347. 冬の回想
「おはよーございまーす。リューゴだけどいるかー?」
こんこんとベルグレッテの部屋の戸を叩くと、
「あっ、リューゴ。おはよう」
扉を開けた青の少女騎士が、花のような笑顔で少年を迎えた。季節柄冷え込んできたせいか、もこもことした暖かげな上着を羽織っている。
「おう。今ひとりか?」
「ええ」
「そか。身体の調子はどうだ?」
「ん、ここ最近は問題ないわ。ありがと」
「ならよかった。…………」
「……なに? どうかした?」
完全防寒部屋着装備のベルグレッテが小首を傾げてくる。
「いやほら、ウチから持ってったジャージ着ないのかなって……。あれも似合ってて好きなんだよね。こう、ギャップの魅力っていうか……ジャージの芋っぽさとベル子の気品が合わさってくっそ可愛いっていうか――あ」
「っ!?」
瞬間、少女騎士は凄まじい機敏さで廊下に顔を出し、素早く左右を確認し、
「……リューゴ・アリウミ遊撃兵っ」
にこやかながらも全く笑っていない目で、ぐぐっと人差し指を突きつけてくる。
「そ・う・い・う・の・は・だ・め、って言ったわよね?」
「い、いやすまん。久しぶりに顔見て、つい思ったことが口に出たっつーか」
流護も慌てて言い繕う。
「~~っ」
ベルグレッテは耳まで赤くしながら、恨みがましそうに流護を睨みつけた。
「グ、グヘヘヘ、誰も聞いちゃいねえよ。一人なんだろ?」
少年も照れ隠しのため、あえてごまかす感じで言い募る。
「そういう問題じゃありませんっ。人はいなくても、神はお見通しなんだから。そもそも誰も見聞きしてなければいい、なんて意識じゃだめっ。第一、そんなに久しぶりでもないでしょ、もうっ」
ようやく思いの通じ合った二人。現代日本では一度だけ口づけも交わした間柄の少年少女だが、そこは真面目さんのベルグレッテだ。こういう部分については厳しく、委員長気質を存分に発揮してくる。
「それに、アヤカさんはどうなのよ。つきっきりなんでしょ? もうっ」
……ついでに、少しだけ嫉妬も発揮してくる。
「何だよベル子、彩花が気になるのか?」
「ええもちろん、容体が心配って意味でね。……どうなの?」
「まあ、相変わらずだよ。昨日はまたシャロムさんに診てもらったけど……ぐーすか眠りこけたまんま。昔はあんな奴じゃなかったのに、兄代わりとしては悲しい限りですわ」
努めて明るく笑い飛ばすと、しかしベルグレッテは「そう……」と悲しげにうつむいた。
人がいいというか、一向に目覚める気配がない流護の幼なじみを、少女騎士なりに気にかけているようだった。
「そういえば……転移の件は、どう?」
そこでより声を潜めて、窺うように尋ねてくる。
「うーん……やっぱ、これ以上のことは何も分からないみたいなんだよな……」
流護とベルグレッテが実際に経験した、現代日本とグリムクロウズの往復。その詳細をロック博士に説明してはみたものの、肝心な部分は分からず終いといえる。やはり、『彼』の存在に肉薄する以外になさそうだった。
「オズーロイさんの件についてはどうなの?」
「それもな……やっぱ、何も分からないままなんだよな」
件の遠征に同行した正規兵の一人、オズーロイ・ゴーダリック。見事な剣腕を披露したり倒れたロック博士を介抱したりと活躍した人物だったが、流護たちが吸い込まれた緑の気流渦巻く大穴に彼もまた転落し、それきり行方不明となっていた。
結局、流護とベルグレッテがグリムクロウズに帰還した後も、オズーロイだけはその消息が知れぬまま、捜索は打ち切り。彼は死亡扱いとなり、一行は帰還したのだが――
それから数日が経過したある昼下がり、奇妙な出来事が起きる。
いなくなったオズーロイが、王都の裏通りで見つかったのだ。廃屋の片隅に寄りかかって眠っていたところを、巡回中のプリシラが発見した。
それだけならば百歩譲って、流護やベルグレッテが現代日本に転移したのと同様の現象が起き、彼もまた王都へ飛ばされたのでは――との強引な解釈もできる。
