346. 戻った日
――第二次白鷹隊が原初の溟渤からの脱出に無事成功した、その直後のこと。
禁足地で生き抜くことができた安堵感、結晶化した魂心力を現実に発見・回収することができた達成感に高揚感……。かつてない大規模任務の成功に確かな手応えと誇らしさを感じる一行だったが、しかし同時に大きな困惑の気配が皆の間を漂っていた。
『神々の噴嚏』とともに忽然と現れた少女――即ち、蓮城彩花が原因である。
どこからともなく現れたという状況、見たこともない服装、一向に目覚める気配がないという異常。
何もかもが謎だらけ、また隣国レフェに今代の『神域の巫女』が現れた時と似通った状況であることから、兵たちの間でも神の遣いだの悪魔の申し子だの、様々な憶測が飛んだ。
横たわる彩花の姿を目の当たりにしてしばらく放心状態となった流護だが、我に返って彼女にすがりつこうとして、察したらしいロック博士に止められた。
まずいのだ。
リューゴ・アリウミ遊撃兵は記憶喪失。突如現れたこの少女のことを知っていてはおかしいのだ。
「どこにいくの、置いてかないで」と。
眠ったままの彩花はしばし、うわごとのように呟いていた。兵たちが廃城の周囲を探索していたのは、この言葉が原因だった。目を覚まさないこの少女の他に、近くに誰かがいるかもしれない――というアマンダの判断。
しかし流護には分かった。
眠る少女が探しているのは、自分であると。自意識過剰と言われようと何だろうと、彩花は俺を探しているんだ、と。
「俺はここにいる」
そう言いたいのを堪え、遊撃兵の少年は任務を遂行しつつ、幼なじみの少女が目覚めるのを待った。
しかし、一日……二日。一向に、彼女が目覚める気配はなく。
医療の心得があるシャロムに診てもらうも、異常は見受けられない。
愕然としつつも、流護は仕事をこなしながら、眠り続ける彩花を見守った。
やがて任務を終え、ミディール学院に無事到着した流護は、「この娘をここに置いていけないか」とアマンダに訴えた。
が、いかに遊撃兵の意向とはいえ、易々と許可が下りるものでもない。
まずはアルディア王の下へ連れていき、報告すべきだと。その後、判断に従うべきだと。
それでも引かない流護に対し、最初は「そんなにこの娘が気に入ったの?」と茶化していたアマンダだったが、少年の必死な表情からただならぬものを感じ取ったのだろう。
「陛下に直談判なさい」
根負けしたように。詳しく追及してくるでもなく、ただそう言うのみに留めた。
「ふぅむ。こりゃまた、中々の別嬪じゃねぇか」
医務室のベッドに寝かされた彩花を見下ろしたアルディア王の第一声は、それだった。
「お隣の『神域の巫女』と同じような黒髪……そして同じような状況で現れた、どこの誰とも分からん娘っ子か。いざ目覚めたら、実は危険な刺客だったなんて可能性も否定はできんわな。本来であれば、研究室に身柄を送って調査させるところなんだが……何か言いたいことがあるそうだな? リューゴよ」
ニッと太い笑みを浮かべる王を前に、流護は腹を括った。
もう、ここまでだ――と。
「…………こいつは……蓮城彩花。俺の、幼なじみ……ガキの頃から一緒に育った奴なんです」
下手に言い繕おうとしたところで、ボロが出る。
それならいっそと思い、全てを打ち明けた。隠し続けることに疲れていた部分もあったのだろう。
実は自分が、記憶喪失などではないということ。
地球――現代日本という世界から、このグリムクロウズへ迷い込んだこと。故郷へはもう戻れないという諦めもあり、遊撃兵として生きていく覚悟を決めたこと。しかし今回の任務で、何の因果か日本へ帰れてしまったこと。何者かの手引きがあり、こうして再びグリムクロウズへ戻ってこられたこと。そしておそらく、彩花は巻き込まれる形でこの世界へやってきてしまったこと……。
断片的に、たどたどしく……しかし包み隠さず、長い時間をかけて話し終えて。眠る彩花を見下ろす両者の間に、耳が痛いほどの沈黙が舞い降りる。
そんな中、流護の脳裏には、かつてクレアリアと交わした会話が甦っていた。
『私が……貴方の素性を陛下に報告したら……貴方は、罰を受けるかもしれませんよ? それこそ、粛清されるかもしれない』
それでも、緊張はなかった。
ついに話しちまったなあ、と。他人事のような……疲れ果てた気持ちで、流護は彩花の寝顔を眺めていた。
