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第40話 フェルドモルト防衛線②

「――あはっ」


 あまりにも無邪気で、戦場には場違いな笑い声。

 オークが足元の異物に気づき、丸太ほどの太さがある腕を振り下ろそうとした、その時。


 ざしゅっ。


 フェイトちゃんが自らの血液で生成した巨大な赤い鎌。それが、分厚い鋼の装甲ごと、オークの肉体を斜めに撫でたのです。


 抵抗など一切感じさせない滑らかな軌跡。

 一拍の遅れ。

 噴水のように赤黒い血が噴き上がり、オークの上半身がズルリと重力に従って滑り落ちました。

 ドチャッ、という鈍い音と共に、大量の内臓がぶちまけられます。


「あははははっ! 遅い遅いおそーい!」


 フェイトちゃんの小さな身体が、空中で直角に軌道を変えました。

 地面を蹴っているわけではありません。空気を足場にして跳躍しているかのような、物理法則を完全に無視した挙動。

 隣のオークの首元へ。その後ろに控えていたオークの胴体へ。


 赤い刃が閃くたび、魔族の肉体が解体されていきます。


 ずしゃっ、ぶしゅっ……


 肉と骨が切断される不快な音が、絶え間なく続きます。


「ねえねえ豚さんたち。お姉ちゃんの匂いが、あのピンクの女で汚れちゃったの」


 空中を舞いながら、フェイトちゃんがブツブツと何かを呟いているのが聞こえました。

 大鎌が水平に薙ぎ払われ、五体のオークの膝下がまとめて刈り取られます。絶叫を上げて倒れ込んだ巨体の顔面を、小さな靴が容赦なく踏み砕きました。


「だめ、だめだめだめ。お姉ちゃんはわたしのもの。あの──ごと、顔の皮を剥いで、ぐちゃぐちゃに――」

 赤い刃が、オークの股下から脳天まで下から真っ二つに裂きます。


「でも、お姉ちゃんは優しいから。──があの女を殺したら、――悲しい顔をするかもしれない……じゃあ―― どうすればいい?」


 フェイトちゃんは瞳を限界まで見開きながら、ブツブツと何かを呟いています。


「この豚さんたちが、――そしたら、わたしは何も悪くない。お姉ちゃんは悲しむけど――」


 首を傾げながら、無造作に鎌を振るう。

 それだけで、オークの腕が飛び、頭蓋骨が宙を舞います。


「どうしよう。あーあ、めんどくさいな。とりあえず、お姉ちゃんの視界に入るゴミは、わたしが全部お掃除しなきゃ! お姉ちゃんの子供は、わたしが面倒見てあげよう!」


 周囲に響き渡る、常軌を逸した独り言。

 その圧倒的な殲滅力は、崩壊しかけていた前線に劇的な変化をもたらしていました。


「フェイトちゃん! 怪我しないように気をつけてくださいね!」

 私が声を張り上げると、大鎌の柄の部分でオークの心臓を抉り出していたフェイトちゃんが、クルリとこちらを振り向きました。


「お姉ちゃん! わたし、すっごく頑張るからね! 褒めて! いっぱい撫でて!」


 とびきり無邪気な笑顔。その背後で、原型を留めなくなった肉塊が次々と血の海へ沈んでいき、彼女の白いワンピースが赤く染まっていきます。


 この光景に、最初呆然と立ち尽くしていた騎士たち。彼らの表情に、徐々に変化が生まれていきます。


「なっ……なんだあのガキは……!?」

「化け物か……? オークの装甲ごと……」

「 あの小さな女の子が、俺たちを守るために最前線で血を浴びてんだぞ!」


 騎士の一人が、盾を天に突き上げて叫びました。


「情けねえ姿見せんな! 俺たちも押し返せ!!」

「「「うおおおおおっ!! あの子に続けぇ!!」」」


 絶望に染まっていた陣地が、爆発的な熱狂に包まれました。

 騎士たちが雄叫びを上げ、崩れかけていた陣形を瞬く間に立て直していきます。

 フェイトちゃんが作り出した血の道筋を追うように、彼らは盾でオークを押し込み、剣を突き立てていきました。



 ***



 その後、後方支援陣地に迫っていたオークの別働隊は完全に沈黙しました。


「あーあ、終わっちゃった」

 フェイトちゃんが、退屈そうに大鎌を肩に担ぎ、ぽつりと呟きました。

 彼女の周囲には、満身創痍の騎士たちが荒い息を吐きながら立ち尽くしています。

 盾は砕け、鎧はひしゃげ、全身を呪毒で焼かれながらも、彼らの顔には生き延びた歓喜の涙が浮かんでいます。


「お、お嬢ちゃん……助かった……!」

 一人の年老いた騎士が、剣を杖代わりにしてフェイトちゃんへと歩み寄ってきます。

