349. ブライニクル
最初に反応したのは、随伴の若い兵だった。
「な……にを、言っている!? 貴様!」
「いやね。わざわざ顔見せのためにここまで来たんだろ? ならせっかくだ、もう少し親睦を深めてもいいんじゃないかなぁ~、なんて思ったワケよ。まァ、」
流護のほうへ顔を向けて、くつくつと囚われの男は笑う。
「このオジサンが怖くてできませーんってなら、無理にとは言わないけどねぇ~~」
にわかな静寂が、四角く冷たい空間を支配する。
「…………ふーん……」
流護が首を横へ傾けると、パキッと心地いい音がした。その様を見て察したか、兵士二人が慌てて注言する。
「ちっ、挑発に乗ってはなりませんぞ、アリウミ殿っ」
「いやほら……ゴハン渡すだけっすよね?」
「なりません! 奴の檻に入るなど、怨魔の巣へ飛び込むにも等しき愚行! 危険すぎます……!」
「いやほら俺、原初の溟渤にも入ったし、怨魔の巣どころか胃袋ん中にも入ったことあるし、ヘーキヘーキ」
「へ、陛下ぁ!」
手首足首を入念に回し始めた流護を止められないと判断したか、銀鎧の兵は主君へすがりつく。
「そうさなぁ。リューゴは是非とも親睦を深めてぇ訳だな? ブレーティのヤツと」
「そっすねー。せっかく向こうもああ言ってくれてるんで、断るのも失礼かなと」
「うむ、許可しよう」
二人の兵士たちは「神よ」と呻き、それぞれ目眩を起こしたように脱力してしまった。
パワーリストを外して扉の前に立つ流護へ、ギルベーが携帯食料を差し出してきた。
「ご武運を」
覆面から覗くその端正な目元が、にこっと笑っている。それはもう意味ありげに。
何というか、こう。この人もやはり、『銀黎部隊』なのであった。
「はは、楽しそうっすねギルベーさん……。ご武運、ってまたまたー。あそこで腹空かせてるカワイソーなオジサンに、ゴハン渡してあげるだけっすよー」
食料を受け取りながらそう答えれば、
「そうでしたね、これは失礼」
暗殺者もわざとらしく頭を垂れて、有能な執事のように一歩下がる。観念した兵の一人が、鍵を取り出して扉に近づいた。
「……致し方ありませぬ。これより解錠しますが……決して、一瞬たりとも、奴の一挙一動から目を離さぬように。細心の注意を払って行動して下さい。食料を渡したら、速やかに……奴に背を向けず、後退を」
彼自身その手本となるかのように、檻の奥のブレーティを注意深く睨み続けている。
「猛獣みたいな扱いっすね」
「それ以上に危険な相手です。この封印の部屋に囚われていて、尚」
もう一人の兵士は、鉄格子越しにブレーティへ槍の先端を突きつけていた。厳重な牢屋越しにそんなものを構えても無意味だろうが、不安な心境がそうさせているのだろう。
「貴様、分かっているな!? 妙な真似をしようものなら――」
「分かってるって、うるっせぇんだからったく」
重々しい音が響き、鉄の扉が開かれた。
ブレーティはベッドに腰掛けたまま不動。微動だにする気配はない。
流護は一歩進み、独房内へと踏み入る。床に端張るざらついた白氷が、ブーツの裏でザリと音を立てた。同時、獣臭に似た空気が鼻にまとわりつく。
背後で戸の閉まる振動が伝わり、場に静寂が満ちる。
また一段と、寒さが増した。
長方形の広い独房内に、男が二人。最奥のベッドに座る囚人と、扉の前に立つ遊撃兵。
「ようこそ。いやぁ、何もない部屋で悪いねぇ。ボウヤ」
「ああ、お構いなく。ちょっと冷えすぎかなと思うけど」
「おれの属性が氷なもんでね。ついつい漏れちまうんだ。まっ、気にしないでおくれよ」
そして一歩一歩、流護はブレーティの元へ向かう。
