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 あのあと日が昇りきっても泣いていたけれど、思ったより目は腫れていなかった。そのことに安心しつつ、でもやはり少し腫れているので冷やしている最中。久しぶりに大泣きしたから頭が痛む。


「今日はお休みだからまだいいけれど……」


 この状態が明日も続いていたら、勘のいいヴィルのことだから絶対に何かあったと気づかれる。それはなんとなく気まずいし、何より心配をかけてしまうから早く腫れが引いてほしい。


 そう思いながら、温くなった冷やしタオルを替えようと立ち上がる。


「っ……!」


 突然のノック音に肩が跳ねる。


 ヴィルや族長たちならノックのあとすぐに声をかけてくれるけど、何もないということはヴィルたちではない。それじゃあ誰なのか。まさか昨日の今日で来たわけではないわよね。ああ、でもあの国からこの土地まで距離があるから何日か滞在して連日私の元へ行こうと話し合っている可能性がある。


「……」


 会いたくないのが本音ではあるけれど、連日来られるのも迷惑だわ。でも彼女たちの望む答えを返さない限り来るだろうし。


 とりあえず誰なのかだけでも確認をしたほうがいいと思い、静かに玄関が見える小窓まで行く。そしてそっと見ると、私の予想は当たっていた。だけどどうやら今日は一人らしい。彼だけしかいない。


「んー」


 昨日の状態を見て、彼女がいると話にならないと思ったのかしら。でもよく彼女が彼一人でここへ来ることを許したわね。彼女が私を悪魔の令嬢と呼んだ理由の一つでもあるのに。


 とりあえず面倒なことは早く済ませてしまおう。


「はい。どちら様ですか?」

「僕だけど……その、君と話がしたくて」


 小さく息を吐き出し、鍵を外し扉を開ける。そしてずいっと外へと出て後ろ手で扉を閉める。家には絶対に入れたくないので、扉前からは動かない。


 彼の栗色の瞳を見つめ、どう切り出そうか悩む。


「イリス」

「何かしら?」

「まず聖女の言葉だからと、彼女の言うことを何一つ疑わず君を悪者にしてしまってすまなかった。本当は婚約者である僕だけでも君の味方をすべきだったのに、回りに流されて君を糾弾した」

「別に構いませんよ。あなた方のおかげで私は人を見る目を養うことができましたので」

「っ……」


 恥ずかしそうに顔を赤くさせ、目を伏せ顔を背けるバン殿下。私はただただじっとその様子を見つめる。


「それから、君の大切にしていた花を枯らしてしまったこともすまなかった」

「それに関しては特に謝罪無用です。いくら謝ってくださっても、あなた方に枯らされたあの子が戻ってくることはありませんので」

「……それでも、謝らせてくれ」

「ふう。私に行ったことへの罪悪感や国が大変だからだと謝罪しに来られたあなた方のために、私の貴重な時間をこれ以上使えと? 私は昨日も謝罪無用、国へ帰るつもりもないとお伝えしたはずです。それに時間は有限です。どうして無駄なことに時間を使わなくてはならないのでしょうか?」

「君は、あの国で生まれ育った。民のことを思うのなら……」

「民? そうですね。ですから私はあの国にいる間、陛下やあなたを支えられるように様々な形で尽くしました。それは全て民に安心して暮らしてもらえるようにです」

「だったら……!」


 瞳を輝かせ、これならいけると思ったのか笑顔で私を見るバン殿下。


「ですがそれは私が公爵令嬢だったからです。今は地位も持たぬ、追放されただけの女です。民など、どうでもいい」


 言い切った私の冷たい表情を見て、殿下はその言葉に反論しようと開きかけた口を閉じ噛み締めた。


「民を思うのなら、渋々私に謝罪や頼むのではなくあなた方自身でどうにかすべきです。それに聖女がいるのですからどうにかできるでしょう」

「……彼女は結界や祈りに関しては歴代の聖女の中でも優れているんだが、自然に関してはまったくで。どんどん枯らしてしまうんだ。君がいなくなってからの四年で国の自然は七割死んでしまった」

「まだ三割残っているではありませんか。どうにかなるでしょう」

「どうしてそんなに他人事なんだ! 君の両親も危ないんだぞ」

「他人事ですよ。何より先程から私の情に訴えかけるように民や両親のことを引き合いに出されますが、あなた方にかける情も残っておりませんので」

「っ……植物! そうだ! 君が大切にして、愛情を込め育てた木や花たちが枯れていっているんだぞ! 植物たちに悪いと思わないのか!?」

「思いませんね。それがあの国にある木や花たちの運命です」

「っ……! お願いだ! 助けてくれ! なんでもする! 君が望むことはなんでも!」


 もう何を言っても無駄だと思ったのか、頭を地面に擦り付ける勢いで私に頭を下げる殿下。王族である彼が、ただの女に頭を下げるほどなりふり構っていられないのだと思うと……笑いが込み上げてくる。


 ああ、彼は追いつめられているのだ。あの日私を回りの人たちと同じように糾弾し笑っていた、この人が。


 口元に手を添え、嫌な笑いかたを隠す。笑い声は出ていないけれど、どうしても口角が上がってしまう。


『イリス。君は笑顔が可愛いな。そうやって優しく笑っている姿が素敵だ』


 突然頭を過るヴィルの言葉。そして私を慈しむように見つめる金色の瞳を思い出す。


 あ……今の私、とても醜い顔をしているわ。


「っ……」


 咄嗟に両手で顔を隠す。


 今の私は……どろどろとした黒くて冷たいものに飲み込まれ、怒りでその心を燃やしている。


 私がしようとしていることは、あの日私があの国の人たちにされたことと同じだ。


 ああ、でも……それでも返ってこないの。もう二度と話すことも、会うことも叶わないのよ。


 枯らさないでと叫び続けた私を、笑ったわ。

 枯らされて呆然とした私を、嗤ったわ。

 国から去る私を、わらったわ。


「……」


 涙が溢れそうになるのをぐっと抑え込む。ここで泣いてどうするの。


『透ちゃん。その国はね、陛下を始め民もみんな一生懸命でね。誰にどれだけ笑われても、泥だらけになって自然を蘇らせようと頑張っていたの。だからわたしはあの国に喚んでもらえてよかったわ。だって素敵なあの人たちの力になれたんだもの』


 おばあちゃんのきらきらとした瞳。穏やかな笑み。頭を撫でてくれたときの優しさと温もり。


 無意識に閉じていた目を開き、両手を顔からどかす。そして映る、いまだに頭を下げ続けている殿下の姿。


「……」


 私は静かに歩き出し、太ももをそっと撫でて全身を包んでいた真っ黒などろどろとした空気のドレスを脱ぎ消す。


 おばあちゃん。ヴィル。それから族長やカエデさんたちに恥じない私でいるためにーー。


「殿下」


 私から出た声に先ほどまでの怒りも、恨みもなかった。

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