ようこそ、新入部員! -18-
カイトの言った通り、私は教師の足音も聞く事なく下校できた。
私の家は学校からそう離れていない。交通機関を利用しなくても、十代の足で歩いて20分くらいの所にある団地だ。
だから、学校から持ち帰った気持ちを薄めずに悩むことが出来る。帰宅して自室に閉じこもった私は、思考に迷い込んで部屋中を行ったり来たりした。勉強机、本棚、チェストボックス、ラジカセ、ぬいぐるみなどの賑やかし。中学生女子としては普通と言えるだろうの自分の部屋の何処に落ち着くこともなく彷徨った。
放課後にだけ現われ、校内を自由に歩き回る不良、カイト。彼から教えられた学校ぐるみの盗聴行為。でもそれは、学校側からしたら生徒を導くための正義。そして、教師達の耳から逃れられる安全地帯への勧誘。
…………。
冗談じゃない状況に陥ってしまっている。
私はどうすればいい?
本棚の上に座っている一頭身で鼻が大きくて頭頂部の一本毛に赤いリボンをあしらった土星人のぬいぐるみにダメ元で訊ねてみても、答えは返ってこなかった。
やはり自分で問題を解くしかない。学校で習っている学問が及ばない問題だ。まったく、役に立たない勉強ばかり教えやがって――。
一番は知らんぷり決め込んで転校できれば良しだけど、それは両親が絶対に良しとしない。この辺りにはもう中学校が無い。校区の違う学校に移るには電車に乗る必要がある。
つまり、定期が必要になる。
公団住宅に家計を助けられて、常日頃「お金が無い」が口癖になっている親に通学定期代を捻出させるなんて、宝くじの高額当選くらい夢の話だ。
じゃあ、素直にカイトの幽霊部に入る?
いや、本当に告発するっていうのは? それも学校ではなくて警察に……。
そうだよ! 初めからそう考えるべきだ!
盗聴なんてあきらかな犯罪行為なんだから。証拠さえ掴めば――。
あの盗聴器!
私は、カイトが見せびらかしてきた潰れた電子機器を思い出した。
あれが手に入れば――いや、カイトの口振りだと盗聴器は学校中に仕掛けられているようだった。
それなら他のトイレにもあるはず――。
「ユウ! いい加減にごはん食べなさい!」
無遠慮に襖を叩かれて、時計に目が行った。午後6時を大きく過ぎている。
「返事は!」
「あ、ごめん、今行くから」
母さんがあの勢いなら、もう3回は呼びに来てるな。
窓の外は暗くなっているのに全然気が付かなかった。今日は時間の進みが早い。
「ちょっと、なに? 着替えもしないで」
私を見るなり母さんは眉間にシワをよせた。そう言えば学生服のままだ。
「なんでもないよ。ちょっと考え事してて着替え忘れた」
のんきを装って食卓につく。今日も卓袱台に並んでいるのはスーパーのお総菜だ――うちでは、ほうれん草のおひたしがせめてもの家庭料理である。そんな「いただきます」と言う気になれない夕飯を箸でつつく。
台所に立って洗い物をしている背中に、私は何気なく訊いてみた。
「ねぇ、お母さん。転校とかって難しいかな?」
「はあ!? なに言い出すのよこの子はいきなり。あのねぇ――」
その「あのねぇ」の後、母さんはたっぷり5分掛けて「うちにはお金がない」という事を説明してきた。
そして最後に、
「さっき、考え事してたって言ってたけど。学校でなにかあったの?」
そりゃあもう奥さん。とんでもない事がありましたよ。でもまあ、オブラートに包むとこんな感じだ。
「あの学校にはちょっと馴染めないかもなって思って」
「まだ通い始めたばっかりだからよ。他の子も同じ気持ちだろうし、胸張ってさえいれば大抵は乗り越えられるから――」
後は聞かないことにして、私はお椀にあけたインスタントの味噌汁にお湯を注いだ。