第十八話、河と水車。
歩いて半日といっても車で行けば大した距離ではない。話をしている間にあっという間についてしまった。
「でかっ」
「大陸だと河は大体こんなものだ」
ノワール河は僕の想像の倍以上はある規模の河だった。けれど、海外に行き慣れている楓の方は驚いた様子もなかった。
「これだけ大きいとサーペントが出そうですね」
アイエが河を眺めて若干警戒気味にそんなことを言った。
「サーペント?」
「水の魔物です。ひれの生えた巨大なワニみたいな魔物で、海にも大きな河にも出没します。小さな船なら一噛みで木端微塵にしてしまいます」
「……、モササウルスみたいなのかな?」
「モササウルスですか?」
モササウルスというのは地球で実在した全長15メートルもある海の巨大恐竜のことだけれど、そんなのが河の中をうろうろしていて船を襲ってくるようだと、河を使って製鉄原料や鉄鋼を運ぶことは難しいかもしれないと思う。
それに、全長15メートルもある魔物だと、さすがにアサルトライフルも歯が立たない可能性も高い。いや、モササウルスと決まったわけではないのだけれど。
「こちらです」
ブシュロンが案内するのについていくと、用水路の取水口が見えてきた。石造りのしっかりした取水口で、立派な水門がついていた。なんと総純金製。どれだけ黄金を使っているのか、地球で作った時の金額を考えるとめまいがするが、こっちの世界では安くて錆びないのだから水門にはちょうどいいのだろう。
問題はその水門がなぜか閉じていてさらに外側に大きな岩が鎮座して水門を圧迫して変形させていた。変形したせいで水門の開閉装置は壊れている可能性が高く、仮に水門を開けても大岩をどけない限り水路に十分な水は流れなさそうだった。
「これは困った」
「大雨で氾濫でも起きたのか、それとも魔物のせいなのか?」
「さすがにサーペントもこんな大きな岩は動かせないと思います」
「アイエやスリーズの魔法でも?」
「無理です」
魔法でも動かせない大岩を動かしてしまう自然の力というのは偉大だと思いつつ、これはどうしたものかと考えた。地球ならダイナマイトで破壊して重機で撤去すればいいのではないかと思うけれど、さすがに大型の重機は持ち込めないだろう。ダイナマイトくらいなら持ち込めそうだ。後は削岩機と。
そう考えると、鉄鉱石や石炭の採掘はどうしているんだろうか? 金のつるはしでは柔らかすぎてさすがに採掘は難しいだろうから、鋼鉄製のつるはしを使っているのだろう。あるいは、もっと別の方法があったりするのだろうか?
「ブシュロン、お前ならこれをどうする?」
「このままじゃ動かないので、岩を割るか隣に新しい水路を作るかです」
「道具はあるのか?」
「土を掘るのは農具でできますが、岩を割るのは無理です」
「だろうな」
やはり、ダイナマイトを入手する必要がありそうだ。後、鉄製の農具やつるはしなども必要だ。鉄器はこっちの世界で調達したいけれど、買うには遠く離れた帝都製のものしかない。技術移転の件もあるし、まだ錆が回っていない鉄塊を探して鉄の鍛え方を教えよう。
「楓、ダイナマイトって手に入る?」
「当たり前だ」
「じゃあ、数本用意してくれる? それから、削岩機も1台あるといいな」
「任せたまえ」
その後は特に河の魔物に出会うこともなく、ヴィルドパンに戻ってきた。午後は楓に付き合ってもらって車の運転の練習をした。免許は持っていないけれど、異世界で運転する分なら法律違反にはならないだろう。交通ルールもないのでただ車を操縦できればいいだけだから半日で一通り動かせるようにはなった。
アイエたちにはその間、ブシュロンたちと農地の開墾をしてもらった。聞いてみたらやはり使えそうな魔法があったらしく、それなりの広さの土地を半日足らずで耕すことができたので、手始めに豆のような作物から育てるのだそうだ。ただ、本格的に始めるのは用水路に水が来てからということになる。
翌日、僕は自分で車を運転して再びウィクレットへ向かった。今後しばらくはこんな感じでヴィルドパンとウィクレットを往復する日々になるのだろう。
