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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
10. 風雪のオーヴェルテュール
350/668

350. 概念

 それは当初、とても小説と呼べるようなものではなかった。


 自分の願望を並べ立てただけの、稚拙にすぎる文字の羅列。

 とはいえ、問題はなかった。

 誰かに見せるためのものではなかったから。自分が満足するために書きなぐっていただけだったから。内容としては、恋愛に主軸を置いた少女漫画風の物語――といいたいところだったが、そんな風に表現しては漫画家先生に失礼というものだろう。その程度の出来だった。


 あるとき、ピタリと筆が止まった。

 難しくなったのだ。

 奔放で気ままにどこへでも行ける女主人公と、身体の不自由な自分を重ね合わせることが。

 空しくなったのだ。

 実現し得ぬ妄想を書き連ねることしかできない、今の自分が。作中の分身とは、あまりにかけ離れすぎていて。


「僕は好きだな。月花の描く物語」


 すっかり手が止まり、それでも何だか捨てられず……恥ずかしくてひた隠しにしていた『小説』を読まれてしまったのは、いつのことだったか。

 世辞と分かっていても、そんな兄の言葉が嬉しかった。

 ……余談だが、読まれたのが無難な恋愛ものだったのは不幸中の幸いといえるだろう。義兄との禁断の恋を描いた意欲作(ものは言いよう)のほうを見つかっていたなら、憤死する以外に道はなかったに違いない。


 かくして、作品の雰囲気はガラリと変わった。

 ただの自己満足から、兄というたった一人の男性読者を意識した内容へ。

 男性向け――ということで主人公は少年になり、作風も戦いや成長をテーマとしたものへ変遷していった。少年漫画風……と評しては、やはり漫画家先生に失礼なクオリティに違いなかったが。


 ろくに家を出たこともない身からすると、同年代の男の子を主役に据えた作品は難しかった。途中で放り出し、また新しく書き始めるの繰り返し。


 それでもどうにか、完結まで漕ぎ着けた作品もあった。

 最初の作品なんてひどいものだ。異世界へと召喚された少年が、ドラゴンを討伐するという何の捻りもないストーリー。もう少し何とかならなかったのかと思う。

 少しずつ変化を加えられるように、個性を出せるように試行錯誤を繰り返して。

 安定して話を完結まで導くことができるようになってはきたものの、己の半生を無意識に反映してか、暗い話になりがちだった。

 大団円でエピローグに突入した主人公が唐突に死亡したり、世界が救われたと思いきや実は一時凌ぎにしかなっていなかったり。ここから先は読者の想像に任せる――的な終わり方も少なくなかった。

 兄と互いに意見を出し合い、設定などの土台に力を入れ……やがてひとつの、自分なりの大長編が完成した。


 その作品の名を、『グリムクロウズ』といった。






 季節は冬。

 年の瀬を間近に控えたこの時分、レインディールの山間部には毎年のように雪が降り積もり、北東のラインカダル山脈を始めとした雄大な稜線も白く縁取られ始める。


 しかし、とある地方の山奥。秘境とでも呼ぶべき原生林を抜けた先に広がるその丘には、不自然なほど雪が見られなかった。

 まるでそこだけ季節が違っているかのような、もしくは――『誰か』がそうあれかしと望み、その通りの世界が具現されたかのような。


「…………」


 ともあれ景観に関して言及するならば、それよりも遥か異質な点があった。


 雪の代わりに浮遊する、淡い光を放つ小さな球。

 大きさは一センチ程度。その数、優に千を超えるだろう。

 土くれの地面から、くすんだ枯れ草の合間から、葉を散らした木立から、あるいは何もない虚空から。

 立ち上り気ままに乱舞するその様は、光の精たちが追いかけっこを楽しんでいるかのよう。


(さすがに数が増えてきたな。これ以上は……)


 美しく幻想的ともいえる光景を見やりながら、しかし青年は憂鬱な溜息を吐き出した。

 直後、横合いからギイと軋む戸口の音。


「うー、だみだー」


 古ぼけた小屋から出てきた少女が、目をこすりながら根を上げる。舞い踊る光球のいくつかが、なついた小動物みたいに彼女の周囲を飛び回る。


「お疲れ様、月花」

「う゛ん゛ー……」


 労いの言葉とともに名を呼ぶと、やや女子からぬ野太い返事。

 白い薄手のワンピース、胸元で切り揃えた長い黒髪が特徴的な妹の月花は、よたよたと青年――兄が座り込んでいる泉の前までやってくる。


「やっぱり分からないか?」

「うん……」


 遡ること、今からおよそ一ヶ月半前。

 二人は、予期しないアクシデントに見舞われた。

 即ち、有海流護とベルグレッテ・フィズ・ガーティルードの現代日本への跳躍である。

 百歩譲って、それはいい。いきなりのことに多少驚きはしたが、あの城の地下に渦巻いていたエヴロギアが作用しただけの話。連れ戻せば済むことだ。事実、そうした。

 しかし、問題は――


「……蓮城彩花、か」


 現代日本からグリムクロウズへの移動に際し、一人の少女が『巻き込まれた』。


「可愛いよね」


 呑気な感想を漏らすのは妹である。


「ちょっと私と名前も似てるよ。月花と彩花で。花がつく子は可愛いとか? ……なーんて言ってみちゃったりして」

「ん? あ、うん? そうだね」

「あはは。兄さん、マイナス一万ポイント」


 なぜ笑顔で怒っているのか。いつになっても乙女心は理解しがたいと思う青年である。


「でも……兄さんの『跳躍』に、不測の事態なんて起きるはずないのに」


 そう。失敗はありえない。流護とベルグレッテを『戻す』ための行為。当然、蓮城彩花をこの世界に招くつもりなどなかった。にもかかわらず、彼女は現に転移してきてしまっている。

 同じ公園内にいたから巻き込んでしまった、などというミスは技術上ありえない。あるはずがないのだ。


「……となれば、僕も想定していなかった『何か』が作用したとしか考えられないんだけど――」


 その『何か』を突き止めるべく月花が調べていた訳なのだが、成果は得られないようだった。


「まあ、他の調べものと並行して続けてみる……」

「……ああ。無理はしないようにね」


 その能力から仕方ないとはいえ、こんなとき兄としては妹に任せっきりになってしまうのが少し歯痒かった。


「……もうじき今年も終わり、か」


 数えることを放棄して、もう何度目だろう。思い返す気にもならなかった。

 灰色の空と飛び回る光を眺めつつ、考えを切り替える。


「そろそろ……流護くんたちと『彼女』が出会う頃、だったかな」

「ん。……あいつも動くはずだよ。細かい顛末は視えてないから、詳しいことは分からないけど……」


 未来は不確かで、ただ再び代償の時が近づいていることだけは確定している。かつての彼女の願いを叶えるために。律儀に。


(父さんですら予測できなかったろう)


 いつしか彼らは、こちらの想像を超える存在となっていった……。


(……本当に、デキの悪い映画みたいな話だよ。だが、問題はないさ。辻褄さえ合わせれば、それで……)


 心など、とうの昔に擦り切れている。

 もはや今の自分は、この世界を維持するだけの概念と化しているのかもしれない。そんな風に思うこともあった。

 が、それで構わない。

 ならば壊れた機械のように、それを遂行し続ける。


(次の試練も乗り越えてくれると信じてるよ、流護くん)


 いっそ、神を気取りながら。

 愛する妹を……その願いを守り続ける。それこそが、今の己のたったひとつの存在意義なのだから。

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