が、部屋の中ほどに到達したところで、おもむろにその足を止めた。
「どうかしたのかい? ボウヤ」
相手の一挙一動、その全てを楽しんでいるかのように。伸びきったひげ下に隠された口角が、にやりといやらしく吊り上がっているのが分かる。
「ここまで来て、怖くなった……なんて言わないだろ?」
流護が立ち止まったのは部屋の中央。最奥で悠々と座るブレーティまでは、まだ五メートルほどの距離がある。
しかし流護はその位置で、持っていた携帯食料を相手へ向かって水平に掲げた。
「どうしたんだい? 限界かい? それ以上は怖くて、オジサンに近付けないかい?」
低く、それでいてどこか甘い、誘うような声。小さな子供に語りかけるみたいな囚人に対し、遊撃兵もまた薄笑みを浮かべて返す。
「なーに勘違いしてんだよ。親睦を深めよう、って言ったのはそっちだぜ。俺はここまで来た。ならあんたも同じように、ここまで歩み寄ってくれてもいいんじゃねーの? それがお互い様、平等ってもんだろ。まあ別に、」
手にした干し肉を振り、少年は嗤う。
「俺に近づくのが怖ぇってんなら、無理にとは言わねーけどな」
網の外で兵士たちが呻く。一方、王やギルベーは笑いを押し殺していた。そして、挑発されたブレーティも。
「……いいよ。実にいい」
ここで初めて、囚人は立ち上がった。
「気が利かず失礼したねぇ。受け取りに行こうじゃないの」
その四肢に繋がれた鎖が、じゃらんと耳障りな音を立てる。
いざ両の足で立ったブレーティの身長は、いかほどあるだろうか。アルディア王よりやや低く、目立って発達した筋骨を有している訳でもない。しかし流護にしてみればやはりとてつもない巨人だ。
その容貌はどこか力強く、さながら鉄骨で組み上げた人型のよう。それでいて両腕が妙に長いため、歪な印象があった。先ほどギルベーが「手長猿」と毒づいていたが、まさにこの特徴ゆえだろう。
それらはともかくとして、流護は思わず顔をしかめずにいられない。
「……なんでビンビンにおっ勃ててるんですかね……」
半裸のブレーティが穿く、薄汚れた囚人服の下衣。その股間部分が、内側から突き上げられる形で膨らんでいた。
独房の外から、笑いを堪えたギルベーの声が届く。
「おっと、遊撃兵殿。その男……老若男女、問わず等しく『イケるクチ』です。ご注意を」
「えぇ……」
遅すぎる忠告だった。
じゃらら、と鎖の擦れる金属音が連続する。
ブレーティが、ゆっくりと歩き出した。
薄く張った白氷を素足で踏み、括りつけられた枷を枷とも思わぬ力強い足取りで。
血走った青い両眼。黄ばんだ歯列も剥き出しに笑む口元。恥じることもなく隆起した下腹部。その異様極まる風体には、大の男ですら逃げ出しそうな迫力と不気味さが混在していた。鉄の枷を纏うその姿は、まさしく『封印された怪物』との表現がしっくりくる。
じらすような遅さ。しかしその長躯ゆえ、わずか数歩で流護の下へ到達する――直前。
「おっと、滑ったぁ」
囚人の言葉はあまりに白々しく、起こった事象はあまりに暴悪だった。
跳ね上がったブレーティの右脚が、横薙ぎに流護の頭へと迫る。
風圧すら伴ってよぎる足甲。その後を追ってしなり飛ぶ枷の鎖。その先端に繋がれた直径二十センチほどの鉄の球。
流護は大股に一歩下がり、さらに上半身をのけ反らせることでこれらを躱そうと試みる。
刹那、
「!」
パンと鳴り渡る快音が、幾重にも連続する。
ブレーティの蹴りが通った軌跡をなぞる形で、石床が次々と白く固まった。生じた風圧によって、全てが凍りつく。
「ッ」
想定外。
