第1話「黄金都市の欺瞞(ぎまん)と地下市場」
第5部「新世界航路とグローバル通貨戦争」編
新大陸アルティナの
東海岸に位置する
巨大港湾都市
『ゴールデン・ベイ』。
天を突く高層ビル群の
壁面は
黄金と白銀の精巧な装飾で
覆われ、
無数の巨大な煙突からは
昼夜を問わず
漆黒の煙と高圧の白色蒸気が
噴き出していた。
大通りを行き交うのは、
シルクハットに
金鎖の懐中時計を覗かせた
帝国の新興貴族や、
豪奢なドレスに身を包んだ
大資本家たちである。
彼らの口から漏れるのは、
もっぱら
「金の相場レート」
「国債の利回り」
そして
「株式の配当」といった
数字の羅列ばかりであった。
しかし、
その輝かしい黄金都市の真下――
巨大な排水路と
激しい高熱の蒸気パイプが
縦横無尽に張り巡らされた
地下の世界には、
帝国の不当な重税と
現物金の枯渇によって
追い詰められた何十万人もの
「新大陸の泥の民」が
ひしめき合っていた。
つばの広い旅人笠を深く被り、
変装用の作業着を纏った人物――
アルティナ摂政は、
薄暗く湿り気のある
地下市場の奥深く、
粗末な酒場の片隅に
静かに腰を下ろしていた。
「……ひどい有様だな」
気配を消して追ってきた
ラグナルが、
低く絞った声で
アルティナ摂政の隣に腰掛けた。
その漆黒の大剣は、
ぼろ布に包まれて
足元に立てかけられている。
「表面上は
豊かさと繁栄を
謳歌しているように見える
この都市ですが、
その実態は酷いものです。
一部の特権的な
大銀行や帝国の高官が
すべての現物ゴールドを
独占して溜め込み、
末端の労働者や中小の商店には
金貨が一枚も行き渡っていません。
それどころか、
手元の現物金が足りないために、
日々の食料や
資材の取引すら
完全に滞っています。
手製の約束手形や
独自の紙幣を使おうとすれば
『国家に対する詐欺罪』として
即座に投獄される……。
人々は交換の手段を奪われ、
干上がっているのです」
「それが、
ヴァルハイト帝国の誇る
『金銀本位制』という幻影の正体だ」
アルティナ摂政は
笠のつばを指で軽く持ち上げ、
粗末な木杯の酒を見つめた。
「金や銀という『現物金属』に
通貨の価値を
厳密に縛り付けすぎるあまり、
経済の拡大に対して
市場に必要な
『交換の手段(通貨の量)』が
圧倒的に不足しているのだ。
ゴールドの絶対量が足りないから、
モノがあるのに買えず、
価値を生み出せる人間が
いるのに仕事が回らない。
経済という生命体の血流が、
硬直した金属の鎖によって
止まりかけている。
黄金の城塞に見えるが、
内側はすでに
取り付け騒ぎ一歩手前の
スカスカの土台に過ぎん。」
「アルティナ摂政、
奥の準備が整いましたぜ」
酒場の奥の重い鉄扉が静かに開き、
ガルドが不敵な義眼を光らせて姿を現した。
その背後には、
帝国の不当な搾取と金貨不足によって
破産寸前まで追い詰められた、
新大陸の地下商人ギルドや作業員組合の代表たちが
泥にまみれた顔を揃えていた。
「彼らは帝国の高利貸しと大銀行に絞り上げられ、
明日のパンの仕入れすらできねぇ
中小の商人や職人どもです。
あんたの……
いや、アルティナ摂政の『泥の知略』を
聞きたがって集まりました」
アルティナ摂政は静かに立ち上がり、
酒場の奥へと足を進めた。
暗がりの中に集まった数十名の商人たちが、
警戒と藁にもすがるような切実な眼差しで、
つば広笠の人物を見つめる。
「新大陸の商人たちよ。よく聞け」
アルティナ摂政の声が、
地下室の湿った空気を震わせた。
懐から取り出されたのは、
一枚の素朴な紙――
アリストの地下工廠で印刷された
『セルヴァ札』であった。
「帝国は
『金こそが
世界で唯一の絶対的な価値だ』と貴様らを洗脳し、
血汗流して稼いだ金貨をすべて吸い上げている。
だが、手元に金貨がないからといって、
なぜ貴様らは目の前にあるモノの売り買いを諦め、
飢えに甘んじているのだ?