しかし彼には、記憶がなかった。それもごっそりと、原初の溟渤に赴いたことそのものをまるで覚えていなかったのだ。もちろん、ドボービークの群れを蹴散らしたことも。ロック博士を介抱したことも。
遠征前日の夜、酒場で飲んでいた以降のことは何も知らないという。つまり彼にしてみれば、流護やロック博士とは一度も顔を合わせたことがない間柄、という認識になる。
期間にして、丸一ヶ月。オズーロイ当人の言では、遠征の前夜で記憶が途切れ、次に気付いた時はプリシラに起こされていた、との認識らしい。
彼の身に何があったのか。現時点でもまるで見当はつかず、不可解な出来事や神の悪戯として謎に包まれたまま片付けられてしまいそうな雰囲気があった。
『ん~、やっぱり気のせいじゃなかったのかしらね~』
後に一連の話を聞いてそんな意見を口にしたのは、『銀黎部隊』の副隊長・オルエッタである。
遠征中のある日、彼女はオズーロイの様子に違和感を覚えたのだという。
何かがいつもと違う。どこか別人のよう。そういった印象を受けたと。
その話を耳にして、
『なるほどね……』
全てを分かったように頷いたのはロック博士だ。
『……「彼」が、オズーロイ君に成り代わっていたのかもしれない』
えぇ!? と素っ頓狂な声を出す流護とは対照的、研究者はどこまでも落ち着き払っていた。
ここでいう『彼』とは、もちろん現代日本で流護たちに接触を図ってきた例の人物のことだ。
『いいかい。「彼」が、予期せず現代日本に渡ってしまった流護クンたちをこちらへ連れ戻した――という前提で話すけど……そもそも「彼」は、どうやってキミたちが向こうに行ったことを知ったんだろうね?』
何らかの神詠術で監視していた? もっと簡単に、すぐ近くで実際に見ていたのでは?
オズーロイは、廃城の地下――翠緑の螺旋が渦巻いていたあの場所にも同行していた。そして、流護たちの後を追う形で落ちていった。
だが――落ちたように見せかけて、流護たちを追ったのだとしたら?
無論、『彼』がどのようにして顔や声まで違和感なく他人に成りすましていたのかなど、疑問は多々残る。
ただ、もしそうなら見つかったオズーロイが何も覚えていない理由は説明できる。任務に同行していたのは偽者で、本人は入れ替わられて不参加だったのだ。『覚えていない』のではない。『最初から知らない』のだ。
『なーんて、ちょっと無理があるかな? まあ……いずれ、「彼」に説明してもらおうじゃないか。きっと、無関係ではないハズさ』
ロック博士は、ぎらついた瞳でそう言った。この『彼』さえ追い詰めれば、主たる謎は解明されると踏んでいるようだった。
『もしかしたら、「彼」は同じような真似をしてずっとボクたちの様子を窺っているのかも……? 実は今も、見知った誰かに成りすましてるのかもしれないねぇ。いやむしろ、既知の誰かが「彼」だったりとか』
延々こちらの様子を窺っているような暇人なのかは知らないが、成りすましも結局は今回のオズーロイのように違和感を持たれる可能性がある。
実は思ったより身近に潜んでいる、というセンはあるかもしれない。こちらの命を脅かそうとしている訳ではないようだが、今後は留意すべきか。
……と考えて一ヶ月近くが経つが、正直怪しい人物に心当たりはない。
それら仮説が正しければ、結局は翠緑の奔流に飲まれた三人が三人とも現代日本へ渡っていたことになるので、博士もあの穴に飛び込んでいれば念願を果たせていたのかもしれないが、そこは後の祭りである。
もっともあの『彼』すら、こんな世界間の行き来は一度きりだとメールの文面で告げていた。仮にあの場で博士も穴に入っていたとして、問題なく故郷に戻れていたかは怪しいところだ。当初の仮説のように、連れ戻されてしまうようなことがあれば意味もない。
「それにしても王様、今日は何の用なんかな。ベル子、何か聞いてるか?」