「君がいなければ、俺たちは全滅していた。なんと礼を言えばいいか……」


 フェイトちゃんは首をこてんと傾けて、騎士たちを無機質に見下ろしています。


「ねえ」

「ん?」


 フェイトちゃんの口角が、歪に吊り上がっています。

 全く悪意のない、無垢な子供が道端の虫を見つけた時のような、純粋な好奇心と残酷さ。


「おじさんたち、邪魔」

「……は?」


 大鎌が、スゥッと持ち上がる。


「おじさんたちがそこにいると、お姉ちゃんからわたしの姿が見えなくなっちゃうでしょ? ――邪魔だから、消えて?」


 赤黒い大鎌が、恩人への感謝を口にしていた老騎士の首筋へと、躊躇なく振り下ろされそうになり、騎士の顔が理解不能な恐怖に引き攣っています。


「フェイト!!」


 私の腹の底から絞り出した大声が、血塗られた戦場に響き渡りました。


 ピタリ、と。

 老騎士の皮膚を薄く切り裂き、一筋の血の線を作ったところで、フェイトちゃんの大鎌が完全に停止しました。


「……あ」

 フェイトちゃんの肩が、ビクッと跳ねています。


 私は泥水を跳ね上げながら、猛烈な勢いでフェイトちゃんの元へと駆け寄り、フェイトちゃんの顔を掴み目線を合わせます。

(戦いの高揚感で、少しはしゃぎすぎてしまったのでしょう。子供にはよくあることです。きちんと叱ってあげないと)


「何をしているんですか! 味方の方に武器を向けてはいけません!味方を巻き込んじゃダメって、さっきあれほどお約束したじゃないですか!」


 ……しかし、フェイトちゃんの反応は、私の予想とは違いました。


「あ……ああっ……」

 フェイトちゃんの身体が、ガクガクと小刻みに震え始めます。

 大鎌が手から滑り落ち、バシャッと血の沼に沈みました。


「ダメって……怒られちゃった……っ」

 フェイトちゃんは両手で自らの顔を覆い隠し、身をよじらせながらブルブルと小刻みに震え始めました。

 そして自身の両腕をきつく抱きしめ、太ももをモジモジと擦り合わせながら、荒い息を吐き出しています。


「んぁっ……はぁっ……どうしよう……怒ってるお顔も、すごく可愛い……っ。背筋がゾクゾクするぅ……もっと、もっと叱って、お姉ちゃん……っ!」


 彼女の口から漏れるのは、反省とは程遠い、甘く蕩けきった熱い吐息です。

「もっと……お姉ちゃん、もっと怒って……? わたし、悪い子だから……!」


(……叱られて喜ぶなんて。よっぽど構ってほしかったのですね。少し寂しい思いをさせてしまったのかもしれません)


「もう、次からは気をつけてくださいね。貴女はとても強いんですから、その力は、みんなを守るために使ってください」


「え……?ぇ、あ、う、うんっ! 」

 私はフェイトちゃんの頭を撫でながら、立ち尽くしている騎士たちへと振り返ります。


「皆様。怪我の治療をします。動かないでくださいね」

 通常の治癒魔法と身代わりを使用し、冒険者や騎士を回復させます。


「あ、ありが……とう……」

 騎士たちは、怯えた目でフェイトちゃんをチラチラと盗み見ながら、引き攣った声で礼を言ってくれます。


「あんたたち……いったい何者なんだ?」

 指揮官らしき騎士が、息を切らしながら歩み寄ってきました。その目には、深い畏怖と感謝の色が入り混じっています。

「いや、助かった。あんたらがいなけりゃ、俺たちはここで食い破られてた。あの小さな子の戦い方……まるでおとぎ話の英雄だ」


「いえ、私たちはただの駆け出しクランですので……」

 私が謙遜して頭を下げると、隣で退屈そうにアビゲイルさんの髪の毛をいじっていたベラさんが、くすくすと肩を揺らしました。


「あーあ。こっちの退屈なお掃除は終わっちゃったねぇ」

 ベラさんの瞳が、渓谷のさらに奥――様々な閃光が絶え間なく炸裂している、真の最前線へと向けられます。


「あのピンクの女の子、まだ生きてるかなぁ? あんなに震えてたのに、前線なんて行っちゃってさ。今頃、お腹食い破られて泣き叫んでるかもねぇ。あはっ、想像しただけでゾクゾクしちゃう」

「……マリー……いくの?」

「はい。まだ、救える命があるはずです。アザミさんも、必ず無事でいると信じていますから」


 私は立ち上がり、前線へと視線を向けました。





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