途中、何か所か宿場に立ち寄って錆びを免れた鉄塊がないかと探してみた。多くはすでに錆びていたが、屋内に保管されていたものもあり、思った以上に集まった。日本と違って雨が少なくて乾燥気味の気候のためかもしれない。
「フレーシュ」
「ロワ・ソレイユ様、戻られましたか」
「オークは大丈夫だったか?」
「あれからは1体も見ていません。巣を排除したのがよかったのでしょう」
「それはよかった。ところで、頼みがある」
着くや否やフレーシュに話をして人を集めてもらった。近くに河がないか尋ねてみると、細い支流が近くに一つ、太い本流が離れたところに一つあることが分かった。どちらもヴィルドパンで調査したノワール河につながっているようだ。
支流の方に行ってみると思ったより近く、町の外れを流れていた。魔物が出没する程は広くないが、水量もあり、水車を設置するにはちょうどよさそうだ。
木材の加工について聞いてみると、大工の経験者が複数いて鉄製の工具も持っているようだ。工具は古く少し錆も入ってきているようだったがまだ使えそうだ。木材については町が放棄される前に保管されていたものや使っていない家を取り壊して確保できそうだった。
そこで、集まった鴉族の人たちには鍛冶場となる小屋をまず作ってもらうことにして、その間に僕は水車の設計図を書くことにした。水車の動力でフイゴを動かし、炉に空気を吹き込んで高温を作って鉄を鍛えるのだ。これができれ上がれば、鉄製の農具をここで生産できるようになる。
今日はその後、丸一日水車の設計図を書くことに集中した。水車を作るというのは、口で言うのは簡単だがやってみると案外難しいものなのだ。
羽の形状や水流の向きなどを工夫して効率を向上させられるというのもあるけれど、それ以前の問題として車軸の強度や車輪の加工精度の壁を乗り越える必要がある。それに加えて回転運動をフイゴに伝える歯車などの機械部品も必要だ。
水車の車輪を作るには複数の部品を組み合わせる必要がある。あれだけ大きな円形の部材は1つの木から切り出すことが不可能だからなのだが、円がゆがんでしまったり重量に不均衡が生まれたりすると回転運動に偏りが出て壊れやすくなったりそもそも動かなかったりすることになる。
なので、単に部品の形状を図面に記すだけではなく、どの木材からどの部品を切り出して切り出してどう組み合わせるかというところまで細かく図面に書き込んでいった。水車に適した木材を探して計測してとしていたらすぐに日が暮れてしまったので、歯車などの図面は次の機会にしよう。
その間、フレーシュは大工経験者の中から一人選んで鍛冶場建設の現場責任者に任命し、建築現場での指揮や技術指導を任せることにしておいてくれた。僕は基本的にはその責任者の人と話せばよいことになっていて、必要な時だけ作業員に直接技術指導を行うということになった。
翌日には現場責任者に図面を手渡した。……、見ただけでは理解してくれなかったので、その後、1日掛けて図面の読み方を教えた。
驚いたことに、この世界では設計図を厳密に描いて建築するのではなく、経験と感に頼って組み上げて祈りの力で仕上げるのだそうだ。どうしてそれで建物が完成するのか全く理解できないが、魔法や異世界の製鉄と同じで理屈では理解できないのだろう。
ただ、祈りを捧げるときは皆が心を1つにする必要があり、人々の中で完成品に対する共通意識がないとうまくいかないのだそうだ。なので、水車のような見慣れないものを作るときには祈りがうまくいかない可能性が高いらしい。
そういう事情を聞いて、僕は図面の読み方を説明するときに可能な限り図面通りに作るように繰り返しお願いしておいた。特に、寸法を正確に測って部品を切り出すようにと。そうでないと水車がいびつな形になって動かなくなってしまうからだ。
何とか現場責任者に図面の読み方や寸法の測り方を理解してもらって、ようやくウィクレットを離れることができるようになった。ちなみに、今回はアイエとスリーズはヴィルドパンに残っている。楓は一緒に来たけれど、僕とは別行動で耐火粘土の調査を行ってもらっていた。そちらの方の成果はまた後で確認しよう。