第二十二話、資本主義と通貨。
「こっちの世界で君の役に立てることがないか、僕なりにいろいろと考えていたのだけど聞いてくれたまえ」
「いいよ」
楓が真剣な様子でそんなことを言うので、僕はちょっと身構えて楓の話をいつもより改まって聞くことにした。
「まず、1つ目は子作りだ。やはり国王ともなれば後継者は必須だ。だが、アイエもスリーズもまだ若い。つまり、ここは僕が範を垂れるべき……、ア、イタッ!」
真剣に話を聞いたのが間違いだった。結局いつもの楓じゃないか。僕は思わず楓が話し終わるより前にデコピンを食らわせてしまった。
「何をするんだ。せっかく僕が真剣に考えたのに」
「真剣に考えてその結論じゃ、考えても考えなくても同じだよ」
「ひどい」
「ひどくない」
「……、じゃあ、2つ目だ。僕はこの世界に資本主義を持ち込もうと思う」
「資本主義か」
資本主義、と一言で言ってもその範囲は広くて思想、政治、社会制度、教育など多岐に渡る分野が関連するが、科学技術と並んで現代社会の基礎であることは間違いない。ただ範囲が広すぎてどこから手を付けていけばよいのか。
「このところ人を観察していて思ったのだが、この世界では私的所有権の概念が乏しいようだ。恐らくまだ封建的な社会制度が強く残っているためだろう」
「確かに、アイエ達の話を聞くと帝都の政治体制も貴族制度みたいだしね」
「貴族制度は社会の秩序の安定化には良いが、社会資本の蓄積には無駄が多い。新しい国を興して発展させるという意味でも、この世界に文明をもたらすという意味でも、資本主義の導入が望ましい」
「だけど、上からの改革は歪みを生みやすいよ」
歴史を紐解けば、西欧の近代化が成功したのを見て、世界各国様々な形で国主導での近代化を進めようとした。が、不十分な社会資本の蓄積の上に築かれた近代化は社会の不安定化をもたらし、様々な弊害を生み出したのだ。
「もちろん、それは知っている。でも、この世界では僕達が一番手なんだから時間はある。時間を掛けて社会資本の蓄積と啓蒙活動を進めて行くだけの余裕はあるよ」
「じゃあ、楓はまず何から始めるつもりなの?」
「資本主義の基本は資本の蓄積だ。資本は必ずしも貨幣の形で蓄積されるものではないが、貨幣経済の浸透は資本の蓄積を容易にする。だから、まずは通貨を作ろうと思う」
「通貨はもうあるんじゃないの?」
「帝都を中心として流通している通貨はあるが、近代的な経済理論に基づいた中央銀行が存在しているわけではないようだ。今のような未発達の経済なら影響も限定的だが、経済発展が進むと簡単に通貨危機を起こしてしまう。それなら始めから分離しておくほうが良いのだよ」
中央銀行が通貨の発行量を間違えて通貨危機や金融危機を起こした例など枚挙に暇がない。それこそ現代ですらいつ起きてもおかしくないくらいの普遍的な事象だ。ましてや経済理論の発達していないこの世界では、危機が発生しないことを期待する方がナンセンスだ。
ただ、通貨を発行するにはいくつか技術的なハードルがある。
「通貨の裏付けは国家の信用だが、最初のうちは生産手段を国が独占することで保持する。要するに土地だ。住居、農地、鉱山、山林のすべてに国家の所有権を設定する。使用料はもちろん通貨で払ってもらう。その後、十分な徴税基盤が整い次第、土地は順次民間に格安で払い下げていくが」
「でも、そもそも新通貨をどうやって普及させるんだ?」
「そのための製鉄業じゃないか」
楓のプランでは、国が製鉄の労働に対して通貨で賃金を支払う。労働者はその通貨で生活に必要な住居を借り、食糧を購入する。食糧は農民が国から借りた農地で生産したり、国の許可を得た猟師が狩猟をすることで調達し、農民や猟師は通貨で国に使用料を支払うというものだ。
「ん? それだとお金が循環してるだけで溜まっていかないんじゃないか?」
「鉄鋼が生産されることを忘れているよ」
「ああ、そうか。そして、それを外国に売れば外貨が稼げると」
「問題は食糧生産の生産性をどう上げるかってことだ。人口の1/3が製鉄労働に従事すると、残りの2/3で全員分の食糧を生産しないといけない。それがだめなら獲得した外貨で食糧を輸入することになる」
「うーん。食糧生産はやっぱりネックだな」
今の食糧生産はほぼ狩猟採集に頼っている。ヴィルドパン周辺では農業を開始していたり、それ以外でも小規模な農業が行われているが、生産量としては人口を支えられるだけの量には全く至っていない。