この幼なじみが転移の巻き添えになってしまったという事実は、予想以上に少年の精神を摩耗させていたのかもしれない。
「う~む。ニホン、か。前々から耳にしてはいたが……いよいよ気になってきたなぁ」
太い指で自らの顎をさする王の口から飛び出たのは、まずその一声だった。
「……え? いや、あの、王様……俺……」
「ん?」
「俺……実は記憶喪失じゃないんすけど。それで遊撃兵になってたし、その……」
「ああ、何でぇ。前々から分かってたぜ。そんなことはよ」
あまりにもさらっと言われ、当の遊撃兵はポカンとなってしまう。
「お前さんを遊撃兵に誘う時、少し話したっけな。俺ぁ、神詠術を使えない方が当たり前なんじゃないかと思っとる、と」
「え、ええ」
「俺自身が昔から、そんな大っぴらにできん考えを持ってたせいかねぇ……分かるんだよ。何か、言いたくとも言えんようなことを隠しとる奴はな。一目見りゃ――とまでは言わんが、少し接してみりゃ大体ピンと来る」
「そ、そうなんですか……? じゃあ、俺のこととか……」
「ああ。初めて会った時点で異質さは感じてたし、二度目に会った時にゃ確信したな」
「じゃ、じゃあ……俺が記憶喪失じゃないって……何か隠してるって分かってて、遊撃兵に誘ったんですか?」
「おうよ」
あまりに軽く王が言ってのけるため、
「いや、なんで……そんな、もしかしたら俺、レインディールに入り込んだ敵とかかもしれねーのに」
思わず、流護のほうが責めるような口調になってしまっていた。
が、この王は平然と言ってのけるのだ。
「どうしてって言われると……勘、だなぁ」
流護としては、もう呆気に取られる他ない。
「別に、そうおかしなことでもねぇだろ。そいつが何か隠してるかどうか分かるんだから、人柄や性根だってそれとなく知れる。お前さんに限った話じゃねぇさ。今までの遊撃兵や『銀黎部隊』だって、大半はそうやって集めた連中だ。何もかも、そいつの全てを一から十まで知ってなきゃいけねぇワケでもねぇ。ま、レッシアみてぇに何か抱えてた奴もいりゃ、デトレフみてぇに拗らせちまった奴もいるが……そこは人間だしな。色々あって当然、ってなモンよ」
「……、」
今更ではあるが。この巨王の豪放さというものに、流護は言葉を失うばかりだった。
「でよ、リューゴ。この娘もニホンから来たってこたぁ、やはり神詠術は使えんワケだよな」
「ま、まあ。そうなりますね」
「お前さんみたいに、もの凄ぇ身体能力を持ってたりするのか?」
「いや、多分それはないです」
しげしげと彩花を見やるアルディア王の視線は、まるきり未知の発見に目を輝かせる少年のそれだ。
「見た目だけなら俺らとさして変わらんってのに、不思議なもんだよな。……よぉし。もう少し、ニホンのことについて聞かせろよ」
「いや……長くなりますよ」
「なら、今日は城に泊まっていけ。よし、命令だ」
「まじすか」
「まじだまじー、っとぉ、お前さんよく言うよな。何だぁ、『まじ』ってのは」
「あ、えーと……」
流護が『実は記憶喪失でなかった』という事実。
アルディア王にとっては瑣末事であったとしても、『一部の信心深い者たち』の間では、無用な騒ぎを引き起こす火種となりかねない要素である。
という訳で、第二次白鷹隊が無事王城への帰還を果たしたこの日は、同時に有海流護の記憶が『戻った』日としても知られることになるのだった。
「着きましたぜー、遊撃兵さん」
乗車室を振り返った御者の声で、流護の意識は夢の世界から現実へと引き戻された。
「ん……、あ、どもっす」
料金を支払い、昇降段を踏んで石畳へと降り立つ。
眼前にそびえる、巨大な石造りの建造物。その入り口へと続く、やたらと長い外階段。学院から丸四時間という相も変わらず長い道のりを経て、すっかり通い慣れたレインディール城前へと到着した。
今や、広大な城の中も知ったものである。
あらかじめ時間に余裕を持たせていた流護は、早速とばかりに階段を上ってベルグレッテの部屋へと向かう。
銀色の鎧を身に纏った二人の少女が、城内東の階段口で立ち話に興じていた。
「はぁー……」
窓の外に広がる曇天を眺めながら、見習い騎士のアルマが憂鬱そうな溜息を零す。
そんな同僚の姿を見やり、同じく見習いのプリシラが苦々しく笑った。
「なに、アルマ。まだ公式演舞のこと気にしてんの?」
