363. 二人の語らい
自室に戻ると、冷えきった深夜の空気が部屋の主を出迎えた。
「さて、どうすっかな……」
流護としては、ミアとリーフィアの年越しに付き合うつもりで昼寝をしていたこともあり、まだ眠くない。当人たちは予想通りというか案の定というか、零時を迎える前に夢の世界へと旅立ってしまったが。
「む」
とりあえず温術器に手を伸ばした後、それが目に留まる。部屋の奥、堂々と鎮座する大きな黒い箱。つまりは通信具が。
消費の激しい試作機だが、現状、一日半は使える仕様となっている。好きに使っていいとの許可を得て預かってきたものだ。
「…………」
先の試運転時、もう一台はベルグレッテの部屋に設置されていると言っていた。
新たな年を迎え、大陸歴七八二年。白曜の月、一日。時刻は零時半。去年までの流護基準で考えるなら、近所の神社へ初詣に行っている時間帯か。
この異世界においては、日を跨いで祈りを捧げたり、『加護の初め』と呼ばれる儀式が行われることが通例となっている。
『加護の初め』とは、新しい年になってから初めて神詠術を発動してみる行為で、自らが今年も神の庇護下にあることを確認する意味合いがあるのだという。
こういったしきたりもあって、大晦日から新年を迎えたこの夜は、一年の中で最も多くの人々が起きている夜だともいえよう。
つまり何が言いたいかというと、ベルグレッテもまだ寝ていないはずだ。
そう思うが早いか。自分でも驚くほど自然に、流護は通信具のスイッチを押し込んでいた。
「……、」
ザザザ、と特有の雑音が流れてくる。
「も、もしもしベル子さーん、こんばんはー、なんつって……」
数時間前、あれほど接続に時間がかかったのだ。すぐに繋がるものでもない。
「おーい……」
分かっていながらも、妙にソワソワしつつ語りかける。
返答はない。変わらず、砂嵐のようなノイズが吹き荒れるだけだ。
「もしもーし……」
発した声も妙に上ずっていて、流護は何だか情けない気持ちになってしまった。
(つか、何してんだ俺は……)
いかに特別な日とはいえ、時間としては夜中。数時間前の試運転とは違い、ベルグレッテが通信具の近くにいるとも限らない。
しかし。
一緒に過ごせなかったから、せめて声が聞きたい。新しい年を迎えて、何か喋りたい……。
(何だってんだよ、俺ってこんな女々しかったのか……!? えーい、くそ……!)
急激に、如何ともしがたい恥ずかしさが込み上げてくる。
(やっぱやめだ、やめ……!)
通信を切ろうとスイッチに手を伸ばした瞬間、
『……リューゴ?』
スピーカーから、その声が聞こえてきた。
「ぬへえっ!? ベ、ベル子!?」
『あっ。やっぱりリューゴなのね?』
雑音交じりではあるものの、確かに聞きたかった声。
『驚いたー。突然、通信具の照明が点滅し始めたんだもの。あっ、今年も一年、あなたが健やかでありますように。創造神ジェド・メティーウの加護があらんことを……』
祈る彼女の姿が目に浮かんできそうな、優しい祝福の言葉。気のきかない少年は、「えーとベル子こそ」と意味不明な返事をするのが精一杯だった。
『それで、なにかあったの?』
やおらベルグレッテの声が真剣みを帯びる。
「いや、ええーっと」
彼女の反応も当然だ、と流護の心に納得と焦りが生まれた。
とうに試運転の終わった通信具を使い、年明け早々……こんな夜更けに連絡を取ってきた。何か異常事態でも起きたのか。
そんな風に受け取られてもおかしくないのではないか。実際にベルグレッテが応答した今になって、そんな考えが浮かんでくる。
「いやその、えーと……ベル子と少し話したかっただけ、なんだけど……」
とはいえ繋がってしまった以上、正直に言うしかない。
『え? ……も、もう! なによそれっ。なにかあったのかと……驚かさないでよ、もうっ』
怒られるかと思ったが、そうでもないようだった。
『ミアたちはどうしてるの?』
「うむ……起きて新しい年を迎えるぞー、とか言って盛り上がってたんだけど……十一時頃には静かになってたな……」
『ふふ。やっぱりね』
