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流体なる隣人たち -諸邦スライム巡見録  作者: Ono


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序章 スライムとは何か

 私が初めてスライムに触れたのは十二歳の夏であった。場所は王都の裏路地で、目的は兄が賭けた銅貨五枚。私は「あれを素手でつかんでみせる」と大見得を切り、ゴミ捨て場の脇に蠢く拳ほどの粘体へ手を伸ばした。結果、得たものは皮膚の軽度な炎症である。

 銅貨五枚をもらい損ね、ただ得なかっただけなのに何かを失ったような気がした。しかし同時に私は、この世にこれほど不思議なものがあるのかと、子供特有の理性を欠いた熱量で思い知ったのだ。つかもうとした瞬間するりと私の指の形を避け、手のひらに半分溶け込みながらまた逃れ、スライムはまるで「掴まれる」という概念そのものを理解していないかのように振る舞った。痛みよりも奇妙な感触の記憶のほうが私の中に長く残された。

 以来、私は王立湿性魔物研究院の客員調査員としてスライムを追い続けることに人生を捧げている。


 ***


 ⋄人々はスライムをどう見るか


 私が学者を名乗ると人々はいろいろな顔をするが、「スライム研究者」だと言うと学会では失笑を買い、宴席では奇異の目を向けられ、家族親戚は困り顔をする。魔物学といえば花形はドラゴン専攻であり、いくつもの学派が立ち、研究も進んでいる。他の翼を持つものたちの次に人気なのは二つ足と四つ足の魔獣である。よりにもよってスライムとは、と言わんばかりの反応が返ってくるのは今も昔も変わらない。


 一般の人々がスライムに抱くイメージは概ね三種類に収まる。

 一つは「不潔なもの」。下水路に湧き、廃棄物に群がり、じっとり濡れていて、触れれば病に罹るかもしれない。路地裏の嫌われ者、駆除すべき害獣である。

 二つめは「危険なもの」。冒険者の語る武勇伝には必ずと言っていいほどスライムが登場する。洞窟の奥で装備を溶かし、仲間を呑み込み、油断した者から無機質に命を奪い去る。それは特定の種の実態を反映しているが、私から言わせればすべてのスライムをその鋳型に嵌めてしまう単純化でもある。

 三つめは「取るに足らないもの」。知性なし、意志なし、ただ蠢くだけの原始的存在。魔物の中で最も格下とされ、初心者の剣士が自信をつけるために最初に斬撃を繰り返す手頃な練習台。

 物語の中でスライムが主役になることは、滅多にない。


 私はこれらのイメージが、いずれも誤りとは言えないが、いずれも致命的に不完全であると確信している。本書は私がこれまでの旅を通じて出会ってきた、スライムという存在の証明の記録である。


 ***


 ⋄「形を持たぬこと」という問題


 スライムを学術的に扱おうとする者が最初に躓くのは定義の問題である。生物を分類する際、我々は通常「形」を基準の一つに用いる。脊椎の有無、外骨格の構造、翅の枚数、葉の形状など、これらはいずれも観察者が対象の輪郭を把握できることを前提としている。

 しかしスライムには輪郭がない。あるいはより正確に言えば、輪郭が恒常的でない。

 今この瞬間に球体であったものが次の瞬間には薄く広がった板状になり、その次にはいくつかの突起を伸ばし、別の個体と接触すれば一時的に融合し、刺激を受ければ霧状に分散することさえある。ある意味において、スライムとは「今この形である」という事実の連続であって、「これがスライムの形である」という本質を持たない。

 これは生物分類学にとって根本的な挑戦だ。


 スライムを分類しようとするのは、川の流れを箱に入れようとするようなものだ。川は箱に収まるだろう。しかしその時点で川ではなくなる。私はこの言葉の正しさを認めつつも、だからこそ試みなければならないと考えている。箱に収まらないものを記述する言語を我々はまだ持っていない。持とうと努めなければ永遠に持てないままだ。