大振りな蹴りに引っ張られる形で、遅れて流護の至近を通過していく枷の鉄球。これが氷の薄膜を纏うことでわずかな厚みを帯び、その凹凸が荒く頬を撫でた。
(っと! 被弾かよ――)
宙に弾け飛んだ赤い飛沫を視認しつつ、空手家は冷静に判じる。
まさに薄皮一枚、紙一重が裏目に出た。頬を浅くかすめた程度、痛みはない。ダメージは皆無。一方、蹴りを空転した相手の隙は大きい。こちらの番。
一弾指の間に状況を精査し終えた流護は、刻まれた傷跡のような氷上にダンと踏み込み、
「あっ俺も滑った」
軸足で氷を粉砕しつつ、滑るなどという現象とは無縁のまま力強く床石を踏み締め、渾身の右廻し下段をブレーティの左脚へ。牽制の類ではない。存分に腰を回し遠心力を加えた、へし折るための一撃。身長差ゆえ、実際にはミドルに近い。
ゴッ、と硬い音が独房内に反響する。
「!」
ブレーティの左大腿部に突如として隆起した氷の塊が、流護の蹴りを完全に防ぎきった。
まるで、氷の具足。鉄の塊を蹴りつけたがごとき衝撃。
(防ぎ……やがった!)
削れ飛んだ氷の破片が宙を舞う。
至近の間合い。双方ともに一撃をいなし、両者の間に散り煌めく白氷の残滓。
「――――ッ」
そして、流護は見た。
空中に飛び散った無数の氷の欠片が――ピキピキと音を立てながら、かすかに大きく、鋭くなっていく。
ただの粒だったそれが、まるで鋲のように。
相手は『ペンタ』。簡単な芸当に違いない。尖った形状のそれらが一斉にこの牢屋内を乱舞すれば、術者以外の者はどうなるか。
結論を考えるより早く流護は動いた。左手を振るように大げさな挙動で握り、ブレーティの青い瞳がそちらに吸い寄せられた瞬間、自らの胴を死角とした腰溜めの右を突き放つ。
「――ぬっ」
囚人が気付いたのは、ひげ面の脇でその右手がピタリと止められた直後だった。
「ど・う・ぞ」
ニッ、と口の端を裂きながら。
寸止めした右の手、その指に挟んだ干し肉を、流護はゆらゆらと振ってみせる。
「ほっほ。こりゃどうも」
粉のような氷片がパラパラと舞う中、黄ばんだ歯を見せて笑ったブレーティが、それを素直に受け取った。
シンとした間が一拍。
そのまますんなりと互い背を向け、流護は出入り口の扉へ。ブレーティは奥のベッドへと歩いていく。
そうして遊撃兵が独房を出たのと、囚人が再びベッドに腰掛けたのは、ほぼ全くの同時だった。
「ブ、ブレーティ……きっ、き、貴様ぁ~」
ここでようやく我に返ったのか、兵の一人が声と身体を震わせる。
「そう怒りなさんなっての。滑ったんだって」
「貴様の生み出した氷で、貴様自身が滑るものかぁっ!」
そんなやり取りを横目に、もう一人の若兵も慌てて扉の施錠にかかる。
戻ってきた流護の肩をポンポンと叩きながら、アルディア王が満足そうに切り出した。
「うむ。ちっとばかし滑ったみてぇだが、互いに怪我もなくて何よりだ。随分と親睦も深まったんじゃねぇか? くくく。おう、それで本題に入るがブレーティよ」
食料を頬張り始めた囚人のつまらなげな視線を受け、やや真面目な顔で続ける。
「最近、やたらと怨魔の出没報告が増えとってなぁ。そう遠くねえうちに、お前さんにも出張ってもらう予定だ」
「怨魔が増えてる……ねぇ? ちゃんと壁外演習やってんのかい? 巣が潰せてないんじゃないのかね」
「それが少しばかり妙でな。本来現れるはずのない奴が、前例のない場所で目撃されたりもしとる」
「はーん。例えば?」
「先々週、キニドの谷でジャンバーロクが出現した。たまたま街にバランコが滞在しとったんでな、幸いにして事なきを得たが」