「ううん、私はなにも……」
「んじゃ、直接行って聞いてくっかね。また後でな」
「ええ」
ベルグレッテと一旦別れ、謁見の間を目指す。
(まさかまた、日本の話聞かせろー、とかじゃないよな……)
実はこの三週間の間だけで、三度も王の私室へ招かれ日本についての話をさせられている流護だった。実に週一ペースだ。
密かに術頼みをよしとしないアルディア王にとって、神の加護なしに発展を遂げている日本――地球という世界は、この上なく興味を刺激される対象だったらしい。王としてはいつか日本を訪れ、国家間の交流を持とうと画策しているようだが、さすがにそれは無理というものである。
やはりアルディア王といえど惑星の概念を理解してもらうことが難しく、原則として世界間の行き来はできない、という現実を納得してもらう点が困難を極めた。
「だがリューゴは行き来してんだろ?」と言われてしまうと「それはそうなんですけど」としか答えようもなく、「でももう戻れないと思ったから遊撃兵になった訳で」と流護が言えば、王もまた「そういやそうだなぁ」と頷いた。そんな風にあれやこれやと話し込むうちに、気付けば外が明るくなっていたものだ。
結局のところ、流護たちの転移をやってのけた例の人物――『彼』を捜してみるか、ということで話は一段落した。
これは、流護にとっても渡りに船だったといえる。『彼』の正体に迫ることは、流護やロック博士の悲願でもある。一国の主が――それもかのアルディア王が『彼』について探りを入れてくれるというのなら、これほど頼りになるものはない。
無論、日本に関しての話は、国を挙げてどうこうするといった規模のものではない。現状ではほとんど、王個人の趣味のようなものではある。
ちなみにその正体を明かした流護だが、ロック博士については今まで通り隠したままとなっている。十五年もレインディールにいる博士の場合、便乗するように「実は私も日本人でした」と言い出すのも妙な感じがするようで、流れで何となくそうなってしまっていた。のだが、隠し事を察するというアルディア王は、ロック博士についても何かを感じていたりするのだろうか。流護に対してもそうだったように、本人が何も言ってこない限りは干渉しない、という方針なのかもしれない。
ところで、記憶が『戻った』ことになっている流護だが、この世界の住人にありのままの真実を話したところで、無用な混乱を招くだけになってしまう。
アルディア王と示し合わせた結果、『ニホン』はここより遥か遠くに存在する国である、流護を含め『ニホン人』は神詠術の扱いに不得手である、といった架空設定をでっち上げることとなった。概ね嘘でもない。
これならばレフェで奮闘しているだろう桜枝里が術を使わないことの理由づけにもなるうえ、今後彩花が目覚めて術が使えなかったとしても、言い訳が通る。
さらには、この世界のどこかにまだ見ぬ日本人がいるなら、流護の噂を耳にして接触を図ってくることも考えられる。
余談だが、流護は『神詠術が苦手で、全くといっていいほど使えない』、ということになっている。『全く完全に使えない』と公言するのは、この国の信仰の都合上やはりまずいのだ。
そんなことを考えて歩くうち、謁見の間の前へとたどり着いた。
「おお、リューゴ殿。陛下は中でお待ちです。どうぞ」
「どもっす」
ここ最近通い詰めたせいですっかり顔なじみとなった番兵に促され、豪奢な扉を開けて入室する。
「有海流護、入りまーす」
「おーう、来たかァー。待っとったぞ、リューゴよ」
さらりと入る遊撃兵、玉座でどっしりと構える巨大な王。何とも気の抜けるやり取りであった。初めてここを訪れた時の緊張が懐かしいな、などと流護は内心で苦笑する。
「あれ、王様ひとりですか」
「おう。だからって、いきなり口説いたりするんじゃねぇぞ」
「…………」
先ほどのベルグレッテとのやり取りを思い出し、ついつい沈黙する流護だった。