価値を保証するのは金属の輝きなどではない。
取引する者同士の
『明日も商売を続けるという相互の信用』だ」
商人たちがどよめき、互いに顔を見合わせる。
「だが、お頭……いや、アルティナ摂政殿!」
一人の老商人が震える声で声を上げた。
「いくら信用と言われても、
そんなただの紙きれ一枚で
仕入れができるわけがありません!
帝国の役人に見つかれば絞首刑だ!
我々は現物の金貨がなければ、
どこからも資材を買えないのですよ!」
「では問うが、
お前たちが本当に欲しいのは
『黄色い金属のかけら』か?
それとも、商売を回すための
『質の高い資材と機械』か?」
アルティナ摂政は不敵に微笑み、
セルヴァ札の横に漆黒に光る小さな金属片――
アリスト特産の超高純度「魔素鋼」の
サンプルを叩きつけた。
「このセルヴァ札を、
我がアリストの地下銀行が全額担保する。
この紙を受け取り、取引の決済に使う商人に対しては、
我がアリストが誇る最高品質の魔素鋼、
過給蒸気パーツ、
そして食料の優先供給権を保証しよう。
帝国の金貨など一枚も要らん。
この紙一枚で、
お前たちは帝国の大銀行すら手に入れられない
最高の資材を手に入れることができるのだ」
「な……なに……!?
金貨なしで、あの旧大陸で噂の
『魔素鋼』が手に入るだと……!?」
「帝国の銀行から高利で金を借りなくても、
この紙があれば資材を仕入れて工場を動かせるのか!?」
地下室を包んでいた絶望の空気が、
一瞬にして爆発的な「貪欲と希望」の熱気へと
塗り替わっていく。
「帝国が金の力で経済の首を絞めるなら、
我々は『信用』という名の
新たな血流を地下から流し込む」
アルティナ摂政は笠のつばをぐっと押し上げ、
漆黒の瞳で黄金都市の天井を射抜くように見据えた。
「このゴールデン・ベイの地下で、
今日からすべての裏取引を
『セルヴァ札』へ切り替えさせろ。
帝国の金貨を金庫に眠らせたまま、
市場の富と実利をすべてこの紙で吸い上げるのだ。……
黄金の山の上に胡坐をかくヴァルハイトの豚どもに、
実体なき紙が巻き起こす狂乱の暴落を叩き込んでやる」
「ウオオオオオッ!!」
11/5 17:10 に投稿します。
『某国の物語』(1)
──その街には、
潮の匂いと、金属を打つ音と、
人々の怒鳴り合う声が満ちていた。
交易の国・大魔国の首都モルド。
大陸の南端、
三つの海流が交わる港湾に築かれたこの都市は、
かつて世界で最も賑やかな場所だった。
百周年戦争。
その終結から数十年が経った今も、
街には傷跡が残っている。
焼け落ちた倉庫街、
片腕を失った荷役夫、名前だけが刻まれた無数の碑石。
それでも市場は開かれ、
人々は声を張り上げて物を売り買いしていた。
「そこの旦那、
セルヴァ産の干し果実だよ! 先月より2割も安い!」
「馬鹿言え、
あっちの国じゃ
市場が禁じられてるんだろう。
どうやって運んでくるんだ?」
「闇だよ、闇! 向こうの連中も必死なのさ!」
笑い声が上がった。
笑いながら、誰もが知っていた。
国境の向こうで、
人々が配給の黒パンを半個ずつ分け合っていることを。
大魔国・魔素観測所。
港を見下ろす丘の上に建つ石造りの施設で、
技師長のゼフィは、
巨大な円卓に広げた記録紙の束を睨みつけていた。
眼鏡の奥の目は、
3日続いた徹夜で赤く充血している。
「技師長、第7観測網の百年分の整理が終わりました」
若い技師が、抱えきれないほどの書類を運んできた。
観測所には、百年分の魔素の流れが記録されている。
大陸の地下を巡る魔素の流脈、その強弱、淀み、断絶。
先人たちが戦火の中でさえ守り抜いた、国の命綱とも呼ぶべき資料だった。
「……やはり、ここだ」
ゼフィは指先で一点を叩いた。
大陸の中央、巨樹の国セルヴァ。
その首都アリストの大霊樹の根元で、
流脈は不自然に膨らみ、そこで途切れていた。
「百年前を境に、
大霊樹は周囲の魔素を吸い上げるだけ吸い上げ、
下流へ流さなくなっています。
我が国の大地が痩せ始めたのは、まさにその年からです」
「つまり、あの木が堰になった、と?」




