、純粋なレインディール人でないと――『交ざり者』と発覚した場合、どんな憂き目に遭うか分からない。

 孤立する程度ならまだマシで、悪質な嫌がらせを受ける懸念もあるだろう。


 もちろん自分の周りの仲間たちに、そういった真似をする者はいない。血や生まれだけで、差別をするような人間はいない。誰とでも分け隔てなく接するベルグレッテの影響を受け、変わった者もいる。

 しかし、そういった偏見を持つ層はどこにでも少なからず存在する。


 この中立地帯ハルシュヴァルトは、レインディールとバダルノイス双方の人間が住まう土地。王都周辺ほど偏見の目に晒されず済む。

 彼女がこの極寒の地で暮らしているのには……離れられないのには、それなりの理由があるということだ。


「私を助けたこと……後悔しました?」


 気難しい顔で黙り込んだエドヴィンをどう思ったのか。

 窺うように、卑屈そうに少女がそんな言葉を呟く。


(……そうか、コイツは……)


 エドヴィンを悪人と勘違いしたことを、正直に白状したり。母親含め、バダルノイスの血を引いていることを素直に明かしたり。

 いずれも、わざわざ告白する必要などないことだ。

 なぜこの少女は……この親子は、言わなくてもいいことを自ら口にするのか。

 薄々感じていたその疑問の答えを、エドヴィンはここで察した。


 恐れている。

 純血のレインディール人でもバダルノイス人でもない身の上。これを隠した後に発覚し、責められることを恐れている。

 それならいっそ、何もかも最初からつまびらかに話してしまおうと。それで嫌われるのなら、受け入れてしまおうと。下手な遺恨を作らないように。そんな思いの表れ。


「ご、ごめんなさい、エドヴィンさん。もっと早くに言うべきでしたよね。そ、その……」


 それでも彼女は、その部分についてここまで言えずにいた。それゆえの謝罪を口にする。


「バッカ野郎ッ」


 そんな彼女を遮る形で。エドヴィン・ガウルは一も二もなく言ってのけた。


「この俺が、生まれなんて細けーこと気にするヤツに見えっかよ?」


 ニッと大げさに笑ってやる。


「んなモンで文句言ってくるヤツぁ、俺に言わせりゃ小物だ。パッと見て大した違いもねーのに、つまんねーことウダウダ気にしやがる小物中の小物。俺をそんなヤツと思うかよ? 国が違うから何だってんだよ、くだらねぇ」


 エドヴィン・ガウルは、あれこれと思索を巡らせる人間ではない。本音をそのまま語ってみせた。


「……エドヴィンさん……」


 彼女は、少し驚いたように目を見張って。


「……よかった。やっぱりエドヴィンさんは、いい人です」


 何とも眩しく。心からホッとしているだろう、屈託のない笑顔だった。


「は? バ、バカ、そんなんじゃねーってんだよ、バカ」


 いい人、なんて面と向かって言われたのは生まれて初めてかもしれない。慌てて反論しようとするも、声が上ずって余計に説得力がなくなってしまった。

 母子に微笑まれ、『狂犬』らしくもない何とも耐えがたい恥ずかしさが込み上げる。


「だ、第一あれだ。俺の仲間にゃ、バダルノイスのヤツもいるしよ」

「えっ、そうなんですか!?」


 何も考えず口走ったのだが、少女の興味を引くことに成功したらしい。


「あっ、ああ。いっつもボーッとしてて、何考えてんのか分かんねーヤツだけどな」


 奇遇といっていいのか、まさにこのハルシュヴァルトに屋敷を構えているという話だったはずだ。もちろん今は、遥か南のミディール学院にいるはずだが。

 せっかくここまで来たのだから、どんな家に住んでいるのか確認してみてもいいかもしれない。


「コイツがまたトボケたよーな女でよ、普段は大して喋りもしねーんだが、口を開くと妙にブッ飛んだこと言ったりしてよ」

「へぇ。女性のかたなんですね」


 先の気恥ずかしい空気を流してしまおうと、エドヴィンはそれこそ言わなくていいことまで喋り立てていく。


「ああ。レノーレって名前でよ、無表情で人形みてーなヤツなんだがな。やる気なさそーな顔して、これが詠術士メイジとしちゃそこそこの腕で……、ん? 何だ? どうかしたか?」


 違和感に気付き、エドヴィンは眉をひそめた。


 明らかな驚きの表情。

 娘だけでなく、見守るように話を聞いていた母親までもが、愕然とした顔で口元を押さえている。


「レノーレ、さん……?」

「あぁ?」

「その、バダルノイスのお友達……。女の人で、レノーレさん……ってお名前なんですか……?」


 おずおずと。どこか、念押しで確認するかのような少女の口調。


「あ? ああ。レノーレ・シュネ・グロースヴィッツ。詳しいこたぁ俺も知らねーが、貴族か何かの出なんだろーな」


 シュネという洗礼名ミドルネームを授かっている時点でまず間違いないだろうが、普段の物腰を見ていればそれとなく知れる。端々に気品を感じさせる彼女の立ち振る舞いは、ベルグレッテやクレアリアに通じるものがあった。

 レノーレ自身が己のことについて全く語ろうとしないため、エドヴィンから詮索もしていない。

 刹那的な日々の楽しさに重きを置いている悪童としては、他人の過去や生まれなどどうでもいいのだ。一緒にいて、気兼ねなく過ごせる相手か否か。大事な部分はそこだけだった。

 それよりも、


「? どーかしたかよ?」


 明らかに、母子の様子がおかしい。


「エドヴィンさんは……もしかして、その……レノーレさんを探しにやってきたんですか?」

「……はァ?」


 少女の意図が掴めず、間抜けの見本みたいな声が漏れる。


「探しに来た? って何だよ?」


 探すも何も、レノーレはミディール学院にいるはずだ。


 何か、互いの認識に食い違いがある。

 即座にそう判じたのだろう、


「ちょ、ちょっと待っててくださいっ」


 少女は意を決した面持ちで立ち上がり、すぐ後ろの古い戸棚を漁り始めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「へぇ。女性のかたなんですね」 何故だろう?この一言に物凄い氷属性の力を感じる。 [一言] 明けましておめでとうございます。 今年も楽しく読ませていただきます。
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