「な、何でぇ。何を黙りこくってんだ。まさかお前さん、本当に……」
「いや本当にって何すか、何を警戒してんすか。んな訳ないでしょう」
ギョッと引く素振りを見せた主君にツッコミを入れる兵。気付けば最近は、互いの接し方も随分と気兼ねないものになっている。生真面目かつ流護を認めたくない人々がやり取りを目にすれば、きっと眉をひそめることだろう。
「うむ……今日は、一度お前さんに会わせておきたい人間がいてな」
切り出した王の声がにわかに真剣みを帯びる。
「はあ……俺に、ですか」
この国で暮らして早半年以上。何だかんだ、常在している王宮関係者への顔見せも大方終わっている。とはいえ、『銀黎部隊』の大多数や国属の『ペンタ』の大半など、まだまだ会ったことのない相手も多い。となれば、その辺りの珍しい人物でも来ているのか。
「早速だが、行くとするか」
そう言って、王は当たり前のように玉座を立った。
「え、行くって? こっちから……王様の方から会いに行くんすか?」
流護は困惑した。当たり前だが、アルディア王とはこの国の頂点に立つ人物。誰であろうと王の下へ参じるのが常であり、王が自ら出向かねばならぬことなどあるはずがないのだ。
「あ。その人、病気であんま動けないとか……?」
「いんや、ピンピンしとるぞ。ただ、部屋から出られんのでな」
少し室外を気にするように、そんなことを言う。
「? は、はあ」
謁見の間を出て、巨大な王の後ろについて歩きながら、流護は当然の疑問をぶつけた。
「誰なんです? どういう人なんすか?」
「そうさな、話すとなると長いんだが……。俺とそう歳も背丈も変わらん痩躯の男でな。中々に扱いづらい野郎ではあるんだが……、おう、言い忘れとった。ギルベーのヤツも同行するぞ」
「あ、そうなんですか」
何だろうか。この豪胆な王にしては珍しく、辺りを気にしながら喋っているように感じる。どこか言いづらそうな。
赤い絨毯の敷き詰められた廊下を行き、階段を下り、二人は一階へとやってきた。時折すれ違う兵士らがビシッとした敬礼を見せ、王が「ごくろーう」と労いを返す。そんなやり取りを幾度となく横目にしつつ、歩くことわずか。
「お待ちしておりました、陛下」
奥まった通路の壁に寄りかかっていたその男が、やってきた王と流護に向き直って頭を垂れた。
「遊撃兵殿も、お変わりないようで何よりです」
「あ、ども、お久しぶりですギルベーさん……」
流護も知っているその人物。
一見して、影がそのまま実像を得たような印象の男だった。身長百九十センチほどもありそうな細身。上下ともに黒一色の装いで、そのうえ同色の覆面が顔を包み込んでいる。唯一露わになっている目元からは、端正な二重まぶたの瞳が覗いており、美しい顔立ちであろうことを予想させた。ちなみに流護は彼の素顔を見たことはない。
『銀黎部隊』が一人にして暗殺者、ギルベー・シュロイク。
殺しを生業とする闇の者ではあるものの、物腰も柔らかく丁寧な人柄で、流護としては変わり者が多い『銀黎部隊』の中でも良心的存在だと思っている。
「おう。ヤツの飯は持っとるか?」
「はっ、ここに」
謹直に頷いた黒ずくめの青年は、懐からいくつかの携帯食料を取り出して見せた。
(……、メシ? 持ってくのか? つかこれが……?)
流護は見間違いかと困惑する。
それは非常に質の悪い肉を乾燥させた、極めて質素なものだった。金のない旅人がやむを得ず食べるような代物といえる。
「うし。そんじゃあ、行くとするか」
「は」
アルディア王とギルベーは、さも当然のように足を進める。
「…………、」
後に続こうとした流護は戸惑った。
二人が向かおうとしているその先。そこにあるのは、下へ続く階段だ。
この巨城の地下には、囚人たちに『レインディール・アラーニェ』と揶揄される広大な牢獄が広がっている。逆にいえば、それしかない。
「あの……、王様。これから会いに行く人ってのは……」
「うむ。囚人だ」




