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マルスリーヌ①

翌朝、ヴァレリー達は近郊のリンゴ園にいた。

この地域はリンゴが名産で、ジャムやカルヴァドスと呼ばれるアップルブランデー造りが盛んであった。

ヴァレリーは、なかなか地方を訪れる事が出来ないことから、良い機会だとこの地域の産業を見て回ることにした。

「農園主殿、このブランデーは美味いな。朝から良い気分になってしまう。」

一頻り笑い声が上がった。

「王弟殿下、この地域はリンゴの成育に適しておりまして、様々な利用が成されております。カルヴァドスやジャムならば時間をかけても劣化することは無いのですが、生のリンゴは残念ながらバルドーまでの輸送に耐えません。秋に収穫して出荷するのですが、気温が低くなる時期ですから温度はなんとかなりますが、馬車に揺られているうちに傷ついて腐ってしまうのです。新鮮なままバルドーまで運べれば我々ももっと潤うのでしょうが・・・」

なるほどと思った。

多分この地方だけではなく、ブランシュ各地にはこのように名産、特産の類いがたくさんあるのだろう。

北海条約の締結が為れば、海路ブランシュ国内は元より、エーデランドにもナルウェラントにも輸出が可能になるのではないか?

ヴァレリーはこの思わぬ訪問で、将来の経済構想の一端を掴んだと確信した。

「まだ詳しくは言えないが、今後海上貿易を振興していきます。きっとこの地域の物産もブランシュ国中に売れることでしょう。なによりこのカルヴァドスは毎晩でも飲みたい。」

そう言ってヴァレリーは笑った。

リンゴの収穫も終わりの時期だったため、鈴生りのリンゴを見ることは出来なかったが、それでも取れたてのリンゴを食べ、その美味さに、もっともっとブランシュ国中くまなく歩き回り、人々の生活を肌で感じたいと、ヴァレリーは願った。