「ほっ、あの剛力娘か。そらぁ怨魔も気の毒だったな。で、あの辺りの環境は? おれが外にいた頃と比べてどうなのよ」
「お前さんが知っとる頃と変わらんよ」
「となると、そりゃ確かに妙だねぇ。あそこは街が平原のど真ん中に鎮座してるし、見晴らしが良過ぎて水源もない。周囲にゃクリド街道と、四方に街もあるし……あのデカブツが、誰にも気付かれずに谷まで行けるとは思えんなぁ」
「だろ?」
そんな王と囚人のやり取りを見ながら、流護は壁際で影のように控えているギルベーに問いかける。
「あの野郎……なんか、やたら詳しいっすね」
「彼奴は、かつてレインディール中を荒らし回った野盗。生まれてから陛下に捕われるまでの間、過酷な外の世界を生き抜いていた人間です。野の地形や街の特徴、怨魔の棲息域などについても、並の識者より高い知識を持ち合わせているのです。……腹立たしいことではありますが」
「なるほど……」
「外の世界の環境などは、十五年前も今もそう変わりませんから」
『ペンタ』としての能力だけではない。野盗として培われた経験や知識も、アルディア王は買っているのだ。
「…………」
流護は今さらに鉄球がかすめた頬を手の甲で拭った。わずかな赤い染みが付着する程度。出血はほとんどなく、ケガと呼ぶほどのものでもない。だが、これは読みを誤った証に他ならない。
こちらの素性を推測してみせた洞察力、実際の戦力、そしてレインディールを知り尽くす見識……。
「そんなワケでよ、そん時が来たら頼むぜぇ」
「へいへい、どうせ断るったって無駄なんだろうに」
食事を終えたブレーティは、生返事をしながらベッドへ横たわった。
「リューゴよ。どうだった、ブレーティは」
独房の立ち並ぶ、薄暗い通路。来た道を引き返しながら、王が太い笑みを浮かべて問う。
「……分かんない、っすね……」
やや不服そうな遊撃兵の呟きを受けて、王は「ほう」と楽しげに、傍らの暗殺者は「ふむ」と興味深げに頷いた。
相手の底が分からない。続けていたら、勝てたかどうか分からない。そんな意味が含まれた返答だった。
(あの野郎……)
一見すれば、先に右拳を寸止めした流護の勝ちにも思える結末。
だが、ブレーティは『ペンタ』である。
氷を自在に生み出せることは言うまでもなく、その制御も完璧だろう。であればおそらく、可能だったはずだ。あのとき空中に舞っていた細かな破片を武器とすることはもちろん、床や壁に張りついた白氷を利用することも。
身も蓋もない話をすれば、ブレーティはあのベッドに座ったまま流護を攻撃することもできたのだ。
それを、
(普通に……挑発に乗ってきやがった)
あえて流護の間合いへと踏み入り、交錯してみせた。流護の……格闘技者の土俵で闘ってみせた。
「…………」
厳重な封印術の施された一室で、あれだけの冷気と殺気を垂れ流していたあの男。
当然ながら囚人服には護符も施されてはいない。つまり、己の術で自滅しないよう力を抑えていたはずだ。
何の制約もない、檻や枷から解き放たれた状態であれば、果たしてどれほどの力を発揮するだろうか……。
(……やっぱ……まだまだだ。俺は、もっと……)
遊撃兵の誘いを受け。天轟闘宴を勝ち抜いて。そしてあの桐畑良造を乗り越えた。
しかし、まだだ。もっと強くならなければならない。こんなにも近くに、未知の強者が潜んでいた。
親しい友人たち、そして彼らとの生活を護るため、流護は最強を目指すと決めた。しかしその頂までの道のりは、きっと果てしなく遠い。簡単なものでは決してありえない。
過酷なこの世界には、魔法のような力を存分に使いこなす強者や、文字通りの化物といった生物がひしめいているのだ。
