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悪魔の令嬢、そう呼ばれ多くの人に糾弾された十七歳のあの日。
私の心は……壊された。
「それで、どういったご用件でしょうか? 用がないのならお引き取りください。私も暇ではありませんので」
私は微笑み、目の前で居心地悪そうに立っている少女と男性にそう告げる。
彼女たちが私に用があって訪れていることは明白。それにも関わらず、五分ほど扉を開けた私を見続ける以外のことをしない二人に痺れを切らした私が口を開いたのだ。
私には用がないし、この人たちのためにこれ以上の時間を使いたくないというのが本音だけれど。
「……君に、謝罪をしに来たんだ」
「謝罪ですか? それならば必要ありませんのでお引き取りください。では」
そう伝えて扉を閉めようとすると、少女が足を突っ込み閉まらないようにした。その行動に思わず扉を開ける。
「いった……!」
「っ……大丈夫かい、杏里」
足を突っ込んできたのは彼女で、閉まる扉に足を突っ込んだらどうなるかわかるはずだ。それなのに痛がり、私を睨みつけている。そして彼女を心配する彼も彼女と同じように、私を冷ややかな目で見つめる。それに対し私の心臓は突然足を突っ込まれた驚きから鼓動が早くなっていて……ああ、よかった。勢いよく閉めていなくて。
「謝るって言ってるんだから聞きなさいよ! この悪魔の令嬢が!」
先程よりも目を鋭くし私を睨む少女は怒鳴るようにそう言った。それに対し私の心は微動だにしない。
「ですから謝罪は必要ないと申し上げているのです。あなた方とお話しすることは何もありません」
「だから! 聞けって言ってんのよ! 謝るだけなんて言ってないでしょうが! なんで謝るためだけにこんな暗くて陰湿なところになんて来るもんですか! ああもうっ! 本当に嫌になる! いい? あんたがいなくなってから、国の自然に異変が起きてるのよ! それをどうにかしろって言いに来たの!」
「それは聖女であるあなたがどうにかなされば問題ないことでしょう? 国を出た私には関係のないことです」
「っ……! くそ女! 悪魔! 恩知らず!」
汚い言葉が他にも羅列されていく。隣にいた彼は慌てたように彼女を押さえ、落ち着くように言っている。私はその光景をただ見つめる。
何やら小さな声で話し合いを始めたと思っていたら、彼がこちらを向き口を開いた。
「イリス。僕たちは君に国に戻ってきてほしいんだ」
「なぜですか? 私が戻る意味も価値もあそこにはありません」
「君の両親も帰りを待っている」
「そうですか。それで?」
「それで、ですって!? あんたこっちが下手に出てたら偉そうに! こっちはあんたのためにわざわざ出向いてんのよ!」
「謝罪をと私の元へ訪れたのはあなた方の意思であって、私のお願いではありません。それに誰も謝罪してほしいとは申し上げておりません」
「っんとに……この女!」
瞬間ーー響く乾いた音。
顔を真っ赤にして怒る少女が私を平手打ちし、その場で見ていた青く顔を染める彼のなんと頼りないことか。
「……」
元婚約者の彼のいいところはどこだったかしら、と考える。確かに婚約はしていたけれど、恋心のない政略関係だったからかなかなか思い出せない。
「あ……」
そうだわ。彼はあのときただ回りの人たちに流され、ろくに調べもせず私を糾弾したのを思い出した。彼にもいいところがあるとは思うけれど、私には見つけられなかったんだわ。
それにはっきり彼女たちに伝えたけれど、私が国に戻る理由がない。だってあの子を見つけた十三歳のとき、私は陛下にはもちろん両親や彼にも説明をした。それなのに聖女を喚び出す儀に成功した途端、みんな聖女の言葉を信じた。そしてあの最悪な日を迎えたのだ。私の大切なものだと説明していたのにも関わらず、聖女の言葉のみを信じあの子を枯らせと命じた陛下。同じように娘である私より、聖女の言葉を信じあの子を私の部屋から持ち出した両親。泣き叫び枯らさないでと言い続ける私を押さえつけ「これで悪は滅びた」と笑い私を国外追放にせよと言った全ての者に関心など欠片もない。
だから私はあの国の人間が望むままに、あの日ドレスをかなぐり捨てたのだ。もう令嬢でもなければ、あの国の人間でもない。