「そっちは? どんな風に過ごしたんだ?」
『ん。零時十分前にはみんなが広間に揃って、祈りを捧げて……新しい年を迎えたら、エルカトラの葡萄酒をいただくの。このエルカトラっていうのはライズマリー公国原産の木で、昔から魔を祓う効果があるって言い伝えが――』
しばし他愛ない雑談を交わす。
「ふーん。うまそうだな、その葡萄酒」
『おいしーわよ。今度、リューゴにもごちそうしちゃうわね』
「気になるっちゃなるけど、さすがに酒はなぁ……」
先述のように葡萄酒を飲んでいるためなのか、ベルグレッテの口調はいつもより砕けており、また饒舌に感じられた。この世界では――少なくともレインディールでは、流護やベルグレッテの年齢でも酒を飲むことが許されている。……もちろん、現代日本からやってきた少年としては飲むつもりもないが。
「そういや、クレアはどうしてるんだ?」
『うん? なによリューゴったら。クレアが気になるの?』
「!?」
ベルグレッテらしからぬ返答に、思わず耳を疑う。
『あの子なら、下でお父さまやお母さまと話してるわ。んふふ。あの子ったらすっかりトゲが取れて、お父さまと楽しそうに話してるのよ。お父さまももう、それは嬉しそうに鼻の下伸ばしちゃって。お姉さんは嬉しいぞー。えへへへへ』
「……!?」
お姉さん……? えへへへへ……!? いや可愛いんだけど何かおかしいぞ、と訝った流護の目に飛び込んできたのは、自室の床に放り出してある懐中時計。時刻は零時四十分を指し示している。
「つか、新年迎えた後に葡萄酒飲んだって言ってたよな……。時間的に考えて、今まさに現在進行形で酔いが回ってきてる最中なんじゃ……」
『酔ってません!』
酔っていることが確定した瞬間であった。
「他の皆は、今頃どうしてんのかなー。ダイゴスとか、桜枝里とかさ」
『なによ。サエリのことが気になるの?』
「なぜそうなる」
『じゃあ、ダイゴスのことが気になるの?』
「男に対しても発動するのか……」
ほろ酔い加減の少女騎士と話すうち、気付けば午前一時。
通信状態にもムラがあるためか、音声も所々ぶつ切りになることが増えてきた。
『でも……なんだか、不思議』
「ん? 何が?」
『こんなふうに、リューゴと通信で話せるようになるなんて』
「ああ……うん、確かにな」
流護自身、ベルグレッテと電話をしているような気分だった。
――と、
『あっ……!』
彼女の驚いたような声と同時、一際大きく耳障りな雑音がスピーカーを震わせる。
「ど、どうした?」
『通信術がきたの。あとで呼ぶって言ってたから、きっとクレアね』
「おお、そうか。つか、こっちで通信の最中に術が飛んでくると雑音が入るみたいだな。思わぬ新しい発見だ。この会話もホラ、試験運用としては無駄じゃなかったってことで」
『ふふっ。そうね』
「んじゃ、これぐらいにしとこう。何だかんだ、結構話したもんな」
『うんっ』
名残惜しくも思う少年だったが、こんな風に二人きりで会話していたことをクレアリアに知られたなら、何を言われるか分かったものではない。
『それじゃあリューゴ、その……本年も、よろしくお願いいたしますっ。おやすみなさいっ』
「あ、ああ。こっちこそよろしくっていうか……。うん、お休み、ベル子」
断腸の思いでボタンを押し込めば、通話具が沈黙する。
くすぐったいような気持ちを胸に残しながら、密やかな二人の『通話』は終了した。
「…………、」
頭をポリポリと掻きながら、流護は眼前の四角い装置をまじまじと見つめる。
「最優先で開発進めてほしいなあ、これ……」
新年早々、予期せぬ形で想い人の声を聞くことができた恋する少年は、しみじみとそんなことを思うのだった。
「……ん」
外気を遮断するための分厚いカーテンを引いた、真っ暗闇の室内。
カンテラを消してしまえば、空間は完全な黒一色に塗り潰される。デジタルな光源を持つ家具といったものは当然ながら存在しないため、眠りを妨げる明かりの類などあるはずがなかった。
――のだが。
(……、何だ……? なんか、光っ、て……?)