知らず拳を握り締める。
「くく。我が遊撃兵のいい刺激になったみてぇだな。結構結構」
「え? べ、別に刺激になんてなってないすよ。あんな奴、全然大したことないっすよ」
「そうかそうか。まっ、今回はとりあえず奴を紹介しておきたかったんだ。ここんとこ、お前さんからニホンの話を聞いてばかりだったからな。その返礼って訳でもねぇが……我が国には、こんな『隠し玉』もある……とな」
「……なるほど。ま、俺がいればあんな隠し玉とかいらないと思うっすけど」
「くく、頼りにしとるぞ」
「なんすか、なんなんすか」
子供を見守るようなアルディア王とギルベーに断固抗議しながら、眩い光が差し込んでくる一階への階段を上っていく。
――崩れ落ち、堆く積み重なった瓦礫の山。
見上げれば、視界を覆い尽くさんばかりの黒い影。
そのうちの一つが、空から剥がれ落ちたように凄まじい勢いで降下してくる。大地を揺るがし、砂埃を巻き上げ、目前に着地してきたそれは――
鎖の音を鳴らしつつベッドから起き上がると、網の向こう側に立つ見張りの兵が厳しい視線を飛ばしてきた。
しかしそれは、ブレーティにしてみれば壁の染みと何ら変わりない事象。その非難がましい睨みつけが、己の精神や肉体に何らかの影響を及ぼしてくる訳でもない。意識するに値しない、淡々と過ぎていく日常の一片。
「ふあ~あ」
欠伸を噛み殺しながら、ブレーティは首を巡らす。
さて。あの三人が帰ってから、どれほどの時間が経ったのか。
部屋の隅に盛った氷塊の大きさから察するに、二時間と十五分といったところか。ありがたい食料の特別支給があったため、腹時計のほうはいまいち当てにならない。
用を足すため立ち上がり、独房の片隅に転がっている金ダライのほうへと歩き出そうとして、
「! おっ」
脚に鈍痛を感じ、思わず足が止まる。
「……ふゥん」
あの小さな遊撃兵の蹴りを受けた、左の大腿部だった。
噂は聞いていた。
ファーヴナールを殴り殺しただの、『銀黎部隊』の一人を倒したの、天轟闘宴で優勝を飾っただのと。
日報紙によればその二つ名は確か、
(……『拳撃』、だったか)
あの交錯の終わり。自らの顔の脇で寸止めされていた、鎚のような右拳を思い出す。幼い顔に似合わぬ、暴悪な凶器じみた手指。
あれを寸止めされず、振り抜かれていたなら。果たして――
(いいねぇ~。上質。上等な肉だ。プリップリの赤身だ)
期せずして、またも性器が天を衝かんばかりにいきり立った。
「はぁ~……」
構わず取り出して金だらいに放尿するブレーティだが、『長さや固さ』が変化したことで勝手が変わり、的を外れて壁や床へと飛び散っていく。
「おい」
背後から聞こえたのは、心の底からうんざりしたような声だった。
排尿しながら振り向けば、番兵が忌々しげな顔で睨みつけている。よくよく見れば、先ほどアルディア王たちに随伴していた兵ではない。ひと寝入りしている間に交代したようだ。
「小便ぐらいまともにしろ。薄汚いドブ野郎め」
「おっほ」
牢番を担当する兵にも様々な者がいる。
が、ブレーティに対するレインディール人の反応というものは、概ね決まっている。この上ない軽蔑、そしてこの上ない恐れ。
ゆえに、見て見ぬふりをする。こうして話しかけてくる者は珍しいのだ。
ここの警備は初なのだろう。その年若い兵の評価を『壁の染み以上』と改めたブレーティは、相応の敬意でもって応える。
「これは失礼したねぇ」
逸物から描かれる黄色い放物線が、バキンと一瞬で凍りついた。がしゃがしゃと耳障りな音を立てて、真下のタライの中へ次々と落ちていく。
