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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
10. 風雪のオーヴェルテュール
362/668

362. 年越し

「おー、寒っ」


 カンテラを片手に外へ出ると、いつの間にやら雪が止んでいた。相も変わらず巨大な月が、その威容の大半を雲間に埋もれさせながらも地上を照らしている。


 澄み渡る漆黒の夜空へ、白い吐息が吸い込まれていく。

 学院の広い庭は、クリームを塗ったみたいにうっすらとした雪で覆われていた。積雪量は二、三センチといったところか。険しい山間部ならともかく、この地域ではあまり積もることもないらしい。


 新雪に足跡を残しながら、流護は壁際にそびえる研究棟へと赴く。

 校舎に学生棟、ほぼ全ての明かりが消えている今の学院敷地内において、この建物の二階だけは当たり前のように光が漏れていた。

 勝手知ったる我が家とばかりに入っていき、まず一階にある狭い部屋の戸を引き開ける。

 静謐な、薄い月明かりだけが差し込む一室。

 その中央に据えられたベッドで、身じろぎ一つせず眠り続ける少女が一人。


「おい、もう年越しちまうぞ。あほ彩花」


 先ほどのミアたちに対する扱いとは違い、別段雑音を抑えたりはしない。そんなことで、この少女は目を覚まさない。むしろそれで起きてくれるなら、いくらでも騒ぎ立ててやりたかった。

 カンテラで寝顔を照らす。無表情で瞳を閉じる幼なじみの顔は、ぞっとするほど美しい。以前は頑なに認めようとしなかった――目を逸らしていた少年だったが、今や素直にその事実を受け止められるようになっている。


「……、」


 微動だにしない彩花の寝顔を見て不安になった流護は、つい彼女の鼻下へと指を伸ばしていた。


(……いや、うん。まあ、当たり前だよな)


 きちんと呼吸をしていることに安堵し、引っ込めようとした指先が、


「あっ……と」


 少しだけ、彼女の唇に触れた。


「……、」


 その妙な柔らかさにちょっと戸惑いつつ、


『案外、接吻してみるというのも効果的かもしれませんよ。姫は、王子の口付けで目を覚ますものですから』


 なぜだか。以前シャロムがからかうように言ったそんなセリフが、少年の脳裏に甦った。


(いやいや、あってたまるか……!)


 はあ、と溜息をつく。


「ったく……んじゃ、また来年な。さすがに来年は起きろよー、まじで」


 そう言い残し、狭く冷えた部屋を後する。






 二階へ上がると、ロック博士が間髪入れず「はいどうぞ」と淹れ立てのコーヒーを出してくれた。


「あ、どもっす」


 下の扉を開け閉めする音で、誰かが来れば筒抜けとなる。一階、即ち彩花の部屋へやってくる人間となれば、流護しかいない。ということで、予め準備していたのだろう。


「リーフィアちゃんたちはどうしてるんだい?」

「寝ちゃいましたよ。昼間のうちにはしゃぎ過ぎたんでしょうね」


 はははと笑いつつ、研究者は自分の椅子に座る。


「いやー、今年も終わるねぇ」


 そう言って背もたれに寄りかかるロック博士だが、目の前の机には資料の束が山となっている。


「んなこと言って、大晦日なのに仕事してたんすか」


 ソファに腰を落ち着けた流護がコーヒーをすすりながら言うと、


「他にやることもないからね」


 目頭を押さえた博士が少年のように笑った。


「まあ確かに、テレビとかネットもないですもんね。あんまり年末の実感がないっつーか……俺にしてみれば、こっちでは初めての年越しになるけど」


 大晦日や元旦にやっている番組も、今年からは見ることができない。


「彩花ちゃんの様子はどう?」

「変わりなしっす」

「そうか……。まあ、焦りは禁物だよ」


 しばし、日本人二人で雑談に興じる。

 ガーティルード家との通信に成功したことを報告し、開発中の封術具の進捗状況を聞いて。

 秋以降はやはり、博士と顔を合わせると『彼』の話が出る。流護たちの転移にかかわったであろう謎の存在に対して、ああだこうだと答えの出ない議論に花を咲かせる。

 そして最近では、


「それにしても、カエデちゃんだっけ。まさか身近に、ボクよりグリムクロウズ歴の長い『先輩』がいるとは思わなかったなぁ」


 流護が任務でジャックロートの街へ赴いた折に出会った、メイドの少女。商家に仕える彼女の話題が持ち上がることが多かった。

 十四年もここで暮らしている博士としては、まさか国内に同郷の人間がいるとは思いもよらなかったらしい。


 長らく一人だけ『異星人』だった博士にしてみれば、ここ数ヶ月の間で急激に同郷の人間が増えたことになる。流護、桜枝里、彩花、そしてカエデ。

 カエデに関しては正確なところ、現時点では『推定』日本人だが、地球人であることはまず疑うべくもないだろう。


「そうなるとやっぱり……流護クンが言うように、他にもたくさんの日本人が迷い込んできたりしてるのかもしれないね」

「でも、何で日本人なんすかね? 他の国の人っていないんかな?」

「そうだねえ……仮にいたとしても、ボクらじゃ分からない可能性もあるね。例えばほら、外国人を見て、『みんな同じ顔に見えるな』って思ったりしたことはないかい?」

「あー、確かにありますね、そういうの」

「社会心理学でいうところの、外集団同質性効果……その一例だね」


 その昔、洋画を見ていて、登場人物の見分けがつかず混乱したことがある。

 もっとも向こうは向こうで、東洋人は皆同じに見えるという話だが。


「日本語……もとい、イリスタニア語以外の言語を話す民族も確認されてるからね。ボクらには分からないだけで、色んな国の人間がこの世界に招かれてる可能性は充分にあり得る」

「うーん、そうなるとあれっすよね」


 なぜ、地球人がこの世界へ招かれてしまうのか。その全てに『彼』が関与しているのか、いないのか。関与しているならば、一体何が目的なのか。関与していないなら、『彼』が流護に対して意図的に接触を図ってきた理由は何なのか。

 その袋小路へ至り、やむなく議論は終息する。


「おっと、話は変わるけど流護クン。また近いうちに、一度検査させてくれるかな」

「あっ、はい」


 舞い戻った日本で体重を計った結果、八十九キロになっていたことも報告している。

 こうした事実も含め、流護のグリムクロウズにおける異常な能力上昇について、博士の中ではある仮説がまとまりつつあるようだった。そう遠くないうちに明らかにできる予定だという。


「……あ」


 何気なく壁にかかっている時計へ目を向けた流護が、間の抜けた声を漏らす。


「おや」


 釣られて視線をやったロック博士も、失念していたとばかりに肩を竦める。

 とうに、新たな年を迎えて十五分が過ぎていた。


「えーと、あれだ。明けましておめでとーございます、っていうか」


 たどたどしく言う流護に対し、


「ははは。明けましておめでとう、流護クン。……ああ、久しぶりだなぁ、この挨拶も」


 この世界には当然、その言葉は存在しない。

 感慨深そうに、懐かしそうに。それでいて嬉しそうに、岩波輝も新年の挨拶を返すのだった。

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