私は、イリス。
姓などない、ただの女だ。
「……」
出てしまいそうになるため息を抑えて、二人を見つめ口を開く。
「お引き取りください。私はもうあなた方とお話しすることは何もありません」
私の放つ空気を冷たくし、出せるだけの殺気を彼女たちに纏わせる。すると「ひっ……」と小さく声を漏らし、逃げるように立ち去った。
なんて……みっともない。感情に任せ物申したと思ったら平手打ち。そして私が殺気を放てば逃げるように去るだなんて。
じりじりと熱く痛くなり始めた頬に、手をあて目を閉じる。
「……」
あれが、あの人の守った国の未来だと言うの。そんなのはあんまりよ。
ねえ、そうでしょう……。
***
「イリス! その頬はどうしたんだ!?」
「あら、ヴィル。そんなに大きな声を出されたら頬に響くわ」
「うっ……すまん」
「ふふ、私こそごめんなさい。冗談よ。あなたの声が頬に響くことはないわ」
耳を垂らししゅんとした表情をする黒い毛並みの獣人ヴィルに、つい笑みが零れてしまう。
「本当に大丈夫か? うるさいなら言ってくれ。小さくする」
「大丈夫よ。うるさいどころか、あなたの声を聞くと落ち着くの。もっと話してほしいくらい」
「っ……! 話すと言って……そうじゃない! 頬は冷やしたか!? まさかそのままじゃないだろうな?」
「え? そのままよ? 腫れたら腫れたでそのときにどうにかすっ……!」
言っている途中で腕を掴まれ、ぐっと引かれる。そして大きなヴィルの手が私の頬に近づいて、固めの冷たい肉球があたる。
私はその状態に驚き固まってしまう。ヴィルを見ると真剣な顔をしていた。
「魔法を使って冷やしているが、冷たすぎないか?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
「まったく。君はもっと自分に関心を持つべきだ。絶対に今より腫れるぞ」
「そうね。今度からは気をつけるわ」
「そうしてくれ」
頬にあたる肉球、距離が近いから香るお日さまのいい匂い。それから……少し甘くて、だけど爽やかな優しい香り。これはヴィル自身の匂い。
優しくて、落ち着く……私の大好きな香り。
目を閉じて、荒んだ心が癒されていくのを感じる。
「本当にありがとう。あなたの優しさに救われるわ」
「誰にでも向ける優しさではないがな」
「……ありがとう。あなたに出会えて本当によかった。あなたがいなかったら、きっと今も一人ね。あなたがいてくれたから族長やカエデさんたちに出会えたんですもの。だからあなたには感謝しかないわ」
「一人は寂しいだろ。それに俺はただ君を見つけただけだ」
少しぶっきらぼうに聞こえる言葉に私はヴィルに出会ったあの日を思い出す。
あの国から追放されて、昔あの人に話してもらったお話のように私は旅をした。いろいろな種族、いろいろな歴史に作法など初めて触れるものが多く心が潤うような日々を送っていた。でもあの日から二年経ったとき私は疲れてしまった。というよりは、この生に満足してしまったのだ。そんなときに出会ったのがヴィル。ヴィルは私に近づき、無言で今のように頬に触れ「昼御飯の時間だ。一緒に来い」と言って私の腕を掴んで優しく引いた。そして私について聞いてくれた。その優しさが心を溶かしてくれるような気がして私は抵抗せず、素直に自分のことを話した。ヴィルはそれを否定するわけでも肯定するわけでもなく、ただ頷き聞いてくれた。そして獣人族のみんなが集まる場所へ着くと簡単に私のことを説明してくれて、白くて綺麗な猫の獣人カエデさんに「お腹空いてて顔色悪いから、たくさん食わせてやって」と伝えてくれて。そのあとは獣人族のみんなとたくさんお話しをした。それから族長があの人の友人だということを偶然知ってこの生に満足している場合ではないと、今は獣人族の領土で植物を育てる仕事をしている。
「ヴィル。今のお仕事もね、とても充実してて楽しいの。あなたが私に向いていると教えてくれたからよ」
「俺は昔から君が育てる植物のファンだからな」
照れくさそうに笑う彼に、私もつられて笑う。どれだけ感謝の言葉を並べても足りないくらい、私はヴィルに感謝しているの。だから彼に幻滅されないように、頑張って生きるの。