「これでハネないだろぉ」
「……貴様ほど神詠術を侮辱する人間を、俺は他に知らん。せいぜい擦り切れるまで国のために尽力して、惨めに野垂れ死んでいくんだな。咎人が」
「それは……どうだろうなぁ」
ぶるりと長躯を震わせたブレーティは、下衣を引き上げながら呟いた。
「何だと?」
「最近ねぇ、夢を見るんだよ。今さっきも、同じ夢を見てたとこだ」
ベッドに向かって歩きながら、淡々とその内容を語っていく。
「すんげぇ地響きと爆音がしてよ、この頑強な地下牢獄が、そこかしこ穴だらけになるんだ。天井も一気に崩れて、兵や囚人どもが次々とゴミみてぇに潰れてく。おれは当然生き残るんだが、上を見て驚くんだ。瓦礫の隙間から見える空……その一面を埋め尽くす、とんでもねぇ数の黒い影。そのうちの一つが、ドーンとおれの前に落ちてきて――」
肩を竦め、惜しむように結末を口にする。
「毎回、そこで目が覚める」
「馬鹿馬鹿しい。まさに夢だ。この地下牢獄が崩れるだと?」
兵が鼻で笑うのも当然。城の地下にあるこの『レインディール・アラーニェ』が瓦解し、上に空が見えているという状況は、レインディール城そのものが崩壊していなければ生まれ得ないものだ。
「王城が崩れることなど、万に一つもありえるものか。余裕ぶっているようでいて、この状況から解放されたい本心が夢に表れていると見えるな」
「それがねぇ、二度目なのよな」
兵は口をつぐんだ。返された言葉の意味が分からなかったのだろう。ブレーティは丁寧に、語るような論調で言い直す。
「『繰り返し、何度も同じ夢を見るって現象』そのものが。人生の中で、二度目なんだ。ちなみに一度目は、まだ外にいた頃。赤い髪したごつい体格の大男が現れて、死闘の末おれをぶちのめして引きずっていく夢だ。何度も同じ夢を見て、おれはある意味何度もその男と闘ってんのに、結局は負けて引きずられていく。その結末が変わることはなかったねぇ」
「それは……」
「ああ、驚いたよぉ。現実に、アルディアの奴を前にした時は。何度も夢で見た男が、そっくりそのまま現れたんだから」
当時のブレーティは、そこで好奇心を刺激された。
これまで一度として敗北など喫したことのない、世では『ペンタ』と称される自分が、負けることなどありえるのかと。幾度も夢に見たあの光景が、果たして現実のものになり得るのかと。
「……その結果が、今のこの生活だからねぇ。最近見てる『二度目の夢』も、案外馬鹿にはできない……と思わんかい?」
「下らん戯言を。この城が崩壊することなど、天地が覆そうともありえん。レインディールの栄華は永遠だ」
「おっと、それは危険な考え方だ。少しは本を読んで歴史を学んだほうがいい。いつまでも栄え続ける国なんて、存在しないんだぜぇ~」
「黙れ咎人。貴様の話などをまともに聞こうとしたのが間違いだった。なるほど、誰も貴様とは話したがらん訳だ」
もう話すことはないとばかりに、兵はブレーティに背を向ける。
「くくっ」
残念。彼もまた、壁の染みと同等の存在になってしまった。
囚人もそれ以上語ることなく、硬いベッドに横たわった。
じき、はっきりすることだろう。
幾度も突きつけられるあの場面が、取るに足らない夢で終わるのかどうか。
……また、眠気が押し寄せてくる。
さあ果たして、今一度レインディール城は崩壊するのかどうか。願わくば一度ぐらい、あの舞い降りてきた影の正体をはっきりと拝んでみたいものなのだが……。
ブレーティの意識は包み込まれるように、まどろむ漆黒の中へと沈んでいく。