 ***


 ⋄学会における三つの立場


 現在、スライムの学術的定義をめぐっては大きく三つの学派が存在している。本書を読み進める上での予備知識としてそれぞれの概要を述べておく。


 ▾「生命核流体生物」説

 広く受け入れられている見解は、スライムを「流体状を呈する生物であり、その内部に生命核と呼ばれる安定した中心構造を持つもの」と定義する説である。

 この生命核は通常の生物における脳や心臓に相当する機能を担うとされる。個体の同一性を保つ基盤であり、物理的に破壊されない限り個体は消滅しない。核の有無によってスライムと非スライム流体(油や水銀など)を区別し、核の構造差によって種を分類するこの方法は、実用的ではあるが問題を孕んでいる。

 最大の問題は、核が極めて小さく、かつ流動するという点だ。検体を採取しようとした段階で個体が傷を受け、核の位置が変わってしまうことが多い。また後述する群体型スライムにはそもそも単一の核が存在しない場合がある。


 ▾「群体微生物」説

 次に力を持つのが、スライムを「高度に協調した微生物群体の集合体であり、肉眼スケールで一個体のように振る舞うもの」とする立場である。

 この説によればスライムは厳密には「一匹の生物」ではない。無数の微小な個体が密集し、化学的シグナルと魔力的共鳴によって統一した行動を取ることで、あたかも一つの意志を持つ存在のように見えるというのだ。

 この解釈はいくつかの観察事実をよく説明する。特にスライムが分裂した後も両方の断片が独立して生存できること、個体の一部を切り取っても残りの部分が正常に機能し続けることなどは群体説の強力な証拠とされる。

 しかし反論もある。群体であるならば、なぜ個体間の統一した意志決定があれほど迅速なのか。群体の連絡は化学物質の拡散によるはずであり、それでは大型個体の反射的とも言える反応速度が説明できない、という批判だ。


 ▾「半霊体」説

 三番目の立場は現代の主流からは距離を置かれているが、私個人としては最も興味深い。スライムを「物理的実体と霊的構造が不分離な状態で結合した存在」と見なす考え方である。

 提唱者のフィンバー博士は、スライムの生命核が純粋に生化学的な構造物ではなく、ある種の「凝縮した魔力の固着点」である可能性を主張した。この説ではスライムの流動性そのものが霊的な性質の発現であり、完全に物質として分析することは原理的に不可能だとされる。

 当然ながらこれは反発を招いた。「霊的」などという語を用いることは科学的でないというのが主流の意見である。だが私は旅を続ける中で、純粋に物質的な枠組みでは捉えきれないスライムの振る舞いに幾度となく遭遇した。そのたびにフィンバー博士の言葉を思い出す。いずれ本文中でも触れることになるだろう。


 ***


 ⋄本書の旅程について


 これは学術論文ではない。私は人生の大半をかけて、できれば老いて筆を折る前には体系的なスライム分類図鑑を作成することを目標に旅を始めた。できる限りの標本を採取し、多くのスライムの生態を記録し、三学派の論争に決着をつけられるだけの資料を揃えるつもりだった。

 しかし旅というのはそう整ったものにはなり得ない。旅が私に見せたのは、スライムが分類される対象である以前に、それぞれの場所で固有の文脈を生きる存在であるという実態であった。下水道を維持する縁の下の力持ち。パン職人の秘密の仕事仲間。子供たちの光る友人。砂漠を旅する透明な旅人。空を飛ぶ巨大な生命の器。海そのものかもしれない何か。

 分類学の言語はそれらを捉えるには少々手狭だ。私はただ旅をする。本書はそうして出会ったスライムのことを、その場所やそこに住む人々のことと共に書き記す紀行文だ。各章は順不同であり、実際の年代順ではない。時に自分の記憶を振り返るかのように様々な国の暮らしへ思いを馳せていただければ幸いである。


 とはいえ学術的な視点は手放していない。各章には私の知る限りの分類学的知見を織り交ぜた。だが本書の骨格はあくまでも旅の実感であり、スライムへの積年の愛着であり、そして時に命がけとなったいくつかの経験の記録である。

 本書を読み終えた時、あなたが「スライムとは何か」について明快な答えを持てるかどうか、私には保証できない。むしろその問いがより大きく、より面白くなっていれば、著者としての役目は果たせたと思っている。スライムとは問いをも溶かして広げるものである。


  王都研究院・第三書架室にて、王国歴二六三年、秋の雨の夜――アーロン・ファラマン。

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