薄く開けたまぶた、その隙間から入り込んでくる――黄色い点滅。
「っ!」
認識した直後、流護は跳ね起きた。
それは通信具。部屋の奥に鎮座する大きな箱、その上面に取りつけられた小さな球面が、チカチカと忙しなく瞬いているのだ。
試運転ではこちらから通信を飛ばしたため目にする機会がなかったが、このランプの明滅は受信の合図。
つまり今、誰かから通信が飛んできているということになる。
とはいえ、相手は一人しかいない。現在の通信具は試運転仕様、ガーティルード家に設置されたものとしか繋がらないようになっているのだから。
四つん這いで転がるように素早く機械の前に滑り込んだ流護は、クイズ番組の早押しじみた勢いで受信スイッチを押し入れた。
「ええーと、は、はい、流護ですけど……!」
『……流護?』
「おう、ベル子。どうした、こんな時間に」
こんな時間、と言いながらも、流護は辺りを手でまさぐって懐中時計を探した。今は何時だろう、と思いながら。時計は見つからない。
『私、……だけど』
やはり通信状態が芳しくない。音が途切れてしまっている。
「うーん、ちょっとブツ切り気味んなってるな……ええーと、どうした?」
『私、■■だけど』
なぜだろう。
幾重にも混ざり合って聞こえたその名前。その声が。知っている少女の声が。
やけに鮮明で。やけに異質で。
そして、異常なまでに不吉で。
『ねえ、流護』
名前を呼ぶその声が、あまりに自然で。
何度もその名をなぞったかのように。幾度もその響きを口にしているかのように。
そして当たり前のように、言った。
『絶対に、逃がさないからね』
びくんと身体が跳ねたことを自覚しながら、流護は素早く周囲を見回した。
薄暗い自分の部屋。カーテンの隙間から漏れる朝の光。奥にある通信具――は、ただの黒い箱となってそこに鎮座している。ランプが点滅していることもなければ、スピーカーから音が流れていることもない。
そもそも、もうバッテリー切れで使えないはずだ。
(…………夢、)
新年早々何なんだ、と流護は頭を振りながら起き上がる。
「つか、今のが初夢になるんか……」
妙に。生々しく聞こえたあの声が、今もべったりと耳に張りついているようで。
「……っ」
思わず耳を拭う。確認するも、もちろん何かが付着していることなどありえない。
「…………」
……ついでに、ズボンの下も確認する。
「……ほっ」
いつぞやのディアレー降誕祭のときのように、朝から洗濯をする羽目にはならず済んだようだ。
(そんな要素もなかったっつか、どっちかってーとちょっとホラー系の夢だったよな……)
通信具の向こうから響いていた、ベルグレッテのくぐもった声。
(絶対に逃がさない、か……。ううーん、ヤンデレっぽいっつーか、まあベル子がそこまで俺のこと想ってくれるなら、それはむしろアリっつーか――)
そこまで考えて、不意にハッとする。
(……ベル子、だったのか?)
思い返せば、向こうの名乗りはよく聞こえなかった。接続状態も悪く、声を聞いただけでは相手が誰なのかも判然としない。昨夜の通信もあってか、ただ疑うこともなくベルグレッテだと思っただけの話で。
もし彼女でないのなら、一体……。
(……こ、怖くね? やめやめ)
そもそもただの夢。深く気にするようなことでもない。
ゾクッとした余韻を打ち消すように、立ち上がってカーテンを引き開けた。眩い朝の光が室内を満たす。窓の外に広がる銀世界が、きらきらと輝いている。
大陸歴、七八二年。最初の朝が、何事もなく幕を開けていた。