「当ったり前でしょ……。レヴィン様の公式演舞は、私の生きがいなんだから……」
そうぼやく少女の顔は、もはや生気を失った亡者のようだ。プリシラにしてみれば、あははと笑って流す以外にない。
レインディールにとって西に隣接する大国、バルクフォルト帝国。
その地にて最強と謳われる騎士、レヴィン・レイフィールド。弱冠十三にして第八十五回・天轟闘宴を制し、十八にして総隊長に就任。『ペンタ』でありながら性格は実直で人当たりもよく、また絵に描いたような美男子。放たれる眩いばかりの雷撃は夜の闇すら消し払うことから、『白夜の騎士』の異名を取る。
レインディールにも彼を慕う者は多く、虜となっている女性も少なくない。
プリシラの目の前で悲嘆に暮れているアルマなどまさにその一人で、かの国で年に一度開かれる公式演舞が中止となってしまったため、いつまでも引きずっているのだった。
ちなみに取り止めの理由は、レフェで開かれた天轟闘宴の直後、国長が臥せってしまったことに配慮したため。本来であれば演舞は、その一ヶ月後に予定されていた。
レインディール、レフェ、バルクフォルトは近隣で最も大きな横並びの三国であり、また友好的な関係を築いている。それゆえの決定だった。
もっとも今年はバルクフォルトの農作物が不作だったらしく、客人の持て成しに不安があったことも一因ではあるらしい。西のお隣は、客を大事にすることで有名だった。
「せめて……せめて、延期とかにしてくれればなぁ~……」
「それは厳しいでしょーね。バルクフォルトのほうは、冬になるとこっちより雪が多いらしいから。ま、延期っちゃ延期よ。来年までね」
「そんなぁ~……」
取り留めのない話をしていると、すぐ脇の階段を誰かが上ってきた。短い黒髪に低めの背丈、簡素な平服姿。見慣れた顔のその少年は――
「あっ、リューゴくんじゃん。おはよー。二週間ぶりぐらい?」
「おいーっすプリシラ。オズーロイさんの一件ぶりか」
手を振ると、彼も軽く腕を上げて応える。
同じレインディールの兵として、ちょくちょく顔を合わせたり合わせなかったりしているが、この夏に遊撃兵となった少年は、近頃その顔つきも精悍になってきたような印象があった。
「リューゴくんは今、城に来たとこなの?」
「ああ。王様に呼ばれてさ」
「そうなんだ」
プリシラたちのような、街の巡回が主となる見習いにはあまり関係のない話だったが、ここ数ヶ月は妙に怨魔たちの動きが活性化しているとの報告が多数寄せられている。
これまで比較的安全だった地域に危険な怨魔が突如出没した、などという事例が多い。これらの対処に熟練の兵士や『銀黎部隊』が頻繁に駆り出されているため、ただでさえ慢性的な人手不足に見舞われている兵らの間には、何とも忙しない空気が漂っていた。
少しだけ雑談に興じ、「じゃあまたな」と階段を上っていく遊撃兵の背中を見送る。
あまり面識もないため会話に参加せず見守っていたアルマが、少年の消えていった階段を見上げて呟いた。
「……ほんと、確かに全然気取らない人なんだね」
「でしょう?」
リューゴ・アリウミ遊撃兵が庶民の間で根強い人気を誇る理由の一つは、それだろう。多大な戦果や功績を残し、腕の立つ戦士でありながら、それを鼻にかけることがまるでない。大半の『ペンタ』のようなお人とは大違いだ、とプリシラも思っている。
「おーっと、なになにアルマさん。いつまでも彼の消えてった先を見つめちゃって。まさかリューゴくんのことが気になり出した、とか言わないでしょうね~?」
いたずらっぽくからかうと、アルマは「私はレヴィン様一筋だってば!」と慌てたように言い繕う。
「ふっふ、まあリューゴくんはほら、言うまでもなくベルにぞっこんだからね」
そもそも、たった今彼が上っていったこの階段。その先には、ベルグレッテの部屋がある。位置的に、謁見の間は反対方向なのだ。つまり流護は城にやってくるなり、まず彼女に会いに行こうとしていることになる。
「はぁ、なるほどおー。で、でもどうなのかな。身分も全然違いそうだけど、二人がくっついたりすることなんてあるのかな……!?」
「さーて、どうだろね。まあ、あたしは生温かく成り行きを見守るのみですよ」
プリシラもニマニマと笑いながらアルマの視線を追い、階段の先を見つめるのだった。