十日後、ナルウェラントから連絡が来た。

フェリックスが直々に使者として遣わされてきた。

ヴァレリーはフロケの屋敷を借り、フェリックスを迎えた。

「ヴァレリー殿下、遅くなり申し訳ありませんでした。しかし良い返事ができます。バルタサール陛下がお会いになります。」

「それは本当ですか!」

「はい、まあいろいろと有ったのですが、良い報告が出来て良かったです。」

フェリックスは笑いながら言ったが、並大抵の事ではなかったであろう事は推察できた。

「差し支えなければバルタサール陛下がお許し下された経緯をお聞かせ頂けませんか?」

ヴァレリーは、ナルウェラントに赴き、バルタサールに面会したときの為にも経緯を知っておきたかった。

「最終的には溺愛する娘からの脅迫です。」

フェリックスはそう言って笑った。


八日ほど遡る。

フェリックスは、ヴァレリーの書状を手にルードヴィクの元を訪れようと、王宮にあるルードヴィクの執務室に向かった。

そのルードヴィクの執務室へ向かう途中で、ある女性に呼び止められた。

「フェリックス?珍しいわね、陸の上では息も出来ないのではなかったのですか?」

そう言ってコロコロと笑う女性こそ、バルタサールの一人娘マルスリーヌであった。

「これはマルスリーヌ様、お久しゅうございます。益々美しくなられた。」

「海の男の誉め言葉ほど危ないものはありません。聞かなかったことにしておきましょう。」

そう言って笑うマルスリーヌはこの年19歳、上に兄が3人いるが、姉も妹もいない。

そのため、バルタサールはマルスリーヌを溺愛していた。

しかしマルスリーヌはバルタサールの血を引く子供であり、柔らかで美しい表情の奥には父親譲りの強い芯が有った。

惰弱を嫌い、誠実さを愛した。

まだ19歳ながら、兄3人を叱咤激励する激しさも持ち合わせていた。

フェリックスは閃いた。「そうだ、マルスリーヌ様に協力していただこう!」

「マルスリーヌ様、少しお時間を頂きたいのですが?」

「海の男のロマンスには興味ありませんよ?」

からかうように笑うマルスリーヌは、女神のように美しいとフェリックスは思った。

「その手の話はまた機会を頂くとして、事は重大な国政に関わる話なのです。」

「ならば父上に申し上げれば良いではないか?」

「それが・・・」

「なるほど、エーデランド絡みのようですね。」

この明敏さはどうであろうか⁉

フェリックスはたった19歳のこの時代の女性とは思えない見識に驚いた。

「良いでしょう。中庭でお茶にしようと思っていたところです。供しなさい。」

「はっ、ありがたき幸せ、ご相伴させていただきます。」

マルスリーヌとフェリックスは、中庭に降り、用意されていたテーブルに付いた。

直ぐに次女たちがお茶と菓子を持ってきた。

「フェリックスはお酒の方が良いのでしょうけど、まだ日も高いし、我慢してね。」

「姫様と茶を頂けるのですから酒など無くても酔えまする。」

「本当に口が達者だこと。」

そう言って微笑むマルスリーヌは、凛とした気品が滲み出るのを隠しようもなかった。

「それで?お話って?」

「はい。この書状ですが、一通はバルタサール陛下宛て、もう一通はルードヴィク将軍宛てですが、内容は同じものです。」

「何故同じものだと分かるの?」

「私が同じものを書いてくださるようにお願いしたからです。」

「くださる?ずいぶん遜った言い方をするのね?その書いてくださるようにお願いした方は何方?」

「ブランシュ王国王弟ヴァレリー殿下で御座います。」

マルスリーヌのカップを持つ手が微かに揺れた。

「なるほどね・・・だとすれば内容はナルウェラントとの友好関係を結びたいといったところかしら?父上のエーデランド嫌いは度を超していますからね。相手がブランシュであってもエーデランドと友好的な国だというだけで歯牙にもかけないでしょうね。だからルードヴィクなのね・・・」

本質を見事に言い当てているが、流石に三国による北海条約などというナルウェラントにしてみれば荒唐無稽な提案には考えが及ばなかったようだ。

「お見事です。ですがマルスリーヌ様、ヴァレリー殿下の考えは更に踏み込んだものなのです。」

「面白そうね。」

マルスリーヌは目をキラキラと輝かせて、自分の想像を越えているというヴァレリーの提案を聞きたがった。

「ブランシュの領海内に「ガレア島」という島が有るのだそうです。ちょうど我が国とブランシュ、エーデランドの三国の領海線が交わる辺りです。

ここを自由貿易港として、三国による友好的な通商条約を締結したいというのがヴァレリー殿下のお考えです。」

「・・・」

「詳細までは私も存じ上げません。されど、陛下より固くブランシュ人やエーデランド人を我が国へ上陸させてはならぬと言いつかっておりますので案内するわけにはいかず、また、話の内容が大きすぎて私の手には余ると思いまして・・・」

「でも父上に直接手渡すことは叶わないと思ってルードヴィクを頼ろうとした?」

「その通りです。」

マルスリーヌは、優雅な手つきで紅茶を口に含んだ。

「ブランシュのヴァレリー殿下と言えば、白狼将軍とあだ名されるほどの戦巧者だと聞いたことがあります。剣を取ってもブランシュ国内に太刀打ちできるものが無いぼどだとか?いかにも

雄々しいお姿なのでしょうね?」

その問の意味を図りかねたが、フェリックスは見たままを答えた。

「そうでもありません。どちらかと言えば細身で折り目正しく、私に対しても言葉は丁寧な誠実さを垣間見れました。」

「ルードヴィクとどちらが強いかしら?」

その言葉で思い出した。

ルードヴィクは、公明正大で、部下の話にも耳を傾ける度量の大きな男ではあるが、一つ困った癖があった。

武芸の腕がたつと聞くと、腕試しをせずにはいられないのだった。

そして、認め得る技量がなければ、まるっきり興味を失ってしまうのだった。

それでも軍内部であれば鍛練を指示し、育成に励むのだが、外部の人間なら二度と会おうとはしないのだった。

「失念しておりました!」

マルスリーヌは、小さくため息をついた。

「白狼将軍の噂が本当なら、勝てぬまでも良い勝負をするでしょうが・・・」

「・・・あんな噂話が出る時点で期待は持てないのかもしれません・・・」

フェリックスの呟きにマルスリーヌは問い返した。

「噂話とは?」

「はい、荒唐無稽な話です。ブランシュとは国交はありませぬが、国境沿いの漁師町ではブランシュ側と内々に商いがあるのです。規模も小さく、本国内に魚を運ぶには遠すぎるため、我々も目をつぶっておるのですが、そこの漁師から伝わった話です。」

「それで?」

「はい、先程お話ししましたガレア島ですが、通称蛇島と呼ばれているそうです。ここを開発するためにヴァレリー殿下の弟オーレリアン殿下が派遣されたのですが、この島には昔から人を飲み込むほどの大蛇がいて、開発が頓挫しそうになったそうです。しかしヴァレリー殿下が来て、20mはあろう大蛇を一人で退治してしまったというのです。そのような英雄伝説のようなものがこの時期に真しやかに噂される・・・」

「ヴァレリー殿下はそのような姑息な手段を使うような人ですか?」

「いえ、決してそのようには見えません。」

「ならばルードヴィクに会ってもらい、腕試しをさせれば良い。それで真偽が分かるでしょう。嘘ならば追い返して嘲笑ってやれば良い。

本当ならば・・・」

「本当ならば?」

「嫁いでやっても良い。」

「なっ!」

風を心地良さそうに紅茶をすするマルスリーヌは、やはりバルタサールの血を引く豪胆な娘であった。


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