5
私が育てた木々の間を走り抜けると家が見えてきた。私は走る速度を上げて、必死に家へと近づく。そして私の家の扉の前にヴィルの姿を見つけて、思わず叫ぶように名前を呼んでしまう。
「ヴィル!」
「イリス?」
振り返った彼は驚いたような顔をしていた。けれど私は構わず彼に向かって走り、手を伸ばせば触れられそうな距離で止まる。
「はっ、はあ……」
「大丈夫か? そんなに必死にどうしたんだ?」
「あなた、を探していたの……」
「俺をか?」
「ええ」
整わない呼吸、荒ぶる心臓。私はヴィルから離れて深呼吸する。
勢いあまってヴィルに近い距離で立ち止まってしまった。駄目だわ。しっかり落ち着いて話すために距離は大切よ。
そう思いながら振り返り、いつも話すときと同じくらいの距離に立つ。
「落ち着いたか?」
「ええ。それからごめんなさい。突然大きな声を出してしまって。驚いたわよね」
「驚きはしたが、気にすることじゃない。それより俺に何か用があったんだろ?」
「そうなの。あなたに伝えたいことがあって」
そう言った私の声は、自分で思っていたより真剣なものだった。そんな私をヴィルは珍しそうに、でも訝しげに見つめた。私は構わず口を開く。
「ヴィル。私、あなたにとてもお世話になったわ。そしてあなたにたくさん救われたの。だから一番最初にあなたに話さなければと思ったのよ」
「突然どうしたんだ?」
「私、ここを離れるわ」
「は? 何を言っているんだ? 何か嫌なことでもされたのか?」
「いいえ。獣人族、優しい。感謝してもしきれないくらい、たくさんの優しさと元気をもらったわ。私、ここが大好きよ」
「だったら……」
「実は昨日と今日、バン殿下と聖女がここを訪れたの。そして国を救ってほしいとお願いされたわ。そこからいろいろとあったのだけど、とりあえず救える方法をしたためて渡すということで話をつけたのよ。ただ殿下は了承してくださったけど、陛下が納得するとは思えないの。だからきっと私を連れ戻しに来るわ。そうなったらあなたやみんなに迷惑をかけてしまうわ。だからここを離れようと思うの」
「駄目だ」
「なぜ? 私はいないほうがいいわ」
ぐっ、と距離を詰めてくるヴィル。私はその勢いに思わず後ろへと下がる。だけどそれを許さないとばかりにヴィルは私の腕を掴んだ。
きっと抵抗しても放してもらえない。それどころか掴む力が増すと思う。
私は掴まれた腕を見つめ、それからヴィルに視線を移す。
「ヴィル?」
「君は……」
「……ごめんなさい。聞き取れなくて、もう一度お願いできるかしら」
ヴィルは伏せていた瞳を私に移して、どこか苦しそうな顔をしながら腕を掴んでいないほうの手で私の頬を撫でた。そして指が私の目をそっと撫でる。
「君はもっと誰かを頼るべきだ。俺は君のためならば惜しまず力を使うぞ。それに族長たちもだ」
「……」
「それから、これを言うのは野暮だろうが……泣いたんだな。そいつらのせいか?」
「そうだと言えばそうなのだけれど、違うと言えば違うのよね。これは個人的な理由で泣いたと言ったほうが正解だわ」
やはり気づかれていたのだとわかって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だけど正直に伝える。するとそれを聞いたヴィルは不服そうに顔を歪めた。
「ヴィルが気にすることではないのよ。大丈夫なの。もう気持ちの折り合いはつけてあるから。心配をかけてしまってごめんなさい」
「……」
「ほん、と、よ……」
ヴィルのほうが昨晩の私や今朝の私よりも泣きそうな顔をしていて、言葉が途切れ途切れになってしまう。
「昨日、頬を赤くしていたのは……?」
「それは……聖女にちょっと叩かれてしまっただけで。あなたが冷やしてくれたから大丈夫よ」
「叩かれたら痛いだろう。そうなる前にここにいる誰かを頼れば、痛い思いをせずにすむ」
「……ふふ」
「なぜ笑うんだ? 俺は今真剣に話をしてるんだぞ」
「ごめんなさい。私はとても恵まれていると思ったら、つい零れてしまって」
本当に、私は恵まれている。こんなにも私を想ってくれて、私のためにと話をしてくれる。だからこそ……。
「私があなたや他の誰かを頼って守ってもらったら私は傷つかないかもしれない。でも私を守るためにあなたや誰かが傷つくかもしれないでしょう。私は、ここにいる獣人族には傷ついてほしくないの」
「俺たち獣人族は基本が人間より頑丈だし、強いから大丈夫だ」
「駄目よ。あなたたちが傷ついたら、私の体は大丈夫でも心に傷ができるわ。それはあなたも本意ではないでしょう?」
「……」
「だから、私はここを離れるわ」
言い切って微笑む。するとヴィルは、ずいっとその顔を近づけた。近すぎる距離にどぎまぎしてしまう。
「君が去ったあと、あの国の人間がここに来たとする。そして必ず君の居場所について聞くだろう。そのときあいつらは獣人族の言葉を信じると思うか?」
「それは……」
「信じるわけがない。君を探して荒し始めるだろう。そうなったら……どうなるかわかるだろ」
「……」
「君がここにいてくれたほうが俺たちとしてはありがたい」
ヴィルの言葉に言葉が詰まる。確かにそうだわ。そこまで考えが回らなかった自分が恥ずかしい。
「詳しいことは族長に相談すればいい。そこから考えろ」
「ありがとう……それからごめんなさい」
「いいんだ。とりあえず今から族長のところへ行こう」
「ええ。でも今の時間っていつも忙しいわよね」
「無理でも今日中には時間を作ってくれる。だから行こう」
私の腕を掴んだまま歩き出そうとするヴィルに声をかける。
「あの、ヴィル」
「なんだ? まだ何か不安か?」
「いえ、その……腕をいつまで掴んでるのかな、と」
「っ……! すまない! 忘れていた! 痛むところはないか?」
ばっと私から手を放し、後退るヴィル。私はその勢いに目を丸くする。
「痛いところはないから大丈夫よ。ただなんと言えばいいのかしら? その、腕じゃなくて……手を繋ぎたいと思ったの」
そう言ってから、はっと気づく。
私たちは恋人同士でもなければ、夫婦でもない。私がヴィルに片想いしているだけで、今の発言は彼からしたらはしたないと思われても仕方のないこと。
さっと顔から血の気が引くのを感じる。やってしまった。今までそういう触れ合いに関して何も言わないように気をつけていたのに。今日は油断してしまっていた。
怖くてヴィルの顔が見れない。でも族長のところへは行きたい。どうしよう。
「イリス。そういうことを言われると、俺は勘違いするぞ」
聞こえた言葉に、勢いよく顔を上げヴィルを見る。
「っ……」
ヴィルの毛並みが黒いからわかりにくいけれど、たぶん頬が赤くなっている。そしてその顔で私をじっとまっすぐ見ていた。
私はその表情やさっきの言葉でヴィルの気持ちがわかった。だけどヴィルはきっと気づいていない。それは、ずるいと言うか卑怯よね。私だって彼のことが好きなのだから。
言うと決めた瞬間から、私の緊張はすごいし今にも心臓が飛び出てしまいそう。でも今言わなければ、きっと私はこの想いを告げられずに終わってしまう。
意を決して、口を開こうとしたーー。