「ネックはもう一つある。最初に発行するのは紙幣じゃなく硬貨の方だが、硬貨の材質を何にするか、どうやって製造するかが大問題だ」
「ああ、確かに。こっちでは金が卑金属扱いなんだった」
地球では加工が容易で腐食しにくい金が貴金属だったので、余剰資産の蓄積にしても高額硬貨の作成にしても金を使えば大体問題は解決できた。でも、こっちでは金は農具にすら使われる安い金属なのだ。しかも、加工もしやすいので高額硬貨に使えばすぐに偽造されてしまう。
「こちらの価値観に従えば鉄を硬貨にするのがよいのだろうが、腐食性の問題がある」
「これ、そもそも帝都で流通してる通貨は何を使っているんだろう?」
帝都のものと同じ技術で作るのがよいかどうかは分からないし、そもそも地球の科学技術で可能かどうかも分からないけれど、知っておくだけは知っておくほうがよいと思う。
「いずれにしても、硬貨の製造でも食糧生産性の向上でも、君の力を借りることになるところは多いと思う。忙しいところをさらに仕事を増やすようで申し訳ないのだが」
「それは構わないよ。でも、優先順位を考えないとな」
具体的な社会制度設計は楓に任せるので、僕がやることはそれを技術面で支援することだけだ。話が大きくなってきたので、明日、アイエとスリーズも混ぜてもう一度話をしてみよう。
翌日、僕たちはヴィルドパンに戻る車の中で、昨日の楓の提案をアイエたちと話し合った。
「帝都で流通している硬貨ですか?」
「うん。この辺りだと紙幣はまだ受け入れる素地がないと思うから、まずは硬貨から浸透させたいと思っているんだ」
「詳しい作り方は秘匿されているので分かりませんが、鉄に防錆の魔法と偽造防止の魔法を掛けて作っているはずです」
「防錆の魔法なんてのがあるんだ」
「はい。でも、魔法の効果には限度があるので、錆が出始めると回収して錆を取って魔法を掛け直してということをしているようです」
「それじゃあ、硬貨を蔵に入れて貯蓄するみたいなことは難しいね」
「はい。魔法が切れてしまいますから。そういう時はトータスヒッポの甲羅のような宝飾品を収集するんです」
なるほど。あれはそういう利用価値があるのか。今は牙と一緒に車のトランクに入れてあるが、いわば金塊を積んでいる現金輸送車のような状態なんだな。
「偽造防止の魔法の方は?」
「錆が出て回収する時に特別な魔法を掛けると本物か偽物かわかるというものなのですが、仕組みがちょっとややこしくてですね……」
アイエの説明によると、偽造防止の魔法は封印魔法と開封魔法という1組の魔法から成り立っている。封印魔法は何かを封じる魔法で、開封魔法は封じたものを取り出す魔法だ。開けてしまうと封印が解けてしまうので再び偽造防止の魔法を有効にするには封印魔法を掛け直す必要がある。
封印魔法と開封魔法自体は比較的一般的な魔法だ。開封時に封印時に設定した暗号を指定する必要があるので誰にでも開封できるというわけではないが、暗号自体に通貨の偽造防止に使えるほどの安全性があるわけではない。
それよりも大切なのは封印魔法で封印された中身の方だ。硬貨に封印魔法を掛けるとき、魔法使いは自分の固有魔力というものを中に封印することになっている。この固有魔力を封印するやり方自体が秘匿対象であるが、硬貨を回収して開封した時に、封印した魔法使いの固有魔力が検出されるかどうかで偽造の有無をチェックできるということなのだ。
「ちょっと待って? それだと、硬貨の流通中は偽造硬貨かどうかの確認は取れないってことじゃない?」
「はい。でも、偽造硬貨だと錆が出ても交換を受け付けてもらえないですし、錆が少しでも出始めるとお店などでは受け取り拒否されますから、大きな問題になったことはないです。それに、そもそも、鉄自体が高価ですから」
「なるほど」
そして、硬貨を鋳つぶして鉄製品として転用しようとしても、鉄を鋳つぶせるだけの炉も、加工するだけの技術もないから、転用されることもないと。なかなかうまく考えられている。
「でも、それだと帝都から離れたところで硬貨を流通させることは不可能だね」
「はい。硬貨の流通範囲は錆びた硬貨の回収ができる範囲までです。それができるのは帝都と、有力貴族の領地の中核都市に限られています」
「つまり、それ以外の地域では貨幣経済はほぼ浸透していないということでいいのかな?」
「その通りです」




