⑦ 冷えた熱、解ける指先
砂漠の夜は、昼の酷熱を嘲笑うように冷え込む。
陽南たちは、武智が持参した高級天幕の中にいた。
絨毯の敷かれた空間は快適そのものだが、空気は刺々しく張り詰めている。
「──で、さっきの何!? 大口叩いといて、あれは無いでしょ!」
陽南の鋭い視線に、黒い背中が身を縮める。
膝の上で広げられた本は、もはや震える指先を隠すための道具に過ぎない。
「大体、今までの任務はどうしてたのよ?」
「……わざわざ僕が出る必要などなかった」
「へぇ? お華族副隊長様は、部下の手ばかり汚させて高見の見物ってわけ?」
仮にも隊を守り導く指揮官。副隊長という地位も、金と権力で得たのだろうか。
陽南は心底腹が立ち、冷たい声で吐き捨てる。
「だったら、せめて足引っ張るのは勘弁してよね。己の実力を過信してる奴が一番――」
「タケチ君さ、自分で分かってんだろ」
天幕の入口を捲り、三明が静かに口を挟んだ。
「な、何がだ」
「姉御は視察中だし、おれは元々部外者だ。別に肩肘張る必要ね~のに」
「……!」
「だろ、姉御」
三明はそう言い残すと、夕食の支度をするために鞄を持って外へ出て行った。
ふぅ、と溜息を一つ。
「あたしも別に、あれこれ言いふらす気はないわ。
最初から、正直に言ってくれれば良かったのよ」
「……すまない」
武智は本を閉じ、ぽつりと語り出した。
「僕は元々、術の才能があまり無い」
その一言で、陽南は察した。
夕映王国では、戦士より術士の適性をもつ者が尊ばれ、社会的地位も高い。
名家に生まれた者は尚更、それが当然の資質とされるようだ。
「だから、両親は必死だった。
前線に出れば、僕の実力はすぐ露見する。
だから……入団してすぐ、副隊長にされた」
周囲から“無能華族”と陰口を叩かれる苦悩。
(ちょっと、分かるかも)
武智がレッテルに苦しむように、陽南もまた隊内では浮いた存在だった。
女は男に守られ男を立てる大和撫子が理想的、という世間の風潮。
男性隊士ばかりの戦士班で、“熱血脳筋女隊士”と揶揄される日々。
──でも。
「華族も、大変ね」
陽南は静かに息を吐く。
いじけて殻にこもっていたって、何も変わらないのだ。
「でも、打ち明けたら少し楽になったでしょ?」
「あぁ……」
「でしょ。我慢したっていいことないわ。あと……三明にもお礼言っときなさいよ」
……三明。
彼の名を口にして、思い出す。
(そうだ、あの子──!)
陽南は、弾かれたように天幕を飛び出した。
◇
焚き火の前。
揺れる炎を映し、三明がのんびりと鍋をかき混ぜている。
彼の左二の腕には、使い古した手拭が無造作に縛られていた。
「……三明」
「ん?」
「ちゃんと手当てした?」
目の前に回り込み、仁王立ち。
ちらりとこちらを見上げた三明は、ふいと目を逸らす。
「軽傷だし。放っとけば治る」
「……は?」
地を這うような低音。
場の温度が、一気に氷点下まで下がる。
三明の肩が、微かに強張った。
「来なさい!」
彼の右腕を力任せに掴み、天幕へ引きずり込む。
驚く武智を無言の圧で追い出すと、二人きりになった空間で三明を座らせた。
「腕、出して」
「…………」
「早く! 出して!」
睨みつけると、三明は諦めたように溜息をつき、袖を捲って傷を晒した。
父親譲りの白い肌。細身だが、しなやかな筋肉の付いた腕。
そこに、抉られたような深い傷が口を開けていた。
(どこが軽傷よ。すっごく痛そうじゃない……)
未だ血の滲む傷口に、消毒液を浸した布を当てる。
三明は眉一つ動かさず、無表情のまま。
けれど、触れている腕はずっと石のように硬く、強張っていた。
(……意外と体温、低いのね)
肌から伝わる冷ややかな感覚。
この距離で逃げられないのは、なんだか新鮮だった。
いつも猫のように躱す彼が、今はされるがままにじっとしている。
「言ってよ」
「?」
「辛い時は、ちゃんと話して」
三明が困ったように視線を揺らす。
「…………」
頷く気配はない。
陽南は嘆息し、ならば自分がしっかり見ていようと心に決めた。
「じゃあせめて、あたしが聞いたらちゃんと答えてよ?」
これで駄目なら力尽くで聞き出してやる。
そんな陽南の気迫に押されたのか、三明はそっと目を伏せ、消え入るような声で呟いた。
「……努力は、してみる」
夜の帳に、焚き火の爆ぜる音だけが響いていた。




