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「殿下。頭を下げるのはお止めください」
私がそう伝えると、殿下はゆっくりと頭を上げ私を見た。その顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
「イリス……」
「殿下はなんでもしてくだると仰いましたよね?」
「あ、ああ! なんでもする!」
「では、陛下やあなたも参加してみんなで泥だらけになりながら一生懸命に自然と接し蘇らせてください。その方法はお教えしますので」
「……! わかった! 必ず参加する!」
「それではすぐに方法を書きますのでお待ちください」
返事を聞いた私は殿下に背を向け、方法を書くために家へ向かう。すると後ろから驚いたような声で問いかけられた。
「え!? 君は一緒に国へ戻ってくれるんじゃないのか?」
「戻りませんよ。私は方法をお教えするだけです」
「どうしてだ! みんな君が帰ってきてくれたら喜ぶ」
殿下のその言葉に首を横に振る。
「それは最初だけです。落ち着けばあなた方はあの日のあなた方に戻るでしょう。だってあなた方の根本は変わっていないのだから。今は自分たちが大変だからそういう風になっているだけです」
「そんなことは……」
「ないとは言い切れないでしょう? それに利用価値がある私を陛下や国の人間は放さないでしょう。そして私は捕まり閉じ込められ、護衛という名の見張りと一緒でなければ外に出ることすら叶わない未来しかありません」
「……」
「ですから、これが私にできる最大限の譲歩です。それが嫌だと仰られるのなら、このお話はなかったことにしてください。そして速やかにお引き取りを」
私の言葉を最後まで聞いた殿下は俯き、そして頷いた。
「すまない。無理を言った。方法だけ書いてほしい。あとは僕たち王族、それから貴族に聖女と民でどうにかしてみせる」
「では、すぐにご用意致しますので」
頭を下げ、家の中へと入る。そしておばあちゃんから教えてもらい一人でやり続けた方法を書いていく。
「よし……」
二十枚にも及ぶ方法を書き終え、私が外へ出るとそれを見た殿下が深くお辞儀をした。
「ありがとう。協力に感謝する」
「いえ。どうぞ。こちらに全てしたためてありますので」
殿下に近づき手渡す。すると意を決したように、殿下は真っ直ぐ私を見つめ口を開いた。
「今日から僕自身、変わる努力をする。そして国も変えてみせる。だから……いつかまた国を訪れてほしい」
「……」
「君が楽しそうに笑って歩ける国にしてみせるから」
私はそれに何も言わなかった。
言えるだけの、整理ができていなかったから。
口を閉じたままの私に殿下は何も言わず、ただ微笑み別れの言葉を口にする。
「イリス。君の幸せを祈っている。体に気を付けて」
「ありがとうございます。殿下もお体に気を付けてお過ごしください」
私は頭を下げ、殿下を見送る。
……殿下の瞳の強さが変わっていた。もしかしたら変わるかもしれない。おばあちゃんが愛した、あの時代の国のように。
***
あのあとすぐ私は獣人族の町へと駆け出した。そして木の扉をゆっくり、でも急ぎながら開ける。
「あら? イリスじゃない。そんなに慌ててどうしたの?」
「カエデさん! あのっ! ヴィルはどこにいますか?」
「ヴィル? ヴィルならさっきツグサのところへ行ったけれど」
「ありがとうございます! それでは!」
「あっ、イリス……!」
後ろで私を呼ぶ声が聞こえた気がするけれど、今すぐにヴィルに会いたい私はそのまま駆けてしまう。あとで謝りに行かなきゃ。
心臓はとても激しく動いていて、呼吸も苦しい。だけど走ることをやめられない。
今、私を突き動かしているのはヴィルに会いたいという気持ちだけ。
「あ、ツグサさん……!」
「ん? おー、イリスじゃねえか。どーした?」
「あのヴィルがツグサさんと一緒にいると聞きまして」
「おー。さっきまで一緒だったぜ。でももう別れたんだよな」
「そうなんですね……どこに行くとか言ってましたか?」
「いや何も言ってなかったな。普通に別れただけだ」
苦しい呼吸を整えながら、ヴィルがどこへ行ったのか考える。
「でも行き先の想像はつくぜ」
「え? 本当ですか?」
「ああ。あいつはお前の家にいるはずだ」
「私の、家?」
「おー。あいつ、お前んとこに行くの好きだからな」
そう言われて瞬きを数回する。
「ヴィルはお花が好きですものね」
「……そーそー、花が好きだからな。あいつ」
「ツグサさん。ありがとうございます。一度家に戻ります」
「おー。気をつけてな」
「はい。それでは」
私はまた駆け出す。
本当に私の家にいてくれるといいけれど。もし今日、会えなかったらどうしよう。この想いを抱えたまま寝るのは難しい。
「……会えなかったら、迷惑承知で朝一に訪ねよう」
そう決めて、先ほどよりも走る速度を上げた。